今戸焼の人形の中で狐拳つながりのものもっとご紹介したいのですが、整理が悪くてどこにしまってしまったか、また見つかりましたらとりあげさせていただきます。拳つながりということで「虫拳」をとりあげます。
蛇は蛙を食べ、蛙はナメクジを食べるが蛇はナメクジを食べられない(食べると体が溶けてしまうと思われていた)の三すくみの拳というものありました。その打ち方についてはわかりませんが、こうしておもちゃになっているくらいなので子供の間でも流行ったものだったのでしょう。
経木の箱にガラスの蓋でできたケースに三体納まっています。蛙とナメクジは土製、蛇は反古紙のこよりでできており、それぞれに針金が通してあります。針金には磁力がつけてあり、反発したり寄り合う力でそれぞれの強弱関係を勝負に見立てて遊ぶようです。
詳しいことは調べていませんが、虫拳もそれなりに古い歴史があるのではないでしょうか?
歌舞伎「三人吉三」の大川端でお嬢吉三とお坊吉三のせりふに「蛇が見込んだ青蛙、腹が裂けても飲まにゃおかねえ、、、、そんならこれをここに掛け虫拳ならぬこの場の勝負」というのがでてきます。この初演は安政年間だったかと思います。
また「自来也」の主人公の自来也は蝦の妖術使いその妻の綱手はナメクジの妖術使い、それに敵するのが大蛇丸という三すくみの設定になっているので、読本として魁となった「自来也説話」(文化3年)の頃には既に虫拳が流行していたのかどうか、鶏が先か卵が先なんでしょうか?しかしこの自来也は後に合巻「自来也豪傑話」(天保10年~明治元年)として刊行され、河竹黙阿弥によって劇化もされ、更に後には映画化されるなどかなりポピュラーになっていたと思われますし、子供のイメージも虫拳=自来也くらいにあったのではないかと考えられないでしょうか?
かねがね思っているのですが、今戸人形は今戸焼から派生したものなので 今戸人形⊂今戸焼ですが、実際には古いものの中には成形までは同じでも素焼きをしていない生土のものなど今戸人形?今戸焼というものも存在するのでこうした画像のような際物も今戸人形またはその仲間と考えています。蛇は紙製ですが、土製のものは土ものの業者が作り、箱は別の下請けで、際物屋さんがコーディネートして販売していたのだろうと考えられます。こうした例は以前ご紹介した「枡入りの恵比寿大黒」「経木箱入りの天神」「相撲の毛人形」などにも共通するものだと思います。
江戸時代には虫拳は子どもの遊びと認識されていたようですが、「蛇」「蛙」「蛞蝓」の三すくみの関係は当時の一般常識であり、その関係の妙から戯作などにも取り上げられたのだと思います。
食べると身体が溶けちゃうのなら、ナメクジは最強ですね(笑)
画像では、カエルがネズミのように見えます。ヘビやナメクジはちょっと、苦手です・・・
それも大陸伝来とは、、、。もっと初歩的な疑問なのですが、中国から来たものだとすると、少林寺拳法の拳と虫拳の拳、、拳というのは格闘とか競うという感じの意味と捉えればいいんでしょうか?私には虫拳というとすぐ大川端のせりふが浮かんでしまいます。
蛙はナメクジを食べても平気なのに蛇は体が溶けると信じられていたのが不思議ですよね。
子供の頃は虫採りとかよくやっていましたが、大きくなってからは虫は怖くなりました。
なめくじはカタツムリと殻があるかないかの差なのに嫌われますね。動きがゆっくりしているので急に襲われる心配はありませんが、自然の豊かなところだと10センチ近く巨大なのがいるとちょっと怖いです。ヨーロッパの野原や森ではもっと大きなのがたくさんいて10センチ以上で色のどぎついのが雨が降るとたくさん動いているのは不気味です。蛇は毒があったら、、という怖さがあるので出会うと怖いですね。とかげとかカナヘビとかは全然平気ですけど。
したっけ。