先日出席した患者会の大会において、ゲストの大宅映子さんがお話された中で、本当にそうだ、と頷いたことがあった。
女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが遺伝子検査の結果、乳がん発症リスクを減らすために事前に乳房を全摘出したことに触れ、知らなくていいことまでは知らなくていいのではないか、と。ご自身はもう73歳なので(もちろんなさらない)、・・・とおっしゃっていたけれど。
もし私が、母を乳がんや卵巣がんで若くして亡くしていたらどうしていただろう。
そして、私のDNAの中にその遺伝性乳がん遺伝子が存在するとして、娘がいたら、その検査を受けさせるかどうか・・・本当に悩ましいことだ。
遺伝子を解明出来るようになったからといって、当然のことながら全てがクリアになるわけでもない。あくまでも確率論だから、たとえばアンジーの発症率とされた87%が5%になったとしても、ゼロにはならない。それでも自分の、あるいは娘の身体を傷つけられるのかどうか。
もはや人知の及ばない“神の手”の範疇であるように思う。それこそが大宅さんがおっしゃった“生というものに対する畏れ・畏怖の念”、あるいは“Something Great”ということなのだと思うけれど。
誰しも生まれてきたら必ず死んでいかなければならない。これはもう厳然たる事実なのだけれど、いかにして一日でも長く、一日でも健康でい続けられるか、それが出来る人が人生の勝ち組、というような昨今の風潮になんだか息苦しくなる。
翻って、数年前、中心静脈ポートの不具合でナベルビンが皮下漏出し、抜去と再設置手術に伴い1泊入院をしていた時、執刀医の説明を受けながら、「いろいろ知ってしまいますね・・・」とお話したことを思い出した。医師は「知らなくていいことまで知る必要はないのですけれどね」とおっしゃったけれど。
そして、同じく通院先の針刺し名人O看護師が、いみじくも「(この仕事をしていると)知らなくていいことを色々知りすぎてしまっているので、悩むことが多いんですよね」とおっしゃっていたことも。化学療法室に長く勤務しておられれば当然そういうことなのだろう。
確かにこの病気と付き合うようになって、健康でいれば知らなくてもいいことを随分知ってしまった。もちろん、自分が必要に駆られて知りたくて調べたこともあるし、知りたくなくても知ってしまったこともある。
“知る権利”とともに“知らなくて良い権利”もあるのではないか、と思う。
世の中には色々なことをご親切に教えてくださる方もいるけれど、知らなくていいことはあえて“知らぬが仏”でいた方が心穏やかに過ごせるのではないかと思う。が、果たしてどんなものなのだろう。
昨日の台風一過の青空はどこへやら。今日は冷たい雨がそぼ降る冬のような寒い一日になった。昨日との気温差は10度近く。風邪をひかないように気をつけなくては。
月末には早々とインフルエンザの予防注射を予約完了したせっかちな私である。
帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。重いほど沢山の蕾を付けた白と濃いピンクのオリエンタルリリーが1本ずつ、オフホワイト、ピンク、淡いオレンジのカーネーションが1本ずつ、ルスカスの葉が2本。花言葉はそれぞれ「高貴」、「女の愛」だという。
女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが遺伝子検査の結果、乳がん発症リスクを減らすために事前に乳房を全摘出したことに触れ、知らなくていいことまでは知らなくていいのではないか、と。ご自身はもう73歳なので(もちろんなさらない)、・・・とおっしゃっていたけれど。
もし私が、母を乳がんや卵巣がんで若くして亡くしていたらどうしていただろう。
そして、私のDNAの中にその遺伝性乳がん遺伝子が存在するとして、娘がいたら、その検査を受けさせるかどうか・・・本当に悩ましいことだ。
遺伝子を解明出来るようになったからといって、当然のことながら全てがクリアになるわけでもない。あくまでも確率論だから、たとえばアンジーの発症率とされた87%が5%になったとしても、ゼロにはならない。それでも自分の、あるいは娘の身体を傷つけられるのかどうか。
もはや人知の及ばない“神の手”の範疇であるように思う。それこそが大宅さんがおっしゃった“生というものに対する畏れ・畏怖の念”、あるいは“Something Great”ということなのだと思うけれど。
誰しも生まれてきたら必ず死んでいかなければならない。これはもう厳然たる事実なのだけれど、いかにして一日でも長く、一日でも健康でい続けられるか、それが出来る人が人生の勝ち組、というような昨今の風潮になんだか息苦しくなる。
翻って、数年前、中心静脈ポートの不具合でナベルビンが皮下漏出し、抜去と再設置手術に伴い1泊入院をしていた時、執刀医の説明を受けながら、「いろいろ知ってしまいますね・・・」とお話したことを思い出した。医師は「知らなくていいことまで知る必要はないのですけれどね」とおっしゃったけれど。
そして、同じく通院先の針刺し名人O看護師が、いみじくも「(この仕事をしていると)知らなくていいことを色々知りすぎてしまっているので、悩むことが多いんですよね」とおっしゃっていたことも。化学療法室に長く勤務しておられれば当然そういうことなのだろう。
確かにこの病気と付き合うようになって、健康でいれば知らなくてもいいことを随分知ってしまった。もちろん、自分が必要に駆られて知りたくて調べたこともあるし、知りたくなくても知ってしまったこともある。
“知る権利”とともに“知らなくて良い権利”もあるのではないか、と思う。
世の中には色々なことをご親切に教えてくださる方もいるけれど、知らなくていいことはあえて“知らぬが仏”でいた方が心穏やかに過ごせるのではないかと思う。が、果たしてどんなものなのだろう。
昨日の台風一過の青空はどこへやら。今日は冷たい雨がそぼ降る冬のような寒い一日になった。昨日との気温差は10度近く。風邪をひかないように気をつけなくては。
月末には早々とインフルエンザの予防注射を予約完了したせっかちな私である。
帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。重いほど沢山の蕾を付けた白と濃いピンクのオリエンタルリリーが1本ずつ、オフホワイト、ピンク、淡いオレンジのカーネーションが1本ずつ、ルスカスの葉が2本。花言葉はそれぞれ「高貴」、「女の愛」だという。