ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.7.15 採血後腫瘍内科診察、エンハーツ初回投与後、レントゲン撮影

2020-07-16 01:03:25 | 治療日記

 昨日は終日仕事。相変わらず胸痛はあったが、少し落ち着いてきたのを見計らって、思い切って夜のボディバランスヨガのクラスに出た。正解。男性3人、女性4人でのびのびだった。
 シャワーでサッパリしてから夫と合流して駅前で合流、夕食を済ませてそのまま前泊のため病院最寄り駅に向かった。

 行きの車内はそこそこ空席もあり、若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」(河出文庫)を読み始めた。芥川賞受賞のこの作品、今年の秋には映画化されるそう。主役の桃子さんは田中裕子さん。表紙のカバーは映画のパンフレットのような写真が特別に2重にかかっている。「嬉しいことも哀しいことも人生は賑やかだ」とある。なつかしいふるさとの言葉で語られる桃子さんの内なる声を聴きながら、頁を繰っているうちに病院最寄り駅に到着する。霧雨がぽつぽつと降っている。

 泊まるのは前回と同じホテル。ビニールカーテンがかかったチェックインカウンターにもすっかり慣れた。手続きを済ませ、部屋に入って暫し寛ぐ。既にシャワーを浴びていたので、さっとお風呂で暖まってベッドに入って早めに寝た。5時間ほど連続して眠り、明け方お手洗いに起きる。まだあと2時間は眠れると二度寝にトライしたけれど、結局眠れずじまい。そろそろモーニングコールが鳴るなあ、と思いながらベッドにいた。

 足湯を済ませ、身支度を整え、レストランに降りる。今朝もがらがら。私以外2人。テレビのニュースの音が聞こえるだけでひたすら静か。各々が食事を終えるとマスクを着けて席を立つ。外はまだ雨が降り始めてはいないようだ。
 朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウト。食後は快調なお通じ。コデインのおかげで下痢が止まっているのは怪我の功名である。
 
 IDカードを通す列でも並ばずにスムーズ。まずは採血受付へ移動。10数名待っていて13分待ちと出ていた。確かに待合い椅子がかなり密状態である。ほどなくして採血室へどうぞ、と番号が出た。13分もかかっていない感じだった。
 採血担当は、今日も前回と同じ男性だった。今日は「おはようございます」とご挨拶すると返事があったけれど、相変わらず名札をつけていないので名前も分からないし、技師さんなのか看護師さんなのかも不明である。

 針刺しは今日も痛む。注射式の採血針よりチューブ式になっている採血針の方が痛まないような気がするので、「こちらの方が痛くないですよね?」と言ってみたけれど、その方が仰るには、チューブ式より注射式の方が針が鋭いものを使っているので、痛まない筈なのだそうだ。
 抜く時も痛かった。そんな顔をしたら「痛かったですか、すみません」と一言。お礼を言って席を立った。

 止血をしたまま向かいの腫瘍内科へ向かう。まず待合い席を確保しようとしたら、もうかなり席が埋まっている。後ろ2列が空いていたので、そちらに向かったら、その真ん中に中年の女性がやって来た。お一人なので、2列はいらないかと、「後ろの列に座っていいですか?」と問うと、「あ、家族4人で座るので」と仰る。家族4人?「あ、そういうことなのですか?」とその場は引き下がり、やむなく別の席を探してとりあえず荷物を置かせてもらって、受付へ。

 今月初めてなので保険証も。問診票の追加を頂き、その場でせきや息切れ「あり」に〇をした。
 そしてクラークさんに「密状態を避けるために待合い椅子が少なくなっているところに付き添いを含めて家族4人での来院はいかにも多くないでしょうか。それで患者が席に座れないのはどうなのでしょう。」と一言。「仰る通りです。そのようにお願いしているのですが、なかなか・・・。」と仰って中に入って行かれた。とりあえず昨日の続きの読書を始めたところにクラークさんが戻ってきて「出来れば患者さんのご意見箱が後ろにありますので、書いて頂けると有難いです。」と仰る。「もう話を聞いて頂いたので、大丈夫ですよ。」とお答えし、読書に戻る。

 裏表紙には「ひとりだけれど、ひとりじゃない。おらの今は、こわいものなし。70代、一人暮らしの桃子さん。2人の子どもを育て上げ、夫婦水入らずの平穏な日々が続くはずだったのにー最愛の夫を亡くし、子どもたちは疎遠。おらはちゃんとに生きだべか?悲しみの果て、人生の意味を問う桃子さんに、突然ふるさとの懐かしい言葉で、様々な内なる声がジャズセッションのように湧いてくる。そして思いもよらぬ賑やかな毎日がー」とあるが、語りはいわゆる東北弁。

 夫のふるさと言葉ともどこか通じるところがあって、なぜか懐かしく意味がわかる(ような気がする)。遠野生まれの作者・若竹さんは主婦業の傍ら、幼いころからの「作家になる」という夢を持ち続け、55歳から小説講座に通い、8年をかけてこの作品を執筆し、63歳でデビューされている。そして2018年に芥川賞受賞。凄い。母親との関係、親からされて自分がされて嫌だった子育てをいつの間にか繰り返す自分、子どもたちとの関係、孤独、老いへの恐怖・・・深く深く頷きつつ、1時間ほど読む。

