草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

反日で結束する中韓に対抗するには日米同盟しかない!

2015年09月04日 | 安全保障

中共と韓国は反日で結束している。それ以外に国をまとめる求心力がないのである。これに対して我が国は、アメリカを始めとした西側や中韓以外のアジアの国々との結びつきを強めている。相手が日本を敵対視しているわけだから、こちらが無理に接近する必要はないのである。かえって日米同盟を強化して国家として身構えなくてはならないのである。東シナ海や南シナ海での軍事的緊張を高めているのは中共であり、抗日戦勝利の軍事パレードを見せつけられれば、まおさら中共に脅威を抱くのは当然だ。平和安全関連法案について、米国の戦争に巻き込まれるとの意見があるが、なぜ現実を直視しないのだろう。米軍のプレゼンスを確認する意味で、今回の法案の意義は大きい。これによって中共の軍事的暴発を封じ込めることができるからだ。日本単独でということになれば、それこそ中共は何をしてくるか分からない。アメリカは絶対ではない。しかし、共通の価値観を有する米国との同盟は、日本の国益にとって重要である。第七艦隊の母港が横須賀にあることで、いかに中共が海洋進出を図ろうとしても、思惑通りにはいかないのである。国会前でデモをしている人たちは、憲法9条だけで国民の命と安全が守れると思っているようだ。「平和」を口々に唱えれば、戦争にはならないと信じているのだろう。江藤淳がかつて指摘したように、それは「閉ざされたナショナリズム」でしかない。日本は否応なく国際社会で生きていかなくてはならない。どこの国と組めば国益にかなうかを、絶えず選択しなければならず、身勝手な幻想で国の舵取りをしてはならないのである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抗日戦勝利の軍事パレードは中共の日本への恫喝だ!

2015年09月03日 | 安全保障

中共は軍事力によって日本を屈服させようとしているのである。抗日戦勝利70周年の軍事パレードを、日本のマスコミは何と擁護するつもりだろう。兵力を30万人削減するというのも詭弁でしかない。陸軍が必要なくなっているだけであり、その予算を最新式の武器の購入にあてるつもりなのである。お花畑の9条擁護の人たちは、北京にまで出かけて行って、戦車の前に立ちふさがればよかったのだ。憲法があれば絶対というのであれば、まずは行動で示すべきだ。シールズなる日本共産党がバックにいる学生団体も、ハンストをやると宣言して置きながら、ギブアップしてネットでは笑いの種になっている。それと比べるとチベットの僧侶たちは、実際に全身火だるまになって抗議をしている。中共がチベットの人たちの自由を認めず、力によって押さえつけているからである。それで亡くなった人の数は100人以上だといわれる。中共は自らの体制を維持するために、軍事力を行使せざるを得なくなってきている。大東亜戦争では、八路軍としてゲリラ戦で抵抗しただけであって、日本軍と正面から戦ったのは国民党軍であった。歴史を改ざんするのが得意な中共は、戦勝国の立場にこだわり、日本への対抗心をむき出しにしている。しかし、アメリカをはじめとする西側は、あくまでも覇権のための口実でしかないことを見抜いている。だからこそ、今回の記念式や軍事パレードをボイコットしたのである。安倍政権が立派だと思うのは、日本の国益を守るために、欧米を味方に付けたことである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60年安保騒動の縮小再生産で決め手欠く国会前デモを嗤う!

2015年09月03日 | 思想家

今国会や首相官邸を取り囲んでいるデモ隊は何に期待しているのだろうか。日本は議会制民主主義の国家であり、国会議員による多数決の原理で進められていくのである。間違ってもデモ隊の数で決まるのではない。60年安保騒動のときも同じようなことがあった。実際に17万人もの人間が国会を包囲した。江藤淳は反対派であったインテリの体たらくを「戦後知識人の破産」で鋭く暴いた。反対派は当時の岸信介首相に面会を求める行動を起こせば、阻止できると思っていた。政治的な行動として立ち上がったにもかかわらず、最終的には「相手の善意」に頼るしかなかったのである。江藤の主張は明確である。「手を汚さないで権力を手に入れることはできず、政治と道徳が背馳するという冷酷な真実をみとめることでもある。そして、あえていえば、『平和』といったようなものが、単に戦争の回避の連続という綱渡りを意味するにすぎず、絶対の静寂といったようなものではないことを勇敢に承認することでもある」と書いている。他者への幻想にもとづく安易な政治的行動は、運動自体を駄目にするとともに、厳しい国際環境のなかでは、倫理を振りかざし、「相手の善意」だけで局面が打開できるほど生易しくはないからだ。現実を直視しなかったために60年安保騒動は敗北した。その縮小再生産が今回の平和安全関連法案へ反対するデモなのである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津在住の作家笠井尚氏の『白虎隊探究』補足!

