ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.8.20 憎み、愛し、歌とともに生きた人

2012-08-20 20:05:01 | 日記
 朝日新聞社のネット記事BOOK.asahi.comで2012年8月14日掲載分に気になる記事があったので、以下転載させて頂く。

 ※  ※  ※(転載開始)

 僕を憎み愛した妻・河野裕子 歌人・永田和宏が手記出版 [文]伊佐恭子

 戦後生まれを代表する歌人河野裕子が乳がんで死去して、ちょうど2年。夫で歌人の永田和宏(65)が、壮絶だった河野と家族の闘病生活をつづった手記『歌に私は泣くだらう』(新潮社)と歌集『夏・二〇一〇』(青磁社)を出した。夫婦とは短歌とは、そして死を受け止めるとはどういうことかを鮮烈に描く。
 河野は2000年に手術、8年後に再発転移が分かった。一昨年夏の最後の3週間、手帳に鉛筆で175首を書きつけ、その力もなくなると付き添った家族が口述筆記した。最後の絶唱は永田が聞き取った。
 〈手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が〉
 夫婦愛、家族のきずな、歌人としての見事な最期を多くの人がたたえた。しかし、そこに至るまでには「地獄のような」日々があった。手術後、何年も河野が激しい怒りの発作に見舞われるようになったのだ。
 体の不調と再発への不安、以前から常用していた睡眠導入剤の影響もあったのだろう。ささいなきっかけで、延々と何時間も永田をののしり、夜中に包丁を持ち出して迫ったこともあった。絶望した永田は死も考えた。
 〈この人を殺してわれも死ぬべしと幾たび思ひ幾たびを泣きし〉
 それでも持ちこたえられたのは、河野のこの一首のおかげだった。
 〈あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて〉
 こんな修羅場を迷いながらも書いたのは、自分に向けられた怒りの理由を考えるためだった。そして分かった。「あの頃、河野は本気でぼくを憎んでいた。憎みながら、誰よりも愛していた。そして一番心配していたのは、置いていくぼくのことやったと」
 再発後、河野は驚くほど冷静で、今度は永田が打ちのめされた。思いを伝えるために決心してうたった。
 〈歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る〉
 「彼女はどんどん澄み切っていく感じがした。苦しんで苦しんで、ようやくたどりついたのが最後まで歌を作り続けること、歌人として生き切ることだった。この人が女房だったことを改めて誇らしく思う」
 この手記を原案にしたドラマ「うたの家」が26日午後10時から、NHKBSプレミアムで放送される予定だ。

 (転載終了)※  ※  ※

 ちょうど2年前の夏、河野さんが亡くなったことについてこのブログでも触れた記憶がある。同じ病ということで、どうしても自分に引き寄せ、重ね合わせてしまう部分があり、涙なしには読めなかった。
 今年で三回忌を迎えるわけだが、最期まで歌を詠い続けた河野さんの、再発に怯え続けた8年間の地獄のような日々。そうした日があったからこその再発転移後の諦観、夫婦愛、家族の絆を思うにつけ、息苦しくさえなる。
 絶望の中、死をも思った修羅場を経験してもなお、上の1首(あの時の壊れたわたし・・・)で持ちこたえることが出来たという永田さん。それほど歌の力、言葉の力は重いのだ、と圧倒される。
 ドラマ「うたの家」は早速予約録画をした。楽しみである。

 今日も暑い。青空の下、準々決勝の第一試合。残念ながら準決勝には進めなかったけれど、エースは今日も15奪三振、4試合合計で68奪三振は大会通算歴代3位の成績で、既に直筆サイン入りの記念ボールが歴史館に展示されているという。
 息子は昨日の帰宅後「学校のためなら(明日)勝てた方がいいけど、彼のためには負けた方が良い。肩を壊すから」と冷静に言っており、ふーん、と思った。確かにそうなのだろう。けれど、そんな息子も、試合終了後に号泣する同級生を笑顔で慰める女房役の先輩を見て、貰い泣きしたとのこと。そんなことを聞くと、こちらもまた涙線が故障してしまう。
 まだ2年生。来年もある。おかげさまで久しぶりに、高校生と一緒に興奮する良い夏の夢を見させてもらった。初のベスト8おめでとう。そして、素敵な夏をありがとう、と言いたい。

 土日の両日とも都心に出かけたせいか、疲れがとれず、胸痛がぶり返してしまった。自業自得以外の何物でもないのだが。自分の身のほどを知り、皆にいい顔をするのは止めて、我慢する所は我慢しようと反省する私である。
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2012.8.19 祝!ベスト8進出、合唱練習で憔悴

