昨日、次男の運転で松本へ行ってきた。 外出自粛遵守のせいか否かはトモカク閉塞感充満 そうだ,松本へ行ってみよう! 「行ってみたい」と漏らしたら、次男が連れて行ってくれる気になった。 「電車かバス? それともクルマ・・・一泊?・・と単独でと計画していたが、ムスコの運転ならコチラはラク。 「単独の方が気楽だが、折角のご厚意だわい。 彼もドコゾへ行くことも必要。 が、独りで気ままに足の向くままとはいかない。 行きたい場所をリストアップ。 🎻入門初期時代のセンパイと繋がったせいか、我が初めての教室「才能教室」を見てみたくなった。 ついでに父のマツコウ、私が住んでいた女鳥羽川沿い辺りも見てみたいなぁ・・。 松本城は必須だろうなぁ・・。 食事処も決めねば・・・。
7時半出発。 中央高速利用で一路、松本へ・・。 助手席の私、何かを言うと息子の苦言が入る。 「サービスエリアが目的で高速に乗る人がいるのよね。」「寄りたいの?」「いいえ、そう言う人がいるってことを言っただけよ」「行きたいのかと思った。 急に言わないで・・。 ブツクサブツクサ・・・」 ア~イヤだ、やっぱりこれからは独りで行こう!…の繰り返し。
途中、八ヶ岳のSAで休憩。 八ヶ岳って横から見たらどうなんかしら? 11時過ぎに「縣の森公園」到着。 ソウ、この建物だった・・・今から20年以上も前、母と一度、来た。 旧制松本高校の校舎が少し保存されている。 前回、保存されている校舎に入って教室だったと思われるところに何葉化の集合写真が貼られていて、「お父さんは何年卒だったのかしら? 1916年生まれ、4年修了で高校生になったホントはスゴイ秀才..1923年? どの写真も同じような顔ばかり並んでいてどれが父がわからなかった。 今回は「記念館」が建てられていて、他の高校も含まれ資料は整理されていた。 次男も丹念に読んでいる。「おじいちゃんはダスキンだったんだね。」 「ダスキン? 清掃会社の名前のわけナイ。」 ソッカ、das Kind ! 「・・・新入生の中には一人はいた。 何年も浪人して入学した上級生からみると子どもみたいな4年修了生が・・。」と書いてあった。 「ヒル(蛭)さん」..ソンナ名物先生の名前も聞いていた。 ツァルト先生・・。 実はこれらは父本人からよりも、「マツコウが趣味」と言われた父の友人のMさんからの情報ばかり。 が、帰りの車の中で、ムスコからMさんと”おじいちゃん”との関係を尋ねられて説明した。 Mさんは高校時代よりもその後社会人になって、父が松本が赴任して親しくなった方。上級生か否かは知らないけれど何年かの浪人経験者。 Mさんはおじいちゃんからみると兄貴的存在。 父方の親戚が少ない私から見ると親戚同然だった方。 東京で栄養学校を経営するMさんは父の任地には「東京のデパートのお土産」をもって一度はお見えになる方だった。
マツコウを見た後、「才能教室」へ。 70年ぶりに足を運んだ「才能教室は縣の森」近くだった。 資料室に入ってみた写真。 こんな玄関? 入口だったかも・・。
1923創業という食堂で昼食をしようと思ったが駐車場なし。 で、お城の隣りでお蕎麦屋さんへ。 松本城は外からのみ拝観。 だいたいドコも同じハズ・・確かに。
松本に住んだのはイクツの頃からは?だが小学校入学一週間目まで。 当時の行動範囲は徒歩圏内。 住所だって知らない・・覚えるイゼンの問題。 ツキヤマさんのソ~ちゃん。 大学の”からたち”の垣根を隔てた市営住宅。 ネットで地図を見ながら「盲学校」って近かったかも。 信州大学の構内を通って幼稚園にいったかも? 信州大学付属小学校が私が一週間だけ通った学校。 断片的な思い出しかない。 信大が火事になって少しの荷物を女鳥羽川の河原に運んだ? 息子にイロイロ聞かれるが、思いついたコトを順不同に言っては苦言を呈された。 が、幼稚園時代のことを断片的に思いつくのは当然でしょ? ズ~ッと同じところに住んでいるアナタと違って二年毎に引っ越していたのよ。 …ムスコも納得したようだ。 運転手さんつきのドライブは気を遣うが、息子が我が父のことを以前より詳しく知ってくれたことが嬉しかった私。
高速代、ホボ11000円、ガソリン6000円・・・昼食代 微料