ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.8.15 猛暑日の次は?

2019-08-15 21:04:50 | 日記

 8月6日の広島、9日の長崎、そして12日の御巣鷹山、今日74回目の終戦記念日。鎮魂の10日余りが過ぎれば、子ども達の夏休みも残すところあと半月。1週間の命、声を限りに鳴いていた蝉たちが各々の生を全うして地面に転がっている姿も多々目にするようになった。
 特にお盆休みがあるわけではない職場だけれど、やはりこの時期にお休みする職員は多く、事務室はいつになく静かである。出勤した夫も電車が空いていたとのこと。

 昨日は大型台風の影響なのか上越市で最高気温40度超えを記録した、というニュースにたじろいだ。天気予報では、週末は内陸で40度近くに上がるところがあり、とサラリと言うのを聞いてますますのけぞった。

 40度、である。高熱でうなされる体温以上の気温である。
 一日の最高気温がセ氏25度以上の日は「夏日」、30度以上は「真夏日」、35度以上を「猛暑日」というが(酷暑日は猛暑日の俗称だそうだ。)、昔は最高気温が35度以上になる日が少なかったため、35度以上の日表す正式な予報用語はなかったそうだ。
 そんな「猛暑日」の呼び名が一般的になってきたのは、ここ5,6年くらいのことではないか、となんとなく思っていたら、35度以上になる日が増えたことから気象庁が予報用語を改正して「猛暑日」としたのは2007年4月1日のことだそう。もう干支が一回回っているとは・・・。
 それが最近は40度、である。今度は一体なんと呼ぶのか。命を脅かすような最高気温。考えただけで恐ろしいことだ。

 そんな季節に来年はオリンピック開催。アスリートもさることながらギャラリーは大丈夫だろうか。
 早朝でも太陽燦燦、日傘をさして歩くだけでも照り返しでやられそうになるというのに、そんな戸外で競技をするのは危険ではないだろうか。

 7年前、なんだか良く分からないうちに招致が決まった時から我が家では果たして今、何故、東京でオリンピックなのか・・・という疑問の方が強かったし、私に至っては2020年?あと7年後なんて遠い将来、とても生きているかどうかわからないし、と冷めていた。
 細く長くしぶとく・・・と治療を続けながらおかげさまでこうして生き永らえることが出来、気付けば開幕まであと1年を切るところまで迫った。なんだか世間は気運を高めなくては、と踊らされているような気がする。
 チケットを買って現場まで観にいこうという気持ちにはいまだ全くなれない。とにかく、病人も怪我人も出ずに無事に開催されることを祈るのみである。
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2019.8.14 道のりは遠い

2019-08-14 20:52:23 | かつら

 朗報としてこのブログでも紹介させて頂いた脱毛抑制機器の後日談の記事を、愛読している朝日新聞の医療サイト、アピタルで見つけた。以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

抗がん剤の脱毛抑える機器、保険適用なく 利用は自費で(田村建二 2019年8月13日10時00分)

 抗がん剤治療に伴う脱毛を抑えるのを目的に、今春に承認された医療機器の使用に関して、メーカーが求めていた公的医療保険の適用は認められないことになった。患者は専用のキャップ(定価9万円)を自費で買うなどして使うことになりそうだ。機器は9月以降、脱毛の抑制に熱心に取り組む医療機関に順次納入される予定という。
 この機器は「パックスマン・スカルプ・クーリング・システム」。英国のメーカーからセンチュリーメディカル社(本社・東京都)が輸入し、販売する。
 機器は、患者が複数回の抗がん剤治療を受けるごとに、その開始前から終了後にかけて、頭部につけた専用キャップに零下4度ほどの冷却液を流す。頭皮を冷やして血管を縮め、毛包(もうほう)という場所に届く抗がん剤の量を減らすことで脱毛を抑える。乳がんなどの固形がんが対象になる。
 同社が厚生労働省に保険適用を求めていた。認められなかった理由は公表されていない。保険適用の抗がん剤治療などを並行して受けても問題はないという。
 患者はキャップ代のほか、頭皮の冷却を受けるごとに機器の使用料などを支払うことになりそうだ。金額はそれぞれの施設が決めるが、一連の処置に伴う患者の負担額はキャップ代も含めて10万円以上になることが多いと予想される。
 乳がん患者を対象にした国内の治験では、このシステムを使った30人のうち、脱毛の程度が半分未満に抑えられて「ウィッグの必要なし」と判定された人が8人(26.7%)いた。
 より高い効果につなげるため、同社は治験のあと、日本人の頭部の形に合わせて密着度をより高めたキャップを新たに開発したとしている。米国での研究では、ほぼ半数の患者が同様の判定を受けている。(田村建二)

