16番の私が呼ばれたが、マスターは「あなたは何度か来ているから……」と、見送りにしたのだ! いや21回目ともなると、さすがに顔を覚えられていたか。
もっともマスターは、1度でも来た人の顔は覚えているらしい。とはいえこうした措置は初めてである。
次に引いた棒は6番だったが彼女も退出しており、別の男性に当たった。この人の誕生日当てと、悩み事当てだ。
誕生日当ては5人が参加し、もちろん正解した。これは例えば、「昭和44年6月24日生」だったら、電卓に「44624」と出る。稀に西暦の時もあり、その場合は「69624」となる。10月~12月生まれは6ケタになるが、そうなった記憶はあまりない。
私は20年前にこれを当てられ、イベント後に検算する手段もあったが見送ってしまった。その時の後悔ったらない。
「あなたはちゃんと生活していけますよ」
とマスターが言う。彼のメモを公開すると、その悩み事は、「今後の私の経済状況」だった。もちろんこれも、マスターが先読みしていた。
なお私だったら「就職できるか否か」だったが、「仕事を選ばなければできる」くらいの回答になったかもしれない。
さらに男性氏には、マスターから一文が送られた。カラー用紙にマスターが何事かを書き、落款を捺すものだ。
「これならカンタンに捨てられないでしょう」
マスターはそう謙遜するが、これは1人しかもらえない貴重なもの。男性氏はこの場に来てよかった。
マスターが、ホワイトボードに縦4列、横4列の合計16の枠に、2ケタないし1ケタの数字を書いた。そして女性に任意の2ケタの数字を言わせ、マスターがボードの横1列を足すと、その合計が彼女の言った数字となった。それだけではない。縦1列もナナメも、中心の4つも、角の4つも、足すとすべて彼女の数字となった。
「ギョエーーーッ!!!」
と、17番~19番の女性が叫ぶ。いいリアクションである。これ、彼女が数字を言った後に書いても難しいくらいだが、マスターは先に書いているのが凄い。
今度はルービックキューブである。しばし講義をやったあと、マスター流の遊びが出る。すなわち、客の小学生が作った色配置とまったく同じものを、マスターが作るのだ。将棋に例えれば、終盤近くの局面を見て、初手からその局面を作るようなものだ。マスターはもちろん成功した。
さらに、まだ6面揃っていないキューブを女性に持たせ、マスターがキューブを見ずに動かすマスを指示する。そして何手か後には6面揃う、という按配だった。これは詰将棋を空で解くようなものか。
「将棋と同じように、何手か進んだ形を想像します」
これはマジックというより、特殊能力というべきだろう。
なおマスターが本気を出すと、7秒くらいで6面を作ってしまった。
「物事においては、なんでもいい方に考えなければいけません。これを陽転思考といいます。
むかし中村久子さんという、ご病気で手足がなくなった方がいました。
見世物小屋で働いていたんですが、意地悪な人は、手足がなくて大変でしょ、と聞いてくるわけです。
でも中村久子さんは、お陰で泥棒ができませんと言って、カカカと笑ったそうです」
マスター鉄板の、ほろりとさせる話である。笑いの中に時々ぶち込んでくるので、女性陣なんかは情緒不安定になっり、涙を流したりするのだ。
「人は40代になると、30代が若く思えます。50代になると、40代は若かったと思う。60代になると、50代が若かったと思います。これはいくつになってもそうですね。でも、人は過去には戻れません。
……戻れる方法がひとつだけありますよ。
10年先の自分を想像して、ここに帰って来たと思えばいいのです。そしたら10年間丸儲けですね。これからの10年、うかうかしてられませんね」
この話も、私は21年連続で聞いているのだ。しかし20年前に10年後を想像しながら、まったくその修正努力をしてこなかった。それでこのザマである。
そりゃそうだ。仮に「あなたは一流大学に受かる」と言われて、それで勉強を疎かにしたら、やはり落ちる。私は意味を履き違えていた。
マスターが輪ゴムを取り出す。「スターをお見せしますよ」とごちゃごちゃやっていると、1本の輪ゴムが「☆」の形になった。
さらに、輪ゴムを5円玉の穴の中に通す。もちろん、鎖状にするということである。
マジックも佳境に入ってきた。いよいよスプーンである。例によってグニャグニャに曲げたあと、「スプーンは玉の方が美味いんですよ」と、一口齧ってしまった。
続けて100円玉も齧ってしまう。しかしフッと息を吹きかけると、元に戻ってしまった。
今度は千円札に100円玉を通す。それはあっちこっちに移動する。野口英世の眉毛に持って行き、「サンバイザー」。頭に持って行き、「ジョアッ!! ウルトラセブン」。
マスターは指をクロスさせ、「分子の隙間をこう、クロスさせている感じですよ」と解説するが、私たちには馬の耳に念仏だ。そしてマスターは「練習したから!!」の札を挙げるのだ。
