ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

デマか真実か?西南戦争前の報道と成島柳北

2022年10月12日 | 文学・歴史・美術および書評
西南戦争の時、福地源一郎と犬養毅は熊本に現地入りして取材した…
これはウチの漫画の「雲よ、伝へて!」のシリーズで描いている所ですが

朝野新聞の成島柳北は現地入りはしませんでした。

朝野は銀座にオフィスがあり、当時は相当売れていた新聞ではあります。



彼は電報や文を京都で受け取って書いていた。
あるいは九州方面からの人に聞いたこと。伝聞です。
この「不確か」な記事で、正しい報道を求める読者が離れた
とはどこの本にもあるのですが

戦時中出された本で
篠田鉱造氏があえてその「デマ」も含めた記事を挙げてくれているのを見て
「これはTwitterのまとめサイトのようだ」
と、思ったのが令和の私の感想です。
虚実入り混じっているだろうけど、肉声のリアルがある。

一方で、篠田自身が日清、日露〜太平洋戦争と、ずっと
戦時中を生きたジャーナリストであることで
「当時は真実を公にできないゆえに虚実混じったり、ぼかした表現になっている」
ことを指摘しています。
官軍側としてはあまり大袈裟に騒いでいただきたくない…
できれば冷静になっていただきたい。
新聞がもし、民衆を扇動してしまえば明治政府なんかイチコロです。
(成島はフランスを見てきたわけだからそこは知っていたはず)

例えば「小倉の人の話だと、多くの人が熊本へ移動しているらしい」
と書く一方で、薩摩私学校の弾薬庫襲撃には
「西郷も島津公も無関係では」
やがて「官は陸海軍を動かさずにおさめたいらしい」
などなどで、当時は讒謗律も新聞紙条例もあるから
それもあってやたらな事は書けない。

しかし不確かな情報ではありながら「緊迫感」だけは増していく。
日常の報道に妙に安堵しながら
片方で不安な情報が増えていく。識者の方が不安がる
やがて不安から、何が真実なのか知りたくてわからなくなる。

この状況は何度か、自分が21世紀にTwitterを通して体感したものに酷似しています。
震災、新型コロナ、露ウ戦争。


西洋式のジャーナルが入ってくる以前は新聞には
「ドイツ人は三つ目小僧の目を一つ取って、一つ目小僧に移植して
普通の人間にするそうだ」などと
ツッコミ所満載のファンタジーなネタ記事が載ってたわけで
そういうのにわあわあ言っているのが「庶民」であり
同時に権力者たちには「愚民」と見られていたわけです。
偉い人ら、武士より上のハイクラスが政治をやって、庶民は何も考えず生きていた。

それは幸せなのかただの盲目なのか。
これを啓蒙と呼ぶんですね。ああ、昔は物を想わざりけり。


成島柳北の集めたデマを含む庶民の声は
不確かではあるでしょうが、それゆえに「ライブ」な感覚を持てます。
彗星が出れば西郷星だと言って見にいく
電報に熊本弁の訛りが混ざってて閉口する

果たしてそれが本当であったかなんて、全てがわかるものではないのですが
事実そのものの真偽より
それを俯瞰して見ている成島と
その現場で右往左往する「庶民」の感覚
これも一つの真実ではないかと思います。


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古書市で入手した「明治新聞奇談」

2022年10月11日 | 文学・歴史・美術および書評
しばらく新型コロナで中止になっていた四天王寺古書市
ようやく開催されたので行ってきました。

ここは超掘り出し物が多くて…

戦時中に出された本であまり状態はよくないですが
300円。即買いです。

ネットで即座に調べると(これができるのが21世紀)
なんと3000〜4000円!!

他にもビゴーやワーグマンの本とか
「自由民権」関係本を入手。

今描いてるシリーズ、終盤に向けて調べる事が多いです。

まず、日本の最初の自由民権運動は士族中心だった
(あと東北の方で三島通庸にいじめられた人々等)
事は確かなのですが

面白いのは「儒学」を学んできた人らが
ほぼ正反対だよねという、キリスト教由来の
ルソーの啓蒙思想にどうやって転がっていったのか
全員なのか、そうでもないのか
どの辺にハマったのか、それはどうしてなのか
謎多いです。

明治14年の政変あたりから日本は
国会開設しろブームになるわけですが
一方で、愚民に政権渡すとかとんでもないと
井上毅さんが福沢の英国式よりドイツ式の方が合ってると言い出し
以下帝国憲法制定に至る…

今まさに、ゼレンスキー大統領が自由民権の代表として
専制のロシアと戦う、みたいな
本当の所は知りませんが、一応そんな構図なわけで
ここらへんは興味深い所です。


で、崩壊しそうな本にカバーつけましてじっくり読んでいます。
すごいもう。この本どっかで復刻版出してほしい。
めちゃくちゃ面白い…。
西南戦争と記者についても随分記述がある。

福地桜痴さんは引き揚げた後、御前講演を依頼されまでは知ってたけど。
あの時の賞与は全部、配達員に至るまで社員に配ってたのですね!
ブラボー社長だ。おおお。
この辺の銭への執着心の無さ(経済観念乏しい)がな…
井上や大隈に金を出してとせがんでた福沢と違うんだが
銭に小汚い人には幻滅しちゃうもので…

