薬師寺金堂に入ると "朝のお勤め" が始まる直前でした。参拝客の皆さんとともにご一緒させてもらいます。お勤めの後に僧侶から、奈良の秋の素晴らしさや、鴟尾 (しび) と水煙 (すいえん) 等についてのご説明と、佐佐木信綱と会津八一の短歌のご紹介、二つの歌碑が並び立つ場所等のご紹介がありました。気温は高かったものの、上空は一ひらの雲もない秋の澄み切った空が広がっていました。
薬師寺南大門と西塔(左)と東塔(右)
金堂
鴟尾 (しび)
原型は伝説上の生き物である鳳凰(ほうおう)の
翼をかたどったものですが、魚の尾のようにも見え、
魚が水面から飛び上がり尾を水面上に出した姿を
具象化したもので、屋根の上面が水面を表し、
水面下にあるもの(建物)は燃えないことから
火除けとして用いられたと考えられている。
東塔
創建から1300年建ち続ける奇跡の塔
ゆく秋の 大和の国の薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲 (佐佐木信綱)
薬師寺東塔の水煙
水煙は東塔の最上部を飾る「相輪(そうりん)」の一部で、
雷や火災から塔を守るという祈りを込めた装飾物。
衣をなびかせて舞う飛天の透かし彫りが施されています。
平成21年から12年をかけて初の全面解体大修理が
行われたのを機に1300年の年月を経た水煙は役目を終え、
平成の水煙に取り換えられています。
水煙の 天つ乙女が 衣手の ひまにも澄める 秋の空かな (会津八一)
(佐佐木信綱と会津八一の歌碑は西塔の傍に並び建っています)
西塔
薬師寺西塔は、享禄元年(1528)に創建以来の建物は消失したため、
「宮大工は千年先を見据えた仕事をしなければならない」と、
千年耐える建造物の構築を使命とした宮大工西岡常一棟梁の
指導により、約3年の工期と10億円の工費をかけて
昭和56年(1981)に再建されたものです。
大講堂
東僧坊
薬師如来本尊台座 (模型)
不動堂
金堂と大講堂
東塔と西塔
薬師寺南大門と西塔(左)と東塔(右)
金堂
鴟尾 (しび)
原型は伝説上の生き物である鳳凰(ほうおう)の
翼をかたどったものですが、魚の尾のようにも見え、
魚が水面から飛び上がり尾を水面上に出した姿を
具象化したもので、屋根の上面が水面を表し、
水面下にあるもの(建物)は燃えないことから
火除けとして用いられたと考えられている。
東塔
創建から1300年建ち続ける奇跡の塔
ゆく秋の 大和の国の薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲 (佐佐木信綱)
薬師寺東塔の水煙
水煙は東塔の最上部を飾る「相輪(そうりん)」の一部で、
雷や火災から塔を守るという祈りを込めた装飾物。
衣をなびかせて舞う飛天の透かし彫りが施されています。
平成21年から12年をかけて初の全面解体大修理が
行われたのを機に1300年の年月を経た水煙は役目を終え、
平成の水煙に取り換えられています。
水煙の 天つ乙女が 衣手の ひまにも澄める 秋の空かな (会津八一)
(佐佐木信綱と会津八一の歌碑は西塔の傍に並び建っています)
西塔
薬師寺西塔は、享禄元年(1528)に創建以来の建物は消失したため、
「宮大工は千年先を見据えた仕事をしなければならない」と、
千年耐える建造物の構築を使命とした宮大工西岡常一棟梁の
指導により、約3年の工期と10億円の工費をかけて
昭和56年(1981)に再建されたものです。
大講堂
東僧坊
薬師如来本尊台座 (模型)
不動堂
金堂と大講堂
東塔と西塔
修学旅行で薬師寺を訪れたという人は多いですね。
金堂の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩の薬師三尊も素晴らしかったのですが、
二人の歌人がこぞって短歌にしたためられているように
薬師寺といえば二つの塔の印象が一番強く残るようですね。
木造建築で一番恐ろしいのが火災です。鴟尾の説明を聞いてなるほどと納得でした。
寺院建築の屋根には鴟尾があるところが多いですね。
お城の鯱鉾は口から水を吹いて火を消すという意味もあるみたいですよ。
薬師寺には、修学旅行で参りました。
薬師寺金堂より、西塔・東塔の方がしっかり印象にあります。
金堂を挟んでバランス良く、荘厳かつ、重厚にみえました。
避雷塔(?)に当たる水煙は、解説があり覚えていますが・・・
鴟尾 (しび)?
魚の尾のようにも見える、かたどりを水面上に出した姿を
屋根の両端に飾り、『火除け』として用いられたのですか?
そういえば、他所の建物でも目にしている様な・・・?
私の街の小さな城の天守閣はシャチホコデスが
やはり屋根が水面下に見えますから、
火災予防の祈願が込められているのでしょうネ。
それにしても、雲一つない素晴らしい秋の日に参拝されたのですネ。