「ああそうだ、ここ数年、毎日予約の電話が鳴るんで、去年から、来店日の2ヶ月前の1日から、一斉に電話を受け付けることにしたんですよ。
そしたら2日以降は電話が繋がらない、というデマがネットに流れたようでね。
違うんですよ。2日以降も電話受付はやってますから。もう、営業妨害ですよ」
マスターがふくれるのが可笑しい。「でも電話は繋がりにくくて、ご迷惑をお掛けしています。凝りずに掛けてください。でも来てほしい時は、私が呼びますよ」
マスターが100円玉にボールペンを貫通させる。そのままボールペンを押し抜くと、穴が残っていた。日常生活であり得ない光景である。室内はもはやどよめき、異様な雰囲気になっている。
マスターが千円札にボールペンを刺し、その穴を上下させる。17番~19番の女性は、「何で何で!?」と叫び、もう理解が追いついていかないふうだ。
マスターがボールペンを抜くと、穴は塞がっていた。
マスターがコカコーラの500mlペットボトルを出す。一捻りすると、ラベルがペットボトルの内側に入っていた。
マスターが10円玉を撫でると、10円が小さくなった。これを瓶の口から入れるが、中で元に戻るので、もう瓶から出ない。また小さくして出し、今度は500円玉大に大きくなる。
ペットボトルの底からキャップを入れる。キャップはスコーンと、ペットボトルの内部に入ってしまった。マスターはそれを女性にもやらせた。それが、何度目かに成功してしまったから驚いた。どうもマスターは、他人の肉体を介しても、マジックが行えるようなのだ。
そろそろマジックが終了するようだ。
「お名残り惜しいですが、このあたりで終わらせていただきます。またお会いしましょう」
私たちは、力いっぱいの拍手をした。私たちにはそれくらいしかできないのだ。そして、1日1日を大切に生きることしか。
時刻は午後5時21分。何と、3時間余のマジックだった。これでお代が喫茶代のみとなれば、それはお客がくるはずだ。
私には、ドロドロになった千円札の代わりの千円札が渡された。マスターのサイン入りで、これはこれで御守りになりそうだ。
最後は、ぐにゃぐにゃになったスプーン(300円)を買うため、みなが並ぶ。
私の番になり、頭頂部から邪気を抜いてもらった。いろいろ話したいことはあるが、最後は自分の力で解決しなければならない。来年もここに来られることを祈りつつ、私は店を出た。
(つづく)
もっともマスターは、1度でも来た人の顔は覚えているらしい。とはいえこうした措置は初めてである。
次に引いた棒は6番だったが彼女も退出しており、別の男性に当たった。この人の誕生日当てと、悩み事当てだ。
誕生日当ては5人が参加し、もちろん正解した。これは例えば、「昭和44年6月24日生」だったら、電卓に「44624」と出る。稀に西暦の時もあり、その場合は「69624」となる。10月~12月生まれは6ケタになるが、そうなった記憶はあまりない。
私は20年前にこれを当てられ、イベント後に検算する手段もあったが見送ってしまった。その時の後悔ったらない。
「あなたはちゃんと生活していけますよ」
とマスターが言う。彼のメモを公開すると、その悩み事は、「今後の私の経済状況」だった。もちろんこれも、マスターが先読みしていた。
なお私だったら「就職できるか否か」だったが、「仕事を選ばなければできる」くらいの回答になったかもしれない。
さらに男性氏には、マスターから一文が送られた。カラー用紙にマスターが何事かを書き、落款を捺すものだ。
「これならカンタンに捨てられないでしょう」
マスターはそう謙遜するが、これは1人しかもらえない貴重なもの。男性氏はこの場に来てよかった。
マスターが、ホワイトボードに縦4列、横4列の合計16の枠に、2ケタないし1ケタの数字を書いた。そして女性に任意の2ケタの数字を言わせ、マスターがボードの横1列を足すと、その合計が彼女の言った数字となった。それだけではない。縦1列もナナメも、中心の4つも、角の4つも、足すとすべて彼女の数字となった。
「ギョエーーーッ!!!」
と、17番~19番の女性が叫ぶ。いいリアクションである。これ、彼女が数字を言った後に書いても難しいくらいだが、マスターは先に書いているのが凄い。
今度はルービックキューブである。しばし講義をやったあと、マスター流の遊びが出る。すなわち、客の小学生が作った色配置とまったく同じものを、マスターが作るのだ。将棋に例えれば、終盤近くの局面を見て、初手からその局面を作るようなものだ。マスターはもちろん成功した。
さらに、まだ6面揃っていないキューブを女性に持たせ、マスターがキューブを見ずに動かすマスを指示する。そして何手か後には6面揃う、という按配だった。これは詰将棋を空で解くようなものか。
