昨夜はなんとか日付が変わる前に就寝。
そして今朝、スマホアラームが鳴るまで目覚めることなく眠ることが出来た。さすがに疲れていて身体が重い。
ベッドの中で、BSに続いて地デジで朝ドラを視てから浴槽足湯。今日は3月中旬の暖かさになるという。
今朝も部屋で紅茶を淹れ、サンドイッチやヨーグルト、ジュース等の朝食。新聞に目を通し、荷物のパッキングを済ませ、昨日ホテルを出たのと同じくらいの時間にチェックアウト。荷物を預け、身軽になって出かける。
一昨年の秋、夫が一人で息子宅を訪ねた時のこと。息子が夫を誘って、私の病気快癒に良いという神社のお守りを頂きに行ってくれた。そのお守りは今も枕元に置いてあるのだけれど、せっかくだから、その神社に行ってみようということになった。そして、帰りには赤い観覧車にも乗ってみたいな、と。
地下鉄と私鉄を乗り継いで、証券取引所の立派な建物のある駅で下車する。建物の前に聳える五代友厚像と記念写真を撮り、いざ、目的地へ。
薬のまち、道修町に鎮座し、「神農さん」の愛称で親しまれているこの少彦名(すくなひこな)神社は、日本医薬総鎮守、病気平癒・健康成就の社である。日本医薬の祖神・少彦名命と中国医薬の祖神・炎帝神農を祀っている。
なるほど大阪には製薬会社が多い。豊臣時代から薬種取引の場として薬種業者が集まるようになっていたそうだが、1780年京都の五條天神より少彦名命を招き、以前より祀っていた炎帝神農とともにお祀りしたのが始まりという。
江戸末期 の1822年、大坂でコレラ(虎狼痢)が流行した際、虎の頭骨などの和漢薬を配合して作ったのが「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」で、病名と薬に「虎」の字が当てられていたことから「張り子の虎」がお守りとして薬とともに配られたそうだ。
それ以来、張り子の虎は家内安全・無病息災のこの神社独自のお守りとして全国に広まったという。小さな神社で、知らなければすっと通り過ぎてしまいそう。鰻の寝床のような境内だが、黄色い寅が明るく迎えてくれる。
しっかりお参りを済ませた後、夫は私や息子、そして自分のために絵馬を書いてくれた。私も限定30体(限定に弱い・・・)という張り子のうさぎが破魔矢をくわえたお守(神卯破魔矢御守)を頂いてきた。
今回の旅で一体どれだけの神様仏様に病気平癒をお願いしたことか。寿命も延びたに違いない。
いいお天気。青空が美しい。なるほど気温も上がりそうで日差しがたっぷりだ。
お参りを済ませ、公会堂方面へ歩く。川べりのカフェでお茶をする人たちも多い。公会堂は前に来た時に見学済みなので、隣接した図書館に入る。レトロな館内は螺旋階段が中央にあり、研修室や新聞室、閲覧室は本当に昔ながらの佇まいだ。
お昼にはまだちょっと早かったのだけれど、夫が素敵な洋風建築の建物に入っているパティスリーを見つけていたので、そこで数量限定ランチを摂ることに。おそらくランチタイムには混むだろうから早めに行った方が良いという目論見もあって、急いで歩き始める。
上を向いて歩いていたら、とんでもないアクシデントが・・・。路肩の窪みに左足を取られて、あれっ、と思った時には身体が前傾して転び始めていた。なんとか膝をついただけで留まりたいと思ったけれど、そこで踏ん張れずに、まるでスローモーションのように(感じただけ)しっかりと両手をついて転んでしまった。
夫が後ろで「どうしたの!?」と声を出す(脳梗塞か心不全でも起こしたのではないかと思ったらしい。ただ躓いて転んだのだけれど・・・)。
前から若い女性が「大丈夫ですか!?」と駆け寄ってきてくれた。「ありがとうございます。大丈夫です。」と言えず、「転んだ・・・」と何度も呟いている自分が情けない。「いえ、転んだのは見て分かっていますから、だから声をかけたんですよ」とでも言われそうな・・・。
