中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

中国語で読む成語のお話Vol.5「熟能生巧」

2020年05月27日 | 中国語成語

 今回のお話は、北宋(960-1127年)の時代、政治家であり文人であった欧陽修(1007-1072年)が著した『欧陽文忠公文集』に出てくる話で、一般には『卖油翁』(油売りの翁)という寓話で知られています。また、陳堯諮(ちん ぎょうし)は実在の人物で、科挙の試験に首席で合格して役人となり、書を能くし、武術にも秀でた人物でした。

 北宋年间,有一位叫陈尧咨的官员,他很擅长射箭。有一次,他拿了一个铜钱作为靶子,一箭射去,不偏不倚,正好射中钱眼。人们纷纷赞他的箭法举世无双,他自己也有点自命不凡了。

Běisòng niánjiān, yǒu yī wèi jiào chén yáozī de guānyuán, tā hěn shàncháng shè jiàn. Yǒu yī cì, tā ná le yī ge tóngqián zuòwéi bǎzi, yī jiàn shè qù, bù piān bù yǐ, zhènghǎo shè zhòng qiányǎn. Rénmen fēnfēn zàn tā de jiàn fǎ jǔ shì wú shuāng, tā zìjǐ yě yǒu diǎn zì mìng bù fán le.

 北宋年間、陳堯諮という役人がおり、弓矢を射るのが得意であった。ある時、彼は銅銭を的にし、矢をひとたび射ると、矢は少しも片寄ることなく、ちょうど銅銭の真ん中の穴に命中した。人々は次々と彼の弓矢の腕前を世に並ぶものなしと褒め称え、彼自身も多少自分は非凡だとうぬぼれていた。

 銅銭は、日本でも平安末期から鎌倉時代に多く輸入された宋銭ですね。中央に四角い穴の開いたものです。この中央の穴が「钱眼」です。当時、銅銭は紐を通して流通しました。銅銭千枚を紐で通したものを「一贯」yī guànと言いました。「万贯」と言うと、巨万の富の意味となり、「万贯富翁」、「万贯家私」などという言い方があります。


 有一天,陈尧咨在屋后的庭院里练习射箭。只听见“嗖嗖”箭响,几乎每一支箭都射中靶心。围观的人赞叹不绝。

Yǒu yī tiān, chén yáozī zài wūhòu de tíngyuàn li liànxí shè jiàn. Zhǐ tīng jiàn “sōusōu” jiàn xiǎng, jīhū měi yī zhī jiàn dōu shè zhòng bǎ xīn.

 ある日、陳堯諮は家の裏の庭で弓矢を射る練習をしていた。ただ「ひゅうひゅう」と矢の飛ぶ音だけが聞こえ、ほぼ全ての矢が的の中心に命中した。彼を取り囲んで見ていた人々は絶え間なくそれを称賛した。


 这时,一个卖油的老汉刚好经过这儿,就放下油担看热闹。陈尧咨又射了好多支箭,十有八九射中靶心。这时,他发现那个卖油的老汉毫无敬佩的表情,只是微微地点点头。陈尧咨不高兴了,他走到老汉面前,说:“你也会射箭吗?你看,我的箭法不错吧?”老汉淡淡地一笑,回答道:“不错,但也没有什么特别的,这只不过是手势熟练罢了。”

Zhè shí, yī ge mài yóu de lǎohàn ganghǎo jīngguò zhèr, jiù fàng xià yóudàn kàn rènào. Chén yáozī yòu shè le hǎo duō zhī jiàn, shí yǒu bā jiǔ shèzhòng bǎxīn. Zhèshí, tā fāxiàn nà ge mài yóu de lǎohàn háo wú jìngpèi de biǎoqíng, zhǐ shì wēiwēide diǎndiǎn tóu. Chén yáozī bù gāoxìng le, tā zǒu dào lǎohàn miànqián, shuō: “nǐ yě huì shè jiàn ma? Nǐ kàn, wǒ de jiàn fǎ bù cuò ba?” lǎohàn dàndàn de yī xiào, huídá dào: “bù cuò, dàn yě méiyǒu shénme tèbié de, zhè zhǐ bùguò shì shǒushì shúliàn bàle.”

 この時、ひとりの油売りの老人がちょうどここを通りかかり、油を担いだ天秤棒を下に置くと、この様子を見物した。陳堯諮はまた何本も矢を放ち、十中八九が的の中心に命中した。この時、彼は油売りの老人が少しも敬服する様子を見せず、ただわずかにうなずくだけなのに気が付いた。陳堯諮はおもしろくないので、老人の前まで歩み寄ると、「あなたも矢を射ることができるのですか。どうです、私の矢を射るやり方は悪くないでしょう」と尋ねた。老人は気のなさそうに笑うと、「悪くないね。でも、取り立てて言うほどのことでもないね。弓矢に熟練しているだけのことだ」と答えた。


