ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.10.15 知らなくていいこと

2014-10-15 20:24:19 | 日記
 先日出席した患者会の大会において、ゲストの大宅映子さんがお話された中で、本当にそうだ、と頷いたことがあった。
 女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが遺伝子検査の結果、乳がん発症リスクを減らすために事前に乳房を全摘出したことに触れ、知らなくていいことまでは知らなくていいのではないか、と。ご自身はもう73歳なので(もちろんなさらない)、・・・とおっしゃっていたけれど。

 もし私が、母を乳がんや卵巣がんで若くして亡くしていたらどうしていただろう。
 そして、私のDNAの中にその遺伝性乳がん遺伝子が存在するとして、娘がいたら、その検査を受けさせるかどうか・・・本当に悩ましいことだ。

 遺伝子を解明出来るようになったからといって、当然のことながら全てがクリアになるわけでもない。あくまでも確率論だから、たとえばアンジーの発症率とされた87%が5%になったとしても、ゼロにはならない。それでも自分の、あるいは娘の身体を傷つけられるのかどうか。
 もはや人知の及ばない“神の手”の範疇であるように思う。それこそが大宅さんがおっしゃった“生というものに対する畏れ・畏怖の念”、あるいは“Something Great”ということなのだと思うけれど。

 誰しも生まれてきたら必ず死んでいかなければならない。これはもう厳然たる事実なのだけれど、いかにして一日でも長く、一日でも健康でい続けられるか、それが出来る人が人生の勝ち組、というような昨今の風潮になんだか息苦しくなる。

 翻って、数年前、中心静脈ポートの不具合でナベルビンが皮下漏出し、抜去と再設置手術に伴い1泊入院をしていた時、執刀医の説明を受けながら、「いろいろ知ってしまいますね・・・」とお話したことを思い出した。医師は「知らなくていいことまで知る必要はないのですけれどね」とおっしゃったけれど。
 そして、同じく通院先の針刺し名人O看護師が、いみじくも「(この仕事をしていると)知らなくていいことを色々知りすぎてしまっているので、悩むことが多いんですよね」とおっしゃっていたことも。化学療法室に長く勤務しておられれば当然そういうことなのだろう。

 確かにこの病気と付き合うようになって、健康でいれば知らなくてもいいことを随分知ってしまった。もちろん、自分が必要に駆られて知りたくて調べたこともあるし、知りたくなくても知ってしまったこともある。

 “知る権利”とともに“知らなくて良い権利”もあるのではないか、と思う。
 世の中には色々なことをご親切に教えてくださる方もいるけれど、知らなくていいことはあえて“知らぬが仏”でいた方が心穏やかに過ごせるのではないかと思う。が、果たしてどんなものなのだろう。

 昨日の台風一過の青空はどこへやら。今日は冷たい雨がそぼ降る冬のような寒い一日になった。昨日との気温差は10度近く。風邪をひかないように気をつけなくては。
 月末には早々とインフルエンザの予防注射を予約完了したせっかちな私である。

 帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。重いほど沢山の蕾を付けた白と濃いピンクのオリエンタルリリーが1本ずつ、オフホワイト、ピンク、淡いオレンジのカーネーションが1本ずつ、ルスカスの葉が2本。花言葉はそれぞれ「高貴」、「女の愛」だという。
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2014.10.13 合唱練習最終回、後は本番を残すのみ

2014-10-13 19:55:57 | 合唱
 昨夜はさすがに興奮していたのか、ベッドに入ってもなかなか眠れずじまい。合唱の復習でipodを聴いたり、持っていた文庫本を読んだりモゾモゾしているうちに日付が変わってしまった。
 今朝は夫にモーニングコールを入れる必要もないのでゆっくり起きようと思っていたのだが、それも叶わず。気付けばいつものようにタイケルブの副作用である腹痛(→下痢気味)で目が覚める。

