日付かわって今日7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。平成4年の没だから、四半世紀も経ってしまった。月日の経つのは早いものだ。
では今年も「大山の名局」を記す。
今回の舞台は平成元年度の第48期A級順位戦最終局。この期のA級は大混戦で、すべてのカードが挑戦者か降級に絡んでいた。
1位・米長邦雄九段(5勝3敗)―7位・塚田泰明八段(3勝5敗)
2位・桐山清澄九段(3勝5敗)―4位・大山康晴十五世名人(3勝5敗)
3位・内藤國雄九段(5勝3敗)―5位・中原誠棋聖・王座(5勝3敗)
6位・青野照市八段(3勝5敗)―9位・田中寅彦八段(4勝4敗)
8位・南芳一棋王・王将(4勝4敗)―10位・高橋道雄八段(5勝3敗)
南二冠だけが純粋な「順位」戦で、あとは名人挑戦か降級に関わる。各棋士勝ち越しも負け越しも星2つの差しかなく、いかに混戦だったか分かるだろう。
大山十五世名人は前半の5局を1勝4敗と苦しい展開。6、7回戦に勝って安全圏に入ったと思いきや、8回戦の青野八段戦を凡戦で落とし、一気に寒くなった。もし最終局で敗れると3勝6敗になり、塚田八段か青野八段のどちらかに勝たれると、降級してしまう。つまり残留するには勝利しかなく、大山十五世名人、絶体絶命の危機だった。
平成2年(1990年)3月5日
第48期A級順位戦9回戦
持ち時間:6時間
於:東京・将棋会館
▲九段 桐山清澄
△十五世名人 大山康晴
▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5八金右△8二玉▲9六歩△9四歩▲5七銀△7二銀▲6八銀上△6四歩
▲3六歩△4三銀▲2五歩△3三角▲5五歩△5二金左▲5六銀△6三金▲4六歩△1二香▲1六歩△7四歩▲3七桂△4一飛▲2六飛△8四歩▲4五歩△同歩▲2四歩△同歩
▲4五銀△5一角▲5六銀△5二銀(第1図)
大山十五世名人は十八番の四間飛車。これが最後のA級順位戦になるかもしれない対局を、この戦法に賭けた。
対する桐山九段の作戦は、この頃にはすでに下火になっていた中央位取り戦法。大山十五世名人も居飛車を持って得意にしていた戦法で、大山十五世名人は対局中、昔を懐かしみながら指していたという。
第1図以下の指し手。▲5九金寄△3三桂▲5四歩△同歩▲3五歩△6五歩▲4二歩△同角▲3四歩△6四角▲5五歩△4八歩▲同金寄△2五桂▲同桂△同歩▲同飛△5五歩▲4二歩△3一飛
▲4五銀△5六桂▲2二飛成△4八桂成(第2図)
当時大山十五世名人は66歳。この時第15期棋王戦五番勝負で南棋王に挑戦中(!)だったが、第2局を終わって0勝2敗。第3局が4日後に迫っていたが、はっきり言って、タイトル戦を指す心境ではなかったと思う。
桐山九段の▲5九金寄は、飛車成りを受けて当然。と同時に、金銀の連携を良くした。
▲4二歩は△4一飛・△5一角型の時の手筋で、どちらかの働きを減殺することができる。大山十五世名人は△同角と取り、△6四角と要所に据えた。
△5五歩に▲同銀は△6六桂▲同歩△5五角の狙いか。桐山九段は再び▲4二歩を利かし、▲4五銀と躱す。
△4八桂成にはどうするか。
第2図以下の指し手。▲4八同金△5一飛▲1二竜△3六歩▲同銀△5六歩▲5五歩△4六歩▲6九桂△9五歩▲2三竜△9六歩▲9八歩△5三銀▲4五香△6二銀▲5四桂(第3図)
桐山九段は▲4八同金と取ったが、私だったらよろこんで▲3一竜とするところ。
大山十五世名人はここで飛車を逃げ、△3六歩~△5六歩~△4六歩と歩を駆使したあと、△9五歩。大山十五世名人は美濃囲い側からも平気で端攻めをしていた。また盤のあっちこっちに手が行くのは、盤面を広く見ている証左である。