2012-08-19 22:06:02 | 合唱
 今朝は少し寝坊をする予定が、いつもより早く目覚めてしまった。
 昨夜、臨時貸切夜行列車で甲子園に向かった息子は、8時前に「甲子園に着いたよ」と写メを送ってきた。第2試合は10時半からだが、急かされたとのことでかなり早い到着だ。
 掃除をしてから夫とテレビで試合観戦。幸先よくトップバッターがホームランを打って先制点。だが、さすがに3回戦ということで、相手チームもしっかりエース対策を練ってきている。これまでのように簡単に空振りはしてくれないし、ファウルで粘られて投球数がかさんでいく。夫がしみじみと「○○(息子)と同い年だもんな。それであれだけ沢山の観客の前で・・・・、いったいどれほどのプレッシャーだろうな。」と話す。息子だったら逃げ出してしまうのではないか、と何やらまたうるうるしてしまい、打ったり打たれたりする度に一喜一憂する私を、夫がからかう。

 最後まで観戦したい気持ちはやまやまだったが、後ろ髪をひかれながらあとの応援は夫に任せて家を出た。
 今日は4週間ぶりの合唱練習。2週間前の練習は、ベトナム旅行から帰ってきた翌日で、大事を取って休息にあてたからだ。
 そして、今日は3か月ぶりのつぼみの会でもある。前回5月が地元大学内レストランでの開催だったので、今回は都心のフレンチレストランの番だ。
 前回、8月になったら治療薬を変更することになるので、体調次第ではあるけれどおそらく欠席すると話をし、アンスラサイクリン系治療の間、幹事を免除してもらうように頼んだのは、このブログでも書いた通り。
 私を入れて7名のメンバー中、1人は海外渡航中、もう一人も都合がつかず、私も合唱の練習を優先させてもらったため、今日の参加者は4名。
 合唱の練習に向かう途中、会場となるレストランのあるターミナル駅を通るので、そこで食事を始めたばかりの皆の顔を見に伺い、ちょっぴりの旅行土産を置いてから練習場に向かった。
 夫から “甲子園で勝利!”のメールが来て、すぐ息子におめでとうメールを打つと、ほどなくして興奮した声で電話がかかってきた。「明日の第一試合が準々決勝なので、もしどうしても見たいなら、1泊延泊をしてきてもよいけれど」と持ちかけたが、明日の相手は優勝候補だし、もう気が済んだので、せっかくだから少しブラブラしてから夕方の新幹線で帰る、とのことだった。 

 それにしても、今日も厳しい残暑だ。日傘を差しながら練習場まで10分ほど歩いただけで、照り返しでじりじりとしてきた。朝、同期のソプラノの友人から、今日は別の合唱団の練習に参加するので欠席しますのメールをもらっていた。前回もソプラノはトップ2人、セカンド2人だったそうだ。
 果たして、今日はトップ1人のセカンド2人(私を含め)で3人。アルトは7人で、男性は合わせて15,6人だったろうか。このソプラノの少なさでは、本番が何とも心配である。
発声練習の後、今回の舞台で歌う予定の曲を3時間半ほどかけて一通り歌いこむ。前回の練習後は、結局のところかなか自習もできず、思い出すのに時間がかかるし、なかなか声も出てこないのが情けない。
 次回の練習は3週間後の9月9日。

 私が最寄駅に戻って夫と夕食をとっている間に、息子が最寄の新幹線の駅に無事到着したとの連絡が入った。食後、夫と二人で真っ黒に日焼けした息子を出迎えた。
 会うなり得意そうに、甲子園で販売していたという自分の高校のストラップを見せてくれた。ペナントも買ってきたとのことで、自分の部屋に貼ればよいものを玄関正面の壁に貼っている。誇らしい気持ちがそうさせるのだろう。

 「行かせてくれてありがとう。行って良かった。」とのこと。そうだろう、そうだろう。何とも羨ましい一生に一度の16歳の夏だ。同い年のエースが完投した勝利試合を実際に観戦するなどという経験は、誰もが出来ることではない。学校としても初のベスト8進出で沸いている。この後もまだ試合は続くけれど、とりあえず沢山旅行をして、一人で長距離電車の旅もした息子の夏休みはこれにて無事終了というところか。

 2日間連続都心まで出かけてしまい、さすがに憔悴。水曜日にはCT検査も控えている。早く休まなくては。
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2012.8.18 歯科検診とプチ虹のサロン暑気払い