 途中、化学療法室のOkさんが見えて、SpO2と体温測定。自宅で測ると91%なんてこともあるのだが、無事97%が出た。体温は7度1分。「あら、ちょっと高めですね。よく眠れましたか?緊張してますか。万全に行いますからね。」と。「先ほどちょっと朝から血圧が上がったかも、ということがあり、5時間ほど眠りました。でも嬉しいです。ここのところずっと痛かったので、エンハーツが出来て有難いです。」とお答えする。それから読書の切りのいいところで血圧測定。109-72、脈拍は78。
 
 それから15分ほどで「中待合いへどうぞ」に番号が掲示板に出た。荷物を抱えて移動する。中待合いは各先生が一人ずつしか入れないので、空いている。20分ほどして先生がお顔を出され、診察室へ入った。「おはようございます。」とご挨拶をして、荷物をカゴに入れながら席に着く。
 
 席に着くと咳が出てしまう。「今日は咳が出ますか?」と訊かれて「それほどではないですが、一旦出ると結構続きます。」とお答えする。「今月に入ってから、ずっと痛み、コデインを日に2度は飲む感じです。そのおかげで咳が少し減って、下痢がなくなり快調です。」とご報告。「どのあたりが痛みますか?」と問われ、「今までの胸骨から右肋骨のあたり全般です。下着が当たるせいもあるかもしれませんが。」と答える。

 採血結果の数値をご覧になり、「腫瘍マーカーは横這いですね。」と。グーンと急カーブで上昇していなかったのでほっとする。それ以外も特に大きな変化はないということで一安心。今日からエンハーツスタートということで、化学療法室の帰りにレントゲン撮影をして、エンハーツ使用前として観ておきましょうと確認がある。
 
 薬は、現在、ロキソニンを毎食後3回飲んでいるが、それで足りず頓服でコデインを足していたが、これからはロキソニン3回ベースは崩さず、コデインも一日3回飲むということになった。漢方やタリージェ、ビタノイリン、タケプロンはそのまま、さらに白血球が減った時に備えて抗生剤クラビット、下痢止めのロペミン(小児用)、吐き気止めのイメンド、ナウゼリン等オールスターで12種類が処方された。

 ここの病院で正真正銘第一号のエンハーツ投与患者だそう。栄えある第1号だけれど、いかんせん切り込み隊長としてはちょっと頼りないのであるが。   吐き気止めについてはイメンドを飲み、点滴でアロキシやステロイドも入る。先週仰っていた通り、がっつり吐き気止め3点セットを入れて万全の対策、である。

 次回の投与前に、好中球の減少度を測るため、一度通院して採血することになった。下がっていればグランを打って数値を上げて次週トライ。さらに低ければ容量を減量して続行するという。
 重篤な副作用として出現する可能性のある間質性肺炎になってしまえば、治療を止めなければならない。いつ再開出来るのか、を考えると本当に心配だ。なりませんように、と祈るしかない。
 それでは、とお礼のご挨拶をして席を立った。

 化学療法室では既にお一人が待っていた。LINEに繋がるシステムで受付を済ませ、お手洗いへ。夫やお友達にLINE報告するのはいつものとおり。15分ほどするとMさんが「薬を飲みましょう」とイメンドを持ってきてくださる。イメンドを飲んで1時間後に点滴開始だ。「(エンハーツの前に吐き気止め等)前薬の投与(アロキシ等の吐き気止め)があるので、それほど待たずに始められると思います」とのこと。
 今日は珍しくベッドに案内された。荷物を整理してベッド周りを整えていると、ヘルプのSさんが針刺しに見えた。今日は殆ど痛まずラッキー。

 薬剤師のTさんが見える。「また変更になりました。」とご挨拶する。治療スケジュールのペーパーとエンハーツのパンフレット、ダイアリーを持ってきてくださり、暫しそれに基づいて説明があった。エンハーツはこれまでのように生食に溶かしてある薬でなく、ブドウ糖に溶けている。混在を防ぐため、アロキシ・デキサートミックスの後、ブドウ糖液を入れてからエンハーツ、エンハーツの後は再度ブドウ糖液を入れてから最後に生食だそうだ。初めてのパターン。

 副作用は間質性肺炎の他、食欲不振・吐き気、下痢、口内炎、脱毛、白血球減少、赤血球減少、血小板減少、とある。まあ、あれこれ気に病んで見ても始まらない。もうサイは投げられた。コデインのおかげで下痢も咳も緩和されるし、悪いことばかりではない。「想像を絶する痛みを10とすると、どのくらいの痛さですか?」と問われ、「数字では難しいけれど常に笑顔が出ないくらいの圧痛、鈍痛がベースにあり、これでは働けない、という感じの時にコデインを足していました。」とお答えする。

