Johnny’s Dazed And Confused Days

〜ジョニーのぼんやりと混乱した日々〜

♪ スカイライン・ピジョン / エルトン・ジョン:1969年作

2023年07月04日 07時05分02秒 | 1960年代の洋楽
 【Album Data】
リリース:1969年6月3日(英国)1975年1月13日(米国)1970年9月25日(日本)
チャート:Billboard 6位
*英国で発表された1969年当時、殆ど、注目されることもなかったデビュー・アルバムは、本国のみ発売だったが、エルトン・ジョンがスーパースターとなった1975年に、米国で発売されると、アルバム・チャートの6位まで登り詰めるヒットを記録した。


1947年3月25日イギリスのミドルセックス州で生を受けたレジナルド・ケネス・ドワイトは、19歳の1966年、ロング・ジョン・ボルドリーのサポート・メンバーとして、イギリスのキャバレーをまわるツアーに参加しました。
1947年3月25日イギリスのミドルセックス州で生を受けたレジナルド・ケネス・ドワイトは、19歳の1966年、ロング・ジョン・ボルドリーのサポート・メンバーとして、イギリスのキャバレーをまわるツアーに参加しました。

パートナーシップの始まり
チャンスをものにする為、ドワイトはニュー・ミュージカル・エクスプレス誌に載っていたミュージシャン募集広告に応募し、最初の面接で、同じく応募してきたバニー・トーピンという16歳の少年が書いた歌詞のストックを渡されます。
これが今日まで続くパートナーシップの始まりとなりました!

地道に地固めをしつつ最強のパートナーに
1967年、二人が出会って半年後、レジナルド・ケネス・ドワイトは、尊敬するロング・ジョン・ボルドリーとかつて自分がいたグループのサックス奏者のエルトン・ディーンの名にあやかり、自分の名前をエルトン・ジョンに変更、その時、エルトンが20歳、相棒のバニー・トーピンが17歳でした。
まさに若きソングライター・チームの誕生です!

翌1968年、DJMレコードにソング・ライターとして入社した二人は、2年間に渡り様々なアーティストに楽曲を提供、バーニーが1時間程で詞を書き、それを受け取ったエルトンが30分程で曲を作る~もしメロディが浮かばない時は、その歌詞を処分するというパターンで仕事をこなしたようです。

この出来上がった歌詞を見ながら曲を作るというパターンは、成功してからも同じだったということです。

今日ご紹介するのは、不発にこそ終わったものの将来性を充分感じさせたデビューアルバム『Empty Sky エルトン・ジョンの肖像 』より、シンプルでハープシコードが美しい「Skyline Pigeon」です。

自分自身を縛り付けるものを何とか振り切り、新しく第一歩を踏み出そうとする気持ちが伝わって来ます・・・

この曲は、1973年、『ピアニストを撃つな! Don't Shoot Me I'm Only The Piano Player』からシングルカットされた「ダニエル」のB面で、ピアノ・ヴァージョンも発表しております。
再録したことからも、エルトンのこの曲に対しての思い入れの深さが想像されます。
名曲の香りがプンプンしてますね!
個人的には、ハープシコードのヴァージョンの方が、胸に来るものがあります。


スカイライン・ピジョン / エルトン・ジョン
あなたの手から僕を放して下さい
遠い国へ僕を飛ばさせて下さい
緑の野に、林に、山
それに花畑や森の湖を越えて
空路はるか、故郷へ

この暗くて寂しい部屋には陰気な影が落ちている
僕の目は外の世界を映す鏡
どうやったら風が潮の流れを
変えられるのか
どうやったらこの暗い影が
紫色から灰色に変わるのか
考えているのです

スカイライン・ピジョン―地平の小鳩は
外の世界を夢見ている
翼を伸ばし、今一度飛び立てる日を
待っている
飛んでいけ、地平の小鳩よ、飛んでいけ
遥か遠くに忘れてきた夢にむかって

刈りたての干草のにおいのする所で
目覚めさせて下さい
そして、輝く1日を
笑い、泣き、生きて死にたいのです

遠い教会の鐘の音を聞きたい
でも、まず、この痛い足輪をはずして
僕を自由にして下さい
そして太陽にむかって
鳥かごを開けて下さい

Skyline Pigeon (Piano Live Version)- Elton John




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