「将棋と同じように、何手か進んだ形を想像します」
これはマジックというより、特殊能力というべきだろう。
なおマスターが本気を出すと、7秒くらいで6面を作ってしまった。
「物事においては、なんでもいい方に考えなければいけません。これを陽転思考といいます。
むかし中村久子さんという、ご病気で手足がなくなった方がいました。
見世物小屋で働いていたんですが、意地悪な人は、手足がなくて大変でしょ、と聞いてくるわけです。
でも中村久子さんは、お陰で泥棒ができませんと言って、カカカと笑ったそうです」
マスター鉄板の、ほろりとさせる話である。笑いの中に時々ぶち込んでくるので、女性陣なんかは情緒不安定になっり、涙を流したりするのだ。
「人は40代になると、30代が若く思えます。50代になると、40代は若かったと思う。60代になると、50代が若かったと思います。これはいくつになってもそうですね。でも、人は過去には戻れません。
……戻れる方法がひとつだけありますよ。
10年先の自分を想像して、ここに帰って来たと思えばいいのです。そしたら10年間丸儲けですね。これからの10年、うかうかしてられませんね」
この話も、私は21年連続で聞いているのだ。しかし20年前に10年後を想像しながら、まったくその修正努力をしてこなかった。それでこのザマである。
そりゃそうだ。仮に「あなたは一流大学に受かる」と言われて、それで勉強を疎かにしたら、やはり落ちる。私は意味を履き違えていた。
マスターが輪ゴムを取り出す。「スターをお見せしますよ」とごちゃごちゃやっていると、1本の輪ゴムが「☆」の形になった。
さらに、輪ゴムを5円玉の穴の中に通す。もちろん、鎖状にするということである。
マジックも佳境に入ってきた。いよいよスプーンである。例によってグニャグニャに曲げたあと、「スプーンは玉の方が美味いんですよ」と、一口齧ってしまった。
続けて100円玉も齧ってしまう。しかしフッと息を吹きかけると、元に戻ってしまった。
今度は千円札に100円玉を通す。それはあっちこっちに移動する。野口英世の眉毛に持って行き、「サンバイザー」。頭に持って行き、「ジョアッ!! ウルトラセブン」。
マスターは指をクロスさせ、「分子の隙間をこう、クロスさせている感じですよ」と解説するが、私たちには馬の耳に念仏だ。そしてマスターは「練習したから!!」の札を挙げるのだ。
「ああそうだ、ここ数年、毎日予約の電話が鳴るんで、去年から、来店日の2ヶ月前の1日から、一斉に電話を受け付けることにしたんですよ。
そしたら2日以降は電話が繋がらない、というデマがネットに流れたようでね。
違うんですよ。2日以降も電話受付はやってますから。もう、営業妨害ですよ」
マスターがふくれるのが可笑しい。「でも電話は繋がりにくくて、ご迷惑をお掛けしています。凝りずに掛けてください。でも来てほしい時は、私が呼びますよ」
マスターが100円玉にボールペンを貫通させる。そのままボールペンを押し抜くと、穴が残っていた。日常生活であり得ない光景である。室内はもはやどよめき、異様な雰囲気になっている。
マスターが千円札にボールペンを刺し、その穴を上下させる。17番~19番の女性は、「何で何で!?」と叫び、もう理解が追いついていかないふうだ。
マスターがボールペンを抜くと、穴は塞がっていた。
マスターがコカコーラの500mlペットボトルを出す。一捻りすると、ラベルがペットボトルの内側に入っていた。
マスターが10円玉を撫でると、10円が小さくなった。これを瓶の口から入れるが、中で元に戻るので、もう瓶から出ない。また小さくして出し、今度は500円玉大に大きくなる。
ペットボトルの底からキャップを入れる。キャップはスコーンと、ペットボトルの内部に入ってしまった。マスターはそれを女性にもやらせた。それが、何度目かに成功してしまったから驚いた。どうもマスターは、他人の肉体を介しても、マジックが行えるようなのだ。
そろそろマジックが終了するようだ。
「お名残り惜しいですが、このあたりで終わらせていただきます。またお会いしましょう」
私たちは、力いっぱいの拍手をした。私たちにはそれくらいしかできないのだ。そして、1日1日を大切に生きることしか。
時刻は午後5時21分。何と、3時間余のマジックだった。これでお代が喫茶代のみとなれば、それはお客がくるはずだ。
私には、ドロドロになった千円札の代わりの千円札が渡された。マスターのサイン入りで、これはこれで御守りになりそうだ。
最後は、ぐにゃぐにゃになったスプーン(300円)を買うため、みなが並ぶ。
私の番になり、頭頂部から邪気を抜いてもらった。いろいろ話したいことはあるが、最後は自分の力で解決しなければならない。来年もここに来られることを祈りつつ、私は店を出た。
(つづく)