中国語学習者のブログ

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《紅楼夢》の中の節句行事(3) 元宵節、端午節

2011年09月04日 | 紅楼夢

 ※口絵: “猜灯謎”

 今回は、春節に続く、正月15日の元宵節のことと、5月5日の端午節についてです。
 元宵節は、暮れの年越しの行事から春節までの一連の正月の行事を締めくくる行事ですが、《紅楼夢》にあっては、物語の展開の契機となる、重要な転機として描かれています。
 端午節も、その行事の中で、賈宝玉、林黛玉、薜宝釵の将来の関係についての暗示があり、この小説は、こうした中国の伝統的な節句行事を物語展開の契機として、うまく使っています。

■[1]
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・倏忽 shu1hu1 たちまち
・寥寥 liao2liao2 極めて少ない。数えられるほどの。

□ この後、53回の後半及び54回の中で描写されているのは、大観園での元宵節のにぎわいであるが、元宵節の描写はここだけに止まらない。例えば小説の第1回《甄士隠は夢に通霊を識り、賈雨村は風塵に閨秀を懐う》の中で、元宵節は二度描かれている。一番目は、「士隠は娘が白粉を塗り玉を磨いたように真っ白な肌に育っており、おりこうさんで好ましいのを見ると、手を伸ばして胸の中に抱きかかえ、ひとしきり遊ばせると、彼女を連れて通りの方へ行ったところ、そちらは縁日でたいへんにぎやかであった。」ここで文中の“過会”(“会”は“廟会”で、お寺の縁日)というのは、元宵節の行事の一つである。この節の初めに詩があり、「なんぞ防げよう、佳節元宵の後、煙消火滅の時を」とあり、ここから元宵節がこの話の重要なヒントになっていることが分かる。それに続いて二番目にこう書かれている:「誠に閑居していると光陰矢のごとしで、たちまち元霄の佳節となった。士隠は召使の霍啓に命じて英蓮を抱いて、出し物や提灯を見に行かせた。夜半に霍啓が小便に行きたくなり、英蓮を一軒の家の敷居の上に座らせ、小用を終えて帰って来ると、どこにも英蓮の影も形も無くなっていた。」文中の“社火花灯”とは、元宵節の夜の街角での鳴り物入りの音楽、歌や踊り、様々な芝居、手品や曲芸、飾り提灯を照らすといった娯楽活動で、当時の一般の人々が出し物や提灯を見る行事の盛況さが描かれている。作者は限られた字数の中で、元宵節のにぎやかさが並はずれている様子を描いている。“社火花灯”というのは、当時の元宵節のにぎやかな情景を言い尽している。

■[2]


・花団錦簇 hua1tuan2 jin3cu4 [成語]色とりどりに着飾った華やかな一団。
・撃鼓傳花 ji1gu3 chuan2hua1 民間の遊び、或いは宴会の余興。十数人が円形に座り、一人が花束を持つ。鬼を一人決め、皆に背中を向け、目隠しをして太鼓を叩く。その間、円座の皆は花束を手渡しし、太鼓が止まったら手を止める。太鼓が止まった時に花束を持っていた人が負けとなる。宴会の時は、負けると酒を飲まされた。
 ※現在の農村での“撃鼓傳花”風景

・酒令 jiu3ling4 酒席に興を添える遊び。負けると酒を飲まされる。
・亭台楼閣 ting2 tai2 lou2ge2 あずまやや高殿、楼閣といった、庭園の中の様々な建物。
・張灯結彩 zhang1deng1 jie2cai3 [成語]提灯を掲げ、色絹で飾り付ける。
・興高採烈 xing4gao1 cai3lie4 [成語]上機嫌である。大喜びだ。
・如花美眷 ru2hua1 mei3juan4 咲く花のように美しい一族。“眷”は“眷属”のこと。
・筆 bi3 [量詞]ここでは、絵画、転じて景色、風景を数えるのに用いてる。
・閨中 gui1zhong1 婦人が暮らす場所をいう。

