若干険悪な雰囲気が流れたが、その客が退場し、平穏が戻った。仏家シャベルの噺が再び熱を帯びる。仏家ジャズルの効果音も冴え、そのたびに私たちは「ひっ」と背筋を伸ばしてしまうのだ。
旅人はついに鉄砲で命を狙われる。海に飛び込んだ旅人の命運やいかに……というところで意表の下げとなった。会場はやんやの拍手である。掛時計を見れば、予定終了時刻を20分オーバーしていた。やはり、シャベルのマクラが長過ぎたか。
最後は演者が勢ぞろいし、お客は盛大な拍手をもって感謝の意を表した。全5席はバリエーションに富み、大満足であった。
このあとは湯川邸で新年会である。もちろん私も参加させていただくが、出演者はまだいろいろあるだろう。私はKan氏や美馬和夫氏といっしょに向かえばいいのだが、孤独が好きな私はそれができない。私は湯川恵子さんに断りを入れると、ひとりで歩いて行く意を示した。
「道は分かる?」
「大丈夫です」
まずは駅前に行き、立ち食いそばの店に入る。ここの信州の蕎麦が美味かった記憶がある。このあと湯川邸でたらふく食事ができるのだが、時刻は午後4時を過ぎているし、軽く入れておきたい。
もりそば(390円)は期待に違わぬ美味さだった。
そのまま20分ほど歩き、見覚えのある道、というか景色になった。湯川邸の住所は3丁目15番だが、ここは3-11、向かいの建物は3-16だ。ああもう着いた、と思うが、その先がどうもはっきりしない。
ここで私は堂々巡りし、同じ道を行ったり来たりする。また大道路に戻ったりして、二股の根もとにある焼肉店は何回通っただろう。
郵便局の前に来た。なぜ開いているのか分からないが、今日は平日だったのだ。
また少し歩き、番地を見ると4丁目である。民家に入って3丁目を聞くが、分からないという。期待外れだが、私だってひとつ前の数字の丁は分からない。
こういう時、スマホの地図で確認すればいいのだが、焦っている私はその余裕がない。思えば昨年は、武者野勝巳七段と詞吟の先生とで向かったがやはり道に迷い、大幅に遅刻したものだ。今年も同じ轍を踏むとは……。
あたりはすっかり暗くなってしまった。もう湯川氏一行はとっくに新年会を始めているはずで、私がまだ到着していないことに立腹しているに違いない。
あ、スマホに電話が来ているかもしれない……。しかしそれも確認する余裕がない。
ある整骨院に入って道を聞く。スタッフはこっちだと言うが、マッサージを受けている人はあっちだと言う。
混乱する中、スタッフの言うことを信じて、そちらに舵を切る。結局、いちばん最初に来た景色のところに戻ってきた。その先を思い切って行くと、見覚えのある景色になった。こっちだったか!
近くの家で湯川邸を聞き、やっと着くことが出来た。時刻は5時20分。ざっと40分間迷っていたことになる。
恐縮してドアを開けると、恵子さんと岡松三三さんが出た。
「あらあどこ行ってたの! 何度も電話を掛けたのよ」
「すみません、スマホの着信音を消していたので、分からなくて」
これは咄嗟についたウソである。確かに落語のときケータイの消音を促されたが、私は何もしなかった。とはいえ大幅な遅刻で、私は平身低頭で陳謝である。
そしてここに、私の人生の縮図が表れている。ヒトのいうことを信じて行動すればいいのに、身勝手な行動をしてみなに迷惑を掛ける。その結果がいまのザマだ。
「もう奥の席しか残ってないわよ」
宴席には関係者が勢ぞろいし、だいぶ飲み食いした跡があった。奥の席がポッカリ空いていて、恐縮である。そしてそれは上座を意味していた。奇しくも、私が昨年座ったところでもあった。
「さっきからこの席が空いてるんで、どんな人が来るかと思ったよ」
と、右に座っていた石畑梅々氏。
ビールをもらい、遅ればせながら乾杯である。私には苦いビールだった。
宴席はテーブルを2つ繋げている。テーブルには美味そうな料理がズラリ。いずれも恵子さんのお手製で、今日は午前4時起きで作ったと言っていた。
改めて参加者を記すと、私の向かいは湯川博士氏。以下時計回りに小川敦子さん、参遊亭遊鈴さん、Tanさん、永田氏、長照寺・寺川俊篤氏、台所に湯川恵子さんと三三さん、折り返してSuwさん、Hiw氏、Kan氏、美馬氏、梅々氏、そして私の総勢14名だ。ヒトは無意識に定位置があるもので、連続参加の人は、だいたい昨年と同じ席だった。
早速料理を食べると、美味い! 恵子さんは料理が本当に上手で、小料理屋でも開けば繁盛すると思うが、そうしないところがいいのだろう。
そんな恵子さんが焼菓子をくれた。
「私だけに…?」
