朝日が、中村吉右衛門丈に鬼平についてインタビューしています。その写真がとってもいいんです。記録しておきましょう。
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吉右衛門さん、鬼平を語る 「人間性、大事に演じた」
朝日新聞 2016年11月25日15時16分
1989年から「鬼平犯科帳」で、鬼平こと長谷川平蔵を演じてきた中村吉右衛門さん。12月2、3日に放送される「鬼平犯科帳 THE FINAL」(フジ系、いずれも夜9時)でシリーズは惜しまれつつ終了します。長谷川平蔵は実在の人物ですが、原作者の池波正太郎は、吉右衛門さんの実父・八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)をイメージして書いたといいます。自身の「鬼平観」をはじめ、かつて平蔵を演じた父との思い出などを語ってくれました。
――シリーズ終了を迎える気持ちは。
私の考えとして、池波正太郎先生の鬼平というのは、密偵や部下に探らせてその報告を聞くだけ、という類の人ではない。探らせたりなんかはしますけど、最後は自分が出てって見極めて、その相手と対決をするということが特徴でもあるものですからね。
自分で大概、最後は立ち回りだったり激しいことになったりするんですけど、ちょっと年齢的に激しいことは無理になってきました。ただ座敷で報告を聞くだけだったら、ずっと死ぬまで続けられるんでしょうけど、それでは池波作品ではないと僕は思ったので。
――演じる上でのこだわりを教えてください。
やはり人間性ですね。実父をモデルにして書かれた作品です。実父のいろいろなことを目に見ておりますので、人間性を一番大事にする。アクションとかの奇をてらったことはなるべくしないでくださいと監督にお願いしました。
池波先生の作品が、奇をてらっていなくて、江戸から明治にかけての人々の暮らしぶりを書いている。大正昭和、その辺の戦争でガラリと変わる前の時代。先生はお若い時にそういう世界を生きてこられた方だから、そういう人たちのどういう思いで生きていたのか、どういう生活をしていたのかというのはよくご存じで、映像でなるべく再現したいと。
なるべく原作に沿った、と言っても役者のいうことですからね。あとは監督とシナリオライターの決めることですから、そうそううまくはいってませんけれども、自分の出てるところだけはなるべく言わせていただくようにいたしました。
小野田(嘉幹)監督さんが時代劇というよりもアクションをやられてた方。僕のところは気を使って時代劇のように撮ってらっしゃいましたけど、僕のいない部分はアクションでしたねぇ。まあそれがちょうどうまくバランスが取れたのかもしれませんね、今考えると。
――演じるにあたって一番ご苦労されたのはどんなところでしたか。
最初のうちは実父の幸四郎のイメージが強いものですから、なんとかまねをして、似たようなことをやっていって、だんだんだんだん自分のものに。そういうことを気にしなくても、役が自分のものになるように持っていくというのは、なかなか大変でしたね。
――28年間、新鮮さを持ち続けるのは大変なことでは。
演じるのが、同じ人物をやっておりますのでね、我々歌舞伎役者っていうのはあまり考えない。その役を前はこうやったから次はこうやろうっていうんじゃないんです。
前教わった通りのものを次もやり、またその次もやり、なるべくなるべく教わった人に近いように、近づけるようにという努力はしますけれども、今度はこうやってやろうという風にどんどん変えていくということは、歌舞伎の方はあまりしませんね。
――平蔵とご自身で共通する部分は。
一緒のところは何もないです。生き方、飲み方……。そりゃ、鬼平みたいな人だったらもっと出世しているでしょうし。
――吉右衛門さんにとって平蔵はどういう存在ですか。
テレビでひとつ役を当てるということは、なかなか大変なことなもんで、長谷川平蔵で当たり役を得たということは、ありがたいことだなと思っておりますね。舞台も同じで、当たり役というものを持てる役者は幸せなんですよ。
――平蔵が支持される理由はなんでしょう。
まあ、なんていうのかなぁ、情というものと、剛、強さというものとを兼ね備えた人間といいますかね。それが武士とかなんとかというものを離れて、人間的に魅力があるように書かれておりますのでね。それを出すのが一苦労でございますね。