 お約束の朝の連続テレビ小説を見てから浴槽足湯に浸かる。台風情報を聴きながらじんわり汗をかく。ホテル泊限定、至福の時間だ。

 今日は合唱練習最終日だ。いつもより1時間早く練習開始ではあるが、それにしてもまだ時間がある。チェックアウトの後は、読書とipodで合唱復習をしながら時間調整。早めのお昼を摂って練習場所へ急ぐ。雨はまだパラパラと降ったり止んだりしている程度で有難い。

 本番のタイムスケジュールを頂き、先生がお見えになるまで軽く体操と発声練習。今日はさすがに大人数だ。どのパートも10人を下らない。本番は、現役30名弱にOB・OGが30名強ということで、60名もの大合唱団になるという。そんなに参加者がいるなんて!流石に今日は今までで一番多い参加者だろう。
 モダンジャズ研究会からピアノ、ドラム、ベースのお三方も参加されている。

 先生が予定時間ぴったりにお見えになり、まずはJass Massの練習。そして、お三方がお帰りになった後は、全曲一通り見て頂く。休憩を挟んでビッチリ3時間。先生の注意を一言も聞き漏らすまいと必死に歌い、終わる頃には精も根も尽き果てた感じ。
 来週のタイムスケジュールの再確認等を終え、片付けを済ませ雨が酷くならないうちに、と早々に解散となった。

 帰途は本降りにはっていたけれど、まだそれほど風が強くなかったのが有難かった。ターミナル駅で「いつもより1時間早い電車に乗る」と夫に連絡。結局、途中で徐行運転となり、予定時間より10分ほど遅い到着になった。

 帰宅すると夫が夕飯を用意してくれていて、片付ける間もなくすぐに夕飯を頂いた。有難いことである。

 かくして3連休はあっという間に過ぎ去った。明日からまた新しい1週間が始まる。
 東京では今日の夜中に台風19号が行き過ぎるようだ。各地暴風雨で大変な様子。少しでも被害が少なく済みますように。

 合唱と言えば、大学で混声合唱団に入った息子から珍しくLINEが届いた。関西合唱コンクールで金賞だそうだ。本人も歌ったということで、興奮気味。部活だけでなく勉強もしっかりやってほしいものである。
 
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2014.10.12 あけぼの会秋の全国大会参加

2014-10-12 21:52:42 | あけぼの会
 連休2日目。今日は、5月に開催された春の大会と同じ会場で、所属する患者会の秋の全国大会が行われた。去年までの大きな会場から、一回りこじんまりとした会場になったが、一体感がアップしたように思う。

 12時から16時までという4時間の長丁場、その後は場所を移してのパーティ。準備から後片づけまで、会長さんはじめ事務局の方々のお骨折りには例年のことながら本当に頭が下がる。
 さて、今回も実に盛りだくさんの内容。
 Part1、2の2部構成で、前半の会長さんのご挨拶の次に、サプライズでパーキンソン病のキーパーソンと自称される永六輔さんが登場し、皆で大拍手。そして、今年のゲストは評論家の大宅映子さん。80歳で乳がんを患ったお母様が100歳で大往生されたお話や、生命への畏敬の念を持つことの大切さ、病と闘う上での意識として、そういう畏れの気持ちがどこかにあればよいのでは、という有難いお話を頂いた。ノー原稿で15分のお話はさすがであった。
 続いてDoctor of the Year2014の表彰。今日の講演者である清水先生が目出度く受賞された。

 前半のラストは、昨年来の大会で好評を博したチェロやピアノのクラシック音楽による癒しの時間。若いピアニストのソロにも酔いしれた。

 後半は講演、全国から出席している会員紹介、講師の先生方への質問、全員合唱でのフィナーレと続く。

 後半の講演は、春の大会でのお話がとても興味深かった国立がんセンター中央病院 乳腺・腫瘍内科医の清水千佳子先生が再登壇。春のおさらいから始まって「乳がん医療を育てる―新薬と患者会への期待」をテーマに、30分の講演時間ではとてもとても・・・というほどのてんこ盛りの内容。
 最新の治療がより良い治療ではない、治療の価値は医療者だけでも患者だけでも決められない。患者と社会とともに考えるもの、というサバイバーシップに関する研究に注力されておられることに頷いた。
 次に「抗がん剤―開発・審査承認・薬価設定までの至難の道」と題して、国立がん研究センター 執行役員・企画戦略局長である藤原康弘先生が講演された。実際に使えるようになるまでに四半世紀、300億から1,000億という膨大な時間とお金がかかる新しい抗がん剤の説明に会場からはため息。自分のため、ではなく次の世代のための治験参加であることに納得する。がんワクチンや免疫療法、治験参加に際してのポイントなど興味深いお話が聞けて大満足。

