株式日記より転載
成果に応じた高給が期待できるにもかかわらず、スペシャリストのサラリーマンまで法案
に反対しているのはなぜでしょうか。日本の会社には、スペシャリストなどいないのです
2017年9月30日 土曜日
◆同一労働同一賃金に抵抗する日本という「身分差別社会」 橘玲の「幸福の資本論」 9月27日
ジョブ型とメンバーシップ型
日本企業でなぜ社員が過労自殺するのかを論じるには、日本の会社やサラリーマンの働き方の基本的な仕組みを押さえておく必要があります。
すでにさまざまな論者によって指摘されていることですが、欧米の会社の人事システムが「ジョブ型」であるのに対し、日本の会社は「メンバーシップ型」だという大きなちがいがあります。
ジョブ型というは「職務(ジョブ)」を基準に仕事が成り立っている組織のことです。人事部は、経営者が決定したビジネス戦略にのっとって必要なジョブを補充し、不要なジョブを削減しますが、職務間の異動は原則としてありません。営業が人手不足になれば、労働市場から適任者を募集します。その一方、間接部門で人材の余剰があれば金銭解雇(リストラ)によって適正な規模に戻します。こんなとき日本の会社だと、当然のように人事部や総務部から営業部への配置換えが行なわれますが、欧米のビジネスマンがそれを聞いたら腰を抜かすほど驚くでしょう。
ジョブ型の特徴は、仕事に必要な能力や資格が厳密に決まっており、その基準をクリアする労働者なら誰でも代替可能なようにマニュアル化されていることです。そのため同じ能力・資格で安く働く労働者(たとえば移民)がいれば、いまの社員を解雇して彼らを雇うのが経済合理的であり、中国やインドなど新興国に同じ能力・資格の人材が集まっていれば工場ごと移転するのがより合理的ということになります。
それに対してメンバーシップ型は、その名のとおり「メンバー」を中心に仕事が成立している会員制組織のことです。そこでは正会員(正社員)と非会員(非正規社員)の身分が厳密に定められ、正社員には組織(イエ)の仲間と和を保ちながら、あらゆる職務(ジョブ)に対応できる能力が求められます。このような人材は便利ですが、その能力は(たまたま入社した)特定の会社に特化しているので汎用性がありません。終身雇用と年功序列で収入を安定させることは、他社の仕事との代替可能性(転職可能性)を放棄したことへの代償なのです。
サラリーマンの働き方は、スペシャリスト(専門家)に対して「ゼネラリスト」と呼ばれますが、これは「サラリーマン」と同じく和製英語で海外ではまったく通じません。ジョブ型の組織はスペシャリストの組み合わせでできていますから、さまざまなジョブを横断するゼネラリストはそもそも存在しないのです。
ジョブ型とメンバーシップ型はそれぞれ一長一短がありますが、最近では日本型経営への風当たりがますますきびしくなってきました。
ひとつは、「非正規社員」が日本にしかない特殊な制度で、同じ仕事をしても給与が異なるのは「身分差別」ではないかと、ILO(国際労働機関)など国際社会から疑惑を向けられていることです。安倍政権が「同一労働同一賃金」の導入に必死になるのは、従軍慰安婦問題につづいて「日本は差別社会」とのレッテルを貼られるのを避けようとしているからですが、この話はこれまでずいぶん書いてきたのでここでは繰り返しません。
「身分差別社会」日本
欧米の会社はスペシャリストとバックオフィスが厳密に分かれているので、投資銀行家やプライベートバンカーは医者や弁護士と同じく、会社の屋号を借りている自営業者です。彼らの報酬は成果主義で決まり、儲かれば社長以上の報酬が支払われますが、損失を出せば即解雇です。しかしこれは「非情」ということではなく、自営業者に雇用保障がないことを考えれば当たり前の話です。
ところが日本の会社ではスペシャリストとバックオフィスの仕事が一体化していて、専門的な仕事をする社員と、マックジョブしかやらない社員がまったく同じに扱われるという奇妙なことになっています。これが「サラリーマンは“職業”ではなく“身分”である」という意味なのですが、働き方がグローバル化するにつれて機能不全を起こすのは当然です。
本質的に自営業者であるスペシャリストを、バックオフィスと同じマニュアルで働かせることはできず、マックジョブであるバックオフィスを、スペシャリストと同じ成果主義で評価することはできません。こうして能力のあるスペシャリストは、自分の仕事がバックオフィスと同じにしか評価されない(頑張っても報われない)ことに愛想をつかしてさっさと会社を辞めていき、社内には「バックオフィスより高度な仕事をしているものの、スペシャリストとしての知識や技能を持たない」中途半端な人材が滞留していきます。これが、日本の会社で「ゼネラリスト」と呼ばれるひとたちです。
こうした状況には、もちろん経営者も頭を悩ませています。そこでどうするかというと、バックオフィスの正社員を非正規に置き換えようとするのです。その結果日本の会社では、まったく同じ仕事をしながらも、「正社員」と「非正規」という異なる身分ができてしまいました。こうして「同一労働同一賃金」が政治課題になるのですが、問題はたんに給与だけではありません。
「欧米の企業は社員の雇用を守らない」とされていますが、これは一面的な見方です。欧米でもバックオフィスは「会社の仕事」をしているのですから、一方的に解雇されてしまえば生活が成り立ちません。そのため業績不振によるレイオフ(金銭解雇)を認めている場合でも、その手続きは厳密に定められ、できるかぎり雇用と生活が守られるよう配慮されているのがふつうです。
