一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

天童の美女(前編)

2020-02-11 00:27:48 | 将棋ペンクラブ
現在私は釧路にいる。やはり北海道はいい。もう帰るのを止めちまおうか。

「将棋ペン倶楽部」2011年春号・会報55号に掲載された、「天童の美女」を2回に分けてアップする。これは2008年に天童の将棋まつりで起こったことを書いている。掲載から9年、転載しても問題ないと判断した。
投稿した文章は、一字一句変わらず掲載された。現在の目から見れば訂正したい箇所がいくつかあるが、原文を尊重した。


天童の美女

2008年4月19日(土)、私は山形県天童市の「天童桜まつり・人間将棋」に、初めて訪れた。美人の誉れ高い船戸陽子女流二段と島井咲緒里女流初段が甲冑姿で対局するからで、いつかは人間将棋を見てみたいと望んでいた私には、いい機会であった。
かように楽しみにしていた人間将棋だったが、当日は悪天候のため、舞鶴山での将棋は見送り。JR天童駅からバスで数分のところにある、市民文化会館に場所を移しての開催となった。
文化会館に入ると、大ホール右の小部屋で、人間将棋後に行われる指導対局の、抽選の準備が進められていた。
 対局は先着30名だったので、私もそそくさと中に入る。と、部屋の右隅で、ハッとする美人が小冊子を片手に、将棋の研究をしていた。歳のころは20代後半か。山田久美女流三段似の美人で、その手つきは豪快だった。局面を見ると、駒落ち定跡のようだった。
 まだ午前中だが、早くもやる気満々である。やがて私と彼女はめでたく指導対局の整理券を受け取ったが、彼女はほかの棋客を捕まえると、今度は練習将棋を始めた。
私の偏見かもしれないが、女性アマには、ガムシャラに将棋を勉強する、というイメージがない。しかし彼女からは「将棋命」のエネルギーがあふれている。東北の片田舎(失礼)には稀有なファイターがいたものだと、私は嬉しくなった。
船戸女流二段と島井女流初段の人間将棋が終わり、小休憩のあと、お待ちかねの指導対局となった。
私たちは会館内にある別室に入り、整理券の番号が貼られてある席に着いて待つ。 
先ほどの女性も近くに座っていたが、彼女は早くも駒を盤に並べ、まるで試験前の受験生のように、駒落ち定跡のおさらいを始めた。
地方在住の将棋ファンは、都心在住のファンと比べ、プロ棋士と触れる機会は圧倒的に少ない。
恐らく彼女も東北地方に住んでいるのだろうが、彼女からは「棋士に教えていただくこのチャンス、何としても勝つ」との気概が窺えた。
やがて、本日の解説だった片上大輔六段(当時五段)、対局者の船戸女流二段、島井女流初段が入場した。
私は片上六段との対局となった。彼女も片上六段との対局である。
私は飛車落ちを所望する。彼女も同じく飛車落ちの手合いだった。
私は右四間飛車定跡と見せかけて飛車を左辺に振る変則作戦。彼女は正攻法の右四間飛車で挑んでいた。
私が1筋を破って、じくじく攻めていた時だったろうか。彼女の将棋が早くも終わった。…と分かったのは、片上六段が爽やかな声で投了を告げたからだ。
「うまく指されました」
と言う片上六段に、ホッとした表情の彼女。
棋士は指導対局で意地悪をしない。定跡を勉強してきた人には、それなりの指し方をしてくれるものだ。
とはいえ下手が正着を続けなければ勝てないことわけで、彼女の勝ちは見事である。網猛勉強の成果が実ったといえた。
「では私がここでこう指したら、どう指しましたか?…うん、正解です」
片上六段の設問にも、彼女は難なく答える。片上六段も彼女に関心を持ったらしく、さらに
「明日の指導対局も予約しているの?」
と問うた。翌20日(日)は、今回の3棋士に屋敷伸之九段、橋本崇載七段を加えた計5棋士で、百面指しを行うことになっている。これは事前予約なので、出欠の確認をしたのだ。
「はい」
当然のように、彼女は答える。
「じゃあ明日当たる棋士には、厳しく指すように言っておきましょう」
片上六段は笑って答えた。
翌日は私も参加したかったが、20日は神奈川県横須賀市でLPSA主催の将棋大会があり、私はトンボ帰りをして参加する予定だった。
天童は桜が満開なのに、ろくすっぽ観賞もせず、送迎バスで天童駅に戻る。
と、橋上駅舎である天童駅の1階に、「天童市将棋資料館」があった。帰京は当日中でいいので、まだ時間はある。私は資料館に入ってみた。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする