山陰と山陽の旅。山口県と広島県編です。山口県では萩城跡や萩城下町、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋などをめぐり秋芳洞や青海島、瑠璃光寺、錦帯橋、白壁の町並みが残る柳井市を回ります。金子みすゞのふるさと長門市の仙崎港近くの海岸では、大勢の釣り人がサビキ釣りで小アジを沢山釣っていました。その後、次の目的地宮島へと向かいます。宮島口へ車を置いて船で渡ります。ちょうど干潮の時間帯とあって、見る見る内に潮が引き、満潮時には海中に立つ鳥居近くまで歩いていくことができました。宮島を後にして、広島市内の平和記念公園に立ち寄った後に広島港 (切串港) から江田島の宇品港へとフェリーで渡り、旧海軍兵学校跡にある第一術科学校を見学しました。
山口県
阿武町(道の駅 阿武町で撮影)
萩城下町
松下村塾、木戸孝允・伊東博文旧宅などを見て回る。
親思う心にまさる親こころ
今日のおとずれ何ときくらん
(処刑を覚悟した吉田松蔭が、郷里の両親達に書き送った便りの中にある永訣の一首)
萩城跡 (在りし日の萩城・模型)
萩・旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
秋吉台
秋芳洞
青海島
青海島から見た風景
青海島くじら墓
鯨墓は、高さ2.4メートル、幅0.46メートルの花崗岩の石塔です。正面には「業尽有情雖放不生」「故宿人天同証佛果」「南無阿弥陀仏」と陰刻され、側面には「元禄五年壬申五月 願主 設楽孫兵衛・池永藤右衛門早川源右衛門」と刻まれています。「鯨1頭取れれば7浦が賑わう」と言われるほど鯨の価値は高く、鯨組の漁師たちは命がけで鯨に向かっていきました。しかし、解体された母鯨の胎内で死亡した子鯨を見たとき、さすがの漁師も哀れみを感じ、墓を建立し経を唱えて丁重に葬りました。その位牌と鯨鯢過去帳も向岸寺に残されています。鯨に対する先人の感謝と思いやりの心は、捕鯨が廃れて一世紀が過ぎた現在でも、地域住民により毎年執り行われる伝統的な回向に引き継がれています。墓の背後の空き地には70数体の鯨の胎児が埋葬されており、鯨墓は、昭和10年に国の史跡に指定されました。
山口・瑠璃光寺
司馬遼太郎さんが「街道を行く」の中で「長州はいい塔を持っている」と記した瑠璃光寺五重塔です。サビエル記念堂も訪れました。
岩国・錦帯橋
錦帯橋を渡り、吉川資料館や白ヘビ観覧施設などへ足を運ぶ。
柳井
柳井は既に室町時代に大内氏の東の要港として重きをなしていました。寛文三年(1663)から干拓が進み、諸国から商人が集まって店舗を構えましたが、ここ古市・金屋あたりが最も古く市がたち、商業の中心地として栄えました。この白壁の町並みは、元禄時代以後の典型的な町屋造りで、江戸時代の繁栄ぶりがしのばれます。
この辺りで「カニが路上を横切ります 人も車もご注意を」の立て看板を見かけました。
広島県
宮島
宮島口に車を置いて、宮島へは船で渡ります。
宮島では鹿が麻酔を打たれてツノを切られていた。
顔に手袋を置かれ、麻酔が冷めるまでこのままお休みです。
広島市内
原爆ドーム
平和記念公園
広島港 (宇品港) から江田島へフェリーで渡ります。
江田島
江田島にある第一術科学校・幹部候補生学校を見学
海上自衛隊幹部候補生学校 第一術科学校・幹部候補生学校では、広報の方の案内で約一時間半、学校での規律の厳しさや建物の説明を聴きながら構内を回る。若くして散った神風特攻隊員が出陣の直前に家族に宛てた手紙や遺書がたくさん残っていた。 ※写真はアルバムからの複写です。
音戸大橋公園
