我が家にはありませんが、以前の記事に記したとおり、都内の遺跡からの江戸時代の今戸焼(東京の土製)の招き猫(丸〆猫や本丸〆猫)の出土が確認されているのですが、いづれも体は横座りで顔と招く手が正面向きのもので、招く手が左か右かの違いこそあれ、今戸焼の古い招き猫は正面向きのものはほとんど見ません。
画像の猫は使われているいる色から明治のものではありますが、この猫と同じ構図でもっと大型でもう少し古めの彩色の猫はいくつか観たことがあります。鴻巣の練り人形の赤ものや千葉の芝原人形に残っている招き猫は今戸のこの手のものからの抜き型や模倣によって生まれたものだろうと思われます。
この猫の赤部分はスカーレット染料。首輪の緑は花緑青(酸化銅)です。はっきり見えませんが角でブチが描かれている一見白く見える地肌にはキラ(雲母粉)で塗られており、白目の部分は普通の白の胡粉で改めて白目を置き、その上に墨で瞳を入れています。
今戸焼の招き猫に正面向きのものが登場するのは明治以降だと思います。おそらく西の地域で作られた招き猫の影響で今戸にも正面のものが生まれた、と考えています。
古い今戸の招き猫にこのように横座りで顔と招く手だけが正面に向いているのはなぜなのか?と考えているのですが、東京の遺跡から出土する「座り猫」の量や種類が莫大であることから、以前からあった「座り猫」がある機会に右手を招いたのが招き猫になったのではないかと思うのです。出土の招き猫はほとんど向かって左側に頭のあるポーズで画像の招き猫が招かないで座っているという構図です。
以前このような今戸の古い横座り式の招き猫のポーズを歌舞伎の「元禄見得」に似ていると言いましたら、「面白いこと言いますね。」と笑われたことがありました。
いまどきさんが、昔にできるだけ忠実に作品を造られている活動は、貴重ですね。
(前置きが長くなりましたが)
横座りの姿勢の方が、自然のような気がしますが、そう言えば、最近、お土産物店等では、前向きの姿勢の物を多く見かけます。
仕草一つとっても、招き猫の謎は深いですね・・・・