2012-08-18 23:33:03 | 日記
 あっという間にまた3か月が経過して、また歯科検診の日がやってきた。
 いつものように朝一番に、歯科医院へ。待合室にはスリッパが並べられ、テレビもついており、あとは患者さんが入るだけという状況なのに、肝心のドアが開かない。日にちを間違えたかと診察券を確認してからドアホンを押したところ、慌てて受付の方が出てこられた。
 一通りチェックの後、先生からフロスの使い方を直々にご指導頂く。自己流でやっていると、どうしても歯茎と歯の入り組んだカーブにうまくフロスが当たらない。汗をかきかき実習。その後、歯石と汚れを取って頂き、無事終了。次回も3か月後に予約を入れてきた。

 さて、すっきりした後は、月例のプチ虹のサロンの暑気払いに出かけた。出るときにはポツリポツリと降り出した雨が、電車に乗っている間に凄い雷雨になった。私が一番郊外在住なので、ちょうどその時間に家を出るタイミングの方もおり、待機を余儀なくされた模様。
 開始から1時間半ほどしてようやく全員集合。1か月の無事を感謝しつつ乾杯。それにしても、いつものことながら、いったい何を喋っているのかも忘れるほど時間の経つのが早い。あっという間の5時間だ。
 今日は夏休みの旅行のお土産話に花が咲いた。そして素敵なお土産も頂戴し、また来月まで頑張るぞ、と力をもらった。
 帰路はすっかり雨は止んでいたが、湿度が高くまだ雲の動きは早かった。

 夜は3人で夕食後、私は最寄駅まで、夫は臨時電車が発車するJRの駅まで息子を送っていった。
 今しがたようやく夫が帰宅し、撮ってきてくれた写真を見ながら様子を聞く。生徒たちの“敗戦までずっと滞在”組はさすがにスーツケースを携えた大荷物の旅立ち。一方、明日新幹線帰京組は身軽な恰好で、そのコントラストが面白い。
 貸切臨時列車は予定より15分ほど遅れて出発したそうで、熱海通過時点で消灯だとのことである。
 いよいよ息子は明朝、甲子園入りである。

<お願い>
 一昨日以来パソコンが不調で、リカバリーしたところ、これまでのメールもアドレスも全部消えてしまいました(涙)。
 大変恐縮ですが、私のパソコンのメールアドレスをご存知の方は、空メールを入れて頂けないでしょうか。
 よろしくお願いいたします。
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2012.8.17 甲子園応援ツアー申し込みと茄子のお守り

2012-08-17 19:55:35 | 日記
 昨夜遅く、夫と息子が相談して、息子が参加する甲子園3回戦応援ツアーを“生徒用の、負けない限りずーっと現地滞在”ではなく、“一般用の0泊2日”に決めた。
 一般用の臨時貸切夜行列車のコースは、今夕迄に予約がとれないと自動的に〆切られてしまう。
 今朝、開始時刻と同時に申込専用電話をかけてみたが、当然のようにずっと話し中で全く繋がらなかった。取扱旅行代理店が応援デスクと称して近隣ホテルに出店して受付をするというが、仕事を休んでそこまで出向くことも出来ない。仕事中に何度も席を立って電話を繰り返すわけにもいかないし、半ば諦めムードだったが、何とか通じて昼休みに席が確保できた。

 さすがに夜遅くとはいえ明日出発なので、時間的にも余裕がない。「この電話を切ったタイミングから3割のキャンセル料がかかります。本日3時までに振込をお願いします。控えを持たせてください。」とかなり一方的な話である。募集人数は80人、最低催行人数は40人だというが、どのくらいの申込みがあったのだろう。3回戦から敗戦するまで現地滞在の“負けない限りずーっと現地滞在”ツアーには行けないのでこちらを選んだ、という生徒さんもいますよ、とのことだった。

 それにしても昨日2泊3日の旅行から帰宅して、また明日の夜には出かけるというのだから、厳しい残暑の中、何とも出たり入ったり落ち着かない息子、16歳の夏である。

 その彼が昨日買ってきたお土産で面白いものがあった。
 特養施設入所中の義母に、ぼけ封じのお守りという縮緬素材の茄子の根付。実際には義母は既に認知症が進行しているのだが、「これ以上(ぼけが)進んで僕のことも判らなくなられたら困るから。」とのこと。
 けれど、はたと考えた。なぜ「茄子」が「ぼけ防止」なのか。実際にぼけた人に対して、「呆け茄子」というのでは洒落にもならないが、「ぼけ封じ」を「成す」に「茄子」をかけた語呂合わせものであるという。

