11日に心配なニュースが飛び込んできた。12日から始まる第33期竜王戦第4局が、羽生善治九段の発熱、入院により、延期になったという。今後は第5局(26日、27日)の予定地を第4局とし、以後1局ずつズラすとのこと。第7局の対局場は未定。
まったく異例の事態で、通常の対局なら羽生九段の不戦敗だったろうが、タイトル戦ではそうもいくまい。というか、これはタイトル戦規定にちゃんと記されていると思う。ましてや現在はコロナ禍で、熱がある棋士は通常の対局でも延期の申し出ができる。
幸い羽生九段はPCR検査でコロナ陰性だったとのことで、ホッとした。まだ熱が下がっていないのが心配だが、すぐ元気になるだろう。
あぁひょっとしたら第3局のときも、羽生九段は体調が悪かったのかもしれない。
タイトル戦の延期は極めて珍しい。今年のコロナ禍による延期は例外中の例外だが、1980年10月の第19期十段戦第1局では、中原誠十段のご尊父が対局日前日に亡くなった。将棋連盟と読売新聞社は協議し、第1局の日程を第2局以降にズラした。しかし肉親の逝去は衝撃である。中原十段の落胆は大きかったか、そのシリーズは加藤一二三九段に1勝4敗で敗れた。
延期ではないが対局場所のアクシデントといえば、1994年2月の第43期王将戦第5局が浮かぶ。これは青森県で行われる予定だったが、関係者を乗せた飛行機が台風のため引き返してしまい、挑戦者の中原前名人が現地入りできなかった。将棋連盟と主催社は協議の末、1日制の措置を取った。なお河口俊彦八段は、「大山康晴十五世名人なら、どんな手段をとってでも、対局日朝には現地入りしただろう」と専門誌に書いた。
皮肉なもので、第5局は「待たされた」谷川王将が負けた。
だが谷川王将は続く第6局を勝ち、防衛した。これが中原十六世名人最後のタイトル戦になったので、最終勝局は極めて珍しいケースになったことになる。
タイトル戦ではないが、2009年の第30回JT杯日本シリーズでは、出場者の渡辺明竜王のご家族にインフルエンザ患者が出て、濃厚接触者の渡辺竜王が出場を辞退した。2009年は新型インフルエンザが猛威を振るっていたのだ。
これには後日談がある。繰り上げで出場したのが谷川九段だったが、なんと優勝してしまった。
ここからが谷川九段の真骨頂で、谷川九段は優勝賞金の500万円を、「私が受け取るわけにはいかない」と、東京と大阪の小学校に、盤駒を3,000組寄贈したのだ。
私が同じ立場だったらありがたく賞金を頂戴し、生活費に充てるところ。もう、人間の格が違うのである。
また羽生九段の体調不良といえば、1996年2月の、第45期王将戦第4局が浮かぶ。当時羽生九段は王将を除く六冠王で、本局まで3勝0敗だった。だが本局は前日に風邪を引いてしまい、対局当日は熱があった。2020年11月現在の状況なら、延期の可能性もあった。
しかしこの将棋は羽生六冠が谷川王将に快勝し、前人未到の七冠王が誕生した。
谷川王将は病人に敗れたうえ七冠王のアシスト、しかもストレート負けで指し込みを喰らうというトリプルパンチとなった。
だが谷川九段はこの年に竜王、翌年に名人を奪取し、キッチリ借りを返したのであった。
1980年の十段戦の延期のときは、観戦記に穴が空いたため、次期予選局を2局掲載した。
今回の場合は12日に第1局の観戦記が終わるので、まだ2局分ある。滞りなく掲載されるのではないだろうか。
今年1年はいろいろな意味で、話題の多いタイトル戦となった。
まったく異例の事態で、通常の対局なら羽生九段の不戦敗だったろうが、タイトル戦ではそうもいくまい。というか、これはタイトル戦規定にちゃんと記されていると思う。ましてや現在はコロナ禍で、熱がある棋士は通常の対局でも延期の申し出ができる。
幸い羽生九段はPCR検査でコロナ陰性だったとのことで、ホッとした。まだ熱が下がっていないのが心配だが、すぐ元気になるだろう。
あぁひょっとしたら第3局のときも、羽生九段は体調が悪かったのかもしれない。
タイトル戦の延期は極めて珍しい。今年のコロナ禍による延期は例外中の例外だが、1980年10月の第19期十段戦第1局では、中原誠十段のご尊父が対局日前日に亡くなった。将棋連盟と読売新聞社は協議し、第1局の日程を第2局以降にズラした。しかし肉親の逝去は衝撃である。中原十段の落胆は大きかったか、そのシリーズは加藤一二三九段に1勝4敗で敗れた。
延期ではないが対局場所のアクシデントといえば、1994年2月の第43期王将戦第5局が浮かぶ。これは青森県で行われる予定だったが、関係者を乗せた飛行機が台風のため引き返してしまい、挑戦者の中原前名人が現地入りできなかった。将棋連盟と主催社は協議の末、1日制の措置を取った。なお河口俊彦八段は、「大山康晴十五世名人なら、どんな手段をとってでも、対局日朝には現地入りしただろう」と専門誌に書いた。
皮肉なもので、第5局は「待たされた」谷川王将が負けた。
だが谷川王将は続く第6局を勝ち、防衛した。これが中原十六世名人最後のタイトル戦になったので、最終勝局は極めて珍しいケースになったことになる。
タイトル戦ではないが、2009年の第30回JT杯日本シリーズでは、出場者の渡辺明竜王のご家族にインフルエンザ患者が出て、濃厚接触者の渡辺竜王が出場を辞退した。2009年は新型インフルエンザが猛威を振るっていたのだ。
これには後日談がある。繰り上げで出場したのが谷川九段だったが、なんと優勝してしまった。
ここからが谷川九段の真骨頂で、谷川九段は優勝賞金の500万円を、「私が受け取るわけにはいかない」と、東京と大阪の小学校に、盤駒を3,000組寄贈したのだ。
私が同じ立場だったらありがたく賞金を頂戴し、生活費に充てるところ。もう、人間の格が違うのである。
また羽生九段の体調不良といえば、1996年2月の、第45期王将戦第4局が浮かぶ。当時羽生九段は王将を除く六冠王で、本局まで3勝0敗だった。だが本局は前日に風邪を引いてしまい、対局当日は熱があった。2020年11月現在の状況なら、延期の可能性もあった。
しかしこの将棋は羽生六冠が谷川王将に快勝し、前人未到の七冠王が誕生した。
谷川王将は病人に敗れたうえ七冠王のアシスト、しかもストレート負けで指し込みを喰らうというトリプルパンチとなった。
だが谷川九段はこの年に竜王、翌年に名人を奪取し、キッチリ借りを返したのであった。
1980年の十段戦の延期のときは、観戦記に穴が空いたため、次期予選局を2局掲載した。
今回の場合は12日に第1局の観戦記が終わるので、まだ2局分ある。滞りなく掲載されるのではないだろうか。
今年1年はいろいろな意味で、話題の多いタイトル戦となった。