「死、つまり魂の旅立ち」
そういわれると、とても前向きな気持ちになるのは私だけでしょうか?
日本人は無宗教であるため、人生を「心穏やかに過ごしたい、できれば無理したくない、皆と同じでいい」
などと考えています。
「普通でいい」と多くの人が考えています。
そして「痛い思いしたくない」「無理してまで辛い思いをしたくない」
つまりは「他人に迷惑をかけずに生きれれば幸せだ」「現状維持できればいい、無理してまで成長したくない」
と考えている人が多いのではないでしょうか?
「他人から批難されずに、衣食住満たされて、自由気ままに生きられればいいや」
まるで「動物のペット」のような生き方ですね。
このような生き方をしている人たちが、末期がんを宣告されました。
(ガンは存在しません。詳しくはこちらを)
RAPT×読者対談114 癌という病気は存在しない。(前編)
全身転移していて、手術は手遅れ、抗がん剤くらいしか見込みがない。
と言われている。
何か息苦しさを感じ人間ドックにかかって検査したら、肺がんの末期と言われて気落ちしてしまっている。
余命宣告される、「あと持って1年ですね」
本人に余命宣告しない病院もある。
「人生、これで良かったのか?」
この答え、誰が持っていると思いますか?
やりたいことをやり切った人なんていると思いますか?
「自分がやりたい」と思ったことが本当に人生でやるべきことだったのでしょうか?
だったら、人生に未練なんてないはずです。
しかし、実際どうでしょうか?
末期がんの患者は人生に意味を見出せません。
それはなぜか?
肉体が無くなってからの生活、人生がどうなっていくのか知らないからです。
その先の事を誰も教えてくれないからです。
宗教は死後の世界を絵空事で話している訳ではない。
まして、RAPTブログ有料記事では「人間には霊体と肉体が存在している」とハッキリと聖書の紐解きをしています。
RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。
RAPT有料記事420(2019年11月12日)神様は私たちの霊魂の救いのために私たちの願いを叶えて下さるが、サタンは私たちの霊的な堕落のために私たちの願いを叶える。
宗教を毛嫌いする日本、目に見えない世界の話をすると、「あいつ頭おかしい」「お花畑だよ」「統合失調症?精神病患者かな?」
と人を小馬鹿にする風潮があります。
スマホや調理器具など、目に見えない4Gや電子レンジなどの電磁波の技術で生活しているのに
人生や生き方の話になると突然思考停止して「きちがい、妄想」と見下されたりした経験はありませんか?
私もこうしてブログを書き続けていますが、義務や損得勘定だけでは書き続けることができません。
ましてやモチベーションを上げるために、どれだけエナジードリンクをがぶ飲みしても、定期的に記事を書くことはできません。
普段から毎日お祈りして、聖書を読んで、「記事のテーマ」「構想」を受けているため
「書きたい!」「このテーマで記事を書いたら面白いのじゃないか?」
という感動を受けて書いているのです。
私の場合、「看護に興味のある人や医療、看護に違和感を感じている人に真実を知ってもらおう、RAPTブログを知ってもらおう」という
思いでブログを書いています。
真実を知らないで生きることがどれくらい苦しいか?を体験しているため、多くの人に真実を知ってもらいたいという気持ちだけなのです。
真実とは、この世には「神様が存在して、神に敵対する悪魔も存在していること」
「この地上が悪魔に今まで何千年、何万年と支配されてきた」ということ
「そういった事実を知らずして生きていても、騙され続けるだけだ」ということをRAPTブログを通して伝えたいと考えているのです。
「神の否定」「神の存在を隠すために、欲望を掻き立てる、罪を犯させる文化」このような世界で生きていることに気付かないと
いつまでたっても幸せになれないということをRAPTブログを通して私は知りました。
私自身、30代後半で、人生に絶望して自殺することまで真剣に考えていたからです。
それは「人生上手くいっていないから絶望していた」のではありません。
「人生上手くいっていたと思っていたのに、幸せを感じられないから」
「幸せが続かない生き方、突然、虚しさや孤独感に襲われる恐怖感が苦しい」
と感じていたからです。
私の場合、体も動くし頭、脳も働く時点で「人生、一体どうやって生きればいいのか?」と疑問に感じ、答えを探し始めることが
できたことが幸いでしたが、老化が進み、肉体が衰えてきたときに、「人生、どうやって生きればいいのか?」
と迷いや悩みが生まれたら「もう残された時間がない、どうすればいいのか?」と途方に暮れると思います。
日本におけるターミナル期、終末期医療とはまさに、肉体の最期と霊魂の最期のような気がします。
人生を肉体が要求する欲望を満たすためだけに生きてきた人が、急に人生の意味を考え始めたら
頭がおかしくなってしまうと思います。
人間が死ぬとき、肉体が死ぬとき、「肉体の痛みや衰えから逃げられない」という現実に直面します。
それはどれだけ健康に気を遣って生きてきた人も一律に味わう経験だと思います。
いままでやってきたことができなくなる、失っていく経験をしていくのです。
人生の最期の最期に「色々なものをかき集めた人が幸せなんだ」という人生観、常識から
「人生は全部捨てなければならなかったのだ」と気付くのです。
まさにあっという間の70年間の時間が、努力が、水の泡だったと気付くのです。
「お金を稼ぐためにだけ生きてきた」「会社や仕事のために生きてきた」「家族のために生きてきた」
「贅沢するために生きてきた」「趣味やペットのために生きてきた」
これら全てが「全て、無駄だった」と最期に気付くのです。
つまり「ターミナル期の看護」とは「一体どうやって生きれば良かったのか?」という答えを教えてあげることなのです。
しかし、宗教を知らない看護師、無宗教の日本人にはそれができない。
肉体が感じる苦痛を取り除くことしかできないのです。
「残された時間を、大切な家族と過ごす」
そんなことを実現しても、何にも救いになりません。
家族は所詮他人なのです。
肉体がある人と、肉体が滅びゆくひとと住む世界が変わっていくのですから。
残された時間、人生の意味をどれだけ考えても答えは出ません。
答えが出るとしたら「後悔」「絶望」だけでしょう。
是非、人生をどう生きれば良いのか?を知ってください。
【メンタリストDaiGo炎上】DaiGoの本音は、上級国民=李家の本音
実は答えは1つしかありません。
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