■2020.03.18 今回遠征の最終日は梅ケ谷駅から三野瀬駅まで22km、7時間20分の行程。
P泊場所から移動する途中、太平洋が見える。伊勢湾と違い海の向こうは海しか見えない。
朝日。
予定した三野瀬駅では場所はあるが停めたような形跡がなく、更に近くに派出所がある。
その派出所で聞こうと思うがこの時間まだ起きていない。
そこで本日のスタート地点(昨日利用した場所)へ止める事にした。
梅ケ谷駅近くに、紀州公句碑 - 「牟婁こえて 鶯聞くや 梅が谷」の句が刻まれた碑がる
車を停め梅ケ谷駅から20分程度歩くとツヅトラ峠の案内と東屋がある。
田んぼの柵の中にホンシュウジカがまぎれこんでいて柵沿いに走り回っている。
暫くすると柵に向けてフライングボディーアッタクを。え・・・・
何度も果敢にチャレンジ、子鹿なので柵は揺れるのみだが親鹿ならあるいは・・・
この光景を近くで農作業していたおじいさんと一緒に眺めていた。
おじいさんは仕方なく柵の一部を開放し逃してあげた。
おじいさん曰く最近は漁師がへったでな・・・・
伊勢路のなかでも人気の高いツヅラト峠。
かつて「伊勢国」と「紀伊国」の国境であった峠。紀伊へのルートが荷坂峠に移行した後も、昭和初期まで生活道として使われていた道です。伊勢から熊野へ向かう旅人は、この峠に立ってはじめて熊野の海を目にした「聖地・熊野」への玄関口でした。
「ツヅラト」とは「九十九折」のこと。その名の通り、紀伊長島へ下る峠道はカーブが連続しています。現在も道は整備されており、石畳や石垣もよく保存されている。
「ツヅラト」とは「九十九折」のこと。その名の通り、紀伊長島へ下る峠道はカーブが連続しています。現在も道は整備されており、石畳や石垣もよく保存されている。
ツヅラト峠はあまりに急であることから徳川頼宣が紀州藩主を務めた頃に荷坂峠(現国道42号)を越えるルートに熊野街道が変更された。
伊勢側から峠までは整備された道。
峠の標高は357m。
伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にした場所です。
これは感動しますね。
絶景をおやつにコーヒータイム。
ツヅラト峠は峠から熊野側に見どころが多い。
出だしは登山道並みの急勾配だあが次第に緩やかになる。
※野面乱層積の石垣:谷に面して数ヶ所にある石垣は、いにしえから長い風雪に耐え道を護ってきた、いわば道路保護の遺跡。
※石畳:ジグザグに縫うように石畳が敷かれている。この石畳地元のボランティアによって掘り起こされた。
※炭焼窯跡
※山の神
志子奥集落を抜けR422へ
紀北町は紀伊長島町・海山町が合併して発足。
平成の大合併は良かったのか・・・
・紀伊長島地区を歩いて入ると車が止まり、観光ボランティアをしている人が降りてきて「魚まち
散策マップ」を渡してくれた。
※濱口熊嶽邸跡:真言三密の秘法などを用い難病などを直した霊術師の邸宅跡地。
※琴比羅社:海上交通の守り神として篤い信仰を受けている。
※長島神社:御祭神の中に加藤清正が入っている。紀北町紀伊長島区長島にあり漁業を中心に栄えた氏神。
「魚まちのたまり場」先程のボランティアの方が開けときますので立ち寄って下さい。
・・・で、立寄ります。
この地域は古き良き昭和の漁師町の町並みが残っている。
魚のまちたまり場の隣で昔ながらのコロッケを購入(70円)。
いやー美味しい。今まで食べたコロッケの中で一番美味しい。
子供の頃は駄菓子屋の菓子より、肉屋のコロッケをよくおやつ代わりに買い求めた物です。
小遣いは20円なのでコロッケ2つ食べていましたね。
※マンボウ陶板が道案内。
※蘇民将来子孫家門:昔、伊勢の地を旅した須佐之男命は、日が暮れ泊まるところに困っていると、貧しくとも心豊かな蘇民将来が須佐之男命を自分の家に泊め、手厚くもてなしました。
その善行に感激し、「後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云いて、茅の輪を以ちて腰に付けたる人は免れなむ。」 と言い残した。
以来、蘇民家は茅の輪のおかげで、疫病が流行ってもその災いから免れ代々栄えました。
そして、いつの頃からか伊勢地方では、注連縄に魔除けとして「蘇民将来子孫家門」 の札を下げるようになった。
その善行に感激し、「後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云いて、茅の輪を以ちて腰に付けたる人は免れなむ。」 と言い残した。
以来、蘇民家は茅の輪のおかげで、疫病が流行ってもその災いから免れ代々栄えました。
そして、いつの頃からか伊勢地方では、注連縄に魔除けとして「蘇民将来子孫家門」 の札を下げるようになった。
※造船所
紀伊長島地区の津波対策。
来ないことが一番ですが準備は大切です。
※一石峠・平方峠:低い峠道。
※サボ鼻道は眺望が良い。
※古里海水浴場
※三浦峠
この標識の年輪は30年。
紀の国は木の国ですね。
これだけ植林ばかりだと自然林が懐かしくなる。
※三野瀬海岸
予定より速く三野瀬駅に到着。
列車の時間までかなりあるので近くを散歩。
ここは次回のスタート場所「始神さくら広場」
三野瀬で乗った列車は次の紀伊長島駅まで。
更に次の列車まで2時間近くある。
駅員さんに近くのお食事処を教えてもらう。
紀伊長島駅目の前の「万両」へ
店のおやじにオススメを聞き「さんま&焼きさんま寿司」セットを。
〆鯖寿司と同じようにサンマが〆てある。これは私好みの味で美味しい。
紀勢線は昼の時間帯は本数が少なく注意が必要。
さらに発着駅も確認がいる←今回はこれを見逃した。
紀伊長島駅から一駅先の梅ケ谷へ、結局2駅行くのに3時間半掛かった事になる。
梅ケ谷駅。
ここで車を回収。
さすがに3日目になると疲れは溜まる、回避スペースで仮眠を取り帰る。
この三日間で実測で100km近くを歩き通した。暑くない季節で歩きやすかったが新緑とは行かなかった。
空き家や耕作放棄地もかなり目立った、一番目立ったのがソーラパネル。
都会への一極集中と少子化の弊害は留まるところをしらない。
さあ日本は何処へ向かっている。
170㎞踏破、お疲れ様でした。
トレイルをしているので、だいたいの古道が想像できます。
多岐原神社、瀧原宮の参詣されたのですね、神聖な瀧原宮は今でも深呼吸すると思い出します。
いろいろなエピソードも細かく記載され、よくわかりました。
小鹿助けてあげてホッ(笑)⇒地元民ではないので勝手ですみません。
〆のサンマ寿司、疲労回復にぴったし、旨いよね~。
参道をジャラジャラ音をさせ歩くたびに古へ呼び戻されれるような感じでとても清らかになれました。
山登ったり古道を歩いたりが好きなのはそこに息づく古の息吹を感じることができるからですね、まだ後半戦がありますので体力を戻し歩いて見たいと思います。