今日も曇りですね。
太田市内に勤めていますので、太田の名所を紹介します。
群馬の名所No1の太田子育て呑龍の大光院を訪ねてみました。
我が家の子供達のお宮参りも大光院です。長男の名付けもお願いしました。
初めての子供は男と勝手に決めて、「翔」と名づけるつもりでいました。
亡き父が字画をみてもらい、一文字では良くないとのことで、「翔」の文字を使うのであれば、
「翔太」がよいと云われ、「翔太」と命名しました。 26年前から数年の間は人気No1でした。
名は体を表すと云われますが、それは真実です。
小さく生んで、大きく、さらに大きくなってしまいました。
健康を意識して、少しは自制してもらいたいです。
娘の時は、家内が紫色が好きですので、紫を織るで、「紫織=しおり」と命名したいと云い、
紫は小さい時は良いが、大人になった時に、紫色は好ましくないと、反対して
一週間かけて、「詩織」に決めました。やはり、人気のある名前で、一般的になってしまいました。
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
大光院(だいこういん)は群馬県太田市金山町にある浄土宗の寺院。山号は義重山。
詳名は義重山大光院新田寺。通称「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」、「呑龍様」もしくは「呑龍さま(どんりゅうさま)」。
東上州三十三観音特別札所、群馬七福神の弁財天。
太平洋戦争中に中島飛行機で開発された百式重爆撃機という航空機の愛称「呑龍」は同寺院の通称から名づけられたものである。
身を清めてお参りです。
万人に慈愛が施されますように。
お宮参り以来です、21年ぶりです。
この松の前で、小学校2年時の修学旅行(遠足)の記念写真を撮った記憶があります。
此処にも三つ葉葵があります。徳川家に手厚くされていた事が窺えます。
消火栓も思考を凝らしています。
弁天様も祀られています。
今日の赤城山
曇っていたので、やっと一眼レフを活用して、絞りこんでみました。
太田市内に勤めていますので、太田の名所を紹介します。
群馬の名所No1の太田子育て呑龍の大光院を訪ねてみました。
我が家の子供達のお宮参りも大光院です。長男の名付けもお願いしました。
初めての子供は男と勝手に決めて、「翔」と名づけるつもりでいました。
亡き父が字画をみてもらい、一文字では良くないとのことで、「翔」の文字を使うのであれば、
「翔太」がよいと云われ、「翔太」と命名しました。 26年前から数年の間は人気No1でした。
名は体を表すと云われますが、それは真実です。
小さく生んで、大きく、さらに大きくなってしまいました。
健康を意識して、少しは自制してもらいたいです。
娘の時は、家内が紫色が好きですので、紫を織るで、「紫織=しおり」と命名したいと云い、
紫は小さい時は良いが、大人になった時に、紫色は好ましくないと、反対して
一週間かけて、「詩織」に決めました。やはり、人気のある名前で、一般的になってしまいました。
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
大光院(だいこういん)は群馬県太田市金山町にある浄土宗の寺院。山号は義重山。
詳名は義重山大光院新田寺。通称「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」、「呑龍様」もしくは「呑龍さま(どんりゅうさま)」。
東上州三十三観音特別札所、群馬七福神の弁財天。
太平洋戦争中に中島飛行機で開発された百式重爆撃機という航空機の愛称「呑龍」は同寺院の通称から名づけられたものである。
身を清めてお参りです。
万人に慈愛が施されますように。
お宮参り以来です、21年ぶりです。
この松の前で、小学校2年時の修学旅行(遠足)の記念写真を撮った記憶があります。
此処にも三つ葉葵があります。徳川家に手厚くされていた事が窺えます。
消火栓も思考を凝らしています。
弁天様も祀られています。
今日の赤城山
曇っていたので、やっと一眼レフを活用して、絞りこんでみました。
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