ところが日本の場合、バックオフィスのうち非正規社員はたんなる請負契約ですから、雇用の保障などなにもなく、契約期間が終われば問答無用で解雇されてしまいます。これほど虐げられた働き方は、先進国ではとうてい考えられません。なぜこんな理不尽なことになるかというと、日本では「正社員という身分」が実質的に解雇できないよう手厚く守られているため、非正規社員の処遇を正社員と同じにすることができないからです。その結果、非正規社員ばかりが増えて雇用の質はますます悪化していきます。
こうした状況を変えようとして提案されたのが「残業代ゼロ法案」と批判されている高度プロフェッショナル労働制ですが、その趣旨は人件費を減らすことではなく、日本の会社でもスペシャリストとバックオフィスを明確に分けて、スペシャリストに対してはグローバル基準の報酬や待遇を提供できるようにすることです。しかしなぜ、こんな当たり前のことが実現できないのでしょうか。
それは多くのサラリーマンが、「スペシャリストもバックオフィスも正社員ならみな平等」というこれまでのぬるま湯が“破壊”されることを嫌っているからです。彼らは「残業代ゼロ」に反対しているのではなく、逆に、残業代をもらえる立場になることを恐れています。なぜならそれは、自分の仕事が非正規社員と同じだという証明なのですから……。これまで「正社員」の既得権に安住してきたバックオフィスのサラリーマンがこの法案に反対するのは当然です。
しかし、成果に応じた高給が期待できるにもかかわらず、スペシャリストのサラリーマンまで法案に反対しているのはなぜでしょうか。手厚い解雇規制で「身分」が保障されるうえに、成果主義で給与も増えるならまさに一石二鳥です。
その理由はもうおわかりでしょう。そもそも日本の会社には、スペシャリストなどいないのです。そんな彼らにとって、「スペシャリスト的な仕事が優遇される法案」などなんの意味もないばかりか、自分になにひとつ「スペシャル」なものなどないことが暴露されるだけなので、彼らが必死に反対するのもやはりきわめて合理的なのです。
あと何十年かしたら、日本の会社でもバックオフィス的な仕事をしているひとは全員が「非正規」に置き換えられ、規制の強化で待遇が向上して欧米と同じように「解雇できる社員」になるかもしれません。そうなれば会社に残る少数の正社員は、そのままスペシャリスト=「会社の看板を借りた自営業者」に移行できます。もっともこの遠大な計画が実現するまでに、日本の会社そのものが存続しているかどうかはわかりませんが。
成果に応じた高給が期待できるにもかかわらず、スペシャリストのサラリーマンまで法案
に反対しているのはなぜでしょうか。日本の会社には、スペシャリストなどいないのです
2017年9月30日 土曜日
◆同一労働同一賃金に抵抗する日本という「身分差別社会」 橘玲の「幸福の資本論」 9月27日
ジョブ型とメンバーシップ型
日本企業でなぜ社員が過労自殺するのかを論じるには、日本の会社やサラリーマンの働き方の基本的な仕組みを押さえておく必要があります。
すでにさまざまな論者によって指摘されていることですが、欧米の会社の人事システムが「ジョブ型」であるのに対し、日本の会社は「メンバーシップ型」だという大きなちがいがあります。
ジョブ型というは「職務(ジョブ)」を基準に仕事が成り立っている組織のことです。人事部は、経営者が決定したビジネス戦略にのっとって必要なジョブを補充し、不要なジョブを削減しますが、職務間の異動は原則としてありません。営業が人手不足になれば、労働市場から適任者を募集します。その一方、間接部門で人材の余剰があれば金銭解雇(リストラ)によって適正な規模に戻します。こんなとき日本の会社だと、当然のように人事部や総務部から営業部への配置換えが行なわれますが、欧米のビジネスマンがそれを聞いたら腰を抜かすほど驚くでしょう。
ジョブ型の特徴は、仕事に必要な能力や資格が厳密に決まっており、その基準をクリアする労働者なら誰でも代替可能なようにマニュアル化されていることです。そのため同じ能力・資格で安く働く労働者(たとえば移民)がいれば、いまの社員を解雇して彼らを雇うのが経済合理的であり、中国やインドなど新興国に同じ能力・資格の人材が集まっていれば工場ごと移転するのがより合理的ということになります。
それに対してメンバーシップ型は、その名のとおり「メンバー」を中心に仕事が成立している会員制組織のことです。そこでは正会員(正社員)と非会員(非正規社員)の身分が厳密に定められ、正社員には組織(イエ)の仲間と和を保ちながら、あらゆる職務(ジョブ)に対応できる能力が求められます。このような人材は便利ですが、その能力は(たまたま入社した)特定の会社に特化しているので汎用性がありません。終身雇用と年功序列で収入を安定させることは、他社の仕事との代替可能性(転職可能性)を放棄したことへの代償なのです。
サラリーマンの働き方は、スペシャリスト(専門家)に対して「ゼネラリスト」と呼ばれますが、これは「サラリーマン」と同じく和製英語で海外ではまったく通じません。ジョブ型の組織はスペシャリストの組み合わせでできていますから、さまざまなジョブを横断するゼネラリストはそもそも存在しないのです。