 続いて「講師の先生がたに聞く」ということで、会長さんとかつて再発者のサロンでご一緒したこともあるMさんとともに、私も再発患者として登壇させて頂いた。始まる前に少しリラックスということで、お馴染み北は北海道、南は四国まで(残念ながら九州の方たちは台風のため飛行機が飛ばずご欠席)の多くの会員さんたちのご紹介がある。そして、会場全体がすっかり打ち解けた雰囲気になり、ディスカッション開始。

 会長さんは初発で完治されたサバイバーであるが、Mさんと私は現役の再発治療中患者だ。Mさんは私より人生でも大先輩、再発治療歴も13年という方。いつもパワフルで鮮やかな衣装に身を包み、小柄でおられるのを感じさせないほどの存在感。元気一杯でおられる。
 予定より時間は押して始まったが、残り僅かな時間でスケジュールは滞りなく終わり、各県の支部長さんたちが舞台前にずらりと勢揃いして「千の風になって」を歌い終えたところで終了時間となった。

 お開きの後、先日お世話になったイデアフォーのNさんともご挨拶も出来て良かった。
 今月のプチ虹のサロン開催は大会の後に、としていたので、Sさんとお茶へ移動することに。Kさんは風邪でダウンされ、もう一人のSさんも残念ながら出席が叶わず。既に4時間もの大会参加で草臥れているにもかかわらず、久しぶりにお目にかかったEさんたちと合流し、大人数になって、カフェへ。いつもながらなかなかお喋りは止まらず・・・。
 Sさんと最寄り駅までご一緒し、来月の再会を約束してお別れした。

 さて明日は、来週日曜日に控えたホームカミングデーの合唱本番前最後の合同練習の日だ。勤務する大学では祝日開講日にあたっているが、私は来月の祝日開講日に出勤するため、今回はカレンダー通りに三連休。練習に参加出来ることになってほっとしていた。が、またもや台風が近づいていて(今回7回参加した練習のうち3度目の台風直撃!である。)、普段より先生の練習開始時間が1時間早い。

 夫が「夜に都心から帰って来て、次の日の朝また都心に出かけて行くより泊まった方がいいんじゃないの?」と背中を押してくれた。ありがたや、では遠慮なく、ということで、急遽、練習場所の最寄駅前のビジネスホテルを予約した。
 それにしても、山手線内というのはどこへ行くにもなんと便利なことか。大抵のところは30分以内でドアツードアだ。

 そんなわけで、また独身貴族の夜をまったりと過ごさせて頂いている。明日の練習の復習に励みながら秋の夜長、贅沢に読書も愉しみたいと思っている。


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2014.10.11 更新しながら想うこと

2014-10-11 21:31:14 | 日記
 書きたいことがある時だけ、無理やり毎日は書かない、と宣言しながら、気付けばほぼ毎日の更新を続けている。
 夫から「随分と私生活を晒しているよね」と言われ、唸った。(これも十分生き恥を晒しているということなのかもしれない。)
 確かに、更新の度、事細かく書いていれば、否が応でもそうなってくる。
 登場させられている夫や息子もなんだか気の毒に思えてくる。
 ごく短い呟きのような文章であればそれほどでもないのだろうけれど、こう長々と綴っていれば、なおさらである。

 そもそもブログとは日々更新されるウエブ上の日記なのだから、日々の出来事や想いを綴るというのが私のスタンスだ。
 もちろん、一旦発信すればどれだけの方の眼に触れるか判らないという怖さがあるから、自分の想うままに書き殴ってよいという性質のものでもないと思う。
 日々のトピックだけ簡潔に書きとめるに留め、治療日記のように記録として延々と書くときは何回かに分ける、等のテクニックもあるだろうけれど、どうもその日に出来ることはその日のうちに処理したい、という貧乏性が邪魔をしている。

