リーマンショック後、手取り年収が150万円ほど減り、貯金を崩しなんとかやってきました。
それから徐々に戻ってきたとはいえ、リーマンショック前に比べるとまだ約50万円くらい少ない。
それに社会保険料が上がり、住民税が増え、結局今年7月以降、毎月のお給料の手取りが10,000円以上減りました。
リーマンショック後も変わらず、それまでと同じ金額でお供えをしてきました。
これまでにも我が家の予定をキャンセルして、その人のために尽くしたことも多々ありました。
貯金も使い果たし、今まで背伸びしすぎていたお供えの額を、今の収入でさせていただける金額に減額しただけなのに、「お供えの額を減らすなんて神さまに失礼(図々しい)」というようなことを言われ…
「信仰があって、生活、仕事があるのだ」とも言われました。
しかし、それって出家信者のことでは??
信仰も大事だけれども、家族があり、生活があり、そのために働かなければならない。
出家信者は世俗を離れ、家を捨て、家族を捨て、仕事を捨て、所有物を捨てて修行する者だけれども、私は出家したつもりはない。
自分の好きなこともしたいし、少しくらいは贅沢をしたい。
家も欲しいし、できるなら自家用車もあったら嬉しい。
この欲はおそらく捨てきることはできませんし、捨てようと思いません。
私がこの度就職するにあたり、
「月1回のおまいりの日は休める職場にしなさい」とも…
たまたま非常勤で休日はシフト制のなので休みは取りやすいですが、いやはや、そこまでなぜ押し付けようとするのでしょうか?
私は仏教の教えは素晴らしいと思います。
でもそれを導く人によっては善にも悪にもなります。
私は私の人生をそこまで縛られたくありません。
巷には様々な信仰があります。
素直な目で見極めていくことが必要ですね。
言っている本人は豊かな財産があり、ブランドバッグ、財布、宝石などを身につけて、馬も数頭保有している。
なんだかな~って感じです。
様々な事情があり、縁を切ることはできません。
以前の私はビクビクして縛られて何もできませんでしたが、自分の気持ちや考えをしっかり持てるようになってきたので、随分スルーできるようになりました。
正しい事はちゃんと教えをいただき、おかしいなと思う事は反面教師として、どんなことからも学ぶ気持ちを持てばいいのだと思えたとき、何かが吹っ切れました。
(あるブログより引用)
あらゆる活動の根拠(土台)は“信仰”
直線的に「信仰―家庭―仕事」と観念的な優先順位をつけるのではなく、「家庭も仕事も社会活動も信仰とともにあり、信仰を土台として、信仰に根ざして営まれている」というあり方に私は親しみを覚えます。家庭も仕事も人間関係も社会的な奉仕も、信仰とは別のことがらではなく一元化されたもの、一体のものだと理解しています。どんな時にも「信仰」を土台にして考え、判断し、選択し、行動する。それが「人生の優先順位」ではないでしょうか。
それから徐々に戻ってきたとはいえ、リーマンショック前に比べるとまだ約50万円くらい少ない。
それに社会保険料が上がり、住民税が増え、結局今年7月以降、毎月のお給料の手取りが10,000円以上減りました。
リーマンショック後も変わらず、それまでと同じ金額でお供えをしてきました。
これまでにも我が家の予定をキャンセルして、その人のために尽くしたことも多々ありました。
貯金も使い果たし、今まで背伸びしすぎていたお供えの額を、今の収入でさせていただける金額に減額しただけなのに、「お供えの額を減らすなんて神さまに失礼(図々しい)」というようなことを言われ…
「信仰があって、生活、仕事があるのだ」とも言われました。
しかし、それって出家信者のことでは??
信仰も大事だけれども、家族があり、生活があり、そのために働かなければならない。
出家信者は世俗を離れ、家を捨て、家族を捨て、仕事を捨て、所有物を捨てて修行する者だけれども、私は出家したつもりはない。
自分の好きなこともしたいし、少しくらいは贅沢をしたい。
家も欲しいし、できるなら自家用車もあったら嬉しい。
この欲はおそらく捨てきることはできませんし、捨てようと思いません。
私がこの度就職するにあたり、
「月1回のおまいりの日は休める職場にしなさい」とも…
たまたま非常勤で休日はシフト制のなので休みは取りやすいですが、いやはや、そこまでなぜ押し付けようとするのでしょうか?
私は仏教の教えは素晴らしいと思います。
でもそれを導く人によっては善にも悪にもなります。
私は私の人生をそこまで縛られたくありません。
巷には様々な信仰があります。
素直な目で見極めていくことが必要ですね。
言っている本人は豊かな財産があり、ブランドバッグ、財布、宝石などを身につけて、馬も数頭保有している。
なんだかな~って感じです。
様々な事情があり、縁を切ることはできません。
以前の私はビクビクして縛られて何もできませんでしたが、自分の気持ちや考えをしっかり持てるようになってきたので、随分スルーできるようになりました。
正しい事はちゃんと教えをいただき、おかしいなと思う事は反面教師として、どんなことからも学ぶ気持ちを持てばいいのだと思えたとき、何かが吹っ切れました。
(あるブログより引用)
あらゆる活動の根拠(土台)は“信仰”
直線的に「信仰―家庭―仕事」と観念的な優先順位をつけるのではなく、「家庭も仕事も社会活動も信仰とともにあり、信仰を土台として、信仰に根ざして営まれている」というあり方に私は親しみを覚えます。家庭も仕事も人間関係も社会的な奉仕も、信仰とは別のことがらではなく一元化されたもの、一体のものだと理解しています。どんな時にも「信仰」を土台にして考え、判断し、選択し、行動する。それが「人生の優先順位」ではないでしょうか。
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