東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

和楽(2017年2・3月号)小学館

2016-12-28 22:45:53 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 10月だったか、小学館の「和楽」という雑誌のライターの女性から誌上で招き猫の特集を予定しているので、拙作の招き猫を撮影させて欲しいという連絡がありお貸しするということがありました。その際撮影された画像が掲載されたということで一冊送られてきました。

特集記事のあたまに大きく並べてもらえたのはすごくうれしいです。感謝しなければなりません。ただ内容に関しては一抹の不安を感じていたことが当たってしまった、というのが正直な感想です。我が家に招き猫を受け取りに来た担当の女性。正直な印象として「不遜な感じなひとだな、、。」「こういう人って人の話を聞き入れる感じじゃなさそう、、。」といった印象がそのまま誌面に反映したという感じです。(あくまで自分の印象とか感想です。)「丸〆猫」は「まるしめのねこ」って読むんですよ。巷に出ている本には「まるじめねこ」ってルビを振ってあるのがあるけれど「東京の言葉だと濁らないんですよ。」芥川龍之介は「駒形」を「こまかた」って読むのが正しいと言っていたのと同じ。「鳥越」は「とりこえ」と読むのが正しいのとも同じですよ。という話をしたら「わかりました。検討させていただきます。」という返事だったのが蓋をあければ「まるじめねこ」というルビと私の名前も「吉田和義」になっていました。濁るか濁らないか、「義和」か「和義」かの違いじゃん、、と思われるかもしれませんが、結構ショック。つまりこの濁りと名前の逆転は氷山の一角を象徴するもので、記事の内容の偏り方は「まるじめねこ」と出版物にはじめてルビを振った人の好みだな、、という印象です。「〇×倶楽部」という団体として広く出版された本に好まれて記されている内容によく似ているか、あるいはベタなのかというレベルで今から20年前頃の「招き猫本」によく出ていた「甘甘」または「緩緩」っぽい内容といったらよいのか、、。まあこれは個人それぞれの好みによりますから「最高」と思う人もいるでしょう。ただ20年前よりも歴史を示す絵画だの出土資料だの文献なども具体的に増えているので、将に今出版されるのならば、少なくとも20年前よりも具体性を深めよりしっかりした内容であってもよいのに、、、・

一冊の雑誌のごく一部の特集でページに限りがあるから(専門書ではないんだから)という言い分も出てくるかもしれませんが、限られた誌面に何を優先させるか、のチョイスでかなり変わってくるのでは、、。20年前くらいの「招き猫本」の内容で自分には「甘すぎ」に思えたのは例えば「招き猫と生きている猫とを区別するのに生きている猫をナマ猫と呼ぶ」とか「招き猫の基礎知識」として「招き猫の色と願い」みたいな記事ですが、古くから赤は民間信仰で疱瘡除けだとか、という話はありますが、イエロー、ピンク、紫とかほんの最近色違いで登場した猫の色の売り口上なんて、最近の風水ブームからの話題のようで、すべての日本人の知るべき常識というレベルとは思えない。昔の歴史に比べたらそんなに大切なものだろうかと思います。反対に今戸焼の猫のついての記述について丸〆猫(まるしめのねこ)の由来こそ絵画や出土品、当時記録された文献の記述で具体的である事象であるのに、それについてはあまり触れす、伝説の吉原の薄雲太夫の話に重点が置かれていて解説本文には嘉永5年(1852)の丸〆猫(まるしめのねこ)は出てこないという感じなんです。それと今戸焼の古典的な招き猫と中京以西の招き猫との基本的な姿の違いについては記されず(今戸では横座りで頭と招く手は正面向き。中京以西では正面向き。)今戸焼の招き猫には「本物の鈴がついている」「鈴つけるの大変なのよ」とか書かれているのです。これって最近(少なくとも戦後30年代以降の)ことしか見ていないから書けることで、知らない人には「今戸焼の猫は江戸時代から本物の鈴をつけることが伝統である。」みたいに聞こえてしまいませんか。最後の今戸人形師だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)までの正統な今戸人形に実物の鈴をつけたなんて話はないし、実物の鈴つきの古い品もありません。また「招き猫ゆかりの浅草散歩」という記事には所縁の地として最も古い記録である「浅草神社」(三社様)は全く触れていないんです。(嘉永5年の武江年表や藤岡屋日記には浅草寺三社権現って記されているのに)

 今回の特集の企画の目的は「和楽特製招き猫」(和楽と木目込み人形職人とのコラボによる銘品)の前説としてダイジェストで挿入すればよいくらいの発想なんで、軽く疲れない読み物で十分、、お正月だしおめでたいしお節に飽きたらカレーもね、というところだったのでしょうね。だから担当の女性が我が家にいらした際、「話を聞く耳はない」という感じだったのはそのせいだったんだな。と思いました。まあこれは個人としての感想です。百科事典とか辞書、教育図書、知識の泉、文化の礎たる小学館さんとしてはちょっと残念な印象を持ちました。写真を載せてもらってありがとうございました。

 


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