でも福地さんはそれゆえに晩年は大変だったようです。


さすがに戦前本は、容赦なく旧字体。
全部の旧漢字を覚えてるわけでないので
これどうしてるかというと、スマホのアプリ駆使です。
現代は便利…昔だったら挫折していました。

しばらくはじっくり取材して
新刊の準備。
ウチのサークルは明治10年を中心に
幕末〜明治23年頃まで取り扱いです。

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西南戦争145周年、城山の別府晋介と桐野利秋の謎

2022年09月25日 | 文学・歴史・美術および書評
ちょうど昨日、西郷らが城山で最期を迎えて145周年でした。
BSでも番組の再放送やってたのですが

「最期、西郷隆盛の首を落としたのは桐野利秋と勘違いする人が多いが」
…そんなツイートは多いです。
そう、ちょっと知ってる人なら「別府晋介」と答える。
介錯は別府。

その別府くん
うちのシリーズ「雲よ、伝へて!」其の六にもちらっと描きました。





城山で、足に銃弾を受ける西郷
「晋どん、もうここらへんでよか」
別府晋介「ごめんなったもんし」

このくだりは有名です…

番組では手記が出て、桐野が斬ったと書いてあったとかで
まあ、資料なんて研究すれば常に後出しで覆されるわけですよ
うーん。真相はわからないですね…

ですからこれらを題材にして創作するとして、を語ります。
「キャラクターとしてどう見るか?」
ドラマ「西郷どん」では介錯場面すら無かったし
(創作は作者が何にスポットを当て、どう捉えて何を主題として捕まえ
受ける側にどう伝えるかの方が大事だからな)


別府は桐野の従兄弟。
でもどっちかというと桐野の方が
派手な感じはします。
坂本龍馬の女(おりょう)をナンパしてみてた?
愛用がフランス香水とか…冗談もたまに出る人だし。
赤松小三郎の暗殺に関わった「中村半次郎」
映画にもなり、「薩南の鷹」とか小説にもなり
土方歳三じゃないけど、派手キャラは描きやすい。
「凶悪系派手キャラ」でどうだと。


別府はそこ行くと真面目な感じはします。
(資料が乏しいだけのせいかもしれませんが)
派手ではないです。韓国で密偵やってた、て
…密偵やるような人が目立ってどうすんですか。
韓国を倒すにはの下(くだり)は別に豪語でなく、戦力の冷静な分析かと。
奥さんと娘さんが三人。それも常に気にしている。
部下には優しい。そして八代で怪我して歩行困難。
どうみても地味
…いや

そんな

別府クンに西郷が斬れるのか??

「お許しください!(やります)」なのか
「お許しください!(ムリです)」なのか、
ごめんなったもんし、の意味は。
(別府が臆病ということではありません)


この場面を桐野にするエンディングどうなるでしょう
(ゲームでいう桐野ルートのエンド)

別府の前に進み出てクールに(刀を)「貸せ」
とか。


西郷は可愛岳突破までほとんど携わっていないと言っていいので
軍議だ指揮だに桐野が関わった部分は大きいですよね。

最後も桐野が
というのはやっぱり、「出来すぎたドラマ」なのかな〜。

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大久保利通のキャラデザだよ!

2021年08月30日 | 文学・歴史・美術および書評
次回分に出るかは、まだページ数の関係で未定ですが
そろそろキャラ設定しとかんと、という大久保さん
まだ設定途中です。

ヒゲキャラ多くなるから
「見分けがつかん」では困る。
実際難しい。
ま、「漫画なんで」でもいいっちゃいいんですが
一応トライはします。

もうラフを液タブでやるのはやめたです…
なぜかやっぱり紙に描いた方が作業が進むから。


フランスは上げで英国下げは根拠ないけど
なんか19世紀末の写真とか見てなんとなく
「ワタシ垢抜けましたんで」をイメージしながら


大久保は歴史メジャー人物になるので
大変だなあ。
好きな人も多いのかもしれないし。

マイナー人物というと5話の谷村計介
5話はどうしても谷村は描いておきたかったのですよ。
まあだから全然売れないぜww
でも「切腹覚悟」が同人誌のいいとこだからねえ。


あとこれ
読了。
大久保と西郷による壮大な仕込み…
ツッコミは多々あるけどまあ小説だから。
主人公は姜捷平という朝鮮ルーツの坊主という
知らんからググったけど、オリキャラですかね。
解説とか何も無かったのでわからないけど。
西南戦争は「モブVSモブ」になりがちなのを、あえて個々で切り取るというのは
人間的で面白いです。
が、肝心の西南戦争部分は描写が乏しい感はあります。資料のメモが多いというか。
薩摩側ではあるのですが、官軍及び党薩隊はゼロ。
全編鹿児島弁で、鹿児島弁の参考になりもした…。
要はこれは「西郷と大久保が、未来を見据えて士族の世を終わらせた」
という「終わり」の物語です。


ウチのは…この企画始める時に
「官軍側の視点でも薩摩側視点でも描かない」→中立/ジャーナリスト視点で描く
と決めたので
「士族の終わり」としては捉えないかも…。

終わりというとなんか悲しさしかなくてねえ。ホントに救い難くて
ゆえに誰も語りたがらず、暗く忌まわしくという感じで。

でも、漫画というものは、最後には希望を連れてくる媒体です。
というか、個人的に(同人誌でも商業誌でも広告でも)そうであって欲しいのよ。

歴史的になんかデカい事を捉えるのは難しいので
一人の新聞記者の始まりで。

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吉次峠と篠原国幹の最期

2021年08月20日 | 文学・歴史・美術および書評
次回、吉次峠戦といえば、しのっち!(とか勝手に呼んでいる)