 まあ、家でゴロゴロ横になっていたらなんとかやり過ごす痛みかもしれないのだけれど。「痛み止めは痛くなってから飲むとなかなか効かないので、ずっと継続して飲んだ方がいいです」とのこと。今回はたっぷり処方して頂いたので、それについてもほっとした。

 10分ほどするとKwさんから薬が届いた。エンハーツは遮光が必要な薬ということで、チューブにもオレンジ色のカバーがかけられている。物々しい。初めてなのであれもこれも慎重に行うということなのだろう。思わず写真を撮って夫に送る。調剤したら4時間以内に使い切る必要があるそうだ。途中で具合が悪くなって使えなくなったら、とんでもなくもったいない。

 化学療法室に入ってから小一時間でアロキシ+デキサートの点滴開始。2冊目の本を読み始めた。桐野夏生さんの「デンジャラス」(中公文庫)。帯には「この家族王国に、男は要らない。君臨する一人の男をとりまくのは、美しい妻、楚々とした義妹、そして年若き義息の嫁―文豪『谷崎潤一郎』に挑んだ、スキャンダラスな問題作」とある。

 面白くないわけない・・・のだが、なんといっても眠い。途中でハッと気づくと、眠っている。イメンドのせいだ。今日はベッドでもあるし、どうも寝る環境になっている。
 最初の吐き気止めが15分、ブドウ糖が15分、そしていよいよエンハーツ。初回90分かけて投与の予定だったが、実際には2時間近くかかった。再びブドウ糖15分で、生食でポートフラッシュして無事終了。開始から丸々3時間。途中お手洗いにも行かざるを得なかった。

 Kwさんからは「〇〇さんはお家が遠いから心配。どうフォローしようかと私たちも相談しています。もし間質性肺炎になったら急変して人工呼吸器装着などということもあるので、おかしいなと思ったらすぐに連絡して、公共交通機関は止めて迷わず救急車に乗ってしまってください。」と言われる。確かに以前緊急入院した時、タクシーで病院に向かったのだが、電車を乗り継ぐよりよほど時間がかかり、具合が悪く座っていられないくらい大変だったのを思い出す。

 既に空咳、息苦しさ、息切れのような症状があるので、間質性肺炎を疑うには発熱がポイントか。人によって微熱が続く人、高熱になる人、様々なようだ。今は薬によるものなのか、コロナウィルスによる肺炎なのか判断をしてから治療に入らなければいけないので、それも大変な模様。うーん、なんとも。

 Kwさんのご子息も大学の授業はオンラインだけれど、スポーツジムにアルバイトに行っているので、帰宅後はお風呂に直行してもらっているそうだ。母の仕事が看護師で、化学療法室に勤務していて何かあったらとんでもないことになるので、家族全員にそうしてもらっているとのこと。頭が下がる。今は化学療法室への付き添いの入室も断っているという。皆で待たれるとあっという間に密になるためだそうだ。だから、今日のような場所取りについては、是非投書をお願いします、と言われた。

 それにしても治療変更初回は本当にVIP対応。心電図のモニターをつけ、OkさんやMさんKwさん3人が殆ど5分置き、15分置きに様子を見に来て、検温、血圧測定である。途中7度3分まで上がり、ちょっとドキドキしたけれど、最終的には6度台に戻った。とにかくインフュージョンリアクションが起きなくて良かった。これが出たら、次回投与が出来なくなってしまう。まずは第1段階クリア。
 
 終了時の血圧は117-69、6度9分。SpO2も97%。抜針はMさん。若干衝撃はあったが、まあ耐えられた。
 その後、再びお手洗いを済ませ、荷物をまとめてエスカレーターで2階へ移動して胸部レントゲン撮影の受付に。結構混んでいて、番号札を頂いてから廊下の待合いに移動。誰も座っていなかったが、15分くらい待った。着替えなしでそのまま正面、側面と2枚撮影して無事終了。

 再びエスカレーターで1階に降りて、会計へ移動する。混んでいる。待合い椅子の場所を確保して、処方箋を薬局に送るテーブルまで移動して医療情報提供のペーパーも合わせて送付。待つ間に、クラークさん、Kwさんに勧められたように、患者さんの声の投書箱に今日のことを書いた。
 30分ほどで番号が出て、自動支払機へ。お支払いはカードで16万超え。やはり1回の薬価が50万超えなのである。

 病院を出ると、雨がぽつぽつ。ひんやりしているが高湿度。薬局で「病院から処方箋を送りました。」と言って番号札を頂く。3,4人が待っている。

 携帯を見ると、薬局からの着信があった。すぐに薬剤師さんが見えて、ロペミンの小児用について在庫がないので近隣に確認するため、時間がかかるとのこと、そして処方通りだと5包飲むことになるが、問題ないかと。これまでは薬局で分包してくださっていたようだが、メーカーのものをそのまま使った方が、長期保存に耐えるので、とのことでお任せする。
 そんなわけで小一時間待つ。

 12種類の薬、5,000円超えをカード支払い。レジ袋は有料だと判っているし、いつもエコバッグを持っているのでそちらに入れて受け取る。荷物が重い。本日の病院と薬局の滞在時間は合計で8時間弱。フルタイム勤務に近い状況で、しかも昼食抜き状態でさすがにヘロヘロ。