第3図以下の指し手。△3五歩▲同銀△3六金▲6二桂成△同金上▲4一歩成△7一飛▲2五竜△4七金▲4九歩△8五歩▲3六竜△8六歩▲同歩△8七歩▲7九角(第4図)
大山十五世名人は△3五歩から△3六金と張り付き、またも△8五歩と攻め場所を転じる。相手の立場になると、ここと思えばまたあちらで、神経が休まる間がない。
△8七歩に▲7九角はいかにもつらい。
第4図以下の指し手。△7五歩▲7七銀△8四桂▲8五歩△7六桂▲4七金△同歩成▲5六竜△8八金▲同角△同歩成▲同銀△6八角▲8四歩△7三金上▲7七歩△3五角成▲7六歩△4六と▲6五竜(第5図)
今度は△7五歩から攻めかかる。桐山九段は受け一方で、先ほどから大山十五世名人がひとりで指している気がする。
桐山九段も▲5六竜と転じるが、大山陣は上部に手厚く、ビクともしない。
第5図以下の指し手。△5六銀▲8五金△6五銀▲8三銀△同銀▲同歩成△同玉▲8四歩△同金▲同金△同玉(投了図)
まで、132手で大山十五世名人の勝ち。
△5六銀が決め手。将棋は、駒を盤面に打って空間を制圧してしまうのがいいのではないか、と思わせる。
△8四同玉まで桐山九段が投了し、大山十五世名人の残留が確定した。敗れた桐山九段は、下位の3勝勢が勝ったことにより、2位3勝で降級となった。結果的に大山十五世名人は、勝つしかなかったことになる。
局後大山十五世名人は、本局が降級の一番と考えず、B級1組から昇級の一番と考えることにした、と語った。何でもポジティブに考える、十五世名人らしいコメントだった。
また米長九段は本局の大山将棋を「大きな将棋」と讃えた。二人の間柄は人生観の違いなどから良好ではなかったが、お互いの将棋は認めていたと思う。
大山十五世名人の活字は現在も「将棋世界」で目にするし、評論本や実戦集がいまだに発行される有様である。大山十五世名人の肉体は滅びたが、大山将棋は現在も生きている。そう、大山康晴は今も私たちの中に生きているのだ。
では今年も「大山の名局」を記す。
今回の舞台は平成元年度の第48期A級順位戦最終局。この期のA級は大混戦で、すべてのカードが挑戦者か降級に絡んでいた。
1位・米長邦雄九段(5勝3敗)―7位・塚田泰明八段(3勝5敗)
2位・桐山清澄九段(3勝5敗)―4位・大山康晴十五世名人(3勝5敗)
3位・内藤國雄九段(5勝3敗)―5位・中原誠棋聖・王座(5勝3敗)
6位・青野照市八段(3勝5敗)―9位・田中寅彦八段(4勝4敗)
8位・南芳一棋王・王将(4勝4敗)―10位・高橋道雄八段(5勝3敗)
南二冠だけが純粋な「順位」戦で、あとは名人挑戦か降級に関わる。各棋士勝ち越しも負け越しも星2つの差しかなく、いかに混戦だったか分かるだろう。
大山十五世名人は前半の5局を1勝4敗と苦しい展開。6、7回戦に勝って安全圏に入ったと思いきや、8回戦の青野八段戦を凡戦で落とし、一気に寒くなった。もし最終局で敗れると3勝6敗になり、塚田八段か青野八段のどちらかに勝たれると、降級してしまう。つまり残留するには勝利しかなく、大山十五世名人、絶体絶命の危機だった。
平成2年(1990年)3月5日
第48期A級順位戦9回戦
持ち時間:6時間
於:東京・将棋会館
▲九段 桐山清澄
△十五世名人 大山康晴
▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5八金右△8二玉▲9六歩△9四歩▲5七銀△7二銀▲6八銀上△6四歩
▲3六歩△4三銀▲2五歩△3三角▲5五歩△5二金左▲5六銀△6三金▲4六歩△1二香▲1六歩△7四歩▲3七桂△4一飛▲2六飛△8四歩▲4五歩△同歩▲2四歩△同歩
▲4五銀△5一角▲5六銀△5二銀(第1図)