篠原冬一郎こと、篠原国幹(くにもと)です。
もう「雲よ、伝へて!」には何度か出てますが。


「其の四」

「其の五」


小説でもよく出て来る。赤い裏地のマントを翻し
銀装のサーベル、金飾り
「それじゃ目立つだろうが!」と小説でもよくツッコミを入れられる
しかしキャラ自体は桐野が派手、篠原は無口で地味
まあ、キャラクターとしては立てやすい方です。


明治10年の3/4 
桐野利秋はというと、山鹿の方に行っています。
位置関係は





吉次峠へは村田新八、篠原国幹と、熊本隊。
(↓熊本隊は佐々友房がリーダーじゃないのですが、
戦の中でも酔っちゃってるのか漢詩を作ってしまったりするもんだから…
日記も残しているのでやたら登場するのです)






山鹿には桐野さんと熊本協同隊と、(あと宮崎の飫肥隊とかも行ってる)

宮崎八郎や高田露(派手派手軍団じゃんw)



3/3  協同隊は早々と隊長の平川惟一を失ってしまいます。

山鹿の3/4未明、「田原坂大敗!」の誤報が桐野のもとに届き
退却したところ、後になって誤報だとわかったそうです。

一方の官軍は電信をほぼ手中に収め、一般人も使えなくしている。
そういえば、熊本隊が寺田村の方に間者がいると聞いて行ったらいなかったとか
そんな事もありました。

西南戦争はもう早い時期に「情報戦」になっていたのでしょう。
しかも最初の頃、わりと楽観的だった薩摩は食糧も兵も減っていく。

山鹿は山鹿でエピソードが多くて;
まとめきれない😓 
本編以外でも出す予定なのでスピンオフ的に
またいずれ別な冊子でやりたいです。


篠原国幹、とにかくストイックな武骨の軍人という感。
撃たれる場面はわりと描かれているんですが

「シチュエーション」とかテーマは狙いつつ、ウチらしく
しのっちらしさを出せたらなあ…とか欲張りです。


シリーズ其の1〜5で一応フラグのよーなものはまくだけはまいたので
6〜回収せねば。回収できるのやら;
頑張ります。

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村田新八とその子、岩熊について

2021年08月18日 | 文学・歴史・美術および書評
次回「雲よ、伝へて〜明治報道奮戦記〜其の六」
準備中続き。


田原坂は描くとなると戦場ドキュメント(重)になってしまう。
しかし、こと最近「重い」「しんどい」は毛嫌いされる。
史実は屍の山、それを無視して明るくはできない。
明るくしようとしたらしたできっと不遜で不謹慎でしょう。

そんなわけで構成が非常に大変で、今更ながら
「辞めようかな〜。異世界ファンタジーで恋愛モノとかにしとけば楽だったかも」
(なんだそれ)
とか悩ましいw。

まあそんな「重いだろうな」部分も、活動開始前から思っていたことではあるんで
ラストサムライが戦って死ぬ話ではなくて、
剣よりペン、ジャーナリストとして目覚めた主人公とか自由民権運動の始まり
「エンド」でなく「スタート」を描こうと思ったんですけど。

もうここは自分を信じるしかないです。


さて、課題の新八親子。

手に入りやすい村田新八の本としてはこちらも出てきます。
読みました。
大久保はあんまり出てこなかったような。
でもおかげでなんとなく分かったことがあります。


あのアコーディオンに騙されるけれど、
新八は実は文化系でなく「武人」ではないかと。
一般的に西郷=武人で、そのマネージャーのような村田新八が
芸術を愛する文化系…
と思ったんですが、村田の筆跡を見てピンときました。
キャラクター的に逆では…。

本質的には西郷隆盛が文人気質で
村田新八の方が武人気質だったのではないか?
と思います。

西郷の方が年上であるのと先輩を立てる体育会系な郷中教育があるから…。
西郷は常にブレーキをかける方で、ああ見えて慎重です。
これがもし、慎重な芸能人とアグレッシブなマネージャーの関係だったとしたら
そりゃあ、新八は西郷と一緒にいなきゃいけない存在になる。


さて、そうすると
「村田新八は息子らにどう接したか」
これも気になります。

黒田清隆が新八に息子らを留学させてはどうかと言い出し(北海道開拓のため)
新八は家族には事後承諾で岩熊の留学を決めている…

これと、岩熊が田原坂で伝令役や後方支援をしていた時に
「前線に出ろ」と叱咤した、という話や
亡くなった後「死に場所を与えてやった」と言ったような言葉から察するに
かなりの教育パパですよ。
毒親とまでは言いませんが、どこか有無を言わさない「父権」を見て取れます。


一方で岩熊さんの方です。
彼が留学したのが1872年のアメリカです。

手持ちの資料から(南洲顕彰館蔵)
左から新八、二蔵、岩熊、フィラデルフィアで撮影とあります。
(注:古い資料なのでどうだか…お子さん4人いらっしゃったようで
ヒゲの新八に慣れてるせいか
一番左が新八ではなく岩熊さんな気もましますが不明)