□ 《紅楼夢》の中で賈府が元宵節を過ごす様子は二回、詳細に描かれている。一回目は元妃が里帰りした時で、当時の賈府は最も繁栄していた時で、栄国府全部の人々が色とりどりに着飾り、灯火が光り輝き、普通の家とは比べようもなかった。賈府の元宵節は、《紅楼夢》第18回、《林黛玉誤って香嚢の帯を剪り、賈元春は帰省し元宵を慶う》より始まる。元春晋封賢徳妃が、実家に里帰りした時は、ちょうど元宵の佳節であった。
 元妃が帰省を終えて宮廷に戻ってから、特に“灯謎”(元宵節に飾り付ける提灯に吊るすなぞなぞ)を作り、一家で楽しんだ。ご隠居様を頭に、多くの美女を率いて芝居を見たり、講談を聞いたり、酒席の遊びを楽しんだり、なぞなぞをしたり、花火を見たりと、どんなに楽しんでも疲れることを知らなかった。大観園での元宵節は、園内の様々な建物の到るところに提灯を吊り飾り付けがなされ、多くの女達や召使達が大喜びで参加し、節句の楽しみを心行くまで味わい、節句をたいへんにぎやかなものにした。紅楼夢の中での元宵節は、大観園の咲く花のように美しい一族のため、女達の花園に一風景を添えることとなった。

■[3]


・笙歌 sheng1ge1 笙(しょう)に合わせて歌う。楽器を奏で、歌うこと。
・聒耳 guo1er3 やかましい。うるさい。
・喧天 xuan1tian1 騒々しさが天まで響く。
・年邁 nian2mai4 年をとる。高齢になる。
・淹纏 yan1chan2 まとわりつく。
・(有)一等 yi1deng3 ある種。~のたぐい。
・妬富愧貧 du4fu4 kui4pin2 他人の富みに嫉妬し、自分の貧しさを恥じること。
・賭気 du3qi4 不平でふてくされる。怒って意地になる。
・羞口羞脚 xiukou3 xiu1jiao3 恥ずかしくてものが言えず、はにかんで前に出ようとしない様。
・流光溢彩 liu2guang1 yi4cai3 光り輝き、色彩が溢れる。
・浮華 fu2hua2 派手。華美。
・雍容華貴 yong1rong2 hua2gui4 おっとりしていて美しい。“雍容”は態度が鷹揚で、ゆったりしていること。
・万千気象 wan4qian1 qi4xiang4 人々の雰囲気が変化に富んでいる。
・盎然 ang4ran2 満ちあふれる。

□ 賈府が翌年また元宵節を迎える時には、(さしもの栄華を誇った一族にも)衰退の気配がはっきりと現れ出した。《紅楼夢》第53回《寧国府は大晦日に宗廟を祭り、栄国府は元宵に夜宴を開く》のお話の中で、ご隠居様が夜に宴会を開く時、栄国、寧国の両府では、提灯を愛で、酒を飲み、にぎやかに楽器を奏で、歌を歌い、にぎやかさは天まで響くほどであたが、賈氏一族の参加者は数えるほどしかなかった:「ご隠居様も人を遣って一族の男女に来るように言ったが、如何せん、彼らはある者は年をとったので賑やかなところは苦手となり、またある者は家に他に人がいないので出かけるのは都合が悪く、またある者は病気が体にまとわりつき、来ようにも来られず、またある者は他人の富を妬み自分の貧しさを恥じるたぐいであり、甚だしきは煕鳳の人となりを憎み恐れ、意地になって来ないたぐいの者までいる。またある者は恥ずかしがってものを言ったり前に出たりできず、人に会うのに慣れておらず、来る勇気がない……」今宵は元宵の佳節で、なお光り輝き色彩が溢れ、派手でぜいたくであるけれども、嘗てのゆったりとして美しい、変化に富んだ雰囲気は、もはやとっくに失われていた。かくの如き尋常ならざる情景により、この年の元宵節は賈府の最後の輝きとなった。
 元宵節はこの小説全体を貫き、《紅楼夢》の幕開けでは、賈府はまだ出てこず、最初に甄家が出てくる。物語の中での甄家の滅亡は、実は賈府の滅亡の前奏であり、甄家は元宵節の後、大火に遭って衰退し、曹雪芹の筆により、賈府が最後に滅亡するのも元宵節であり、実際に曹家が家財を差し押さえられたのも元宵節の後であった。曹雪芹の筆による元宵節は、悲喜こもごもが加わり、現実と幻想が互いに生じ、同時にまた生き生きとしていて、かつ詩趣が満ち溢れている。

■[4]