(転載終了)※   ※   ※

 両面にわたって残念なことである。
 1つは公的保険適応にならなかったこと。試したい人が自費ならどうぞご自由に、熱心な機関だけどうぞ納品を、というスタンスである。
 そしてもうひとつは効果面。装着した結果、ウイッグ必要なしと判断されたのは30人中8人に留まったという厳然たる事実である。

 抗がん剤による脱毛というダメージから脱却するには、まだまだ道は遠いのだ、と思い知らされる。
 現在、人生3回目の脱毛を経験し、かつら生活を送っている身としては、正直なんだかなあである。

 ショートヘアにして久しい私だが、今の調子で(抗がん剤治療をお休み出来て)順調に髪の毛が伸びても、どう楽観的に見積もっても1年後、最短でも来年の夏かつら卒業が出来るかどうか、といったところ。
 夏も涼しい、という新製品のかつらを被って2ヶ月ほどが経つ。なるほど10年前のかつらよりも断然被り心地は良い。

 けれど、猛暑の日々、暑くないかと問われれば決してそうは言えない。軽いし、締め付けられ感も、それによる頭痛も断然楽になったけれど、やはりきちんと汗をかいて冷してくれる地毛に勝る涼しさはない。家では素頭でいられるけれど、外出するには程遠い。雛鳥状坊主頭だ。

 今でも帰宅すれば、真っ先に頭を取りたい、という気分になるのは変わらない。
 そして10万円以上の負担額となれば、それなりに良質なかつらを準備できる価格だ。これで100%かつらは要りません、というならまだしも、それだけ支出してもかつらが不要にならない人が4分の3。これではダブルの出費。泣きっ面に蜂ではないか。

 かつてに比べ、アピアランスケアに脚光が当たってはきてはいるけれど、やはりまだ命が助かるなら、脱毛は我慢してね、という域を出ていないのだと感じる。
 そして、技術的にもまだ米国には追いついていないということか。まあ、ほぼ半数はかつらが不要ですと言われたところで、確率論的には自分に置き換えればオールオアナッシング。かつらが要るか要らないか、どちらか2つに1つである。頭半分だけかつらということはありえない。結果が五分五分ではあまりにリスキーである。

 願わくばこの装置が一日も早く保険適応になって、どこの病院にも設置されて試したい人は試すことが出来て、かつ試した人には間違いなく効果が出てかつら不要にならんことを。
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2018.8.13 乳がん患者さんのための瞑想ヨーガクラス10月、11月コース開講

2019-08-13 20:48:02 | お知らせ
 
 残暑お見舞い申し上げます。
 梅雨明けが全国的に遅かった今年の夏ですが、その後の猛暑が身体に堪えております。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 秋以降に行われる、患者会ASHAREさん主催の「乳がん患者さんのための瞑想ヨーガクラス」のお知らせです。
 2年目を迎えた今年も、おかげさまで毎回キャンセル待ちをして頂くほどご好評を頂き、申し訳なくも大きな励みとさせて頂いております。
 今月と来月は夏休みを頂いておりますが、この度、秋以降の10月、11月の日程調整が整いましたのでお知らせいたします。

