過去に二度ほど,酒田の釣り場において,若者世代の将来を憂える前に,鑑(かがみ)となるべき大先達の状況を憂い,「イマドキの古い者は」という日記を書いた。
が,そんな杞憂が無駄だと思わせる,ありがたい出来事が,昨日・今日とあった。
まず昨日の帰りがけ...
二十代の頭上の堤防を通る見知らぬ若者が,私が釣り場から帰ろうと,クーラーとバッカンをその頭上(たぶん2m強の位置?)に上げようとしたのを見かねて,サッと手を出してくれた。
「口だけの古い者」に比べ,サッと手の出るありがたさに,誠に清々しい思いだった。
さらに今日の「ラス投」,既に書いたタモ入れの場面で,たまたま通りがかった少年(中学生?)が,打合せもお願いもしていないのに,サッとタモを出してくれ,さらには途中でハリがかりするというアクシデントの中「逃がすまじ」と,懸命にタモ入れを完成させてくれた。
昨日のことも思い出され,非常に清々しい気持ちになった。
確かに,挨拶もしない若者も多い,が同様の古い者も負けず劣らず(挨拶の習慣がない?)で,さらには,こういう手助けをしてもらうことはなかなかない。
もちろん,私も挨拶やゴミ処理,他人への手助け等を意識づけているが,これらの若者の自然な行動を見て「捨てたものじゃない」「否,前途有望!」と強く感じたところである。
が,そんな杞憂が無駄だと思わせる,ありがたい出来事が,昨日・今日とあった。
まず昨日の帰りがけ...
二十代の頭上の堤防を通る見知らぬ若者が,私が釣り場から帰ろうと,クーラーとバッカンをその頭上(たぶん2m強の位置?)に上げようとしたのを見かねて,サッと手を出してくれた。
「口だけの古い者」に比べ,サッと手の出るありがたさに,誠に清々しい思いだった。
さらに今日の「ラス投」,既に書いたタモ入れの場面で,たまたま通りがかった少年(中学生?)が,打合せもお願いもしていないのに,サッとタモを出してくれ,さらには途中でハリがかりするというアクシデントの中「逃がすまじ」と,懸命にタモ入れを完成させてくれた。
昨日のことも思い出され,非常に清々しい気持ちになった。
確かに,挨拶もしない若者も多い,が同様の古い者も負けず劣らず(挨拶の習慣がない?)で,さらには,こういう手助けをしてもらうことはなかなかない。
もちろん,私も挨拶やゴミ処理,他人への手助け等を意識づけているが,これらの若者の自然な行動を見て「捨てたものじゃない」「否,前途有望!」と強く感じたところである。
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