幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

今日、遊べるぅ・・・?

2014-04-14 10:30:10 | 日記
 2学期後半あたりから末娘が帰宅してすぐ言う言葉、「ロッラァ、今日遊べるぅ?」 多分、友だちが言うんだろう。みんな、お稽古ごとで忙しいから、日によって遊べたり遊べなかったり。 が、彼女はナニも習っていなかったのでいつでも遊べる。月二回、土曜日に公民館の習字教室に通っていたけど・・。

 ・・・・は、トモカク、彼女は帰宅するとすぐに近所の友だちと一緒に遊んだり、少々遠くまで遊びに出掛けた。それが二年生として学校で許可されている自転車で行ける範囲を超えていても、友人と、時には独りでもトコトコ歩いて出かけた。日暮れが早くて往復時間のほうが遊ぶ時間よりかかりそうな時もあったのに・・。 他の2人も同じ。例え大好きなダディが帰国して家にいても、お友達との遊びが優先であり、お友達もたくさん来て遊んでいた。 家の中でシール交換をしたり、ゲームをしたこともあったが、家の前の道路や裏の公園での外遊びがメイン。 次女は夏休み以降、隣接の団地の中でした“かくれんぼ”がことのほか楽しかったらしい。具体的には管理不行き届きで何をしていたのか知らないことが多い。子どもの遊びにオトナは関わらない方がいいしネ・・・。

とに角、よく遊んでいた。 ムスコはコレをさせたかったようだ。これはマニラでは考えられないこと! 彼女たちはマニラのビジネス街の高層マンションの17階に住んでいる。以前は30階だった。外国人や語学留学のために滞在している韓国人家族・・・お父さんは母国で働きお母さんと子どもたちだけマニラに・・が多く、同世代の子どもを見かけたことは殆どナイ。遊びに行く時は、電話で都合を尋ねて車やタクシーで行ったり来たりし、モチロン親やメイドさんが同伴する。
帰国直前、入れ替わりたち替わり遊びに来る友人たちと遊んでいる娘たちを見ながら、ムスコはこの関係を引き離すことにカナリの罪悪感を感じていたらしい。二階の叔父さんも同様。「去るものは日々に疎し」と割り切っていた私は悪人? 親の仕事ゆえ二年おきに転居を繰り返していた私だから? 日頃の忙しさにネをあげていたから? 

「お友だち」は日本語の先生様サマ! 公園は教室。 私自身もこの勉強を優先させていたのは事実。日暮れが遅い夏はコノ勉強時間はタップリあったが、学校の宿題にハンディを貰っていたようで助かった。秋分を過ぎた頃からは日暮れが早まったけれどギリギリまで外遊び許可。その分、増えた学校の宿題をこなすのに夜遅くまで頑張ったよネ。

 一学期のころ、彼女たちの口からでる「約束」がイマイチ不確かで「???」が多かったがソレもいつの頃からか解消。家の設置電話は専ら「〇〇チャンいますか?」「〇〇チャン、遊べる?」専用だった。電話に出たら担任の先生から。先生は、教室の外で、改めて聞く彼女の日本語に驚いていらした。「電話にフツウに出るんですねぇ!」

 来日当初、家の一室で大騒ぎをして遊んだ「マルコポーロ」。ニギニギしくて同居の次男には非常に申し訳なかったが、アレは面白そうだった。チョット広い室内で、公民館の一室を使ってやったら盛り上がりそう!!!

マニラの学校は6月初めまで休み。フェイスブックには「お帰り!」「帰国大歓迎!」の言葉がイッパイあったけど、同じマンションのお友だちは田舎に行っていて留守で遊べなかった・・・と。ココでのようにはいかない。3人で何をしているのやら? 時おり、6階にあるプールで泳いだり、なわとびをしているようだ。