 私の生活は100%病に支配されているわけではないから、100%闘病ブログにしたくなかった、というのはいつかも書いたとおりだ。
 治療を続けながら色々な生活の愉しみ等も書いておきたい、それもこれもひっくるめて全てが私の毎日であることを、家族や友人知人へのメッセージとして遺しておきたい、と綴り続けてまもなく5年。

 同じ病を抱えておられ、参考にしたいのは治療日記の部分だけ、とおっしゃる方にはそのカテゴリーだけ拾い読みして頂ければ良いと思う。そうはいうものの、こうして日々内服薬を飲んでいるだけの状況が半年以上続き、大きく体調を崩すこともなく、通院するのは1カ月に1度となれば、面白くも痒くもない日記となっていく。けれど、胸の痛みや足の痺れがあることや、皮膚や粘膜が弱くなりすぐに切れて出血する、などということを毎日毎日繰り返し書くのもいかがなものか、とも思うし・・・・。

 となると今の私の日々は、何の不安も心配もなく、のうのうと仕事を続け、趣味も愉しむという恵まれた環境でお気楽に暮らしているように見えるかもしれない。
 言う迄もなくそんなことは決してないのだけれど。
 が、心穏やかな日常が一日も長く続くことこそが私にとってはとても有難いことである。
 入院だの、増悪だの、薬のチェンジ等、今のQOLを下げるようなイベントはなるべくならない方が良いに決まっている。

 長く続けていると色々想うことは尽きないし、立ち止まって考え込んでしまうこともあるけれど、気を取り直して私らしく綴り続けていきたい。

 明日は患者会の秋の大会がある。春に引き続き、またちょっぴり登壇させて頂くことになった。
 良いお天気に恵まれた今日は、午前中ホットフラのクラスでリフレッシュし、午後からはマッサージで癒され、美容院でカットとヘッドスパも欲張って、すっかり充電して準備万端。少しでもお役に立てればよいのだけれど・・・。
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2014.10.10 再発してもこれまで通り生きるために~イデアフォー通信第92号より~その5

2014-10-10 20:11:44 | イデアフォー
 4回にわたって連載してきたイデアフォー通信第92号からの記事も、いよいよ今回で最終回である。私の今の素直な思いをまとめてみた。

※   ※   ※(転載開始)

Ⅳ 社会に対して私が望むこと
 繰り返しになりますが、今や初発で治療専念のため、と仕事を辞する方はいないと思いますが、再発した後も治療は長期間続くのです。そして当然のことながら、生きている限り治療には半端でないお金がかかります。たとえ一時払いのがん保険が支払われても、それはあっという間に底がつきます。特に再発進行乳がんの予後は年単位です。
 例えば、乳がんの転移場所として一番多いといわれる骨転移が発覚したとします。ああ、もう全身転移なのだ、治らないのだ、と大きなショックを受けることは間違いないでしょう。けれど、痛み等の自覚症状が出ていなければ、ゾメタやランマークの治療を続けることで、おそらく殆ど今まで通りの生活を続けることが可能です。痛みさえうまくコントロールすることが出来れば、今まで通りの生活をし、寿命まで生きることも夢ではないわけです。だからこそ、仕事を軽々しく辞めてはいけないと思います。
 もちろん部位によっては歩行困難になる可能性もあります。万一そうなった場合には、QOLがどれほど下がるかわかりません。けれど放射線治療も可能です。厳しい現実ではありますが、誤解を恐れずに言えば、骨転移の場合、転移があったからといって即、命にかかわることになるわけでもないのです。