2015年09月02日 | 思想家

聖典は土津霊神碑文なり白虎の死は崇高なりし  笠井尚 

 今回の『白虎隊探究』は、あくまでも思想的なアプローチであったために、少しばかり難解になったようです。しかし、言わんとしたことは単純明瞭です。会津藩の教学はそれに先行した会津の精神風土があったからであり、会津松平藩の祖であった保科正之公や朱子学者の山崎闇斎の力だけではなく、その受け皿としての、会津の学問のレベルの高さを強調したかったからです。  
 そこで注目をしたのが、葦名の重臣山内氏の流れをくむ横田俊益の存在でした。父親が近江から会津にやってきて成功した商人の家に養子に入り、その子どもとして若松城下で生まれました。
 俊益は優秀であったために、加藤明成公の側近となって仕えました。しかし、殿様が会津を離れることになったために、仕官の道をあきらめて、学問を究めるために江戸に遊学をしました。中途になったのは、自分に代わって家督を継いでくれた弟が死んだからです。このため急きょ会津に戻り、一般の人たちを集めて学問の場を作り、それが後に稽古堂となったのでした。
 校長は肥前生まれの岡田如黙が務め、会津藩家老までもが話を聞きに来ました。その俊益が会津にいたことで、闇斎の朱子学を広めることができたのでした。
 さらに、保科正之公の時代には、会津の庶民レベルでは藤樹学が広まっていました。近江聖人と呼ばれた中江藤樹が打ちたてた学問で、その当時は高弟であった淵岡山が京都で教えていました。そこに荒井、大河原という若松の医師が出かけて行って学び、それが喜多方地方を中心にして、一時は千名を超える門弟を確保するにいたったのです。
 如黙自体も藤樹学の感化を受けたために、会津藩の教学も根本においてはそれを無視することはできませんでした。如黙は喜多方市の真木に流されそこで一生を終ることになりますが、藤樹学が弾圧された期間は長くはありませんでした。
 朱子学は身を修めることが国を治めることであり、徹底した精神性に結びついています。藤樹学おいても、誰しもに良知があるといわれ、それを自覚することを求めています。目先の利益ではなく、もっと根本的なものを大事にしたのです。
 また、いずれも儒教に属し、魂と魄を呼び寄せることが先祖を祀ることでありました。このため、仏教とは違って、死者を荼毘にふすことは許されませんでした。共通点が大きかったのです。
 藤樹学の北方後の三子といわれた中野義都が、一方では会津藩教学の中興の大家と評されたのでした。共通したベースがあったからです。正之公の功績を讃えた闇斎の「土津霊神碑文」の解釈文を残し、「予、幼より霊神碑文を読むことここに四十余年、初は文字を読んでこれを喜び、中ごろはその成功の美を識ってこれを喜び、終にはその徳の広大なるを識ってこれを喜び、これを読むこといよいよ久うして意味の深長なるを覚えた」と記述しています。
 『白虎隊探究』ではその解釈文も掲載しています。昭和になって郷土史家の相田泰三も一部手を加えていますが、ほとんどは中野の手になるといわれています。
 それを何度も読み返すことが会津の精神風土を理解することにもなると思います。朱子学や藤樹学を詳しく知らなくても、まずは「土津霊神碑文」なのです。ぜひ本を購入いただいて「意味の深長なるを覚えた」という境地になってもらえればと願ってやみません。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「安倍やめろ」だけで「友と敵」との区別もできぬお花畑を嗤う!

2015年09月02日 | 思想家

平和安全関連法案の成立に反対するデモ隊は、なぜ廃案に追い込まなくてはいけないかをまったく語っていない。「安倍やめろ」「戦争法案を許すな」の連呼だけである。一個人である安倍首相への憎悪を掻き立てれば、国民の支持を得られると勘違いしている。本来の政治は憎悪や愛情とは無縁であり、もっとも重要なのはカール・シュミットが述べているように「友と敵」との識別なのである。橋川文三は『政治と文学の辺境』で、シュッミットのその識別について「敵というのは『少くとも究極的には敵として戦うことになるかもしれない現実の可能性をもった人々の総体』にほかならない」と書いている。それを見分けるにあたって「『人々の総体』を現実のものとして意識するためには、人はかなり豊かな想像力をもたねばらないであろうし、その想像力に見合った象徴形成の欲求をもたねばならない」とも指摘している。首相官邸前などで騒いでいるデモ隊には、そこまで「豊かな象像力」はもっていない。だからこそ、個人レベルでの誹謗中傷しかできないのである。そもそも日本人には「敵」という概念を理解することができないのではないだろうか。個人的な感情とは無縁でありながら、物理的には抹殺の対象となるのが「敵」である。その識別が政治の世界では大きな力を発揮するのである。安倍首相に関しては憎しみの対象とするが、日本を侵略しかねない中共のような国家は良く思いたい。そんなお花畑では政治を語るのは迷惑千万な話なのである。


にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公式平和論者をぎゃふんと言わせたのはネットの力だ!

2015年09月01日 | ネットの世界

「ネトウヨ」なる言葉は、一方的な決めつけでしかなく、本来であれば一つ一つのテーマについて議論をすべきだろう。一括りして罵倒するのは、既得権益を守りたいマスコミの嫌がらせでしかない。マスコミが持ち上げていたシールズなる学生組織が、共産党系の労組の車を借りていたり、民主青年同盟の影響下にあることを暴露したのは、それこそネットであった。真実を伝えないテレビや新聞を尻目に、堂々たる言論戦を展開したのである。朝日新聞が捏造した「従軍吾慰安婦」の問題にしても、ネットではかなり前から取り上げられており、それがボディブローになったのは確かである。もっとも本質的であるのは、今の若い人たちが情報を手にする機会が多くなったことだ。朝日新聞などが反日的な言説に終始しようとも、そうではない見方が浸透をしてきているのである。好奇心が旺盛な若者であれば、歴史を勉強することで、日本が一方的に断罪されることへ疑問を抱くのは当然の成り行きである。ネットの言論は、そうした若者の意識に支えられている。かつて葦津珍彦は「日本の子どもたちが、教師がいかに非難しようとも、英雄的な戦記文学に心をひかれ、悲壮な戦争映画にあこがれるのは自然である。そして子どもたちは、戦争についても、公式平和論者よりも遥かに豊富で、遥かに正確な知識を有つにいたる」(「右翼ハイ・ティーン」)と書いたが、ようやく戦後70年目にして、ネットの力によって失われた日本を取り戻しつつあるのだと思う。


にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする