心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

父は捨てられない人、古い自分を捨てる、脳の働き、思考回路を変えれば人生が変わる

2022年11月10日 | 人生を変える方法

私の父親は、60代半ばですが、ちょうど60歳で大病を患い、その流れで定年退職し、無職となり家でゴロゴロしています。

時間を持て余し、排尿障害のため1時間、紙パンツを着用し、1時間置きにトイレを往復する生活をしています。

 

実家に帰省するたび、その姿が哀れで、気の毒だと思い、御言葉を伝えていますが、受け入れようとはしません。

 

5年以上、御言葉は伝えているのですが、

「定年退職して厚生年金と貯蓄で食べていけてるから何がいけないんだ?」

「なんで働かなければいけないんだ!?食べていければいいじゃないか!?」

と言って受け入れようとせず生活しています。

父の中で「労働=嫌な仕事を時間内我慢して生活するためのお金を得るだけのもの」という認識なのです。

「神のために、義のために、人の救いのために働く、個性才能を伸ばす」

という考えが全くありません。

RAPT有料記事301(2018年8月11日)仕事の中にこそ恵みがあり、幸せがあり、喜びがあり、生き甲斐があると悟りなさい。
https://rapt-neo.com/?p=48405

60代半ばで、信仰もなく、医療から見放され排尿障害を抱え、暇と時間を持て余した父に与えられた仕事は

1時間置きのトイレとベッドとの往復と、尿漏れによる悪臭に耐える生活でした。

「神様は公平な方だな」と感じたので、そんな父のエピソードについて、「神様の働き」についてご紹介させてください。

 

父の病気の事の発端は、大量飲酒でした。

もともと、お酒に弱い体質なのに、村の寄合や会合に出ると、調子にのって見境なく飲酒してしまうのです。

普段、缶ビール350mlを半分でほろ酔い気分となる人が、親戚や町内だど、人の集まる場所になると大酒を飲み、羽目を外してしまうのです。

酔っぱらうと、テレビの討論番組で聞きかじった政治の話、戦争の話、最後は、国防論、経済論、陰謀論を語り始める始末。

「外で大酒飲んで、政治の話とかするのやめようよ」と家族は外での飲酒を止めていました。

しかしある時、転機が訪れます。父が50代半ばに差し掛かった頃の事です。

 

町内の寄合のあと、大酒を飲み、歩いて帰って来てから、服も着替えずその場で寝てしまいました。

しかし、朝になると急にうずくまって「腹が痛い」と脂汗をかいて訴えるのです。

慌てて、市内の救急病院に連れて行き、レントゲン、腹部エコー検査をしてもらうと

「急性尿道閉鎖による暴行破裂直前の状態」

だったのです。膀胱がパンパンに膨れ上がっていました。

実は大量飲酒によって、脳神経が障害を起こし、膀胱収縮しなくなった、括約筋の弛緩収縮不全となってしまったのです。

そこに飲酒による解毒のための利尿作用が加わり、多量に尿が生成され、尿が一時的に貯められる膀胱容積が

高まり、激しい腹痛を覚えたのです。

外来で、カテーテルによる一時的導尿をすることで、膀胱内にたまった尿は排泄され、事なきを得ましたが、

「原因は不明の膀胱緊満による激痛」と診断され、念のため、腎泌尿器科への通院と更年期男性に多い、前立腺の検査を進められました。

泌尿器科での検査の結果、前立腺肥大と診断されました。

尿の通りが悪いため、排尿困難になる、尿道括約筋の動きも悪いため、軽い尿漏れや、逆に排尿不全があり、残尿と実際の残尿感を感じる

状態であると言われたようです。(父は小難しい医学用語は理解できませんので、私なりに整理して説明しています)

 

今思えば、ここで大きな見落としがあります。

「大量飲酒による、脳神経障害による排尿不全」です。

 

父は、村の会合での飲酒は控えるようになりましたが、排尿障害は改善せず

57歳ころから毎日排尿との戦いが始まりました。

カテーテルを使って自己導尿しなくてはならないのです。

 