 帰路、相変わらずマスクの息苦しさを感じながら傘を差して大荷物で駅を目指す。既に学校帰りの学生等が増えてきているし、少しすれば帰りのラッシュだ。のんびり食事を摂っていたら座れなくなってしまう。今日の状況で立ちっぱなしは辛すぎるので、先に電車に乗って乗換駅を目指す。

 各駅停車で無事乗換駅まで。紅茶専門店でキッシュサラダプレートにありついたのは、定時で仕事が終わるのと殆ど変わらない時間。その後、最寄り駅からタクシーに乗って帰宅した。

 夫が午後休みを取って耳鼻咽喉科に行ったようで、既に帰宅しており、生協の取り込みも終わっていた。食事は食べたばかりなので要らない、ご自分でどうぞ、と完全に主婦業から撤退。
 今日は大腸がん経過観察で同じく通院だった母にご機嫌伺いの電話。先生に会うだけで3時間もかかったけれど、異常なしとのこと。3か月後にあと1回検査をクリアしたら無事卒業だ。良かった、良かった。

 洗濯機を廻し、最低限の片づけものをしてソファで横になったらいつの間にか2時間以上眠ってしまった。洗濯が仕上がっており、畳む。吐き気止めに入っているステロイドのおかげでまだ元気だ。が、忘れていたあのお腹の気持ち悪さがやってきた。夕食替わりにピンクグレープフルーツを2,3袋を食べておしまい。

 明日は2つウエブ会議。Okさんたちに「明日はやっぱり仕事行くんですね~」とからかわれた。うーん、そうですね・・・。とにもかくにもあと2日、週末は瞑想ヨーガの講師も控えている。なんとか踏ん張ろう。

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2020.7.13 考え方は人それぞれだけれど・・・

2020-07-13 20:34:29 | 日記
 「がん治療の虚実」ブログの筆者、腫瘍内科医SHO先生(押川勝太郎先生)が現在注力されているYouTube公開質問動画で気になるものがあった。
 56歳、乳がん骨転移治療中の女性からの質問。年代も近いし、ステージ4ということもあり、10分ほどのもの。ちょっと拝見してみた。
 質問者ご自身としては、有力な治療法としてアテにしていた光免疫療法が骨転移には効果がないと言われたという。がんの進行で骨転移は悲惨なので、治療を止めて内臓転移で人生を終わらせた方がいいのか?というもの。ハーセプチン、パージェタで6年治療してきて自分は頑張った方だと思う、と。

 そもそもハーセプチン、パージェタ、ゾレドロン酸(ゾメタ)だけで病状が6年間押さえられた、ということがまずはとても凄いのになぁ、という素直な感想を持った。
 他人様と自分を比べてみても無意味ではあるのだけれど、私は昨年3月からハーセプチンとパージェタに抗がん剤ハラヴェンを加えた3剤併用療法を始め、副作用の酷さから3か月でギブアップし、2剤に減らしたところ、耐性がついて効かなくなり、1年1ケ月で変えることになった。

 6年という長期間効いてくれた(かつ身体が耐えられて続けられた)薬は今までに残念ながら一つもない。 ハーセプチンがなんとかつっかえ棒になってくれているくらいだ。他方、私よりも若干長い再発歴ながら、ホルモン治療の内服だけで10年近く無事に過ごし、抗がん剤治療はまだ始めたばかりという患者仲間もいる。本当に一口に再発といってもその辿る道は十人十色である。

 さらに、カドサイラも副作用があるだろうから、とまだ使っていないらしい。まだ56歳だ。抗がん剤は嫌ということなのだろうけれど、なんとももったいないことよ、と感じる。
 骨転移そのもので命を持っていかれることはないにせよ、転移する部位によれば歩けなくなったりQOLが下がることを案じているご様子。

 SHO先生は「骨転移には痛みがあるケースもそうでないケースもあるし、骨転移が悲惨な末路などということはないし、内臓転移がまだマシかといえばそんなことはありません。」と回答されていた。「内臓転移だったら、例えば腹水が溜まったり腸閉塞になったり、それは大変なことが沢山ある。あまり思い込みをしない方がよい。」と。どうしても隣の芝生に見えるのだろうけれど、この病気、そうそう楽な選択肢はないのである。

 どんな治療法がベストなのか、本当のところ、誰にもわからない。ある人には効いても別の人には副作用が強いだけで効かない薬もあるだろうし、また逆もあるだろう。やってみなければわからない、ある意味博打なのである。けれど、治療を続けるうえでは何より本人が納得して選択すること、それが一番大切なのは言うまでもない。

 もちろん質問者ご本人が仰る通り、6年でも十分頑張ったと言えるだろう。小学校に入った子どもが卒業するまでの時間、3週間に一度、雨の日も風の日も治療に通うわけである。たまたま、今、私は同じ治療をしていて酷い下痢にも悩まされてきたから、パージェタの副作用も身をもって体験している。
 だから、「しんどいな、もう十分頑張ったから(治療を)止めてもいいんじゃないか。」と思う気持ちは理解出来なくはない。