(鮮明でないのは仕方ないです;)

岩熊が3/20にニューヨーク着だとすると
ちょうど一段落した頃、アメリカでは大統領選挙。
先の南北戦争で奴隷解放され、黒人や女性に参政権が叫ばれ
文学ではホイットマンにマーク・トウェイン

これ、まさに「自由」の空気の中にいるではないですか。

アメリカにアレルギー無かった、福澤諭吉なんかの場合は
蘭学の適塾(大阪)に横浜と、異文化を入れる素地があるからだとして
岩熊さん、薩摩からいきなり自由のアメリカですか。
しかも14歳…

行く前に外国人教師から英語は学んだだろうけど。
やっぱりその国の文化や風習や歴史、考え方、空気
そういったものが言語を作っているので
受けた影響は想像以上に大きかったのではないでしょうかね。



詩人ホイットマン。これ次回、小道具で出そうかなと思います。
ホイットマンもジャーナリストやっていました。
岩熊さんが渡米した時は結構名の知れた詩人になっていたようです。
彼にはピーター・ドイルという同性愛を疑われるまでの無二の親友がいたそう。



田原坂は戦場で、そこは血塗れの大雨の泥沼です。
が、田原坂がなぜ「美少年」を唄ったのか。
「それはただ若い者のことであり、イケメンのことではない」
そこも含めて知った上でわざわざ「美」を入れた理由とか
そんな悲惨で絶望的な所に「美」なんてあるんですかという疑問とか
色々と考えることありまして;

それを思うと、やっぱり辞めずに、描いておきたいかも。

次回、サブタイトルは「記者と友達」かな。
すいません、よろしければお付き合いください。
冬コミを目指します(あるかな〜)
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西郷隆盛はエンパス?

2021年08月06日 | 文学・歴史・美術および書評
書けば書いたで批判が面倒だから、さしさわりなくドラマを作りたいならスルーするだろうというのが「征韓論」。
本によっては「遣韓論」ともあります。

有名な明治六年の政変です。1873年
参議、軍人、官僚約600人がやめちゃうという
(いやこれ、さらっと言うけど…今ならずともおおごとですよな…)



西郷が下野した原因が、韓国とのやりとりでした。
大ざっぱに説明すると、
開国して西洋社会にデビューした日本があって、韓国も一緒に開国しようぜ!と思ったら拒否されたので、大久保らは「ほっといて日本の国内を優先しよう」と言ったかんじでしょうか。

どうするか、意見が真っ二つに分かれた。
これを大久保らは戦争を回避したと受け取るのはちょっと違う。
なぜなら明治8年に、台湾には出兵してるから…。


西郷隆盛、またもや歴史書、小説作品によって捉え方が大きく2つに分かれます。


1つは、西郷は別に韓国を征服しようと思ったのではなく「話をつけようとした」
自分なら話ができるはずだと思ったという温和系。

もう1つは、強気系。
西郷はああ見えて強気でしたたかだし。
明らかに韓国を併合しようとしていた。
隣国に話をしに行き、万一何か自分の身におきたなら、それこそ好機なので攻め入る口実になる…


そんなとこでしょうか。


明六政変に関しては、私は研究者ではないので
あくまでやっぱり「歴史漫画を描こうとするヤツ」の目線になると思いますが

この流れと
「大きく打てば大きく響く〜」という坂本龍馬の西郷談から、ふと思う事があります。

もしかして西郷、エンパスだったのではないか?

高共感。
サイコパスと真逆です。

犬と人のように会話していたり、
他のメンバーが吉原へ行ってても、西郷は付き合いはするがノリノリではない…
最初、薩摩の年長者が年少者を教育する郷中教育、パブリックスクールのような
クセある育ち方をしたせい?とも思いましたが、
実はちょっと人付き合い苦手?
そんなに理論的にネゴシエートするタイプには見えません。

薩摩が閉鎖的、村社会的、家庭的であればあるほど、共感性は重んじられていたはず。
「みなまで言うな」の世界です。
グローバルで多様であればあるほど、理論的でないとヘイトが起きやすい。

西郷がもしエンパスであったとするなら
合点がいくのが月照との入水です。
いや、それ以前に斉彬の死も。

エンパスだからこそ
不平士族の悩みに寄り添った。
奄美大島でもそうだし、
戊辰戦争での「庄内藩を潰すなら俺を殺せ」発言も。

理屈だらけの維新政府の中にいるのは息苦しく、野山で狩りをしていたが楽…と思った面あるかも。


英雄伝説の宿命を与えられた西郷が
そもそもなぜ、明治の庶民にあんなにも愛されたのか。
幕末の英国人駐日大使らが日本を見て田舎に見たように
世界の中での日本、日本人は閉鎖的で村的であったがゆえに、共にエンパスである事を望み
西郷に共感性を求めた。

慶喜はわからないかもしれない。
大久保にもわからないだろう
でも、
「西郷さんならわかってくれるかも」

その情の深さを情によって理解する良さを、維新で失いたくはなかったから、なのかもしれません。

でももしエンパスなら
あの人生、境遇は
厳しくて生きづらかっただろうなあ!
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コレラ退治の錦絵を描いた木村竹次郎って誰??

2021年07月20日 | 文学・歴史・美術および書評
明治19年 8/17 「虎列刺退治」の錦絵

これを描いた絵師、木村竹次郎って誰??