――お父様が平蔵を演じていた時も出演されていましたが、思い出は。
どうしようもないせがれ役の私が竹刀でたたかれるところ。本気にたたかれて痛かった。本気でたたくんですもん。芝居でたたけよって言いたいですよ。
芝居でたたくと、強く叱っているという雰囲気が出ないと多分考えたと思います。まあ竹刀ですから。木刀だとけがしちゃいますけど。竹刀だから大丈夫だというところを踏んで、バーンバーンとたたかれたんですよね。背中を。痛かったです。
――鬼平は江戸情緒の表現に対する評価も高い作品。演じられる上では。
しゃべり方とか身のこなしっていうのは歌舞伎で身についておりますので、それは大丈夫ですけれども、江戸弁の言葉遣いはなかなか難しい。知っている人がいませんからね。
もっと若い時分からだったですけど、僕はやっぱり落とし話、落語が好きで、(先代の桂)文楽さんとか(古今亭)志ん生さんとか(三遊亭)円生さんとか、このお三方は、新宿の末廣亭にも聴きに行きました。レコードも手に入れてそれも何回も聴いて。単語の言い方が違うんですよね、江戸時代とは。
もっともっと覚えておけばよかったなあと。その頃は、江戸弁をしゃべる人がずいぶんいましたけど、いなくなるとは思っていなかった。みんなそういう言葉でしゃべるだろうとあまり注意をしませんで、今から思えば残念ですね。
例えば、ちょっとしたことなんです。「まっすぐ」とは言わなくて、「まっつぐ」って言ったりとかね。それがやっぱり江戸っ子の雰囲気を出す。そういう中で、お侍の言葉っていうのは、標準語と言いますか、「何々でござる」って決まった言葉しか言わないんですけど、町人のしゃべるしゃべり方、言い方っていうのは、なかなか今はしゃべれる方が少ないし、落語家の方でも少ないと思うんですよ。
それが池波作品の中に色濃く流れていますし、長谷川平蔵っていう人間は、庶民の中に溶け込んだ侍で、もちろん想像ですけども、江戸弁でしゃべっていただろうと。池波先生は、武家言葉と江戸の言葉とうまく採り入れていらっしゃいますけど、平蔵の場合は、読んでいるのとは違って、強調しとかないと印象に残らないものですからね。
――ヒヤッとしたこと、ドキドキしたことは?
しょっちゅうですよ。シリーズの時には、2本とか3本とか掛け持ちで、時間がないものですから。ゲストやなんかの都合もありますし、掛け持ちで今日はこっち明日はこっちなんて風に撮ったりすると、なかなかセリフも難しい、入らないし、間違えちゃったりする。映像の場合は前からのつながりが全くなくなっちゃったら困ります。ヒヤヒヤというかドキドキしながら、しょっちゅうやってました。
――池波さんに言われたことや印象深いことは?
いやもう、とにかく先生にはひどい悪いことをして。40歳の時に原作者にやりなさいと言われたのに断った。45歳でお引き受けして、1年くらいは先生が生きてらして、最初の放映の時なんかは電話をくださいました。いかがでしたかと聞いたら、僕に対しての注文はなくて、あの人にこういう風に言ってあげなさいよと。僕を立ててくださいましてね。
――歌舞伎とテレビの違いは。
舞台は、幕が開いたら役者が全部仕切るものですけど、映像の場合はシナリオライターとスタッフが考えて、監督が編集して、ということがありますから、役者はどういう風になるか分かりません。板の上というのと地面との違い。これはもう極端に違うものですね。
――まだまだテレビで吉右衛門さんのお姿を見たいという方も全国にいると思います。
劇場に来てください、ということで。(聞き手・山根由起子、滝沢文那)
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朝日をほめたくはありませんが、篠田英美撮影の写真にはほれ込みました。苦み走った吉右衛門が鬼平そのものであり、実父白鷗に近づいているのがわかります。いい写真です。
なお、次の写真は柔らかみがあって、これまた味があります。
下に浴衣を着ていますから、国立劇場の楽屋で映した写真でしょうが、いいですねえ。しびれます。
来週の鬼平スペシャル、見逃さないようにしないといけません。とはいえ、TVをもたない貧乏英語塾長、リアルタイムでは観られないのです。というわけで、当英語塾INDECの会員に録画をお願いすることにします。MM君、BDに録画、よろしくね。
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