ジョブ型とメンバーシップ型はそれぞれ一長一短がありますが、最近では日本型経営への風当たりがますますきびしくなってきました。
ひとつは、「非正規社員」が日本にしかない特殊な制度で、同じ仕事をしても給与が異なるのは「身分差別」ではないかと、ILO(国際労働機関)など国際社会から疑惑を向けられていることです。安倍政権が「同一労働同一賃金」の導入に必死になるのは、従軍慰安婦問題につづいて「日本は差別社会」とのレッテルを貼られるのを避けようとしているからですが、この話はこれまでずいぶん書いてきたのでここでは繰り返しません。
「身分差別社会」日本
欧米の会社はスペシャリストとバックオフィスが厳密に分かれているので、投資銀行家やプライベートバンカーは医者や弁護士と同じく、会社の屋号を借りている自営業者です。彼らの報酬は成果主義で決まり、儲かれば社長以上の報酬が支払われますが、損失を出せば即解雇です。しかしこれは「非情」ということではなく、自営業者に雇用保障がないことを考えれば当たり前の話です。
ところが日本の会社ではスペシャリストとバックオフィスの仕事が一体化していて、専門的な仕事をする社員と、マックジョブしかやらない社員がまったく同じに扱われるという奇妙なことになっています。これが「サラリーマンは“職業”ではなく“身分”である」という意味なのですが、働き方がグローバル化するにつれて機能不全を起こすのは当然です。
本質的に自営業者であるスペシャリストを、バックオフィスと同じマニュアルで働かせることはできず、マックジョブであるバックオフィスを、スペシャリストと同じ成果主義で評価することはできません。こうして能力のあるスペシャリストは、自分の仕事がバックオフィスと同じにしか評価されない(頑張っても報われない)ことに愛想をつかしてさっさと会社を辞めていき、社内には「バックオフィスより高度な仕事をしているものの、スペシャリストとしての知識や技能を持たない」中途半端な人材が滞留していきます。これが、日本の会社で「ゼネラリスト」と呼ばれるひとたちです。
こうした状況には、もちろん経営者も頭を悩ませています。そこでどうするかというと、バックオフィスの正社員を非正規に置き換えようとするのです。その結果日本の会社では、まったく同じ仕事をしながらも、「正社員」と「非正規」という異なる身分ができてしまいました。こうして「同一労働同一賃金」が政治課題になるのですが、問題はたんに給与だけではありません。
「欧米の企業は社員の雇用を守らない」とされていますが、これは一面的な見方です。欧米でもバックオフィスは「会社の仕事」をしているのですから、一方的に解雇されてしまえば生活が成り立ちません。そのため業績不振によるレイオフ(金銭解雇)を認めている場合でも、その手続きは厳密に定められ、できるかぎり雇用と生活が守られるよう配慮されているのがふつうです。
ところが日本の場合、バックオフィスのうち非正規社員はたんなる請負契約ですから、雇用の保障などなにもなく、契約期間が終われば問答無用で解雇されてしまいます。これほど虐げられた働き方は、先進国ではとうてい考えられません。なぜこんな理不尽なことになるかというと、日本では「正社員という身分」が実質的に解雇できないよう手厚く守られているため、非正規社員の処遇を正社員と同じにすることができないからです。その結果、非正規社員ばかりが増えて雇用の質はますます悪化していきます。
こうした状況を変えようとして提案されたのが「残業代ゼロ法案」と批判されている高度プロフェッショナル労働制ですが、その趣旨は人件費を減らすことではなく、日本の会社でもスペシャリストとバックオフィスを明確に分けて、スペシャリストに対してはグローバル基準の報酬や待遇を提供できるようにすることです。しかしなぜ、こんな当たり前のことが実現できないのでしょうか。
それは多くのサラリーマンが、「スペシャリストもバックオフィスも正社員ならみな平等」というこれまでのぬるま湯が“破壊”されることを嫌っているからです。彼らは「残業代ゼロ」に反対しているのではなく、逆に、残業代をもらえる立場になることを恐れています。なぜならそれは、自分の仕事が非正規社員と同じだという証明なのですから……。これまで「正社員」の既得権に安住してきたバックオフィスのサラリーマンがこの法案に反対するのは当然です。
しかし、成果に応じた高給が期待できるにもかかわらず、スペシャリストのサラリーマンまで法案に反対しているのはなぜでしょうか。手厚い解雇規制で「身分」が保障されるうえに、成果主義で給与も増えるならまさに一石二鳥です。
その理由はもうおわかりでしょう。そもそも日本の会社には、スペシャリストなどいないのです。そんな彼らにとって、「スペシャリスト的な仕事が優遇される法案」などなんの意味もないばかりか、自分になにひとつ「スペシャル」なものなどないことが暴露されるだけなので、彼らが必死に反対するのもやはりきわめて合理的なのです。
あと何十年かしたら、日本の会社でもバックオフィス的な仕事をしているひとは全員が「非正規」に置き換えられ、規制の強化で待遇が向上して欧米と同じように「解雇できる社員」になるかもしれません。そうなれば会社に残る少数の正社員は、そのままスペシャリスト=「会社の看板を借りた自営業者」に移行できます。もっともこの遠大な計画が実現するまでに、日本の会社そのものが存続しているかどうかはわかりませんが。