三次風土記の丘
ここで、「風土記の丘」を作詞された佐藤蘭花さんと出会う。この歌のカセットテープをいただく。
くるま旅のコース
山口県
阿武町(道の駅 阿武町で撮影)
萩城下町
松下村塾、木戸孝允・伊東博文旧宅などを見て回る。
親思う心にまさる親こころ
今日のおとずれ何ときくらん
(処刑を覚悟した吉田松蔭が、郷里の両親達に書き送った便りの中にある永訣の一首)
萩城跡 (在りし日の萩城・模型)
萩・旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
秋吉台
秋芳洞
青海島
青海島から見た風景
青海島くじら墓
鯨墓は、高さ2.4メートル、幅0.46メートルの花崗岩の石塔です。正面には「業尽有情雖放不生」「故宿人天同証佛果」「南無阿弥陀仏」と陰刻され、側面には「元禄五年壬申五月 願主 設楽孫兵衛・池永藤右衛門早川源右衛門」と刻まれています。「鯨1頭取れれば7浦が賑わう」と言われるほど鯨の価値は高く、鯨組の漁師たちは命がけで鯨に向かっていきました。しかし、解体された母鯨の胎内で死亡した子鯨を見たとき、さすがの漁師も哀れみを感じ、墓を建立し経を唱えて丁重に葬りました。その位牌と鯨鯢過去帳も向岸寺に残されています。鯨に対する先人の感謝と思いやりの心は、捕鯨が廃れて一世紀が過ぎた現在でも、地域住民により毎年執り行われる伝統的な回向に引き継がれています。墓の背後の空き地には70数体の鯨の胎児が埋葬されており、鯨墓は、昭和10年に国の史跡に指定されました。
山口・瑠璃光寺
司馬遼太郎さんが「街道を行く」の中で「長州はいい塔を持っている」と記した瑠璃光寺五重塔です。サビエル記念堂も訪れました。
岩国・錦帯橋
錦帯橋を渡り、吉川資料館や白ヘビ観覧施設などへ足を運ぶ。
柳井
柳井は既に室町時代に大内氏の東の要港として重きをなしていました。寛文三年(1663)から干拓が進み、諸国から商人が集まって店舗を構えましたが、ここ古市・金屋あたりが最も古く市がたち、商業の中心地として栄えました。この白壁の町並みは、元禄時代以後の典型的な町屋造りで、江戸時代の繁栄ぶりがしのばれます。
この辺りで「カニが路上を横切ります 人も車もご注意を」の立て看板を見かけました。
広島県
宮島
宮島口に車を置いて、宮島へは船で渡ります。
宮島では鹿が麻酔を打たれてツノを切られていた。
顔に手袋を置かれ、麻酔が冷めるまでこのままお休みです。
広島市内
原爆ドーム
平和記念公園
広島港 (宇品港) から江田島へフェリーで渡ります。
江田島
江田島にある第一術科学校・幹部候補生学校を見学
海上自衛隊幹部候補生学校 第一術科学校・幹部候補生学校では、広報の方の案内で約一時間半、学校での規律の厳しさや建物の説明を聴きながら構内を回る。若くして散った神風特攻隊員が出陣の直前に家族に宛てた手紙や遺書がたくさん残っていた。 ※写真はアルバムからの複写です。
音戸大橋公園
三次風土記の丘
ここで、「風土記の丘」を作詞された佐藤蘭花さんと出会う。この歌のカセットテープをいただく。
くるま旅のコース
今回の山口県・広島県の旅は、一昔前の日本が見えてきます。貴重な記録の画像群です。
萩市はコンパクトな城下町で、松下村塾はこんな粗末な家だったのかと驚いた記憶があります。子どもでも学習意欲が高いと、しっかりと学べることを学びました。
萩市は徳川幕府が毛利藩を恐れて、ここに押し込んだ場所です。
山口市の瑠璃光寺の側にある毛利庭園は、明治になってやっと毛利藩が戻った記念の事実上のお城です。でも遅すぎました。
萩では、マアジなどが大きく美味しかったです。日本海の海の幸が豊かです。
