昨日からちょこちょこ、植木枝盛について概略から読んだりしてます。
(ちゃんと原稿はやってるYO;)
明治初年から中期のジャーナリストで、「民権自由論」を書いた人。
明治10年3月には、板垣退助の「立志社」に入っています。
うちの本だと其の三のラストで名前だけ…ここね。
多量の投書を送りつける(今ならクソリプ魔だったりして…)
はい、枝盛は実際、新聞社に投稿しまくっていたようです。
いずれ出したいな枝盛。
幕末から明治というのは、新しいシステムになって
西洋からいろんな考えが導入され
それまでの常識が変わっていった時代です。
旦那様がチョンマゲを切ったので、幻滅すぎて離婚する人が続出した
という史実がある位には、激変を迎える。
植木枝盛は土佐出身です。
土佐藩は下の身分には厳しかったらしくて、自由民権運動については熱いです。
そんな背景の中。
身分や性別に関係なく、自分らで国を動かそうと呼び掛けた。
植木枝盛って実は私はちと苦手な面もあったんですが;
「ちょ、待てよ」というか…結構過激なのですよ。
政府が気に入らないならクーデター起こしてもよいような法律作ろうぜ!とか
いっそ「国」の枠を取り払って世界政府作っちゃおうぜ!とか、暴走していく;
今、新型コロナの騒ぎで
英国で世界政府の案が出たり
スペインでベーシックインカム論が出たりを見てると
植木枝盛、ちょっと早すぎたんだろうな〜という感じはします。
走りすぎだぞ枝盛!;
それに、その考え
明治10年当時、福沢福地ですら苦労していたというのに
アンタそれどっから仕入れた?
…と、思っていたら、
彼、実はほとんど洋書を読んでないのだそう!えええ。
洋行したような記録もないし?
って事はそれは…
何気にすごいんじゃないのか。
注目すべきなのは、植木枝盛の時代、これ宮崎八郎なんかもそうなのですが
非常に若い、20代の若者が、そんなに西洋から学んでいないうちに
日本から自然発生的?に自由民権の考え方をしていったというところ
(宮崎八郎は中江兆民から学んだけど、そんな今みたいにデータ量多くない。
翻訳だって追いついてない)
真似じゃない、本気の理想。
それと彼らの時代、
私たちにはとっくにアレルギーになってしまったカール・マルクスがまだ普及していない。
共産主義のアカンところまでたどり着いていないわけです。
ていうか資本主義の限界にもたどり着いてないか…
ただ、変な先入観無しに、陰謀論もなしに
純粋に自由で、人々が国政に参加することを考えていたというところです。
我々には生きる上で避けがたい「運」があり、天災厄災があり
不条理っていうけど、
最初から人生ゲームはデタラメで不条理だと思います。
でも
それでもなんとか、うまく生きるために人は時代時代で、システムを作ってきたんでしょう。
ならば、システムが人間にとって合わない部分が出てきたら変えていけるはず。
時代の常識はある時から脱皮を計らねば
合わないものをキープしたら不幸な人を産むばかりかもしれない。
その不具合に気付く事ができるのは、古い常識の中にいる人ではないから。
植木枝盛、残念な事に36歳で若くして亡くなってるけど
常識が変わるタイミングって今の時期がそうだと思う。
維新〜明治中期に、洋書の啓蒙主義に学んだ結果でなく
「自分の考え」で発言していた人達からは
日本人に合ったシステムのヒントが掘り出せるかもしれません。