 来週末、施設のイベント(題して「ハワイアン・ナイト」だそうだ!)で義母を見舞うことになっている夫に「(ばあちゃんに)渡して。」と。夫はそれを受け取ると「お父さんも欲しかったなあ。」と顔をほころばせ、何とも言えないいい顔をしていた。

 高2男子の身で、今回のように高齢の祖父母と一緒の旅行に、良く嫌がらずに行ってくれたと思う。我が身を振り返ってみれば、彼の年齢で私の4人の祖父母は全員他界していた。両親とも末っ子だったこともあり、孫の中でも外孫で、一番の味噌っかすだったから、祖父母を独占してどこかに旅行に行った等という思い出は、全くない。

 息子は一人っ子だし、母である私も一人娘である。両親にとっては後にも先にも唯一の孫だから、それはそれは可愛がったものだし、義母にとっても、我が家の姓を継ぐ長男の男孫ということで特別な存在だったのだろう。そうして得た3人からの絶対的な愛情に対する恩義は忘れていないようだ。

 親馬鹿ではあるが、彼が優しい子であることは間違いない。けれど、いかんせん帰ってくるなりいきなりダラダラと寝坊はするわ、宿題は進まないわの体たらく・・・、と思うのは私の勝手な無い物ねだりだろうか。

 それにしても今日の蒸し暑さも酷かった。明日も明後日もしっかり予定が入っているので、今日は早く休みたいと思う。
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2012.8.16 甲子園 3回戦進出決定!いざ応援へ?

2012-08-16 23:59:27 | 日記
 今日も猛暑日の予報どおり、朝から厳しい暑さであった。夫が休暇なので(取り込んでもらえることを当てにして)朝から大量に洗濯をして出勤した。
 息子はホテルをチェックアウトした後、ホテル近くのテーマパーク経由で、夕方帰宅の予定だ。

 今日は雨天で1日順延になった甲子園2回戦。同級生のエースはまたも19三振を奪って7-5で勝利。前回の22三振と2試合連続合計41三振も新記録なのだそうだ。
 次の3回戦は19日。今回は生徒応援ツアーに申し込むからとのことだった。だが、学校からの案内によると、3回戦以降は連戦もしくは中1日の試合スケジュールなので、決勝戦進出まで(もしくは敗戦まで)現地滞在が出来る生徒のみ申し込みを受け付ける、とのこと。
 先般の高速バス事故の影響で、厳しくなった監査をクリアして長距離バスを運行できるバス会社が激減し、バスの手配が非常に困難になっているという。そのため、往路は18日の夜に専用貸切団体列車で出発し、車中泊して翌日観戦、勝利を続ければ最大で決勝戦の日23日の夜に新幹線で帰れるか、もしくは新幹線の手配状況により夜行バスに変更になって翌朝まで、の1週間になってしまう。
 もちろんこんな経験はなかなか出来ないから、宿題等が終わっていて何の心配もなければ、行かせてやりたいところだが・・・何とも悩ましいことである。

 今日、息子は夕方ターミナル駅に到着するので、夕食は3人でと用意していたのに、疲れた祖父母が電車の優先席に座れたのを見届けてから、連絡なしに一人で外で食事を済ませてきた。
 携帯は電池切れのようで連絡もとれず、心配になって実家に電話したところ、両親は無事に帰っており、本人はその後、1時間ほどして何食わぬ顔をして帰ってきた。

 そして、応援ツアーの相談。さすがの息子も3回戦から最後まで行きっぱなしのずっと滞在コースは無理と諦めて、保護者や一般の関係者向けの応援団ツアーに申し込むことで納得した。これだと土曜日の夜JRの専用列車で行って翌朝甲子園に入り、観戦をした後、復路はのぞみ号に乗って当日中に帰宅できるということだ。

 午後にはパソコンが不調で、いきなり使えなくなったと夫から連絡があった。お盆で技術者も少なくなっているとのことで、夕方からようやくサービスセンターとやりとりを続け、それでもいまだ全面復旧していない。そのため、今日は旅行のお供にしているチビパソコンからの更新である。 
 息子には今回の旅行の写真を説明してもらいながら、スライドショーにして見ていたらあっという間にこんな時間になってしまった。

 ともあれ、明日1日、もうひと踏ん張りでまた休日がやってくる。
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