(私のコメント)
以前の「株式日記」でも、日本の会社はスペシャリストを育てないと書いたことがありますが、なぜスペシャリストを育てないかというと、年功序列社会に馴染まないからだ。年功序列社会では皆が同じ能力を持ち、不公平がないように定期的な人事異動を行ってゼネラリストを育てる社会だ。
ゼネラリストは、様々な職種を経験して出世していくが、スペシャリストではないから、外部で通用する能力を持っていない。技術職は例外なのでしょうが、それでも会社の都合で営業などやらされたりする。会社にとってはその人にしかできない技術を持たれると、外部からのスカウトを警戒するようになる。
技術者にしても世界に通用する特許を取っても、ほんの一時金が出るだけで給料に反映されるわけではない。だから日本の技術者たちは中国や韓国の会社などからスカウトされていった人は非常に多い。外国ではスペシャリストには高給を払ってスカウトするシステムがある。
世界的な技術者でも、ただの営業マンでも給与体系が同じというのは不公平に感じますが、年功序列社会では差をつけるわけにはいかないのだろう。だから技術者は冷遇されていると感じて海外の会社のスカウトで転職していってしまう。転職されないためには高給を出す必要があるが、給与体系がそのようになっていない。
4、5年おきに人事異動を繰り返す日本の会社は、せっかくその職場に慣れて業務に精通しても、転勤したり職種が変わればまた新人と同じ状態になってしまう。橘氏も、「日本の会社だと、当然のように人事部や総務部から営業部への配置換えが行なわれますが、欧米のビジネスマンがそれを聞いたら腰を抜かすほど驚くでしょう。」ということであり、年功序列制度だからそうなる。
日本の会社では能力よりも組織に忠誠を尽くす人材を求めており、身を粉にして働いたものが高く評価される仕組みだ。与えられる役割も曖昧であり、日曜日でも上司のゴルフに付き合わなければならない。ゼネラリストは和製英語だということですが、正規社員が総合職と呼ばれるのもそこから来ているのだろう。
日本の会社のみならず、自民党などの政党組織も同じであり、日本の政治家にはスペシャリストはおらず、政治家では族議員がいる程度で、財務大臣も経済金融の専門家ではなく、防衛大臣も軍事の専門家ではない。外務大臣ですら英語も話せないような人物が外務大臣になったりする。
総理大臣にしても、各大臣を歴任してから総理になる人が多いようですがそれでは高齢になってしまって、若手が総理になることはほとんどない。日本では政治家でも各人の能力は同じであり経験を積めば誰もが大臣になれるというシステムになっている。しかしそれでは予算委員会で満足な答弁もできない大臣が続出する。
日本の会社の社長は、社員に担がれる神輿であり、能力によって社長に選ばれるわけではない。だから会社が危機的状況になってもシャープや東芝のように何もできずに会社を終わらせてしまう。橘氏も、「ジョブ型とメンバーシップ型はそれぞれ一長一短がありますが、最近では日本型経営への風当たりがますますきびしくなってきました。」と指摘している。
これでは優秀な人間は会社から飛び出していってしまって、残るのは会社に忠誠を尽くす無能な社員ばかりになる。橘氏も、「社内には「バックオフィスより高度な仕事をしているものの、スペシャリストとしての知識や技能を持たない」中途半端な人材が滞留していきます。これが、日本の会社で「ゼネラリスト」と呼ばれるひとたちです」ということになる。
転載ここまで
バック‐オフィス(back office) 企業などの組織において、事務・管理業務などを担当し、顧客に直接対応するフロントオフィスを支援する部門。 人事・経理・総務・情報システム管理部門など。 間接部門。

マックジョブ(McJob)とは、低賃金・低スキル・重労働(長時間労働・過度の疲労を伴う労働)、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事の総称。
出典
マックジョブ - Wikipedia
「マックジョブ」は、大手ファーストフード店にちなんだ名称です。
1980年代のアメリカで登場し、オックスフォード英語辞典にも掲載されている言葉です。
「クリエイティブ・クラス」とは、意味のある新しいものを創り出すことに従事する人々のこと。
出典
クリエイティブ・クラスとは - はてなキーワード
「クリエイティブクラス」とは、経済成長の鍵となる推進力を持つと認識されている社会経済学上の階級のこと。
小難しい言葉で説明されてますが、株式日記というブログで取り上げられているように、能力評価よりも、企業忠誠心を重んじるからなのでしょう。
それは、先代が能力でなく、忠誠心だけで上がってきたからかもしれません。
ジョブ型とメンバーシップ型と二分されてますが、人件費コストを考えれば、これからの社会はジョブ型になっていきます。
しかし、実態は、メンバーシップ型です。
メンバーシップ型では、能力でなく、適切を無視した人事異動に我慢する、会社に対しての忠誠心だけが何よりも重要視されますね。
転職可能性を放棄してその会社に忠誠を誓う、、、考えるだけで地獄です。
奴隷契約させられるのが、日本の企業型なのでしょう。
成果に応じた高給が期待できるにもかかわらず、スペシャリストのサラリーマンまで法案
