西南戦争の時、福地源一郎と犬養毅は熊本に現地入りして取材した…
これはウチの漫画の「雲よ、伝へて!」のシリーズで描いている所ですが
朝野新聞の成島柳北は現地入りはしませんでした。
朝野は銀座にオフィスがあり、当時は相当売れていた新聞ではあります。
彼は電報や文を京都で受け取って書いていた。
あるいは九州方面からの人に聞いたこと。伝聞です。
この「不確か」な記事で、正しい報道を求める読者が離れた
とはどこの本にもあるのですが
戦時中出された本で
篠田鉱造氏があえてその「デマ」も含めた記事を挙げてくれているのを見て
「これはTwitterのまとめサイトのようだ」
と、思ったのが令和の私の感想です。
虚実入り混じっているだろうけど、肉声のリアルがある。
一方で、篠田自身が日清、日露〜太平洋戦争と、ずっと
戦時中を生きたジャーナリストであることで
「当時は真実を公にできないゆえに虚実混じったり、ぼかした表現になっている」
ことを指摘しています。
官軍側としてはあまり大袈裟に騒いでいただきたくない…
できれば冷静になっていただきたい。
新聞がもし、民衆を扇動してしまえば明治政府なんかイチコロです。
(成島はフランスを見てきたわけだからそこは知っていたはず)
例えば「小倉の人の話だと、多くの人が熊本へ移動しているらしい」
と書く一方で、薩摩私学校の弾薬庫襲撃には
「西郷も島津公も無関係では」
やがて「官は陸海軍を動かさずにおさめたいらしい」
などなどで、当時は讒謗律も新聞紙条例もあるから
それもあってやたらな事は書けない。
しかし不確かな情報ではありながら「緊迫感」だけは増していく。
日常の報道に妙に安堵しながら
片方で不安な情報が増えていく。識者の方が不安がる
やがて不安から、何が真実なのか知りたくてわからなくなる。
この状況は何度か、自分が21世紀にTwitterを通して体感したものに酷似しています。
震災、新型コロナ、露ウ戦争。
西洋式のジャーナルが入ってくる以前は新聞には
「ドイツ人は三つ目小僧の目を一つ取って、一つ目小僧に移植して
普通の人間にするそうだ」などと
ツッコミ所満載のファンタジーなネタ記事が載ってたわけで
そういうのにわあわあ言っているのが「庶民」であり
同時に権力者たちには「愚民」と見られていたわけです。
偉い人ら、武士より上のハイクラスが政治をやって、庶民は何も考えず生きていた。
それは幸せなのかただの盲目なのか。
これを啓蒙と呼ぶんですね。ああ、昔は物を想わざりけり。
成島柳北の集めたデマを含む庶民の声は
不確かではあるでしょうが、それゆえに「ライブ」な感覚を持てます。
彗星が出れば西郷星だと言って見にいく
電報に熊本弁の訛りが混ざってて閉口する
果たしてそれが本当であったかなんて、全てがわかるものではないのですが
事実そのものの真偽より
それを俯瞰して見ている成島と
その現場で右往左往する「庶民」の感覚
これも一つの真実ではないかと思います。