 それに比べて59歳になるまで12年半以上治療を続け、さらにまた明後日から新しい治療に命を繋いでもらおうとしている私は頑張り過ぎなのか、はたまたよほど生に対して執着があるのか、強欲なのか。ちょっと考え込んでしまった。

 今日は週初めの出勤。職場は在宅勤務の職員がほぼいなくなって、事務室には空席がない、かなりの密状態になっている。今後エンハーツの治療を始め、好中球が下がる時期に出勤してくることを考えると、不安がないといえば嘘になる。

 ずっとクローズしていた学内の生協食堂が今日から営業再開ということだったが、実際はテイクアウトのお弁当の提供のみ。購買も昼の時間限定で営業しているというので久しぶりに行ってみた。奥の扉が入口となり、従来の出入り口は出口専用、の一方通行になっていた。店内はがらんとして、レジも1つ開いているだけ。客も私以外1人のみ。商品棚には商品がないものも多く、スカスカした雰囲気だった。クローズしている間に賞味期限切れになって処分したものも多かったのだろうと推察するに胸が痛む。

 それでもここ数ヶ月、ずっと定価で購入していた文庫が1割引きで購入出来てちょっと嬉しかった(また買ってしまった。)。そして、これまたうんと久しぶりに、かつて当たり前のように使っていた某社の日本製マスク(小さめサイズ5枚入り)が200円ちょっとで買えたので、これもゲット。あんなに高くても買えなかったマスクが今や山積みである。

 今日は昨日の蒸し暑さはどこへやら、ひんやりと涼しいというよりも肌寒い1日だった。マスクをして歩いても、昨日ほどの苦しさはなかった。それでも坂道や階段はきつくてゆっくりゆっくりにして、暫し外させてもらった。

 今朝は出かける前に、早起き花屋のお兄さんが今月1回目のお花を届けてくれた。ミニヒマワリが5本、紫のリアトリスとアワが2本ずつ、レザーファンの葉。花言葉はそれぞれ「憧れ」、「向上心」、「調和」、「魅惑的」だという。
 しぶとい痛みにちょっと疲れた身には、ビタミンカラーにちょっぴり元気をもらった気がした。
 2週間後にあと1回切り花が届いたら、来月は鉢植えの月だ。本当に今年も折り返したのだなあとしみじみ思う週初めの夜である。
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2020.7.12 薬が少なくなってきた日曜日に思うこと

2020-07-12 17:53:02 | 日記

 日曜日。明け方目が覚めた後もしつこくベッドに張り付く。でも、さすがにもう眠れない。諦めてノロノロ起きるが相変わらず痛い。朝食の支度をしていると、夫も起きてきて食事を始めた。昨日、私が横になってダラダラしている間に夫が杏のジャムを作ってくれた。相変わらず凝り性の人で、ラベル迄手作りしてもはや売り物になりそうな瓶が出来ている。私の主婦力は下がる一方、夫の主夫力は上がる一方である。

 食事中、これはダメだ・・・と観念してWさんにLINEでドタキャンの連絡をする。今日は1か月に1度のWさんサロンのマッサージを予約していた。胸部全体を触らないでくださいと、仏頂面をしながら施術を受けるのも申し訳ない。水曜日の治療後、来週日曜日にどのくらい元気かもわからないので、大事を取って翌週の祝日に予約を延期させて頂いた。

 薬の在庫が随分減ってきた。このタイミングこそ、ああ、そろそろ病院の日だな、と思う時である。この2週間で、大事にしていたコデインをかなり飲んでしまったので、在庫が尽きそう。なんとか持たせなければ、と思う。

 午前中がぽっかり空いてしまったので、朝食後は夕食の下準備を済ませて、ずっとさぼっていた拭き掃除。あとはソファで録画したドラマをうつらうつら視る。平日より長時間睡眠は取っているのだけれど、横になるとすぐに眠くなる。どうしたものか。

 お昼は夫が素麺を茹でてくれたので有難く頂く。午後はWさんサロンの後に、そのまま同じ最寄り駅にある美容院でカットを予約していた。水曜日にエンハーツの治療が始まれば、おそらく脱毛(2人に一人の出現率という。)が始まるので、当分(もしかしたら永遠に?)美容院に行けなくなるかもしれない。家族ぐるみで長らくお世話になっているのでこのまま黙ってフェイドアウトしてご挨拶もしないわけにいかない。
「心配だから一緒について行ってあげるよ」と夫が言う(過保護か)ので、頑張って出かけた。

 予約時間に入り、スムーズに受付。前回は貸与がなかったガウンもお借り出来た。担当のJさんがいらしてメディカルチェックシート記入と検温の後、実は来週から・・・と話をする。
 「せっかく前やトップの髪の毛がしっかりしてきたのに・・・」とJさんは髪の毛を触りながらフェイスシールド越しに残念そうに言われる。本当にそうである。とはいっても現に今も痛むのだから、脱毛覚悟の投薬は仕方ないのである。