この絵は昨今の新型コロナ流行からかよく出てくるんですが
描いた人がわからない。

「木村竹堂」と言う名でも出てくる。

ここまで絵が有名なのに作者が全く謎だなんて;


明治19年で神田で絵師もやって版元と兼ねていたというと
大倉書店の大倉孫兵衛?
でも住所が違う。
孫兵衛は後に陶器の「ノリタケ」を創業した人で
息子さんはトイレのTOTOの社長となった。
関東大震災で営業していた書店が焼けてしまい、復興できなかったようだけど
それ以前に、孫兵衛はなぜか「錦絵」の事業を黒歴史にでもしたいのか
研究者も「孫兵衛自身があまり語らない;…」
と言っており、よく知られていない。

夏目漱石の「吾輩は猫である」の単行本を出したり
小林清親のや西南戦争の錦絵も多く扱っていて
神田の書店は右と左で絵と文書に分けていた、
海外客向けに浮世絵を(美術品として)売りたくて、その時自分でも描いた
とか逸話はいくつかある。


「木村竹堂」画であったとして
画家なら他にも何か描いているはずなんだが
それが…全く出てこない。

「竹堂」という雅号で有名なのは
幕末〜明治の虎図で有名な京都画壇、



岸派の岸竹堂。

岸竹堂はもともとは狩野派に学んだものの、手本でテンプレ化する画風を嫌い
革新的なものも模索していたらしい。

なら竹堂が新聞絵にトライしたとか?
しかし、浮世絵、錦絵のメッカはやはり江戸だし
日本画壇、それも京画壇が当時のサブカルである新聞絵に挑戦したかどうか。

おそらく、虎で有名な竹堂の雅号にあやかったのではなかろうか。


幕末〜明治期の浮世絵、錦絵の画家で
作者不明のものは実は多いのだが
逆に「版元」「作者」を明記していながら、その作者が不明というのは…
震災も空襲も通り抜けて残ったのは奇跡と偶然なのか…
それとも保全された理由があるとか?


この新聞風の絵、よく見ると新聞でもないし。
ならば1枚500円(現在価格で)ほどで販売したとして
売れたのか?
その辺のニーズもよくわからない。


「宝丹」の字が見える。
宝丹は西南戦争時に兵士にも配られたコレラ薬だけど
この薬の販売をしていた守田治兵衛(現在も絶賛販売中)

この守田は広告にやたら力を入れていた。
岸田吟香とは知り合いであり、岸田の「精錡水」広告は参考になったという。

守田の広告を「くすりの博物館」からお借りした。
例えば



雑誌や新聞を使った広告をやっている。
岸田吟香と知り合いなら、小林清親に絵を頼む事もできたはず。
しかも、守田は書家としても有名だった様子。
そして…「戯画」も少し残っている。

もしかして本人が描いた事も考えられたりして…

もしかして「宝丹の広告」であったとは考えられないかね?
どうなん?

コレラ退治の図を作成された版元住所は


「神田区ヌシ丁七バンチ」
とあるのだけど…この住所もちょっと謎。
「ヌシ丁」=主町?→神田明神?
神田明神は平将門を祀っていたけど、明治7年に将門では敵になるというので
少彦名(すくなひこな)になったそう。
神田明神の大己貴(おおなむち)と少彦名、共に医薬品の神でもある。


住所も謎、作者も謎、目的も謎;

それとも一発屋か無名の絵師?(ならなぜわざわざ版元兼と名前を記したのか…)

守田治兵衛、こちらももう少し追ってみます。
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キャラクターとして描き難い「西郷隆盛」

2021年07月15日 | 文学・歴史・美術および書評
次回以降の取材で改めて、西郷隆盛の謎に関する本を読みあさっています。



「雲よ、伝へて!」1話に登場させた西郷。
西南戦争といえば西郷は出て当たり前な気がするけど

これが実に
キャラクターとして立てにくい。のです。

企画開始した翌年、ドラマ「西郷どん」始まったから参考にしようと思ったけど
あのドラマでも難しそうだったな…。


つまり西郷隆盛はとてもドラマのキャラクターとして描く時、
大久保や勝海舟に比べたらとても成立させ難い。
知名度の割に整合性に乏しいから。

「で、どんなキャラなの?」
を読者に1発で理解させなきゃいけない場合

・上野の銅像その他にある犬連れた田舎者ルックスの、でっぷり太った愛嬌あるキャラ
(無料イラスト素材より)

うちの…ギャグの




なのか

・男が惚れる男、ガタイの良い親分的な人物(幾分好戦的)
ちなみに「遙か5」


「龍が如く 維新」


なのかどっちかということになります。



キャラクターというのはあくまで本人そのものである必要はなく
ある程度、説得できるリアリティを持っていれば良いわけでして
「遙か5」や「龍が如く 維新!」の西郷でも
「ギャグマンガ日和」や「銀魂(西郷特盛)」も間違いではないのです。


しかしそれにしても、龍馬や勝やその他に比べて西郷は
「統合的路線」がとり難いのですよ。

新選組の近藤が「とりあえずどこに居てもゴリラ」で落ち着くとか
坂本龍馬が「とりあえず天パで陽キャ」で落ち着くとかと比べたら。



西郷隆盛の本質ってどこにあるのか…。

無欲であると言われる割に、愛犬には御馳走を振舞うし
征韓論の割に、本気で世界進出を考えていたと思えないような。
斉彬に仕えた割に文明開化しない不思議。
アーネストサトウに「幕末とは別人のよう」と言われる不思議。
漠然とした感覚的な「反近代」←(「え〜なんか西洋ヤダ」)
だいたい、「貧しい農民」を救いたいのか、「とこしえの武士の世」を望むのか
左なのか右なのか…
割と場当たり的な気もするし??