に反対しているのはなぜでしょうか。日本の会社には、スペシャリストなどいないのです
2017年9月30日 土曜日
◆同一労働同一賃金に抵抗する日本という「身分差別社会」 橘玲の「幸福の資本論」 9月27日
ジョブ型とメンバーシップ型
日本企業でなぜ社員が過労自殺するのかを論じるには、日本の会社やサラリーマンの働き方の基本的な仕組みを押さえておく必要があります。
すでにさまざまな論者によって指摘されていることですが、欧米の会社の人事システムが「ジョブ型」であるのに対し、日本の会社は「メンバーシップ型」だという大きなちがいがあります。
ジョブ型というは「職務(ジョブ)」を基準に仕事が成り立っている組織のことです。人事部は、経営者が決定したビジネス戦略にのっとって必要なジョブを補充し、不要なジョブを削減しますが、職務間の異動は原則としてありません。営業が人手不足になれば、労働市場から適任者を募集します。その一方、間接部門で人材の余剰があれば金銭解雇(リストラ)によって適正な規模に戻します。こんなとき日本の会社だと、当然のように人事部や総務部から営業部への配置換えが行なわれますが、欧米のビジネスマンがそれを聞いたら腰を抜かすほど驚くでしょう。
ジョブ型の特徴は、仕事に必要な能力や資格が厳密に決まっており、その基準をクリアする労働者なら誰でも代替可能なようにマニュアル化されていることです。そのため同じ能力・資格で安く働く労働者(たとえば移民)がいれば、いまの社員を解雇して彼らを雇うのが経済合理的であり、中国やインドなど新興国に同じ能力・資格の人材が集まっていれば工場ごと移転するのがより合理的ということになります。
それに対してメンバーシップ型は、その名のとおり「メンバー」を中心に仕事が成立している会員制組織のことです。そこでは正会員(正社員)と非会員(非正規社員)の身分が厳密に定められ、正社員には組織(イエ)の仲間と和を保ちながら、あらゆる職務(ジョブ)に対応できる能力が求められます。このような人材は便利ですが、その能力は(たまたま入社した)特定の会社に特化しているので汎用性がありません。終身雇用と年功序列で収入を安定させることは、他社の仕事との代替可能性(転職可能性)を放棄したことへの代償なのです。
サラリーマンの働き方は、スペシャリスト(専門家)に対して「ゼネラリスト」と呼ばれますが、これは「サラリーマン」と同じく和製英語で海外ではまったく通じません。ジョブ型の組織はスペシャリストの組み合わせでできていますから、さまざまなジョブを横断するゼネラリストはそもそも存在しないのです。
ジョブ型とメンバーシップ型はそれぞれ一長一短がありますが、最近では日本型経営への風当たりがますますきびしくなってきました。
ひとつは、「非正規社員」が日本にしかない特殊な制度で、同じ仕事をしても給与が異なるのは「身分差別」ではないかと、ILO(国際労働機関)など国際社会から疑惑を向けられていることです。安倍政権が「同一労働同一賃金」の導入に必死になるのは、従軍慰安婦問題につづいて「日本は差別社会」とのレッテルを貼られるのを避けようとしているからですが、この話はこれまでずいぶん書いてきたのでここでは繰り返しません。
「身分差別社会」日本
欧米の会社はスペシャリストとバックオフィスが厳密に分かれているので、投資銀行家やプライベートバンカーは医者や弁護士と同じく、会社の屋号を借りている自営業者です。彼らの報酬は成果主義で決まり、儲かれば社長以上の報酬が支払われますが、損失を出せば即解雇です。しかしこれは「非情」ということではなく、自営業者に雇用保障がないことを考えれば当たり前の話です。
ところが日本の会社ではスペシャリストとバックオフィスの仕事が一体化していて、専門的な仕事をする社員と、マックジョブしかやらない社員がまったく同じに扱われるという奇妙なことになっています。これが「サラリーマンは“職業”ではなく“身分”である」という意味なのですが、働き方がグローバル化するにつれて機能不全を起こすのは当然です。
本質的に自営業者であるスペシャリストを、バックオフィスと同じマニュアルで働かせることはできず、マックジョブであるバックオフィスを、スペシャリストと同じ成果主義で評価することはできません。こうして能力のあるスペシャリストは、自分の仕事がバックオフィスと同じにしか評価されない(頑張っても報われない)ことに愛想をつかしてさっさと会社を辞めていき、社内には「バックオフィスより高度な仕事をしているものの、スペシャリストとしての知識や技能を持たない」中途半端な人材が滞留していきます。これが、日本の会社で「ゼネラリスト」と呼ばれるひとたちです。
こうした状況には、もちろん経営者も頭を悩ませています。そこでどうするかというと、バックオフィスの正社員を非正規に置き換えようとするのです。その結果日本の会社では、まったく同じ仕事をしながらも、「正社員」と「非正規」という異なる身分ができてしまいました。こうして「同一労働同一賃金」が政治課題になるのですが、問題はたんに給与だけではありません。
「欧米の企業は社員の雇用を守らない」とされていますが、これは一面的な見方です。欧米でもバックオフィスは「会社の仕事」をしているのですから、一方的に解雇されてしまえば生活が成り立ちません。そのため業績不振によるレイオフ(金銭解雇)を認めている場合でも、その手続きは厳密に定められ、できるかぎり雇用と生活が守られるよう配慮されているのがふつうです。