 これまで同様、とても素敵な広報の頁が出来上がりましたので、下記にリンクさせて頂きます。リラックス効果の高い精油で芳香浴をしながら、ストレスリリースして頂けると思います。さらに嬉しい<アロマ&ハーブプチギフトつき>です。

 もしご興味がありましたら、是非ご覧ください。そしてご都合がよろしければ、どうぞお申込みください。
 夏の疲れや睡眠不足で不調が出やすい季節であると同時に、気持ち良く身体を動かせるスポーツの秋でもあります。上手にリラックスしつつ、ついつい冷房に当たり過ぎてちょっぴり凝り固まってしまったかもしれない身体を気持ちよくストレッチしてまいりましょう。多くの方とお目にかかれるのを今から楽しみにしております。

 11月クラスの後には午後「アロマde笑顔」の講習会も同日開催されるようです。楽しみですね。

 乳がん患者向け瞑想ヨーガクラス10月、11月コース
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2019.8.12 三連休最終日、メンテのちランチとヨガでリフレッシュ

2019-08-12 20:35:45 | 日記

 三連休最終日。ベッドの中で朝の連続テレビ小説を視てから起きる。珍しく夫が先に起きている。
 少し暑さが和らいだように感じたのは薄曇りだったからか。昨日までのように朝から息苦しいほどの照り返しはない。
 それでも洗濯物は十分乾きそうなので、シーツ等大物もどんどん放り込んで洗濯機を廻し、ベッドメイキングを済ませる。
 朝食に、ピンクグレープフルーツを一人一個丸ごとジュースにして、さらにスイカを頂いたら、早速下痢になった。今回は大丈夫!とちょっと安心していたのだけれど、トホホ、油断大敵である。その後は5回連続の水様便でお手洗いを往復してちょっとぐったり。

 今日は月1度のお楽しみ、Wさんサロンでマッサージの日だ。なんとか予約の時間に無事到着して、まずは心ばかりの旅行のお土産をお渡し。お腹を壊しているので、もしかしたら施術途中でお手洗いに行くことになるかも・・・と事情をお話しして、到着すぐの水分補給をお断りする。
 母の手術がまた延びた話やら旅の話やらをしているうちにウトウト。既にお腹が空っぽだったせいか、腹痛でお手洗いに・・・と施術を中断させることもなく、極楽タイムは無事終了した。

 次回の予約をし、お茶を頂き、母とランチの約束をしているので・・・と早々に失礼して、サロン近くのレストランに向かう。
 三連休最終日でレストランは満席。母と夫が既に到着して着席していた。お腹の調子が心配なので、ちょっと控えめに単品とお茶だけオーダー。夫は、旅行以来すっかりお昼からワインの癖がついたとかなんとか、お酒も甘いものもウエルカムでしっかりデザートまで完食。

 母にお土産を渡し、タブレットで旅の写真を見せる。亡き父が定年後、まだ元気だった頃、年に何度も夫婦で世界中を旅していた。先日のツアーでも熟年夫婦の皆さんのお買い物を見ていたら、お孫さんのお土産を買う方が多く、2人もそうだったのだろうな、となんとなく感慨深く眺めていた。そんなわけで2人は中欧各都市も訪れており、つい先日訪れたばかりの夫が既にプラハのカレル橋の名前を忘れているというのに、行ったのは四半世紀前にもなる筈の母がその名前を憶えているのにびっくりする。
 ゆっくりお茶を飲んでいると、また腹痛が始まり、下痢になった。うーん、一度壊すとなかなか落ち着かなくなる。

 母がバスに乗るのを見送って、私たちは駅ナカのスーパーで買い物を済ませる。さて、電車に乗って最寄り駅まで帰ろうと改札に行くと、なんと人身事故のため運転見合わせ中である。事故からは既に1時間以上経過しており、運転再開見込み時間を過ぎているので、ひとまずホームに上がると、人で溢れていた。このまま動かなかったら予約しているヨガクラスをキャンセル出来る時間も過ぎているし・・・と顎を出しかけたら、ほどなくして電車が動き出した。良かった。スタジオにセーフで到着。