でも、このどこか
感覚的で整合性の無い世界、よく知っている気がする。
我々はパリコミューンを起こしたフランス人とはやっぱり違うのだなあ。



西郷隆盛のキャラクター精神的アトリビュート。
その「落とし所」
この夏で何か掴めたらな。




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福地「桜痴」と「源一郎」

2021年04月15日 | 文学・歴史・美術および書評
福地桜痴の名前。

福地桜痴の「桜痴」はどこからきたかというと
幕臣の時代に「桜路」という芸妓に惚れ込んで、それから取ったようです。
あまりに入れ込むので周りが冷やかしていた…
「芸妓?遊郭なんて!」って今時はやかましいですが
まあ当時の感覚としてはこれ「ドルオタ」、
例えば坂道シリーズのアイドルおたくのノリで間違いないと思います。

桜路という推しに持ち金ほとんど消えていった…というような時期があったそうで
でもちゃんと大事な仕事もやっております。
幕末、数々の条約締結に関する書類を翻訳していた頃は忙しかったようで
「翻訳するもの多すぎて全然終わらない。その割に給金少ない」とかぼやいておりました。

「桜路」と芸妓の名前そのまま呼ばれていた事があったのですが
そのままでは面白くないので「桜痴」にしたのだとか。
「桜痴」として書き出すのは明治になってから。
幕臣からジャーナリスト時代は「源一郎」の本名ですので、大河ドラマにもし出るなら「源一郎」でしょう。


福地桜痴という人は、完全無欠のエリート官僚でなくて
論破してみたり、政治家もやったりする一方で
錦絵新聞の面々や岸田吟香とも知り合いだったりして
どっかで毒抜き、息抜きしないとやってられない、そんな一面も持っていたようです。
下戸なのに、やさぐれてヤケ酒で医者に止められたりも…


幾分、逆説的ニュアンスを込めてわざわざ乱痴気な「痴」をつけるあたりは
後に文筆業をやった際のシャレなんでしょうが
そういう部分はずっと持っていた人だと思います。

桜痴の方が「源一郎」より有名なのですが
(試しにGoogleで検索かけてみますと、やっぱり「桜痴」の方がヒット数多いです)
あのスタンドプレイの華やかさと、どっか複雑でややこしい脆いとこ含むあたり
妙にあってるのかも。



福地さんは、お父さんがとても厳しい人でした。
儒医、医者の息子なのですが
常に「人の役に立つ人間になれ」と言われていたようで…
父や周囲の期待に応えねば!という部分もあったように思います。

そこらへん、同時代の福澤諭吉と比べると興味深いです。
福沢は早くに父親を亡くしたんですが、教育方針は自由奔放。

「ちっちゃな頃から悪ガキで」が福澤諭吉。(21で学に目覚めたよ♪)
「ちっちゃな頃から優等生」が福地桜痴 (気づけば通詞になっていた♪)

です。

クールで理知的に割り切る諭吉と比べると、
「本当はずっと文学のほうをやりたかったのでは」
と研究者にも言われてしまうほど
どこか「情」とか割り切れなさを含む福地桜痴。

興味深い人だなあと思います。
うちは漫画だからこのまま「桜痴」でいくよ^^
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新型コロナ後の美術館開催シンポジウム

2021年03月29日 | 文学・歴史・美術および書評
新型コロナ後の美術館のあり方についての会議に参加してきました(Zoomです)


新型コロナで
アートナビゲーター業務は案の定ですが、サッパリです。
まあ最近は広告ばかりやっているんですが。
(アイデンティティ無いわけではないのよっ。やりたいことは全部やりたいというのがアイデンティティだから)

それが新型コロナですよ。憎らしい。
同人誌もコミケ延期、コミティア中止など続いていて、サッパリサッパリです。


美術館の方は
「もう海外展は開催できなくなるかも」
という位の危機だそうです。
切実でした。

まず、現物自体集められない。
ノルマあるのに収益が無く、自腹になる。
作品輸送ができない。
アーティストや輸送に付添う海外のクーリエが来れない。
非常事態宣言の場合の開催日程をどうするか…
など山積みでした。

そんな中、休み中でもできる事はあると
改装工事だのバーチャル美術館制作だのをやっていたのは、大原美術館。
さすがです。
でも、あの数多いコレクションは、間を開ける展示のために展示数を減らさなきゃいけなかったとか。


そんな中、ルーブル美術館と、メトロポリタン美術館という二大美術館が、
webで作品を鑑賞できるように踏み切りました。

そもそも美術館というのは
絵画を収集し、研究し保管し
多くの方に見てもらうよう展示するものです。
これらはとても西洋的な考えに基づいており、日本では明治以降になりますが。

西洋の美術は、一種の「ありがたみ」
なのです。
ダ・ヴィンチやミケランジェロの本物を見たくて、わざわざその絵の所まで行くのです。

では複製画はどうなのか。
ネット上の絵画は本物ではありません。
現地で本物を見ないとありがたいアウラとやらは存在しないんじゃなかったのか。
と、そういう議論をしている暇もないうちに、展示としては新型コロナでバーチャルでやらざるを得なくなったわけです。