この当時は、日本海側は高速道もなく、太平洋側に抜けるのは大変でした。秋吉台は、実は隠れた野鳥観察地です。
訪れた人の多くが、松下村塾ってこんな粗末な建物だったのかと思われることでしょうね。
この塾から幕末より明治期の日本を主導した多くの人材を輩出したのですから、
教育内容も多岐に渡り充実したものだったのでしょうね。
日本海側は太平洋側に比べると道路網の整備が後回しになり遅れが目立ちましたが、
このところ整備も進み、前よりは走り良くはなって来ましたね。
おはようございます。
青海島にくじらにのお墓があるのですね。
私は長門市仙崎に行ったとき、お寺に鯨のお墓があり、回向されたいることを初めて知って驚き感動したことがあります。
山口県は何度か訪れていますが、何度行っても新しい発見がある場所だと思っています。
くじらのお墓があるのは、私もこの地を訪ねて初めて知りました。
捕獲した鯨に位牌を作ったり、戒名を付けたり墓を建てたり、
年一回の鯨法会まで行われているというから驚きますね。
涼しげな景色にしばし暑さを忘れました。
宮島ではシカの角きりをご覧になれたのですね。
暴れないよう麻酔をうって処置するのですね。
宮島は広島とともに訪れた思い出の地です。
できたての紅葉まんじゅうを買って食べました(^^)
今日も厳しい暑さですね。夜中にもエアコンをつけているせいか体調がいまひとつ。でもエアコンなしでは眠れません^^;
イケリンさんも猛暑に負けずお元気でお過ごしくださいね。
秋芳洞の写真はコンデジのオートで撮っています。
かなり暗いですから、スローに設定されたのだろうと思います。
鹿の角きり、奈良では麻酔なしで切られるようですが、ここは麻酔をうってきられていました。
少ない人数でやろうとすると、こうなるのでしょうね。
宮島といえば紅葉饅頭が定番ですね。私も食べましたよ。(笑)
今日も暑かったです。出かけても1〜2時間が我慢の限界ですね。(^_^;)
錦帯橋や安芸の宮島も
今回、四国の帰り折角ここまで来たのだからと悩んだ場所です。
勿体ない事をしたものです、やはり無理しても行くべきでした。
原爆ドームも第一術科学校も幹部候補生学校も一度は日本人として見ておきたい場所ですね。
イケリンさんの旅に刺激された四国旅、何時の日か萩も含めてもう一度、計画を練ってみたくなりました。
近くまで行っているのに寄れなかったという場所は、私も少なからずあります。
後からあの時に寄っておけばと後悔することは一度や二度ではないです。数え切れないほどあります。
けれども、その時はその時の計画や予定があって、立ち寄れなかったのだろうなと諦めることにしています。
第一術科学校の訓練は厳しいものがあるようです。幹部候補生学校となるとなおさらのようです。
シーツや布団を畳むのでも四隅がビッチリとあっていないと、教官が窓から投げ捨てるというようなことを
案内の方がおっしゃっていました。
津和野や萩、秋芳洞、岩国等々、有名で魅力的な所が多いですね。
「柳井の白壁の街並み」は初めて知りました。
イケリンさんのこの旅行記は、いつか旅する時の
ガイドとして使わせて頂きますね。
「カニが路上を横切るので、人も車もご注意を」が微笑ましいですね。
そう言われると、実際に見てみたいです~(^_-)-☆
山口も結構見所の多いところですね。
柳井を訪れる人は少ないように思いますが、白壁土蔵の街並みが情緒あります。
「カニが路上を横切るので、人も車もご注意を」は、
カニにとってはありがたい注意書きでしょうが、
歩行者はともかくとして、車の中からカニを見つけるのは困難を極めますね。(^^)