全国で、百歳になった人の数は、五万八千人いるとか。その中の一人が、在宅のばぁちゃん。先日、久しぶりに、車椅子のまま、散歩に連れ出した。家から出た時は、きょろきょろと見回していた。国道まで出ると、「家ちゃ、帰っぺぇ。家ちゃ、帰っぺぇ」という。在宅介護が始まった時、デイサ-ビスに、試しに、行かせた。二回目、三回目は、行くのが嫌がっても、迎えの車に乗せた。車の中で、運転手さんに、「おろしてください」と言ったのだが、おろしてもらえなかつたと、帰ってきて話をしていた。その頃は、認知症ではなかった。画像は、お祝の銀杯が入っていた箱。日頃の苦労が報われた。衆議議員の選挙の期間も、終盤。安心、安全で、安定した世の中になって欲しい。前の前の選挙だったと思うが、「政権交代を、一度、やらせたみてぐださい」と、声高だった政党があった。権利行使は、たった一票だか、「もう、二度と」と、思っている。
近親から、いただいた花束。百歳の祝の宴の招待があるのかなぁと、思っていた。しかし、連絡がないので、お祝に来たと、いただいた。つたないブログに、百歳、百歳と、取り上げている。百年間の人生は、どんな思いがあつたのか、聞いてみたい。今となっては、聞くこともできない。
百歳の記念に、内閣総理大臣からの、お祝いの銀杯。介護をするようになって六年になるなぁ。小生は、たまぁ-に、おしゃべりの相手をする。夕食の介助しかしていない。仕事でも、遊びでも、長い時間、何かと心配をして、家を空かすことは出来ない。介護は、これからも続く。慶賀の言葉と、お祝いの銀杯で、ほっとしている。日々の、ヘルパ-さんや、看護師さんに、世話になっている。「おかげさまで」と、お礼の、一言しか言えない。
画像は,NHKの日曜討論を、カシャッとした。討論は、当然、政府がだめだあ、改革だぁと、論じているようだ。改革はもうごめんだぁ。この歳になってしまっては、記憶が薄れてしまった、先の戦争だ。終戦は、10才のころ。食糧が無かったのを憶えている。混乱は、こりごりだあ。戦後は、徐々にだが、世の中が、平和になって、豊かになったと、実感をした。しかし、大震災。直接には、家屋の外壁の損傷で、補助を受けて、修理をした。それよりも、原発事故のこと。発電機の建屋を、見上げたことがあったので、それが爆発し、テレビの画面で見ていたの。驚きと、避難の、恐怖は、まだ、消えない。震災前の選挙では、政治の改革というので、一票の期待をしたが、政治の混乱だったなぁと、思っている。一票のために、本を買い、なるほど、なるほどと、読んだ。本には、政権を取ったらばだつた。まあ、改革は、混乱が発生する。テレビの二ュ―スで、時の首相が、罵倒されたのを見た。もう、この歳になれば、安定が一番だ。