ところが日本の場合、バックオフィスのうち非正規社員はたんなる請負契約ですから、雇用の保障などなにもなく、契約期間が終われば問答無用で解雇されてしまいます。これほど虐げられた働き方は、先進国ではとうてい考えられません。なぜこんな理不尽なことになるかというと、日本では「正社員という身分」が実質的に解雇できないよう手厚く守られているため、非正規社員の処遇を正社員と同じにすることができないからです。その結果、非正規社員ばかりが増えて雇用の質はますます悪化していきます。
こうした状況を変えようとして提案されたのが「残業代ゼロ法案」と批判されている高度プロフェッショナル労働制ですが、その趣旨は人件費を減らすことではなく、日本の会社でもスペシャリストとバックオフィスを明確に分けて、スペシャリストに対してはグローバル基準の報酬や待遇を提供できるようにすることです。しかしなぜ、こんな当たり前のことが実現できないのでしょうか。
それは多くのサラリーマンが、「スペシャリストもバックオフィスも正社員ならみな平等」というこれまでのぬるま湯が“破壊”されることを嫌っているからです。彼らは「残業代ゼロ」に反対しているのではなく、逆に、残業代をもらえる立場になることを恐れています。なぜならそれは、自分の仕事が非正規社員と同じだという証明なのですから……。これまで「正社員」の既得権に安住してきたバックオフィスのサラリーマンがこの法案に反対するのは当然です。
しかし、成果に応じた高給が期待できるにもかかわらず、スペシャリストのサラリーマンまで法案に反対しているのはなぜでしょうか。手厚い解雇規制で「身分」が保障されるうえに、成果主義で給与も増えるならまさに一石二鳥です。
その理由はもうおわかりでしょう。そもそも日本の会社には、スペシャリストなどいないのです。そんな彼らにとって、「スペシャリスト的な仕事が優遇される法案」などなんの意味もないばかりか、自分になにひとつ「スペシャル」なものなどないことが暴露されるだけなので、彼らが必死に反対するのもやはりきわめて合理的なのです。
あと何十年かしたら、日本の会社でもバックオフィス的な仕事をしているひとは全員が「非正規」に置き換えられ、規制の強化で待遇が向上して欧米と同じように「解雇できる社員」になるかもしれません。そうなれば会社に残る少数の正社員は、そのままスペシャリスト=「会社の看板を借りた自営業者」に移行できます。もっともこの遠大な計画が実現するまでに、日本の会社そのものが存続しているかどうかはわかりませんが。
成果に応じた高給が期待できるにもかかわらず、スペシャリストのサラリーマンまで法案
に反対しているのはなぜでしょうか。日本の会社には、スペシャリストなどいないのです
2017年9月30日 土曜日
◆同一労働同一賃金に抵抗する日本という「身分差別社会」 橘玲の「幸福の資本論」 9月27日
ジョブ型とメンバーシップ型
日本企業でなぜ社員が過労自殺するのかを論じるには、日本の会社やサラリーマンの働き方の基本的な仕組みを押さえておく必要があります。
すでにさまざまな論者によって指摘されていることですが、欧米の会社の人事システムが「ジョブ型」であるのに対し、日本の会社は「メンバーシップ型」だという大きなちがいがあります。
ジョブ型というは「職務(ジョブ)」を基準に仕事が成り立っている組織のことです。人事部は、経営者が決定したビジネス戦略にのっとって必要なジョブを補充し、不要なジョブを削減しますが、職務間の異動は原則としてありません。営業が人手不足になれば、労働市場から適任者を募集します。その一方、間接部門で人材の余剰があれば金銭解雇(リストラ)によって適正な規模に戻します。こんなとき日本の会社だと、当然のように人事部や総務部から営業部への配置換えが行なわれますが、欧米のビジネスマンがそれを聞いたら腰を抜かすほど驚くでしょう。
ジョブ型の特徴は、仕事に必要な能力や資格が厳密に決まっており、その基準をクリアする労働者なら誰でも代替可能なようにマニュアル化されていることです。そのため同じ能力・資格で安く働く労働者(たとえば移民)がいれば、いまの社員を解雇して彼らを雇うのが経済合理的であり、中国やインドなど新興国に同じ能力・資格の人材が集まっていれば工場ごと移転するのがより合理的ということになります。
それに対してメンバーシップ型は、その名のとおり「メンバー」を中心に仕事が成立している会員制組織のことです。そこでは正会員(正社員)と非会員(非正規社員)の身分が厳密に定められ、正社員には組織(イエ)の仲間と和を保ちながら、あらゆる職務(ジョブ)に対応できる能力が求められます。このような人材は便利ですが、その能力は(たまたま入社した)特定の会社に特化しているので汎用性がありません。終身雇用と年功序列で収入を安定させることは、他社の仕事との代替可能性(転職可能性)を放棄したことへの代償なのです。
サラリーマンの働き方は、スペシャリスト(専門家)に対して「ゼネラリスト」と呼ばれますが、これは「サラリーマン」と同じく和製英語で海外ではまったく通じません。ジョブ型の組織はスペシャリストの組み合わせでできていますから、さまざまなジョブを横断するゼネラリストはそもそも存在しないのです。
ジョブ型とメンバーシップ型はそれぞれ一長一短がありますが、最近では日本型経営への風当たりがますますきびしくなってきました。