 今や2人に一人ががんになる時代です。がんになったからといって2人に1人の人がいちいち仕事を辞めていたら、社会は一体どれほどの人材を無駄にすることかと案じます。特に、少子高齢化で働く人たちがただでさえ少なくなっている昨今です。社会全体が立ち行かなくなってからでは遅いのです。
 がんになることは、決して他人事ではありません。2人に1人がかかるのですから、自分がならなくとも身近な家族が罹患することも十分ありえます。だからこそ、受け入れ側も明日は我が身のこととしてきちんと(再発)患者を雇用するように体制を整えて頂きたいと思います。意識改革には時間がかかるかもしれませんが、そうした社会全体の共通認識が絶対に必要な段階に来ていると考えます。

Ⅴ 患者会について私が思うこと
 最後になりましたが、私が患者会に入った理由を少しだけ。
 休職明け、まだタキソテールのいろいろな副作用が出ている中、これからどうやったら出来るだけ長い時間、再発治療と仕事、自分の生活を続けていくことが出来るのだろうか、と改めて考えました。
 その時、ふと手に取ったがんサポート雑誌に出ていた記事がきっかけでした。再発後、長生きしている人は皆、患者会をうまく利用している、ということが書いてあったのです。
 タキソテールの治療のために休職する迄は一度も患者会に入会しようとは思いませんでした。初発時、やれる治療は全てやったわけだし、これからはあまり病気に振り回されずに、一日も早く今までの生活に戻りたいと思っていましたので。が、再発し初めての抗がん剤の辛い治療を終えて、家族が支えてくれるとはいっても、やはり同じ病気で同じ経験をしているわけではありません。一人だけで次々と出現する副作用等に対峙しながら心穏やかにやり過ごすには正直、しんどかったのです。これから細く長くしぶとくこの病気と共存していくためには、やはりライフステージが近く、同じ病を得て同じような治療を続けている仲間がどうしても欲しい、と思いました。
 おかげさまで、今は患者会で知り合い、定期的にお会いして本音のお喋りが出来る大切な患者仲間がいます。そして患者会に背中を押されて書き始めたブログを通じて知り逢った仲間も数多くいます。一人ではない、と実感できることは、治療を続けていくうえでとても心強いことです。

Ⅵ おわりに
 再発治療を始めるに当たり、完全に治癒はしない、ということをまず受け容れる必要がありました。そうであるならば、目的は少しでも長く今のQOLを落とさずに延命していくこと、病と共存していくことでしょう。ですから、キツすぎる治療で身体を痛めつけ、寝たきりで何も出来ない日が続くことは本末転倒であり、とてもやりきれない、続けられないと強く思いました。
 今の主治医には自分がどうありたいかを常に伝えつつ、自分が納得いく治療を続けさせて頂いていることをとても満足しています。長い治療です。とにかく自分が納得して前に進まないことには始まりません。

 初発時に小学校3年生だった一人息子の中学受験の真っ最中に再発が判り、セカンドオピニオンに奔走していたことは、今でも思い出すと胸が痛みます。が、その彼もこの4月に大学に入学し、家を巣立ちました。
 再発が判った時、無治療では年単位の余命は望めないだろうが、治療をすれば数年単位、と言われました。その時、漠然とあと5年くらいの命だろうか、高校卒業式に出席することが出来るだろうか、と思ったこともありました。
 が、日々を積み重ね、振り返ればなんとかここまで命を繋いで頑張ってくることが出来ました。

 これからも希望は決して捨てずに、細く長くしぶとく、私らしく私なりに頑張りすぎずに頑張っていきたいと思います。
 最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。
 皆さまがご自分らしく、納得して病と共存されていけますことを心からお祈りいたします。

(転載終了)※    ※    ※

 夕方からのイベントを無事終えて、明日から三連休。定時に職場を出たところで外はすっかり暗い季節になった。息子が家を巣立ったことで、帰宅したら一刻も早く夕飯を作らなくては、という強迫観念のような焦燥感が大分軽減したのは有難いことだ。

 さてここ数日、口内炎が出来てしまって食事が摂りにくい。夫が宴会ということをいいことに、適当な夕食を済ませる。口の中は実にデリケートで、小さな口内炎が一つ出来てもこれだけ気になるのだから、副作用で複数の口内炎が次から次へと出来てしまうと、本当に大変。そうした副作用に悩まされながら治療を続けている方たちが少しでも軽減することを祈りたい。
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