果たして生命に関わるような事態であっても、芸術は必要なのか
そこまでして展覧会を開催する必要はあるのか、
それは東京オリンピックについても同様に言えること。

が、人類は実際には
戦時中でも文化が潰えた事はないから
そこまでしても文化は必要という人はいるのは確かでしょう。

そして、もしかしたら
この、新型コロナ後の動きは
オリジナルとは何か、複製芸術とは何かについて再び考える機会をもたらすのではないでしょうか。

新型コロナがおさまるまでに
やれる事はいくらでもある

未来を良いものにするかどうかは
もちろん、専門家さんらの力は大きいですが
私たちにかかっているんだと思います。
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薩摩私学校の暴動を止めようとした記者

2021年03月12日 | 文学・歴史・美術および書評
薩摩私学校生の蜂起に同調して、
記者を辞めて戦争に行ったのは
評論新聞の宮崎八郎ですが

同じ評論新聞の記者で、川路利良からの話を聞いて、薩摩私学校生を止めようとしていた人がいて
実に興味深い民権運動家なのです。

名を、田中直哉といって
薩摩の郷士。西郷の御親兵に入った後に
警視庁、巡査を経て、慶應義塾に入り
福沢諭吉の教えを受け、評論新聞のジャーナリストになった様子。
鹿児島の出版社から資料本を買いました。


同郷の私学校生に、暴力より言論をと説得しに行ったけれど、西郷を暗殺しようと企てる密偵だとして捕まる…。

密偵については、先日のドラマの「明治開花 新十郎探偵帖」の最終回にも出てきましたが、有名な中原尚雄以外にもかなりの人数、密偵が来ていたようです。
(どうりで辺見とかが、記者や探偵の類にイライラするわけだなあ)

田中は大久保の指令ではなくて、同郷薩摩の川路利良/警視総監から自宅に招かれ、
私学校生に蜂起はやめた方がいいと説得してくれないか」と言われます。

しかし、スパイ容疑で私学校生らに捕まる。

田中直哉は元巡査。
福沢諭吉から学んでいるわけです。
何よりも血を見るのを嫌いな福沢諭吉の、剣よりペンで戦えという教えを受けたなら
西郷を暗殺なんて考えてもいなかったんではと思います。


田中直哉、薩摩では禁止されていた
浄土真宗の解禁に奔走したり。

西南戦争後には政治家になったのですが
政治家の汚職、政党の派閥争いで敗れ
自分が立ち上げた政党が解散すると、
絶望からか、精神を病んでしまいます。

そして僅か半年後の、内閣誕生を見ることなく、地元の川に入水して自殺してしまいました。

田中直哉とは同郷で親友だったらしい
柏田盛文。
この方、後に日本の貴重な哲学者となる
西田幾太郎の先生なんですが。
柏田も一緒に西郷暗殺疑惑で捕まってる。

この二人でシナリオできたんで
次、描きます。



あと、幕末〜明治の地方って
宇和島やら中津やら…あと、土佐も宮崎も
思っていたよりずっと先進的な考えの人らがいたのに驚かされます。

長崎に出島があったり、参勤交代で江戸に行ってたりはしたわけだし。
むしろ東京一極集中の今の方が地方は地方然としているのではとすら…。

いきなり自由民権運動がブームになったわけではなく、明治6年あたりから次第にジワジワというかんじかもしれない。
この国のこの先どうしたらよいかについて、
上に任せておけばいいとか、行動してもムダなんて誰も考えてなかったんだなと思います。

サムライの美学は残したままだから
さぞや田中にも柏田にも、ジレンマあったと思いますが。


あまり知られてない人なんですが
今知られてほしい…
てわけで
次回A5本で。

(それより、イベントあるんかのう)
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書評「クララとお日さま」/カズオ・イシグロ を読んで

2021年03月06日 | 文学・歴史・美術および書評
久しぶりに明治から一気に未来へタイムトリップ、
ノーベル文学賞、カズオ・イシグロの最新作、3月2日、世界同時発売となりました。
「クララとお日さま」
(表紙、アマゾンからお借りいたします)

読了いたしました!

お話は、1つ前の最終モデルであるロボット、
作中では「AF」と呼ばれる人工知能搭載アンドロイドの少女のクララと
病弱で両親は離婚、姉を病で失った少女、ジョジー
そして、大草原の2軒家のお隣に住む男の子リック
子供達を取り巻く世界と、「心」とは、関係性とは、命とは
といった内容です。

語りの目線は一人称、普通なら少女ジョジー目線…のところを
なんとクララ。ロボット目線です。
つまり、読者は自分がアンドロイド、例えばiphoneのSiriとかは
こんな風に見えてるのかなという疑似体験ができます。

私の率直な、感覚だけで申し訳無いですが。小説なので、直感だけで書かせてください。

「それは親のエゴだろ!」
と思う箇所でも、でもやっぱり親は子を愛している、されど完璧ではなく
過去の「記憶」があるから先に不安も抱く
人間というのは、不安定で不完全で、合理と非合理の共存した存在なのだと思います。