ひとつは、「非正規社員」が日本にしかない特殊な制度で、同じ仕事をしても給与が異なるのは「身分差別」ではないかと、ILO(国際労働機関)など国際社会から疑惑を向けられていることです。安倍政権が「同一労働同一賃金」の導入に必死になるのは、従軍慰安婦問題につづいて「日本は差別社会」とのレッテルを貼られるのを避けようとしているからですが、この話はこれまでずいぶん書いてきたのでここでは繰り返しません。
「身分差別社会」日本
欧米の会社はスペシャリストとバックオフィスが厳密に分かれているので、投資銀行家やプライベートバンカーは医者や弁護士と同じく、会社の屋号を借りている自営業者です。彼らの報酬は成果主義で決まり、儲かれば社長以上の報酬が支払われますが、損失を出せば即解雇です。しかしこれは「非情」ということではなく、自営業者に雇用保障がないことを考えれば当たり前の話です。
ところが日本の会社ではスペシャリストとバックオフィスの仕事が一体化していて、専門的な仕事をする社員と、マックジョブしかやらない社員がまったく同じに扱われるという奇妙なことになっています。これが「サラリーマンは“職業”ではなく“身分”である」という意味なのですが、働き方がグローバル化するにつれて機能不全を起こすのは当然です。
本質的に自営業者であるスペシャリストを、バックオフィスと同じマニュアルで働かせることはできず、マックジョブであるバックオフィスを、スペシャリストと同じ成果主義で評価することはできません。こうして能力のあるスペシャリストは、自分の仕事がバックオフィスと同じにしか評価されない(頑張っても報われない)ことに愛想をつかしてさっさと会社を辞めていき、社内には「バックオフィスより高度な仕事をしているものの、スペシャリストとしての知識や技能を持たない」中途半端な人材が滞留していきます。これが、日本の会社で「ゼネラリスト」と呼ばれるひとたちです。
こうした状況には、もちろん経営者も頭を悩ませています。そこでどうするかというと、バックオフィスの正社員を非正規に置き換えようとするのです。その結果日本の会社では、まったく同じ仕事をしながらも、「正社員」と「非正規」という異なる身分ができてしまいました。こうして「同一労働同一賃金」が政治課題になるのですが、問題はたんに給与だけではありません。
「欧米の企業は社員の雇用を守らない」とされていますが、これは一面的な見方です。欧米でもバックオフィスは「会社の仕事」をしているのですから、一方的に解雇されてしまえば生活が成り立ちません。そのため業績不振によるレイオフ(金銭解雇)を認めている場合でも、その手続きは厳密に定められ、できるかぎり雇用と生活が守られるよう配慮されているのがふつうです。
ところが日本の場合、バックオフィスのうち非正規社員はたんなる請負契約ですから、雇用の保障などなにもなく、契約期間が終われば問答無用で解雇されてしまいます。これほど虐げられた働き方は、先進国ではとうてい考えられません。なぜこんな理不尽なことになるかというと、日本では「正社員という身分」が実質的に解雇できないよう手厚く守られているため、非正規社員の処遇を正社員と同じにすることができないからです。その結果、非正規社員ばかりが増えて雇用の質はますます悪化していきます。
こうした状況を変えようとして提案されたのが「残業代ゼロ法案」と批判されている高度プロフェッショナル労働制ですが、その趣旨は人件費を減らすことではなく、日本の会社でもスペシャリストとバックオフィスを明確に分けて、スペシャリストに対してはグローバル基準の報酬や待遇を提供できるようにすることです。しかしなぜ、こんな当たり前のことが実現できないのでしょうか。
それは多くのサラリーマンが、「スペシャリストもバックオフィスも正社員ならみな平等」というこれまでのぬるま湯が“破壊”されることを嫌っているからです。彼らは「残業代ゼロ」に反対しているのではなく、逆に、残業代をもらえる立場になることを恐れています。なぜならそれは、自分の仕事が非正規社員と同じだという証明なのですから……。これまで「正社員」の既得権に安住してきたバックオフィスのサラリーマンがこの法案に反対するのは当然です。
しかし、成果に応じた高給が期待できるにもかかわらず、スペシャリストのサラリーマンまで法案に反対しているのはなぜでしょうか。手厚い解雇規制で「身分」が保障されるうえに、成果主義で給与も増えるならまさに一石二鳥です。
その理由はもうおわかりでしょう。そもそも日本の会社には、スペシャリストなどいないのです。そんな彼らにとって、「スペシャリスト的な仕事が優遇される法案」などなんの意味もないばかりか、自分になにひとつ「スペシャル」なものなどないことが暴露されるだけなので、彼らが必死に反対するのもやはりきわめて合理的なのです。
あと何十年かしたら、日本の会社でもバックオフィス的な仕事をしているひとは全員が「非正規」に置き換えられ、規制の強化で待遇が向上して欧米と同じように「解雇できる社員」になるかもしれません。そうなれば会社に残る少数の正社員は、そのままスペシャリスト=「会社の看板を借りた自営業者」に移行できます。もっともこの遠大な計画が実現するまでに、日本の会社そのものが存続しているかどうかはわかりませんが。
(私のコメント)
