最近、虐待事件でバカ親が逮捕される新聞記事をよく見るようになった。
これは、今までもそういう事件はあったが、新聞が意識的に報道し始めるようになったのか、それとも学校や教育委員会、児童相談所がしぶしぶ警察に通報するようになったのか。たぶん両方だろう。
ただしこれらは、亡くなった子供たちが大人を動かしたわけで、天国の彼らが新たな被害者を救ったとも云えるのだ。
ということは、である。教育関係者は能なしのうえ怠惰だから、ほとぼりが冷めた頃には、虐待事件が起こっても、またやつらは見て見ぬフリをするだろう。喪った信用は、容易に元に戻らないことを覚悟せよ。
最近愕然としたのは、何日か前のニュース。2017年、大阪府箕面市で4歳の男児が虐待されて死亡した事件の判決があったのだが、主犯格は懲役10年だった。
そもそもこの求刑が傷害致死罪適用の懲役12年という軽さで、判決では例によって「2割引」され、懲役10年となったものだ。
いやいや驚く。人間を殺しておいて、懲役10年。ヒトの命はこんなに軽いのだろうか。
いつも疑問に思うのだが、虐待死は傷害致死ですかね? れっきとした殺人でしょう。
今回の事件も、内縁の夫が知人と共謀して、男児にリンチの限りを尽くして殺している。これを殺人と言わずして何というのか。
たとえば、刃物で刺して殺したら殺人である。首を絞めて殺しても殺人である。こいつらは男児の腹に馬乗りになって内臓を破裂させて殺したのだ。これを殺人というのではないのか?
判決文では、誰の暴行が死因になったか判明しない、被告人も反省している、などとあったが、反省するなら猿でもできる。死因だって、こいつらが殺したのは明らかなんだから、全員に殺人罪を課せばいいのだ。
この主犯は現在27歳。判決までの拘束期間は免除される可能性が高いので、そうなるとあと8年余りで出所する。すなわち35歳前後で、この殺人鬼は社会復帰するのだ。ああ恐ろしい!
殺人の最高刑が死刑なのに対して、傷害致死罪は懲役3年から20年である。だがこの件で懲役10年となったように、幼児や児童の命はまことに軽く扱われている。
そもそも殺人罪は、身内の犯行は一般のそれより刑が重い。だが子供による親殺しには適用されても、その逆、つまり親による子殺しは「虐待」のフィルターがかかって、なぜか刑が軽くなる。また親殺しは子供にも多少の同情の余地があるのに対し、子殺し(虐待死)には子供にいささかの落ち度もないのに、おしなべて傷害致死罪を適用するのだ。
と思ったらこの前、講談社元編集次長の妻殺しの判決が出たのだが、これが懲役15年の求刑に対し、11年の判決が出た。
れっきとした殺人だって、求刑の27%引きの11年になってしまうのだ。ヒトの後半生を身勝手な理由で消去しておいて、この程度。これじゃあ虐待事件が重罪になるわけがない。
しかも講談社の事件、被告側が不服と思えば、控訴できる。
だが大阪府箕面市の事件の場合はどうか。被害者側から見た場合、こちらは被害者が亡くなっているうえ、両親が加害者ときている。さらに教育関係者は部外者だから、声高に控訴を叫ぶ者がいない。肝心の検察も、懲役10年を取れればオンの字で、もう控訴しないだろう。よって、一審の判決でそのまま確定してしまう。これじゃあ被害者が浮かばれない。
というところで6日も、千葉県野田市の鬼畜が送検されたが、やはり「傷害致死罪」だった。
もう一度同じことを書く。あれが傷害致死罪だろうか。
女児は何日も食事を与えられず、夜も眠らせてもらえず、寒い冬の夜に風呂場で冷水を浴びせられて殺された。しかもそのリンチは数年に及んだのだ。どこからどう見たって殺人じゃねえかバカヤロウ!!!
とにかく検察がだらしない。検察は冤罪をごろごろ拵えるくせに、こと虐待事件になるとてんでだらしない。お前らどこに目をつけてんだ!!