・冰片 bing1pian4 龍脳香
・孝敬 xiao4jing4 目上の人に物を差し上げる。贈り物をする。

□ 《紅楼夢》第24回で初めて端午節が描かれる。賈宝玉の本家のおいの賈芸は、賈府の中でちょっとした使い走りをしようとしていた。つまり端午節に王煕鳳に贈り物をしようとしていた。賈芸は金を借り、龍脳、麝香などの香料を王煕鳳に贈った。賈芸は王煕鳳に言った。「いつもの年はおばさんがたくさんのお金でこれらの物を買われているのを知っています。今年はお妃さまが宮中におられるのは言うまでもなく、まして端午節であれば、これらの香料は当然いつもの十倍の値がつくのは当然のことです。」それに続いて、《紅楼夢》ではこう書かれている:「煕鳳はちょうど端午節の祭礼をするのに、香料や薬、お菓子を買おうとしていたので、突然賈芸がこうしてやって来て、この話をしたので、心の中では得意になり、また嬉しく、召使の豊儿にこう命じた:「芸兄さんの贈り物を受け取ったら、家に届けて、平儿に渡してちょうだい。」賈芸のこの端午節の“薄礼”(ちょっとした贈り物)により、賈芸は賈府の中で、庭木を植えるのを管理するほどの使い走りを果たすことができたのである。

■[5]


・太監 tai4jian4 宦官の通称。
・賞賜 shang3ci4 下賜する。
・宮扇 gong1shan4 うちわ。宮中で多く使われたので、こう言われる。
  ※宮扇

・淋漓尽致 lin2li2 jin4zhi4 [成語]文章や話が詳しく徹底していること。
・玄机 xuan2ji1 (道教でいう)玄妙な道理。
・用意 yong4yi4 意図。心づもり。
・鉄心 tie3xin1 揺るぎない決心をする。
・保駕護航 bao3jia4 hu4hang2 ある事物を保護し、それが正常に発展するようにさせる。“保駕”、“護航”ともに護衛すること。
・不了了之 bu4liao3liao3 zhi1 [成語]事を未解決のまま棚上げにする。うやむやのうちに終わらせる。

□ 第28回では賈元春が賈宝玉に下賜した「贈り物」のことが書かれていて、これは夏太監に言って端午節に下賜させたもので、上等のうちわ二本、紅麝香の数珠の腕輪二つ、鳳の尾の薄絹二反、蓮の花の図柄の竹のむしろ一枚が見られた。宝玉はこれを見て、うれしくて仕方が無く、「他の人のも同じなの?」と聞いた。襲人は言った:「大奥様のは、この他に香の如意と瑪瑙の枕がございました。奥様、旦那様、薜の奥様には如意が一つ余分にございました。若様のは、宝のお嬢様のと同じでございます。林のお嬢様のは、迎春様、探春様、惜春様と同じでうちわと数珠だけで、他の人にはございませんでした……」宝玉はそう聞くと、笑って言った:「これはどうしたことだろう。どうして林ちゃんのは僕と同じでなくて、宝姐ちゃんのが僕といっしょなのだろう。渡し間違えたということは無いの?」ごく短い限られたことばの中に、宝玉が端午の贈り物をもらった喜びの心情が余すところなく表現されている。紅楼夢研究家によれば、この時の端午節の贈り物には暗に玄妙な道理が隠されている。というのは、林黛玉がもらったものは、賈迎春、賈探春、賈惜春と同じで、品種も数量も少なく、レベルも低いのだが、賈宝玉に下賜したものは、薜宝釵のものと全く同じで、品種も数量も多く、レベルも高かった。その中には同じように特別なもの、蓮の花の図柄の竹のむしろ、これは細い竹で編んだもので、上に蓮の花の図案のあるむしろで、この前の三つのものが皆二つなのに、これだけが一枚なのは、どうしてだろうか。なぜなら二人用なのである。賈元春の心づもりは言うまでもなく明らかで、二人を結婚させようという意向が込められていて、彼女は暗に、薜宝釵を賈宝玉に嫁がせようという意向を表しているのである。このことは賈のご隠居様はあまり賛成でなかった。ご隠居様は賈宝玉と林黛玉を結婚させたいと堅く決めていたので、知らないふりを装い、この事はその後もうやむやにした。この意図は宝玉と黛玉は知らなかったが、薜宝釵は分かっており、理屈から言うと、普段は薜宝釵は自分の感情が外に現れ出るのを拒んだが、この時はそうではなかった。第28回の題名の後半に「薜宝釵恥じらいて紅麝の串(うでわ)を籠(は)む」とあり、ここから分かるのは、たとえ彼女自身は本能では恥ずかしがっていたとしても、彼女は公然とそれを身につけ、故意に賈宝玉にそれを見せたということは、この時彼女自身も賈宝玉が好きで、敢えて彼を射とめたいと表に現したことを物語っている。