 リンパリラックスのクラスに参加したが、お盆休みのせいか今日も10人ほど。男性も殆どいなくてのびのび。マッサージを終えて代謝が良くなっているのに加え、クラスのセルフマッサージの相乗効果でたっぷり発汗。リラックスとデトックスが出来た。まだ時間も早かったので、クラス後の10分ヨガにも参加して、お尻や腰のあたりをマッサージボールで解していい気分でスタジオを後にした。

 帰路、母に頼まれたものをアウトレットモールで買って帰ろうと寄り道したら、セール最終日だったせいか凄い混雑で、レジは長蛇の列。これはとてもではないと退散して、平日に出直すことにした。そのまま帰ればよいものを、いつものショップに引っかかってしまい、先日欲しかったけれど、欲しい色がなかったものを偶然見つけ、さらに最終セール価格になっており、ふらふらと購入してしまった。

 帰宅後はウエアを洗濯し、お風呂を洗い、食器の後片付けの洗い物をし・・・と水仕事は全く苦にならないのだけれど、何より火を使うのは勘弁。ということで、またしても夕食の支度は夫が引き受けてくれる有難い三連休最終日の夜である。



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2019.8.11 三連休2日目 溶けそうに暑い・・・合唱練習再開

2019-08-11 20:45:28 | 合唱

 昨夜はレイトショー(2時間以上ずーっとハイテンションアクション炸裂で眠くなる暇は全くなかった。)を観て、帰宅したのは日付が変わる頃。その時間でもまだ日中の熱が冷めず、涼しさからは程遠い暑さだった。入浴して就寝し、6時間連続して眠り、その後少しだけまどろみながら寝坊を楽しんだ。

 今日も朝から暑い。朝食の支度をして夫を起こす。今日は4週間ぶりの合唱練習の日だ。朝食を済ませてから拭き掃除。水仕事はこの暑さで気持ち良いけれど、あっという間に汗が流れ落ちる。
 このままでは出かけられない、とシャワーを浴びてさっぱりしてから家を出た。夫がクリーニング店に行くからと荷物を自転車の籠に入れて駅まで送ってくれた。
 出がけにドタバタしていたら音源を録音したipodを持って出るのを忘れてしまった。仕方なく車内では楽譜を繰りながら一通り感じを思い出す。

 前回は、練習場所最寄り駅の駅ナカカフェが混雑していて練習に遅刻したので、今日は乗換駅でランチを済ませることに。すんなり入れて注文したものもすぐに出てきて、時間をかけてちゃんと頂くことが出来た。それにしても暑い。周りを見ると皆アイスティやアイスコーヒー、ジュースと冷たい飲みものを頼んでいる方ばかり。ちょっと油断して冷たいものを頂くとまた下痢の憂き目にあうので、ここはぐっと堪えて暖かいレモンティーを頂いた。

 練習場所最寄り駅に到着。あまりの陽射しと熱風にクラクラする。日傘を差していても、照り返しが酷い。徒歩7,8分の距離がとてつもなく遠く感じる。
 会場ではちょうど準備体操が始まったところ。後ろから入り、今月分の会費の支払いを済ませた。第九の受付も始まっており、今日は2枚の領収証を頂いた。聞けば、第九の合唱参加表明者は300人を超え、そのうち我が団のOB・OGが100人以上を占め、現役を加えれば半数以上が我が団関係者だとのこと。今後の練習予定のプリントを頂き、発声練習に加わった。

 さすがにお盆休みが始まったとみえて、参加人数が少ない。ソプラノは私を入れて4名。アルトが2名、テナーとベース合わせて3,4名。遅れて来られる方たちがいて、最終的に男性は指揮者を含めて7名、女性7名になった。