「そう、君だけに」
と、これはTanさん。どうも、皆さんに配られたようだ。恵子さんの配慮には頭が下がる。
「もう、電話してくれればよかったのに。なんでこんなに遅くなったの」
と恵子さん。その通りだが、電話をすれば「こちらの負け」になるという気持ちもあった。だがそんな意地を張るべきではなかった。
「いや実は駅前の蕎麦屋に寄ってまして」
「ああそれで」
いや、蕎麦屋にいたのはせいぜい10数分だ。
「いえいえ、私が道に迷いました」
永田氏に今日の演奏の出来を聞かれる。もちろん素晴らしく、
「(演者)5人の中で、いちばん感銘を受けました」
と返した。しかしほかに演者がいる中でこれは、失言だった。
俊篤住職は、当ブログを読んでいてくれたようだった。「今年の大いちょう寄席をやる時に、去年の様子はどうだったのかと思って、検索してみたんですよ。そしたら大沢さんのブログが先頭に出て……。他人の目にはどう映っていたのか分かって、興味深かった」
大いちょう寄席の模様をSNSに上げるのは私くらいだから、当然そうなるのだろう。とはいえ俊篤住職が読んでいてくれていたとは感謝である。「CI寄席のも、ブログに書いてくれるんでしょ?」
「はあ、そのつもりですが、今回は将棋ペン倶楽部にも書く予定なんで、ブログは軽めに書こうと思っています」
俊篤氏の期待はありがたいが、そうせざるを得ない。しかし文章制限のないブログにこそいっぱい内容を書けるわけで、結局、ブログのほうも5日間くらいの連載になりそうな気はする。しかしそうすると編集部のほうから、「先に発表しないでくださいよ」的なクレームが来やしないか?
「湯川先生、今日の落語もよかったです。江戸の風俗が勉強できました」
「うん、今日は落語と同時に、江戸の文化も話そうと思った。ある種の講義だね」
狙いはバッチリ当たって、博士氏も満足そうだ。
梅々氏は酒をグビグビやっている。本来は私が「今日の講談はよかったです」と酒をつがなければいけないのだが、半井源太郎よろしく、私はかしこまっているだけだった。
(つづく)
旅人はついに鉄砲で命を狙われる。海に飛び込んだ旅人の命運やいかに……というところで意表の下げとなった。会場はやんやの拍手である。掛時計を見れば、予定終了時刻を20分オーバーしていた。やはり、シャベルのマクラが長過ぎたか。
最後は演者が勢ぞろいし、お客は盛大な拍手をもって感謝の意を表した。全5席はバリエーションに富み、大満足であった。
このあとは湯川邸で新年会である。もちろん私も参加させていただくが、出演者はまだいろいろあるだろう。私はKan氏や美馬和夫氏といっしょに向かえばいいのだが、孤独が好きな私はそれができない。私は湯川恵子さんに断りを入れると、ひとりで歩いて行く意を示した。
「道は分かる?」
「大丈夫です」
まずは駅前に行き、立ち食いそばの店に入る。ここの信州の蕎麦が美味かった記憶がある。このあと湯川邸でたらふく食事ができるのだが、時刻は午後4時を過ぎているし、軽く入れておきたい。
もりそば(390円)は期待に違わぬ美味さだった。
そのまま20分ほど歩き、見覚えのある道、というか景色になった。湯川邸の住所は3丁目15番だが、ここは3-11、向かいの建物は3-16だ。ああもう着いた、と思うが、その先がどうもはっきりしない。
ここで私は堂々巡りし、同じ道を行ったり来たりする。また大道路に戻ったりして、二股の根もとにある焼肉店は何回通っただろう。
郵便局の前に来た。なぜ開いているのか分からないが、今日は平日だったのだ。
また少し歩き、番地を見ると4丁目である。民家に入って3丁目を聞くが、分からないという。期待外れだが、私だってひとつ前の数字の丁は分からない。
こういう時、スマホの地図で確認すればいいのだが、焦っている私はその余裕がない。思えば昨年は、武者野勝巳七段と詞吟の先生とで向かったがやはり道に迷い、大幅に遅刻したものだ。今年も同じ轍を踏むとは……。
あたりはすっかり暗くなってしまった。もう湯川氏一行はとっくに新年会を始めているはずで、私がまだ到着していないことに立腹しているに違いない。
あ、スマホに電話が来ているかもしれない……。しかしそれも確認する余裕がない。
ある整骨院に入って道を聞く。スタッフはこっちだと言うが、マッサージを受けている人はあっちだと言う。
混乱する中、スタッフの言うことを信じて、そちらに舵を切る。結局、いちばん最初に来た景色のところに戻ってきた。その先を思い切って行くと、見覚えのある景色になった。こっちだったか!
