ことわざ辞典に「一人の農夫が仕事をしなければ、その分国民が飢えることになる。労働は一人ひとり重要な意味をもつものだ。」とある。原発から20キロ圏内から避難をしている知人が来た。一時帰宅で行ったら、田も畑も夏草が茂り、荒地になってしまっていたと。何年先に戻ってみても、居住できるのか、田畑を耕して、元の収穫ができるのか、不安がつのっていると。納屋は破られ、多分家畜が板戸を壊して入ったのか、梅干し鉢や、味噌桶が倒れ、中味が無くなっていたという。「米を持ち出したいのだが、大丈夫かなぁ」って。「放射能を心配する歳でもねぇべえぇ」って、笑ったが。「孫を含め、六人家族では、自分で収穫した米も食べられないなぁ」って。避難所では「どうなってしまうのだっぺぇ」とか、「どうすれはいぃんだっぺぇなぁ」っとか、個人ではどうすることもできないことを、思いめぐらせて、半ば放心状態だったのかぁと云う。「去年の今頃は、流れる汗を拭き拭き、田の草を取っていたなぁ。」って。支援の避難所暮らしも終わり、来月から、現実の暮らしの苦悩を、また、続けるのだと、気落ちをしていた。画像は、近郊で、田植えが終わったころを、車窓から撮ったもの。