 前半は12期上のKさんの指揮で、前回練習しなかった初めてのイタリア曲を。予習不足で殆ど初見状態。イタリア語の歌詞が難しい。日本語はなんとなくモゴモゴでも喋れてしまう言葉だけれど、外国の言葉はきちんと口の周りの筋肉を動かさないと全くそれらしく聞こえない。セカンドソプラノは15期上の先輩と私の二人。声量があって圧倒される。私が一番の若輩者なので居心地よく、ついつい甘えてしまってはいけないのだけれど。1時間ほど冷や汗をかきつつ歌った後は、小休止。夏休みの宿題でちゃんとYouTubeを聞いておかなくてはと反省する。

 その後は前回も練習したバッハのモテⅢ。5期下のSさんの指揮だ。全曲通しで歌える時間はないので、ピックアップして7分半ほどに納まる5曲を考えているとのことで、今日はそれだけ軽く歌う。
 ここで給水のための10分ほど休憩し、後半の練習も引き続きSさん。邦人曲は昨夏乳がんのため亡くなったさくらももこさんの作詞、相澤直人さん作曲の「ぜんぶ」だ。本当にいい曲で、ついつい色々な想いを込めてしまう。

 この歌を30分ほど練習したところで、前回難儀をしたイタリア曲をもう一度。情けないほど覚えていなくて、言葉がつかない部分は歌えるけれど、そうでない部分は発音もかなりあやふや。反省しきりである。
 残り30分となり、では第九を気持ちよく歌っておしまいにしましょう、となる。

 第九を歌うのはおよそ10年ぶりの3回目。10年前にOB・OG合唱団に初めて参加したのがご縁でお誘い頂き、翌年の5月の連休に上野文化会館で歌って以来のことだ。最初に歌ったのは忘れもしない大学1年の時の演奏旅行。本場ザルツブルクまで出かけたのだった。怖いもの知らずだったというかなんというか。

 まあ、曲の感じも言葉も覚えているけれど、なんといっても最初から最後まで歌い切る体力と、高音が出し続けられるかどうかがかなり心配。とはいっても今からアルトの音取りをする元気もないし、高音部は現役に任せてもいいかな、と大きな声では言えない不真面目なことを考えている。

 ピアノの伴奏も難しいので、いつも付き合ってくださっているFさんも大変そう。フィナーレ部分で高音をずっと伸ばし、皆でヨレヨレになって時間切れとなった。声がガラガラである。
 とにもかくにも今日も3時間の練習を最後まで参加することが出来てほっとした。

 次回の練習は2週間後。今日お休みだった先輩や同期の友人もまた戻ってきてくれるだろうか。会場の片づけを済ませ、帰路はなんとなく女性全員でぶらぶらと最寄り駅まで、そして同じ方向の方たち4人で私鉄の乗換駅までお喋りをしながら帰ってきた。

 帰路はライナーを予約しており、時間調整のため百貨店で涼む。セールでどこもとても混んでいる。夫から頼まれていた水羊羹をお土産に買い求めた後はなんとなくウインドウショッピングをしたが、レジはどこも混んでおり、並ぶ元気も時間もない。そのままホームに向かった。前回はお腹の調子が悪かったが、今日は少し緩い程度で腹痛もない。もちろん三度三度ミヤBM錠は欠かしていないけれど、このまま落ち着いてくれますように。

 連休2日目、暑さ厳しい山の日も無事合唱練習を満喫出来た。次回までちゃんと復習をしておかなくては。
 そういえば、大学から、卒業35年後(昭和60年次卒業生)ということでホームカミングデーの招待状が届いていた。OB・OG合唱団に初めて参加したのは2009年卒業25年後の年だった。2008年は再発治療が始まったばかりで体調が優れず、結局参加を断念したが、まさか翌年から何回か不参加の年はあったにせよ、こうして10年続けて来られてまた招待状が頂けるとは、そして何よりこうして自分が曲がりなりにも元気で出演しようと思っているとは夢にも思わなかった。
 出来れば45年目も・・・などと大風呂敷を広げるつもりはないけれど、ここに来ればまだまだ若輩、の雰囲気がどこまでも心地よい有難い場所であることには違いない。
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