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「興禅寺」函館市亀尾町
私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです
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田舎都会からの便り
行雲流水
田舎都会からの便り2025年2月28日
北海道北斗市から「ふるさと&道南情報」を発信しています
元気保持のために散歩や山歩(さんぽ)して撮った写真記録をアップしますので 興味のある方はご覧下さい
北海道・道南は 北海道新幹線「新函館北斗駅」を利用すると 東京からでも日帰り観光などを楽しめます
雪原の輝き・まもなくオサラバ
2月27日 ブログアップ記事
「田舎桜と陣屋桜」ふるさとの思い出桜
「樹雪山歩」②函館七飯スノーパーク
「匠の森・花情報」⑩思い出写真
「きじひき高原・山歩」③2025年2月23日
「日の出・新函館北斗駅付近」2025年2月26日
「駒ヶ岳・冬の山歩」①2025年2月25日
以下 過去記事2016年
正夢まで23日新函館北斗駅
2016年3月26日 北海道の大地に新幹線が走る
終着・始発駅は 北斗市市渡(いちのわたり)・「新凾館北斗駅」
思い出の光景 渡島大野駅の次はスイッチバック活用の仁山駅
北海道新幹線新駅に生まれ変わる「渡島大野駅」
明治35年の旧国鉄時代から働き続けてきたJR北海道・渡島大野駅
北海道新幹線開業に伴い新函館北斗駅に大変身します
わが家から歩いて15分の駅は まもなく思い出の駅となります
通学でお世話になった方 通勤や通院で利用された方 函館朝市に通われた方などなど駅への思い出は数えきれないほどでしょう
駅舎が解体され ホームも新駅先行利用など 渡島大野駅の施設残存は少なくなった
いよいよ渡島大野駅の名は歴史に刻まれただけの駅になる
思い出の記事・2005年2月1日ホームページ田舎都会通信
「渡島の鉄道」
渡島の鉄道は 明治35年12月10日・函館駅と本郷駅(現渡島大野駅)開通が最初でした
当時函館駅は海岸町だったという
明治36年6月には・本郷駅と森駅間が開通。明治36年11月には森駅と熱郛(ねっぷ)駅間が開通
そして37年10月15日・函館駅と小樽駅間全線開通となりました
「渡島大野駅」
駅は最初 大野村の本郷に造られる予定であったので 「本郷駅」
それが現駅の市渡に変更されたが 直ちに駅名変更はされなかった
改められたのは 昭和17年4月1日
明治35年12月10日の開通の日は 汽車を見物しようとする、大人や子供で溢れたという
当時の「函館公論」は、天候は「雨」 記念相撲や紅鐙等の中止を伝えている。
昭和56年5月28日まで貨物を取り扱っていた
線路脇にある農協の大きな倉庫が 当時を物語っている
大野牧場で飼う渇毛牛(赤牛)が九州・熊本県で調達され それを大野の役場産業課や農協職員が貨車で運んできた
駅前には 今のペリカン便・〇通(まるつう)があり盛況だった
昭和59年2月1日には荷物の取り扱いが廃止された
最盛期には 檜山管内の町から本州への出稼ぎ者が渡島大野駅を利用したという
乗車と荷物がいっしょの 「チッキ」 一日・100個ということも
駅舎の荷受台にはトタンが貼られ 荷物を滑らしたために 「ピカピカ」 だったことをハッキリ覚えています
昭和60年10月14日に直営売店廃止
昭和61年11月1日・駅員が無配置となった
最盛期には駅員が30人を超えたという
今は更地になっているが 当時立派な鉄道官舎がたくさんあり 同級生も数人いた
利用客も一日1000人を超え盛況の時代も
駅員のキップを挟む 「カチカチ」 という音は 今でも脳裏に焼きついています。
現在の駅舎は 昭和63年に改築されました
現在の利用客は、学生を中心に100人チョット
寂しい状況ですが、まもなく新駅に生まれ変わり 昔の賑やかさを取り戻してくれるでしょう
参照資料=道南鉄道100年史・大野町史
正夢まで24日新函館北斗駅
2016年3月26日 北海道の大地に新幹線が走る
終着・始発駅は 北斗市市渡(いちのわたり)・「新凾館北斗駅」
思い出の光景 渡島大野駅付近・SLの雄姿は消える
匠の森公園・カタクリ開花情報2015・5・1
北斗桜めぐり