■[6]


・布帛 bu4bo2 綿織物と絹織物の総称。
・雄黄酒 xiong2huang2jiu3 雄黄を入れた酒で、端午の節句に飲み、解毒作用があるとされる。雄黄は鶏冠石ともいい、硫化砒素の一種で橙黄色で光沢があり、本来は色ガラスや染料の原料。
・桑椹(子) sang1shen4 クワの実
・不失為 bu4shi1wei2 ……たるを失わない。……だといえる。

□ 第31回で端午節を描写している言葉数は多くはないが、端午節に関わる民間の習俗を書き留めている。その中でこう言っている:「この日はちょうど端陽(“端午”に同じ)の佳節で、菖蒲とヨモギを門に挿し虎符を腕に付ける。午後、王夫人は酒席を設え、薛家の女達を招き端午節の宴席を共にした。」ちょっと資料を捜してみると、“蒲艾簪門”、“虎符系臂”は端午節の習慣で、今日では虎符を腕に付けるのはあまり見かけないが、菖蒲、ヨモギを挿す習慣は広く流布しており影響は強い。“蒲”は菖蒲のことで、香りがあり、水辺に生える。“艾”はヨモギであり、茎や葉に香りがある。“蒲艾簪門”とは、菖蒲、ヨモギを門の上に挿すことで、それにより蚊、蠅、蟻を駆除するとおもに、邪気を払い、邪気を避ける意味を含む。“虎符”とは昔の人が邪気を避けるお守りとしたもので、人々は綾や薄絹、綿や絹などで小さな虎の形を作り、子供の(服の)腕の上に縫い付ければ、悪を避け災いを消すことができると信じた。“賞午”も端午節の風習で、端午節の午後、雄黄酒を飲み、桃、桑の実、サクランボ、チマキなどを食べ、ザクロの花などを鑑賞し、金持ちも貧しい者も、互いに食事に招待する。こうした活動一切を、“賞午”と総称する。紅楼夢のこの回で書かれているのは、王夫人が端午節の酒席を整え、「薛家の女達を招いて“賞午”をする」、すなわち客を招いて端午節の宴会に加わるということである。この回にはもう一つ、「チマキの分け前のことで争い、腹を立てる」というのがあり、それは黛玉のたった一言、「節句だというのにどうしてそんなに泣いているの?まさかチマキの分け前のことで腹を立てているのではないでしょうね」という場面が付け加えられている。
 端午節には他に“斗百草”(百草勝負)という遊びがあり、第62回に“斗草”遊びが描かれている:「たちまち、また宝玉の誕生日(紅学の学者の考証によれば、宝玉の誕生日には二説あり、一つは4月26日、もう一つは5月4日、すなわち端午節の前日である)がやって来た。実は宝琴もこの日が誕生日で、二人いっしょである……外には、小螺、香菱、芳官、蕊官、藕官等4~5人がいて、中庭中を捜しまわって、皆が草花を摘んで袋に入れ、草むらの上に座って“斗草”遊びをした。」“斗草”には“武斗”と“文斗”の別があり、“武斗”というのは、二人がそれぞれ草の茎の一端を持ち、力を入れて引っ張り、先に切れた方が負けである。“文斗”は、双方が詩で問答するかのように、草の名前について、一方が草の名前の質問を出し、相手が答えられなかったら、勝ちである。“斗草”遊びを通じ、人々は草花の名前を憶え、新鮮な空気も吸え、有益な遊びの風習だといえる。

 ※蒲艾簪門


   ※斗草(左は武斗、右は文斗)


(次回に続く)

 子供の服の腕のところに縫い付ける布製の“虎符”について、写真がないか、捜してみたのですが、見つかりませんでした。こういうものは残りにくいのかもしれません。ただ、虎をデザインした赤ちゃんの布製の帽子、布靴はよく見ますが、ああいうものではないかと思います。もしご存じの方がいらっしゃいましたら、お教えください。

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1 コメント

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Unknown (千葉ガイド)
2011-09-06 12:33:27
中国には変わった行事があるみたいですね。
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