 シャンプー前に、マスク状の紐のないシートをテープで張り付けてから場所を移動し、当分味わえない“他人様に洗って頂くシャンプー”を愉しむ。夏限定ミントのシャンプーで少し頭が軽くなった。
 「痛むようならマッサージは止めておきましょうか?」と言われるので、「痛い所があれば言うので、大丈夫です。」と言って軽くマッサージもお願いした。手早くカットを終えて、形を整え1時間もしないで終了。頭がさらにさっぱり軽くなる。
 次回の予約は一応入れたけれど、「カットする必要のない頭の状況になったら申し訳ないけれど、キャンセルで・・・」とご挨拶してサロンを後にした。下の書店で待っていた夫に連絡して、合流した。

 夫と自分の文庫を数冊ずつピックアップしてレジに並ぶ。ソーシャルディスタンスを確保するために、レジの列はとんでもなく長蛇である。先月も先々月も訪れたが、10ほどあるレジは2つに1つは閉めているが、分業でかなりシステマティックに進んでいるので、それほどの待ち時間ではなかった。

 けれど、「今日は結構時間がかかるね。」と言いつつようやくレジに辿り着いた途端、年配の女性がいきなり声を荒げてレジカウンターにやって来た。「責任者はどこだ、これほど長蛇の列になっていて、最後尾を見たか!ちんたらしないでさっさと急いでやれ!」と延々とクレーム。
 皆黙って静かに待っているのに・・・、怒声を聞いているとぎゅーっと胸痛が酷くなる。そんなことを言ったところで、誰も幸せにならないのに、と思う。ご本人だって後味の悪い嫌な気分にならないのかしら、とレジを後にした。皆、触らぬ神に祟りなしといった感じ。書店を出た後、夫からつつかれて何かと思えば、エスカレーターでその女性が降りてくるところだった。「あ、並んで買うのやめたんだね・・・」と納得。ちょっと残念な気持ちになった。

 これまではお茶を出してくれていた美容院もそのサービスがなくなり、喉が渇いていたけれど、痛みもある。冷房が効いているところではますます痛みが酷くなりそう。お茶をするのはとりあえず我慢して、最寄り駅まで戻ることにした。

 最寄り駅に戻ると、丁度お茶の時間とみえてどこのカフェも混んでいたけれど、お助けの穴場カフェで一服する。にわか雨が来そうだったので、急いでスーパーで不足の食材だけ買い足して帰宅した。

 またしても200人超えの感染者数。いよいよ1都3県は休業要請の検討が始まった模様だ。
 明日からまた新しい1週間。先日病院から連絡があり、頼みのエンハーツの治療が始まることが確定した。有難いことだ。体調を整えて水曜日を迎えたい、と思う。

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2020.7.11 オンライン瞑想ヨーガクラス無事終了

2020-07-11 14:06:50 | ASHARE (アシェア)
 今日はASHAREさん主催「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」の日。これまでリアルなクラスに1回以上参加してくださったことがあるリピーターさん向けのクラス、第2回目である。
 
 昨夜は代表お二人とのZoomミーティングを早々に切り上げて頂き、さっさと入浴してベッドに入った。就寝前にコデインを飲んだおかげでよく眠れ、気づけば7時間近く。明け方お手洗いで目が覚めた。
 その後もちょっとベッドでうとうと、うだうだ、少しだけ寝坊。朝食の準備を整えてから、夫を起こす。何とか動けるけれど、やはり痛みは去っていない。朝の連続テレビ小説を視ながら朝食。元気のあるうちに夕食の下ごしらえをして着替えをしていると、夫が甲斐甲斐しくリビングをクラス仕様に整えてくれる。あっという間にクラス実施の準備万端整った。
 
 今日はいつもZoomのファシリテーターをしてくださるスタッフTさんのご都合が悪く、代表のUさんが初めてのホスト役を務められた。会のロゴもデザインされたというITがお得意のお嬢さんが付きっ切りでサポートしてくださったとのこと。本当に有難いことである。画面上に参加者の方たちのお顔が増えていく。当初参加予定だった方たちが3名いらっしゃらなかったが、定刻となりクラス開始のバトンを渡される。

 今日もリアルクラスの半分、45分を目途にクラスを組み立てた。
 都道府県を跨ぐ移動もOKとなって3週間。いわゆる夜の街での感染が増え続けているというが、実際は市中感染も始まっているのではないか。昨日、一昨日は200人を超える感染者数。本当にこのままイベント等も解禁し、GoToキャンペーンの旗を振っていてよいのだろうかチラと思うが、どうも命より経済を優先にせざるを得ない台所事情があるようである。