最初、もしかしてもっと、科学的というか合理主義的というか
クララは人類の幸せの理想を目指すための教育ロボットなのかと思ってました。
そして、我々は「そんな風に」未来を「迎えねばならない」「進歩とはそういうものだと思うべきかも」
って思ってました。

しかし、おそらくですがイシグロさんは
そういう考えをする、この作中に出てくるアーティストのヘンリー・カパルディのような考えには賛同してはいないと思います。

例えば、「人間なんか全部情報に置き換えられる。
魂だの心だのは勘違いであり、記憶も、肉体も、全部データにすぎない。最優良な状態を目指し、さらにそれを継続させていくのがエリジウム」
とは思っておられないと思います。

逆です。

もし、システム的にそれが人の為に完璧で合理的なものであったとしても
「人から希望や可能性を奪うものに従うべきではない」

「人は関係性の中で、2度とは無い掛け替えの無い人生を送っているんだ」

これではないかと思うのです。

不安や絶望の取り巻く中で
「いやちょっと待って、良い結果になるかもしれないってことはないの?」
そう考えることはできないだろうか。

ひなたぼっこしないか。

ここに描かれる「お日さま」って
いろんな受け取り方があるだろうけど
私はちょっとした希望や可能性、信じ続けるもの
そんな気がしました。

クララといたら、絶望感は減るだろうな。
いい未来のために、今生きなきゃな。

ところでこんなAF欲しいんですが。売ってくれないかな〜
その時は、旧型でいいよ^^

 
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作画のお悩み中。肥後の「土蔵」がわからない

2021年01月20日 | 文学・歴史・美術および書評
腕の痺れ、取れました!
でも怖いからボチボチです。
ああ、新型コロナもそうだが全て「徐行」な今日この頃。

さて来月のレキソウ冬祭まで1ヶ月切ってしまいました。
頑張っております!
サイトのトップ画像も変えときました。今年はこれでいきましょう。



ところで、今回「其の五」

作画で土蔵が出てくるんですが

玉名の土蔵の下の部分がわからん!



熊本の土蔵で有名なのが八代の方の八角なまこ壁
松合地区とか、保存してあります。
しかし、南部の方と玉名の方では距離があるし。

どうなんだ、北限。

西南戦争の資料館で現在は日赤資料館になっている土蔵は


八角だね;

という事は、菊池川の向こうも八角?

と思ったけど
再建された高瀬蔵は格子
(すいません画像借りパクになるのでリンクします)


どっちなんだよ…

まだ調べてます;
いやもうどっちでもいいんではってなってるけど。

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犬養毅と「新聞記者」のエピソード

2021年01月06日 | 文学・歴史・美術および書評
次回の新刊「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜 其の五」

表紙は福地さんと犬養さん


今年の見出し画像の真ん中にも描いた。


なので今日はちょっと犬養毅の話をしておきます。


ご存知?犬養毅と言えば
5.15事件で暗殺された日本の首相。

犬養毅に「木堂」というペンネームを与えたのは
郵便報知新聞、主筆の栗本鋤雲で、
論語の「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)仁に近し」
から取ったらしいです。
史実では、戦地に行ったちょっと後からこの筆名になります。

明治14年、(西南戦争の4年後)の犬養毅が古い雑誌にあるんでちょっとお借りします。


こんな感じ。

犬養毅のいくつかのエピソードからキャラクターをイメージしたわけですが
参考にしたのは以下、あたりです。

・気取ってる金持ちエリートにバカにされ学食で喧嘩

・トップだったのにずっと2位だった人にたった1点負けて慶應を中退(プライド高…)

・困っている画家などには気前よく金を貸した

・西南戦争の時は「俺にはなぜか弾丸は当たらない」と発言(謎の自信)

・「英語を始めるのは幼児教育が大事だからお前はもう遅い」と言われたので
本当にそうなのか確かめに聞いて回った(遅すぎるなんてことは無いと言われた)

・政治的思惑のある人から金を借りたりは絶対しなかった

・服装がわりと無頓着(ダサいいうな…)

・お手伝いさんが愛用の硯の脚を壊したが怒りもせず「実用的ならそれでいい」

・バカ正直すぎるので逆に友人が少なかった


西郷隆盛に関しては、最初はあんまり興味なかったようですが
弟である西郷従道と知り合い、
「世間ですごいすごいと言われているが、やっぱりすごいと言わざるをえない」
という結論に至ったようです。

最初、「雲よ、伝へて!」企画案をぼんやりとやっていた頃
犬養を主人公で従軍記者モノ(実際ライバルは福地だよなあ)
とも思いましたが
より「中間」を意識して生まれたのが主人公の飛高です。
史実で語るのが難しいのも「中間」だと思うのです。


最後の言葉は有名な「話せばわかる」
(実は「話しておきたいことがある」だったそうですが)
でも相手は「問答無用」
5.15事件の前にも前蔵相暗殺、三井社長暗殺などテロが相次いだのですが
政治評論家の岩渕辰雄さんの見解に私も同意見で
犬養毅暗殺をもって、日本はファシズムになだれ込んだと思います。
これの問題って、なぜ暗殺されたかよりも
「なぜ誰もが黙ってしまったのか」なんでしょうね。


犬養は自ら新聞記者だった事もあってか
政治家になった時も、やってくる若い記者達には優しかったそうです。
面倒見が良かったり、会話を楽しんでいたり。

そういう所もイメージしつつ、描いてます。

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