自分が発した言葉の中に
自分の奢りや
自分の信念がボロボロに出ていて
ふと 蘇って
恥ずかしいやら
情けないやら
反省したとて
自分の信念が同じなら
また繰り返すだけ。
自分の大変さを伝えてくる人や
こんなに大変なんだと苦労を主張する人
とても好きな人なのに、それでもなんとなくモヤついている自分がいやで
一呼吸おいてみた。
自分が自分のキャパギリギリのことをすること。自分が人より苦労をすること。そのことが自分をよりよりものと見られるという訳のわからない信念があるような気がする。だから、大変さを主張する人に、大変だね、頑張ってくれてありがとう、と言えず、自分の中に、いや、自分はもっとここも苦労してるし、あなただけえらいんじゃないし、私だってあなたと同じように苦労してるんだから、と情けないながら思っていた。そして、自分もその人よりもっと苦労しなきゃ、その人より価値がないダメな人だと。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
きっと同じことを私は長いことやってきたはずだから。
恥ずかしくて消えてしまいたくなる。
苦労がその人の価値を表すわけではない。
苦労があるから、その後の成果が素晴らしいわけではない。私が信じていきたい信念は、そんなものではない。
どんなことも、ただ自分の楽しみに変えて一つひとつを楽しみながら、出来るだけ自分がいつも通りの自分を保って、キャパを超えるような苦労なく、スイスイと渡っていく、そんな余裕のある姿が一番の理想のはず。
そういう自分であれば、きっと、苦労してるんだ、認めてくれって言う人に、頑張ってるね、頑張ってくれてありがとう。お陰でわたしはこんなに楽しく過ごせています、と心から感謝が伝えられるはずなんだ。これまで素直に労ってあげられなかったみなさん、ごめんなさい。
遅いけれど、わたしが変われば何かが変わる。いくつからでも自分も自分の生きる世界も変えられる。そして、気付いた今が人生で一番早い。そうやって挫けた自分を励まして、過ぎた恥ずかしい過去は忘れるのみ。
苦労する自分が人の役に立っているという信念は、感謝の押し売りにしかならない。そんなことも無意識にしていたなんて、情けない数十年でした。これまでの私、お疲れ様でした。
今までの信念を手放して
新しい信念と共に。
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