 梅雨の鬱陶しい時期、だるさや浮腫み等のお悩みもあるだろうということで、ウォーミングアップではいつものように身体を解す時間をとる。
 足裏や足指を解し、ふくらはぎから膝窩リンパ節までのマッサージ。その後は股関節を緩めて合蹠(がっせき)のポーズから真珠貝のポーズへ。座り仕事で凝りがちなお尻や腿をコアラのポーズで解す。今日は下半身にやや重きを置いたアプローチになった。
 続いて帰命敬禮の動きを簡単に説明し、マントラを唱えながらさらっと3回。ゆっくり立ち上がって朝ヨガの3つのポーズを確認し、再び楽な姿勢の座位に戻って鼻呼吸からブラーマリー呼吸に挑戦。眉間に意識を置いて、ハミングをするブラーマリーは簡単かつとてもリラックスが出来る呼吸である。蜂の羽音のように鼻から音を出しながら息を吐くことからこの名前がついたそう。ちなみにブラーマリーとはサンスクリット語で雌蜂のこと。そのまま瞑想からシャヴァーサナへ。

 ガーヤトリー・マントラを歌って皆さんに覚醒して頂いた後は、お馴染みハレルヤ・キールタンを。今日も45分を2分ほどオーバーしてしまった。クラス前に飲んだコデインのおかげでクラスの間中は痛みから解放され、無事にお勤めを果たせて胸をなでおろす。

 クラス終了後は、今日も参加者お一人お一人に一言ずつ感想を頂いた。久しぶりに関西から参加された方もいらして、オンラインだからこそ、の再会を有難く思った。私自身、こんな体調で荷物を担いで都心往復が出来る自信は全くない。オンラインだからこそ、今日もクラスが出来たと思う。オンライン様様である。皆さんそれぞれが瞑想ヨーガを愉しんで頂けたようで何よりだ。

 無事クラスが終わり、その後残りたい方は残って暫しお喋りタイム。いつも私がしつこくお話ししている「どうなるか分からない将来のことにあれこれ思い悩んだり、もはや変えられない過去をくよくよ考えたりせずに、今に集中することが一番ストレスフリー」という言葉を実感してくださったという方もいらして、本当に良かったと思う。
 ミーティングルームがお開きになって後片付け。

 外はものすごい高湿度。これまでだったらとても洗濯が出来るようなお天気ではないが、乾燥機付き洗濯機のおかげで、迷わず洗濯機を廻すことが出来る。オンライン同様、文明の利器様々である。干すという作業は嫌いではなかった(むしろ数少ない好きな家事の一つ)が、蓋を開ければホカホカふわふわに乾いていて、もはや作業は畳むだけ、という経験を一度してしまったら、実に楽ちんでもう後戻り出来そうにない。

 そんなわけで体調に不安があったけれど、無事クラスを終えることが出来て良かった、良かった。不思議なもので、クラスが終わったら、また痛みがぶり返してソファのお世話になっている。こう考えると、ずっとクラスをやっていると痛みから解放されるのかもしれない、などと思ってしまう土曜日の昼下がりである。


(追記)ASHAREさんの活動レポートに取り上げて頂きました。
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2020.7.10 そして4年、父祥月命日に思うこと

2020-07-10 20:26:48 | 日記
 今日は父が亡くなって4回目の祥月命日。休暇を頂き、母と墓参に行くことにした。
 週初めからずっと天気予報を睨んでいたが、最初は曇りと出ていたのに、曇り時々雨、が曇りのち雨、と段々雨の確率が高くなってきた。九州をはじめ、今年もまた非情な豪雨に見舞われた方たちのことを思うと、本当に申し訳ない思いだが、朝、外の雨降りを見てちょっとがっかりする。

 普段通り起きていつも通り夕飯の下ごしらえ。朝ヨガ・瞑想を済ませ、夫を送り出す。今週は、朝食後のロキソニンに加えて、出勤前にコデインを飲まずにはいられないほどの痛みが続いている。昨日まで週4日連続勤務で既に顎が出た感じ。ちょっと愚痴を言うと、夫が「もう無理しないで退職したら?」と言うのでなかなか言い難いのだけれど。あと1年9か月、なんとしても定年まで勤め上げたいと仕事にしがみついてきた。けれど、東京の感染者数の増加を横目に、在宅勤務が一旦終了になっていることを考えながらついつい弱気になる。

 今日は母との待ち合わせまでまだ時間があり、少しゆっくり出来るので、とりあえず朝食後のロキソニンだけで様子を見ようとしたが、痛くてたまらない。ソファと一体化して横になってじっとしていても我慢出来ない。結局、いつもより1時間遅れでコデインを飲んだ。ちょうど母から「今日は待ち合わせの場所を動かないから。」という電話があった頃だ。愛想のない受け答えをする。そして1時間近くしてようやく動けるくらいに痛みが落ち着いてきた。もっと早く飲めば良かったと後悔することしきり。

 お化粧をする元気もイマイチなかったが、この顔色の悪さではちょっと・・・、とのろのろ身支度をして、家を出る。雨は小止みになったかと思うと、また風とともに音を立てて落ちてくる。迷った末、晴雨兼用の小さな傘を止めて、大きな雨傘を携えた。駅前のスーパーで供花を求める。さすがお盆が近いと見えて、普段よりかなり高めの値段である。まあ年に1度の命日だし、と少し張り込んで賑やかに2束にカスミソウ1束足して、2つに分けてボリュームアップすることにした。