 陈尧咨火了,气愤地责骂说:“你这个老头,怎么敢这样轻视我的神箭!”老汉却不慌不忙地说:“我怎么会轻视您呢!我之所以这样说,是我每天舀油倒油,从而知道了熟能生巧的道理。”说着,他从油担子上取下一个葫芦,拔开塞子,放在地上,再掏出一个铜钱,小心地平放在葫芦嘴上。然后,他拿起勺子,舀满了油,高高地举起来,把油向葫芦倒下去。只见油象一条线一样,穿进铜钱中间的小孔,连续不断地钻到葫芦里去。不久,满满的一勺油都倒光了,老汉弯腰取下葫芦嘴上的铜钱,拿给周围的人看,那个铜钱干干净净,一点油星都没有。

Chén yáozī huǒ le, qìfèn de zémà shuō: “nǐ zhè ge lǎotóu, zěnme gǎn zhèyàng qīngshì wǒ de shénjiàn!” lǎohàn què bù huāng bù máng de shuō: “wǒ zěnme huì qīngshì nín ne! wǒ zhī suǒyǐ zhèyàng shuō, shì wǒ měitiān yǎo yóu dào yóu, cóng’ér zhīdào le shú néng shēng qiǎo de dàolǐ.” Shuō zhe, tā cóng yóu dànzi shàng qǔ xià yī ge húlu, bákāi sāizi, fàng zài dìshàng, zài tāochū yī ge tóngqián, xiǎoxīn de píngfàng zài húlu zuǐ shàng. Ránhòu, tā ná qǐ sháozi, yǎo mǎn le yóu, gāogāo de jǔ qǐlái, bǎ yóu xiàng húlu dào xiàqù. Zhǐ jiàn yóu xiàng yī tiáo xiàn yīyàng, chuān jìn tóngqián zhōngjiān de xiǎokǒng, liánxù bùduàn de zuān dào húlu lǐ qù. Bùjiǔ, mǎnmǎn de yī sháo yóu dōu dào guāng le, lǎohàn wānyāo qǔ xià húlu zuǐ shàng de tóngqián, ná gěi zhōuwéi de rén kàn, nà ge tóngqián gāngānjìngjìng, yīdiǎn yóuxīng dōu méiyǒu.

 陳堯諮はかっとなり、怒って「おまえのような年寄りが、どうして敢えて私の神業の弓矢を軽んじるのか」とどなりつけた。老人は慌てず騒がず、「私がどうしてあなた様を軽んじることができましょう。私がこのように言うのは、私が毎日油をひしゃくで汲んでは注ぎ入れ、そこから何事も慣れればこつが分かる道理を知ったからなのです」と言った。そう言うと、彼は油を入れた荷物の中からひょうたんをひとつ取り出し、栓を抜き、地面に置くと、更に銅銭を一枚取り出し、ひょうたんの口の上に注意深く水平に置いた。それから、彼はひしゃくを持ち、油をひしゃく一杯にすくうと、それを高々と持ち上げ、油をひょうたんに注ぎ入れた。油は一筋の線のように、銅銭の真ん中の小さな穴を通り、途絶えることなくひょうたんの中に注ぎ入れられた。間もなく、ひしゃくに一杯の油はすっかり注ぎ終わり、老人は腰を曲げてひょうたんの口の銅銭を取り上げ、周囲の人々に見せた。その銅銭はきれいなままで、油のしずく一つ付いていなかった。

 銅銭の穴めがけて油を注ぎ入れる技、どこかで聞いたことがありませんか。そう、戦国武将の斎藤道三が若いころ油売りの行商をしていた時の一文銭の油売りの話と瓜二つです。油の売り方も、中国から日本に伝わったのでしょうか。


 众人先是呆呆地看着,接着便情不自禁地叫起好来。陈尧咨无话可说,心中不得不佩服老汉过人的手艺。

Zhòngrén xiān shì dāidāi de kàn zhe, jiē zhè biàn qíng bù zì jìn de jiào qǐ hǎo lái. Chén yáozī wú huà kě shuō, xīn zhōng bù dé bù pèifu lǎohàn guòrén de shǒuyì.

 人々はあっけにとられて見ていたが、続いて思わず「すばらしい!」と叫んだ。陳堯諮は言うべき言葉もなく、内心では老人の人並外れた腕前に敬服せざるを得なかった。


 老汉把东西收拾好,转身对陈尧咨说:“看起来,这也不是容易做得到的,不过我却做到了。这也没有什么,只不过是我的手势熟练罢了。”

Lǎohàn bǎ dōngxi shōushi hǎo, zhuǎnshēn duì chén yáozī shuō: “kàn qǐlái, zhè yě bùshì róngyì zuò de dào de, bùguò wǒ què zuò dào le. Zhè yě méiyǒu shénme, zhǐbuguò shì wǒ de shǒushì shúliàn bàle.” 

 老人は荷物をしまうと、こちらを向いて陳堯諮に言った。「見ての通り、これも決してたやすくできることではありませんが、私にはできます。だからって、どうということはありません。私が油の扱いに慣れているだけの話です。」


 これより、「熟能生巧」は何事も慣れればこつが分かる、という意味の成語として使われるようになりました。

 けれども、この話で欧陽修は、実は宋王朝の文を重んじ武を軽んずる政策を批判し、陳堯諮が如何に武芸に優れていても、その技能は一介の油売りの芸と同程度にしか評価されないことを風刺したのだと言われています。