当然、自己管理などできないため、逆流性膀胱炎で発熱したこともあります。

2時間置きの自己導尿が始まりました。

それでも残尿感があり、夜間導尿のため不眠症となってしまったため、

最終的には膀胱留置カテーテルを使い、自然排尿をしなくなる時期もありました。

膀胱留置カテーテルからの尿路感染があり、自己排尿能力低下を危惧して、バルーンカテーテルは抜去

自然排尿に向けて、泌尿器科へリハビリしに行くこともありました。

しかし、長く続かず、残尿感を抱えたまま、今では1時間置きにトイレに行くようになっています。

尿漏れもあるため、成人用の紙パンツも履いています。

そんな折、2回ほど急変しました。

その中でも、高血糖による脱水による、瀕死状態になった急変時のお話をしたいと思います。

排尿障害が続き、50代半ばの父は急に食欲がなくなり、食事をとらなくなりました。

5kg近く体重が減ったため、病院で検査したところ、糖尿病と診断され、血糖コントロールのため入院することになりました。

入院後、インスリン注射が始まろうとした折、父の容態が悪化していったのです。

主治医は学会で不在でまともな指示もなく、血糖値が500mg/dlで、重度の脱水状態でした。

当直の内科医に転院を打診したところ快諾され、当直医からは「お父様が、なぜ糖尿病になったのか原因は不明です」と断言しました。

生命維持のため、市内の公立病院に転院することになりました。

 

この時、私が考えるには、父の生活習慣に原因があったと思います、

1時間置きのトイレによる不眠と度重なる排尿のストレスによる高血圧から起因しているのでしょう。

 

空腹時血糖値が500mg/dl超えがあり、インスリンと大量補液が転院先の病棟では開始されました。

ひとまずは安心だとその場を離れたのですが、

転院した2日後、急変し、主治医から家族全員を招集され、「万策尽きました。今晩乗り越えられるか瀬戸際です」と突然宣告され

DNAR(蘇生処置拒否)の承諾書へのサインを求められました。

私が医療従事者であったため、気が動転している母や姉ではなく、主治医から、私に説明があったのです。

転院される数日前は、高血糖で食欲もなくなった父親はげっそりやせ細っていたのですが、

転院後、高血糖対応のため、大量補液をされ、水膨れ状態となり、マツコ・デラックスのようになって、病院に呼ばれて対面した時は、虫の息、下顎呼吸をしていました。酸素マスクで投与してもSPO2も80%前半です。

意識レベルはJCS2-30でした。

60歳なのに変わり果てた父の姿を見て、私たち夫婦はDNARの承諾書にサインをし一旦帰宅することにしました。

その時、既に私たち夫婦は信仰を持っていたため、「社内で二人で30分以上お祈りしよう」と話し合いお祈りをしたのです。

「神様、御心ならば、父を救ってください。そして、医者では治せない、治らないことも

私たちの祈りによって、神様の力が働いて、奇跡が起こるのだと知らしめてください」

「父が改心するようにしてください。父の回復を持って、周りの家族が神様を信じるように導いてください」

と祈ったのち、帰路につきました。

翌日、急変の電話なく経過し、夕方に母親に電話で確認したところ

「今、病院にいる。今朝から、急に体調がよくなり、意識が戻って、少し話せるようになった。水を飲むようになった。

点滴の水膨れも嘘みたいに引いていって、逆にげっそりやせ細っているよ。1週間飲まず食わずでいたからね。

”喉が渇いた、水が飲みたい”て喋れるようになったの。

明日には、ナースステーションの横の集中観察室から、一般室に戻れそうだよ」

と興奮しながらも、涙声で話す母親の返答がありました。

(母親は気が動転し、昨晩眠れなかったのです)

 

その後、父は快方に向かい、無事に退院しました。

DNARの承諾書をした夜のことを覚えているか?と聞くと

『誰かわからないが懐かしい、聞き覚えのある声で「にこっちにおいで」と手招きされていた

そっちに行きたいなという気持ちがあったが、気が付いたら目が覚めて、病院であることが分かった。

三途の川でも見ていたのかな?』

と真面目な表情で話してくれました。

私:「あの晩、お父さんのために、神様に祈ったんだよ。何か感じた?」

父:「いや、何も。どうせ死ぬんだし。また生きなければならないんやなって気持ちも少しある」

と苦笑いして答えました。

そんな父は今でも健在です。

そして、父に与えられた仕事は、冒頭でもお話したように

「1時間置きのトイレとベッドとの往復と、尿漏れによる悪臭に耐える生活」なのです。

以前に比べれば、父は私の声に耳を傾けてくれるようになりました。

御言葉を受けいれる気配はありませんが💦

それでも、私は父が救われて欲しいと祈っています。

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