 母が乗るバスが到着する時間よりちょっと前に待ち合わせ場所の長椅子に座る。普段は早めに着いたから、とその辺をウロウロしているのですぐに見つからないことが多いのだけれど、今朝はわざわざ電話があったくらいだ。それなのに姿が見えない。10分ほどすると公園墓地のシャトルバスがロータリーに到着する。既に母が乗ったバスが到着する予定時間より10分以上遅れている。携帯に電話をするが、何回鳴らしても全く出ない。

 シャトルバスの前でジリジリしながら待つ。何かあったのではないか、雨で足元が悪く滑って転んだのではないか等々良くないことばかり思う。発車迄あと1分のところで、もうこれは無理だ、タクシーだなと思ったら、停留所から母の姿が見えた。一生懸命小走りしようとしているが、こんなところで転ばれたら大変だ。「走らなくていいから」と声をかける。シャトルバスには既に1組の女性客が乗り込んでいた。ギリギリで滑り込めた。

 シャトルバスが発車して、「心配で何度も電話したけれど出ないし、どうしたの?バスが遅れたの?」と訊くと、「携帯は要らないと思って、持ってこなかった、大丈夫だと思って」と言う。???一体何が大丈夫なのか意味が分からない。こういう時のための携帯ではないのかと思うが、車内で怒るわけにもいかず、ぐっと我慢する。

 イライラして待っているうちに痛みがぶり返し、どんどん不機嫌になる私。嗚呼、アラ還になっても人間が出来ていないのは間違いないが、どうして毎回母はこうなのだろう。ため息が漏れる。五十日(ごとおび)で週末、雨ということもあり、道路が混んでいたそうだ。余裕をもって出たのだがバスが遅れたという。乗る予定だったバスは到着が10分以上遅れて時間通りに折り返しできず、欠便になったようだった。
 そういうことも携帯で話が出来れば何等問題がなかったのに・・・と、また性懲りもなくイラっとするが、母は同じことを繰り返す。

 そうこうするうちに順調に公園墓地に到着した。外は少し青空になってきている。ひとまず墓参の時に雨が止んでくれていて本当に良かった。前回、事務所で火を点けたお線香が急に大きく燃えて、ロングスカートに焦げ穴を作ったのに懲りて、今日は母がマッチを持ってきて墓前に行ってから火を点けるというので任せることにした。それでもなんとなく湿っているのか、なかなか点かない。私はお花を準備して水をかけて、お線香の準備が出来るのを待った。

 4年前の7月10日の早朝、母から、父の容体が急変したという連絡があった、という電話で起こされ、急ぎ病院に到着したけれど、既に父は息絶えていた。6月末、浴室で尻餅をつき、腰椎圧迫骨折のため救急で整形外科に運ばれた時は、食欲も旺盛で、まさかこのまま還らぬ人になるとは誰も思わなかった。だが、あっという間に誤嚥性肺炎となり、それが命取りになった。本当に入院から内科に移ってあっという間のことだった。

 葬祭場の関係で、母の83歳の誕生日であった16日が告別式。前日の通夜までは、丁寧に湯灌をしてもらい、病院であれほど帰りたいと何度も繰り返していた自宅で最後の数日間を送ったのだった。
 「亡くなった日は〇〇さん(従姉)が(実家に)先着して、お布団の用意をしてくれて本当に有難かったね。」、「お父さん(夫)が皆のお弁当やお茶を買ってきてくれたね・・・。」等と当時のことを思い出し語りながら、母と帰りのシャトルバスを待った。

 駅前のレストランで母とランチ。ひとしきりお小言を言ったのでなんとなく後味は悪いし、なんと言っても痛みで全く笑えない。まもなく誕生日を迎える母に、先月の旅行のお土産と、先日失くしたと聞いた眼鏡ケースを渡した後は、ただひたすら黙々と食事をする。

 母が先日の介護保険の書類が届いたと言って出して見せたり、楽しそうにデイサービスの話等するが、苦虫を噛み潰したような顔で相槌を打つのが精一杯である。スープから始まってメイン、デザート、お茶まで母は私よりもしっかり平らげた。こちらは急いで食後にロキソニンを飲む。

 お茶を飲み終え、少し買い物でもしたいの?と訊くと頷くので、アウトレットモール経由で近くの停留所からバスに乗って帰ってもらうことにした。といっても欲しいものがあるようでもなく、靴下だけ買うと「足がだるくなってきた。」と言う。こちらも早く帰って横になりたいので、「ではもうお帰りください。」とバス停へ。タイミングよく殆ど待たずに目的地往きのバスが到着。乗り込み、席に着くのを確認して、見送った。

 それにしてもしぶとく痛い。胸骨付近がメインで痛かったのが、肋骨まで広がると上半身全部痛いといった具合。仏頂面のまま帰宅して誰に当たることも出来ず、最低限の片づけもの。あとは夫が戻って来るまでまたソファと一体化。夫が帰宅してからおもむろに起き上がり、何とか頑張って夕食の準備を整えた。

 明日はオンライン瞑想ヨーガの日である。この後、スタッフの方たちとZoomの打ち合わせである。どうかクラスの間中痛みが出ませんように、きちんと声が続きますように、と祈るのみである。
 
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