近くの家で湯川邸を聞き、やっと着くことが出来た。時刻は5時20分。ざっと40分間迷っていたことになる。
恐縮してドアを開けると、恵子さんと岡松三三さんが出た。
「あらあどこ行ってたの! 何度も電話を掛けたのよ」
「すみません、スマホの着信音を消していたので、分からなくて」
これは咄嗟についたウソである。確かに落語のときケータイの消音を促されたが、私は何もしなかった。とはいえ大幅な遅刻で、私は平身低頭で陳謝である。
そしてここに、私の人生の縮図が表れている。ヒトのいうことを信じて行動すればいいのに、身勝手な行動をしてみなに迷惑を掛ける。その結果がいまのザマだ。
「もう奥の席しか残ってないわよ」
宴席には関係者が勢ぞろいし、だいぶ飲み食いした跡があった。奥の席がポッカリ空いていて、恐縮である。そしてそれは上座を意味していた。奇しくも、私が昨年座ったところでもあった。
「さっきからこの席が空いてるんで、どんな人が来るかと思ったよ」
と、右に座っていた石畑梅々氏。
ビールをもらい、遅ればせながら乾杯である。私には苦いビールだった。
宴席はテーブルを2つ繋げている。テーブルには美味そうな料理がズラリ。いずれも恵子さんのお手製で、今日は午前4時起きで作ったと言っていた。
改めて参加者を記すと、私の向かいは湯川博士氏。以下時計回りに小川敦子さん、参遊亭遊鈴さん、Tanさん、永田氏、長照寺・寺川俊篤氏、台所に湯川恵子さんと三三さん、折り返してSuwさん、Hiw氏、Kan氏、美馬氏、梅々氏、そして私の総勢14名だ。ヒトは無意識に定位置があるもので、連続参加の人は、だいたい昨年と同じ席だった。
早速料理を食べると、美味い! 恵子さんは料理が本当に上手で、小料理屋でも開けば繁盛すると思うが、そうしないところがいいのだろう。
そんな恵子さんが焼菓子をくれた。
「私だけに…?」
「そう、君だけに」
と、これはTanさん。どうも、皆さんに配られたようだ。恵子さんの配慮には頭が下がる。
「もう、電話してくれればよかったのに。なんでこんなに遅くなったの」
と恵子さん。その通りだが、電話をすれば「こちらの負け」になるという気持ちもあった。だがそんな意地を張るべきではなかった。
「いや実は駅前の蕎麦屋に寄ってまして」
「ああそれで」
いや、蕎麦屋にいたのはせいぜい10数分だ。
「いえいえ、私が道に迷いました」
永田氏に今日の演奏の出来を聞かれる。もちろん素晴らしく、
「(演者)5人の中で、いちばん感銘を受けました」
と返した。しかしほかに演者がいる中でこれは、失言だった。
俊篤住職は、当ブログを読んでいてくれたようだった。「今年の大いちょう寄席をやる時に、去年の様子はどうだったのかと思って、検索してみたんですよ。そしたら大沢さんのブログが先頭に出て……。他人の目にはどう映っていたのか分かって、興味深かった」
大いちょう寄席の模様をSNSに上げるのは私くらいだから、当然そうなるのだろう。とはいえ俊篤住職が読んでいてくれていたとは感謝である。「CI寄席のも、ブログに書いてくれるんでしょ?」
「はあ、そのつもりですが、今回は将棋ペン倶楽部にも書く予定なんで、ブログは軽めに書こうと思っています」
俊篤氏の期待はありがたいが、そうせざるを得ない。しかし文章制限のないブログにこそいっぱい内容を書けるわけで、結局、ブログのほうも5日間くらいの連載になりそうな気はする。しかしそうすると編集部のほうから、「先に発表しないでくださいよ」的なクレームが来やしないか?
「湯川先生、今日の落語もよかったです。江戸の風俗が勉強できました」
「うん、今日は落語と同時に、江戸の文化も話そうと思った。ある種の講義だね」
狙いはバッチリ当たって、博士氏も満足そうだ。
梅々氏は酒をグビグビやっている。本来は私が「今日の講談はよかったです」と酒をつがなければいけないのだが、半井源太郎よろしく、私はかしこまっているだけだった。
(つづく)