以前の「株式日記」でも、日本の会社はスペシャリストを育てないと書いたことがありますが、なぜスペシャリストを育てないかというと、年功序列社会に馴染まないからだ。年功序列社会では皆が同じ能力を持ち、不公平がないように定期的な人事異動を行ってゼネラリストを育てる社会だ。
ゼネラリストは、様々な職種を経験して出世していくが、スペシャリストではないから、外部で通用する能力を持っていない。技術職は例外なのでしょうが、それでも会社の都合で営業などやらされたりする。会社にとってはその人にしかできない技術を持たれると、外部からのスカウトを警戒するようになる。
技術者にしても世界に通用する特許を取っても、ほんの一時金が出るだけで給料に反映されるわけではない。だから日本の技術者たちは中国や韓国の会社などからスカウトされていった人は非常に多い。外国ではスペシャリストには高給を払ってスカウトするシステムがある。
世界的な技術者でも、ただの営業マンでも給与体系が同じというのは不公平に感じますが、年功序列社会では差をつけるわけにはいかないのだろう。だから技術者は冷遇されていると感じて海外の会社のスカウトで転職していってしまう。転職されないためには高給を出す必要があるが、給与体系がそのようになっていない。
4、5年おきに人事異動を繰り返す日本の会社は、せっかくその職場に慣れて業務に精通しても、転勤したり職種が変わればまた新人と同じ状態になってしまう。橘氏も、「日本の会社だと、当然のように人事部や総務部から営業部への配置換えが行なわれますが、欧米のビジネスマンがそれを聞いたら腰を抜かすほど驚くでしょう。」ということであり、年功序列制度だからそうなる。
日本の会社では能力よりも組織に忠誠を尽くす人材を求めており、身を粉にして働いたものが高く評価される仕組みだ。与えられる役割も曖昧であり、日曜日でも上司のゴルフに付き合わなければならない。ゼネラリストは和製英語だということですが、正規社員が総合職と呼ばれるのもそこから来ているのだろう。
日本の会社のみならず、自民党などの政党組織も同じであり、日本の政治家にはスペシャリストはおらず、政治家では族議員がいる程度で、財務大臣も経済金融の専門家ではなく、防衛大臣も軍事の専門家ではない。外務大臣ですら英語も話せないような人物が外務大臣になったりする。
総理大臣にしても、各大臣を歴任してから総理になる人が多いようですがそれでは高齢になってしまって、若手が総理になることはほとんどない。日本では政治家でも各人の能力は同じであり経験を積めば誰もが大臣になれるというシステムになっている。しかしそれでは予算委員会で満足な答弁もできない大臣が続出する。
日本の会社の社長は、社員に担がれる神輿であり、能力によって社長に選ばれるわけではない。だから会社が危機的状況になってもシャープや東芝のように何もできずに会社を終わらせてしまう。橘氏も、「ジョブ型とメンバーシップ型はそれぞれ一長一短がありますが、最近では日本型経営への風当たりがますますきびしくなってきました。」と指摘している。
これでは優秀な人間は会社から飛び出していってしまって、残るのは会社に忠誠を尽くす無能な社員ばかりになる。橘氏も、「社内には「バックオフィスより高度な仕事をしているものの、スペシャリストとしての知識や技能を持たない」中途半端な人材が滞留していきます。これが、日本の会社で「ゼネラリスト」と呼ばれるひとたちです」ということになる。
転載ここまで
バック‐オフィス(back office) 企業などの組織において、事務・管理業務などを担当し、顧客に直接対応するフロントオフィスを支援する部門。 人事・経理・総務・情報システム管理部門など。 間接部門。
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マックジョブ(McJob)とは、低賃金・低スキル・重労働(長時間労働・過度の疲労を伴う労働)、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事の総称。
出典
マックジョブ - Wikipedia
「マックジョブ」は、大手ファーストフード店にちなんだ名称です。
1980年代のアメリカで登場し、オックスフォード英語辞典にも掲載されている言葉です。
「クリエイティブ・クラス」とは、意味のある新しいものを創り出すことに従事する人々のこと。
出典
クリエイティブ・クラスとは - はてなキーワード
「クリエイティブクラス」とは、経済成長の鍵となる推進力を持つと認識されている社会経済学上の階級のこと。
小難しい言葉で説明されてますが、株式日記というブログで取り上げられているように、能力評価よりも、企業忠誠心を重んじるからなのでしょう。
それは、先代が能力でなく、忠誠心だけで上がってきたからかもしれません。
ジョブ型とメンバーシップ型と二分されてますが、人件費コストを考えれば、これからの社会はジョブ型になっていきます。
しかし、実態は、メンバーシップ型です。
メンバーシップ型では、能力でなく、適切を無視した人事異動に我慢する、会社に対しての忠誠心だけが何よりも重要視されますね。
転職可能性を放棄してその会社に忠誠を誓う、、、考えるだけで地獄です。
奴隷契約させられるのが、日本の企業型なのでしょう。
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