大山十五世名人は十八番の四間飛車。これが最後のA級順位戦になるかもしれない対局を、この戦法に賭けた。
対する桐山九段の作戦は、この頃にはすでに下火になっていた中央位取り戦法。大山十五世名人も居飛車を持って得意にしていた戦法で、大山十五世名人は対局中、昔を懐かしみながら指していたという。
第1図以下の指し手。▲5九金寄△3三桂▲5四歩△同歩▲3五歩△6五歩▲4二歩△同角▲3四歩△6四角▲5五歩△4八歩▲同金寄△2五桂▲同桂△同歩▲同飛△5五歩▲4二歩△3一飛
▲4五銀△5六桂▲2二飛成△4八桂成(第2図)
当時大山十五世名人は66歳。この時第15期棋王戦五番勝負で南棋王に挑戦中(!)だったが、第2局を終わって0勝2敗。第3局が4日後に迫っていたが、はっきり言って、タイトル戦を指す心境ではなかったと思う。
桐山九段の▲5九金寄は、飛車成りを受けて当然。と同時に、金銀の連携を良くした。
▲4二歩は△4一飛・△5一角型の時の手筋で、どちらかの働きを減殺することができる。大山十五世名人は△同角と取り、△6四角と要所に据えた。
△5五歩に▲同銀は△6六桂▲同歩△5五角の狙いか。桐山九段は再び▲4二歩を利かし、▲4五銀と躱す。
△4八桂成にはどうするか。
第2図以下の指し手。▲4八同金△5一飛▲1二竜△3六歩▲同銀△5六歩▲5五歩△4六歩▲6九桂△9五歩▲2三竜△9六歩▲9八歩△5三銀▲4五香△6二銀▲5四桂(第3図)
桐山九段は▲4八同金と取ったが、私だったらよろこんで▲3一竜とするところ。
大山十五世名人はここで飛車を逃げ、△3六歩~△5六歩~△4六歩と歩を駆使したあと、△9五歩。大山十五世名人は美濃囲い側からも平気で端攻めをしていた。また盤のあっちこっちに手が行くのは、盤面を広く見ている証左である。
第3図以下の指し手。△3五歩▲同銀△3六金▲6二桂成△同金上▲4一歩成△7一飛▲2五竜△4七金▲4九歩△8五歩▲3六竜△8六歩▲同歩△8七歩▲7九角(第4図)
大山十五世名人は△3五歩から△3六金と張り付き、またも△8五歩と攻め場所を転じる。相手の立場になると、ここと思えばまたあちらで、神経が休まる間がない。
△8七歩に▲7九角はいかにもつらい。
第4図以下の指し手。△7五歩▲7七銀△8四桂▲8五歩△7六桂▲4七金△同歩成▲5六竜△8八金▲同角△同歩成▲同銀△6八角▲8四歩△7三金上▲7七歩△3五角成▲7六歩△4六と▲6五竜(第5図)
今度は△7五歩から攻めかかる。桐山九段は受け一方で、先ほどから大山十五世名人がひとりで指している気がする。
桐山九段も▲5六竜と転じるが、大山陣は上部に手厚く、ビクともしない。
第5図以下の指し手。△5六銀▲8五金△6五銀▲8三銀△同銀▲同歩成△同玉▲8四歩△同金▲同金△同玉(投了図)
まで、132手で大山十五世名人の勝ち。
△5六銀が決め手。将棋は、駒を盤面に打って空間を制圧してしまうのがいいのではないか、と思わせる。
△8四同玉まで桐山九段が投了し、大山十五世名人の残留が確定した。敗れた桐山九段は、下位の3勝勢が勝ったことにより、2位3勝で降級となった。結果的に大山十五世名人は、勝つしかなかったことになる。
局後大山十五世名人は、本局が降級の一番と考えず、B級1組から昇級の一番と考えることにした、と語った。何でもポジティブに考える、十五世名人らしいコメントだった。
また米長九段は本局の大山将棋を「大きな将棋」と讃えた。二人の間柄は人生観の違いなどから良好ではなかったが、お互いの将棋は認めていたと思う。
大山十五世名人の活字は現在も「将棋世界」で目にするし、評論本や実戦集がいまだに発行される有様である。大山十五世名人の肉体は滅びたが、大山将棋は現在も生きている。そう、大山康晴は今も私たちの中に生きているのだ。