だが今回の事件は世間が注目している。たぶん裁判所だって、検察が重罪を求刑しても受け入れる態勢は整えていると思うのだ。
だからまだ遅くない。公判中だって、訴因変更で殺人罪にはできる。検察だけが、泉下の被害者の無念を晴らす最後の砦だ。とにかく虐待死事件には殺人罪を適用して、判例を作っていくしかないのだ。
ああ、久利生公平や鶴丸検事だったら、どの罪状で送検したのだろう。
とにかく私はこの事件、検察の動きに注目している。
これは、今までもそういう事件はあったが、新聞が意識的に報道し始めるようになったのか、それとも学校や教育委員会、児童相談所がしぶしぶ警察に通報するようになったのか。たぶん両方だろう。
ただしこれらは、亡くなった子供たちが大人を動かしたわけで、天国の彼らが新たな被害者を救ったとも云えるのだ。
ということは、である。教育関係者は能なしのうえ怠惰だから、ほとぼりが冷めた頃には、虐待事件が起こっても、またやつらは見て見ぬフリをするだろう。喪った信用は、容易に元に戻らないことを覚悟せよ。
最近愕然としたのは、何日か前のニュース。2017年、大阪府箕面市で4歳の男児が虐待されて死亡した事件の判決があったのだが、主犯格は懲役10年だった。
そもそもこの求刑が傷害致死罪適用の懲役12年という軽さで、判決では例によって「2割引」され、懲役10年となったものだ。
いやいや驚く。人間を殺しておいて、懲役10年。ヒトの命はこんなに軽いのだろうか。
いつも疑問に思うのだが、虐待死は傷害致死ですかね? れっきとした殺人でしょう。
今回の事件も、内縁の夫が知人と共謀して、男児にリンチの限りを尽くして殺している。これを殺人と言わずして何というのか。
たとえば、刃物で刺して殺したら殺人である。首を絞めて殺しても殺人である。こいつらは男児の腹に馬乗りになって内臓を破裂させて殺したのだ。これを殺人というのではないのか?
判決文では、誰の暴行が死因になったか判明しない、被告人も反省している、などとあったが、反省するなら猿でもできる。死因だって、こいつらが殺したのは明らかなんだから、全員に殺人罪を課せばいいのだ。
この主犯は現在27歳。判決までの拘束期間は免除される可能性が高いので、そうなるとあと8年余りで出所する。すなわち35歳前後で、この殺人鬼は社会復帰するのだ。ああ恐ろしい!
殺人の最高刑が死刑なのに対して、傷害致死罪は懲役3年から20年である。だがこの件で懲役10年となったように、幼児や児童の命はまことに軽く扱われている。
そもそも殺人罪は、身内の犯行は一般のそれより刑が重い。だが子供による親殺しには適用されても、その逆、つまり親による子殺しは「虐待」のフィルターがかかって、なぜか刑が軽くなる。また親殺しは子供にも多少の同情の余地があるのに対し、子殺し(虐待死)には子供にいささかの落ち度もないのに、おしなべて傷害致死罪を適用するのだ。
と思ったらこの前、講談社元編集次長の妻殺しの判決が出たのだが、これが懲役15年の求刑に対し、11年の判決が出た。
れっきとした殺人だって、求刑の27%引きの11年になってしまうのだ。ヒトの後半生を身勝手な理由で消去しておいて、この程度。これじゃあ虐待事件が重罪になるわけがない。
しかも講談社の事件、被告側が不服と思えば、控訴できる。
だが大阪府箕面市の事件の場合はどうか。被害者側から見た場合、こちらは被害者が亡くなっているうえ、両親が加害者ときている。さらに教育関係者は部外者だから、声高に控訴を叫ぶ者がいない。肝心の検察も、懲役10年を取れればオンの字で、もう控訴しないだろう。よって、一審の判決でそのまま確定してしまう。これじゃあ被害者が浮かばれない。
というところで6日も、千葉県野田市の鬼畜が送検されたが、やはり「傷害致死罪」だった。
もう一度同じことを書く。あれが傷害致死罪だろうか。
女児は何日も食事を与えられず、夜も眠らせてもらえず、寒い冬の夜に風呂場で冷水を浴びせられて殺された。しかもそのリンチは数年に及んだのだ。どこからどう見たって殺人じゃねえかバカヤロウ!!!
とにかく検察がだらしない。検察は冤罪をごろごろ拵えるくせに、こと虐待事件になるとてんでだらしない。お前らどこに目をつけてんだ!!
だが今回の事件は世間が注目している。たぶん裁判所だって、検察が重罪を求刑しても受け入れる態勢は整えていると思うのだ。
だからまだ遅くない。公判中だって、訴因変更で殺人罪にはできる。検察だけが、泉下の被害者の無念を晴らす最後の砦だ。とにかく虐待死事件には殺人罪を適用して、判例を作っていくしかないのだ。
ああ、久利生公平や鶴丸検事だったら、どの罪状で送検したのだろう。
とにかく私はこの事件、検察の動きに注目している。