とにかくこんなに見事に転んだことが自分でかなりのショックである。
なんとか立てるし、なんとか歩ける。手袋をしていたので、両手もちょっと赤くなっているだけで擦りむいてはいない。ダウンコートを着込んでいたし、110デニールの厚いタイツを履いていたので、破けて膝から血が滲んでいる風ではない。夏の薄着に素手でストッキングだったらちょっと悲惨だったろう。
まあ、ヨガのクラスで足首は柔らかくしておかないと怪我をしますよ、と言っている本人がこのザマである。しかも病気平癒を祈ってきたばかりではないか。以前、夜中に迷走神経反射で倒れ、顔を直撃して前歯を折るという痛い目に遭っている経験から、無意識のうちに顔面を守り、原発巣の左胸を強打するのを避けたのか、右肩にかけていたバッグの上に変な恰好で倒れ込んでしまい、持っていた頂いたばかりのうさぎのお守りの箱の上に力がかかったようだ。
夫が「箱が潰れているよ。」と言う。確かにひしゃげている。ああ、なんということ、うさぎさんが身代わりになってくださったのだろうか、と思いつつ箱を開けてみたら割れてはいなかった・・・良かった。
とにかく骨が折れているようではないし、足首は痛いが歩くのに支障はなさそうなので、とぼとぼと歩き始めて“紳士淑女の寛ぎ”をコンセプトとするパティスリーのサロンでランチをすることに。
少し待って2階の素敵なお部屋に案内された。ここはかつて某銀行の本店だったそうだが、いかにもそんな造りである。焼きたてのクロワッサンやブリオッシュ、キッシュ等のデジュネセットとポットティーを頂く。そして食後はケーキを。私は迷った挙句和栗のモンブランを、夫はデコポンのムースをチョイス。
1時間半ほどゆっくり優雅な時間を過ごさせて頂く。タイツの下がどうなっているのか気になったので、お手洗いでチェックすると、案の定しっかりぶつけて膝小僧を擦りむいて血が滲んでいた。絆創膏を持っていて良かった。はあ。
階段の上り下りがちょっと怖い。左足に体重をかけるとやはり痛む。ゆっくりヨチヨチと歩いて、御堂筋まで行き、再び地下鉄に乗ってホテルまで戻ってきた。
キャリーケースをピックアップし、新幹線の出発まであと40分。態勢を整えて、新幹線乗り場へ向かう。お土産を調達し、大好きな豚まんとチマキのセットも少し並んだだけで無事買い求め(息子からは、新幹線構内の店はいつも混雑しているので早めに行かないと買えないと脅されていた。)、ホームに上がって指定された号車に乗り込んだ。
本を読み始めたけれど、疲れて眠気に負けてウトウト。結局、初日に読み始めた文庫1冊が読み終わらなかった。それほど今回の旅行はかなり盛り沢山で、本を読む時間もなかったということか。
往路同様富士山の美しい姿も拝むことが出来た。定刻通り乗換駅に到着し、JRの在来線に最短時間で乗り換えた。普通にしていると痛まないが、左足から階段を降りてみると痛い。体重をかけないように恐々と歩く。
在来線の途中駅で夫も私も席を確保し、終点駅で私鉄に乗り換え、駅前の回るお寿司屋さんでぱぱっと夕食を摂り、タクシーで帰宅した。
気づけば転んだことで赤い観覧車に乗ることもすっかり忘れて帰ってきてしまった。嗚呼。
母に無事帰宅のMeet通話を済ませる。洗濯物を片付けたり、荷物を整理したり、メールチェックをしたり。やることは山積みだ。
恐々タイツを脱いでみたら、左の足首が見事に腫れあがっていた。記憶にある限り、こんなひどい捻挫をしたのは初めてではないか。大人になって転ぶのは本当にダメージが大きい。母に「転んだら最後だから!」と日々脅しているのに、自分がこんなことになるなんて・・・。情けない。
夫からシップとサポーターをしてもらい、「捻挫して腫れているのだから、今日はお風呂はダメ!」と厳しく言い渡された。
明日からまたヨガクラスに行きたいと思っていたのに、なんともトホホなことである。明日、夫は出勤。今日は早く休まなくては。