莫言のスウェーデンアカデミーでの講演、「講故事的人」の3回目。例によって、原文は下のリンクからご覧ください。
http://culture.people.com.cn/n/2012/1208/c87423-19831536-3.html
過去2回は、莫言の少年時代からの生い立ち、また彼の人生に大きな影響を与えた亡き母の思い出が語られていましたが、この後は、彼の代表作の背景が語られています。今回の冒頭では、前回触れた、ウィリアム・フォークナー、ガルシア・マルケスから受けつつ、そこからどうやって自分の文学スタイルを構築していったかが述べられています。
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私はこの二人の巨匠の後ろを二年間ついて行きましたが、そしてできるだけ早く彼らから離れないといけないと気がつきました。私はある文章の中でこう書きました。彼らは二基の灼熱に燃えたボイラーであり、私は氷の塊である。彼らとあまりに近い距離にいると、彼らに熱せられて蒸発してしまう。私が体得したところでは、一人の作家が別のある作家から影響を受けるのは、根本的には影響を受ける者と影響させる者とが、心の奥底でよく似たところがあることに拠ります。正にいわゆる「心に霊犀あり、一点通ず」(以心伝心で相手の心が分かる)です。ですから、たとえ彼らの本をあまり読んだことがなくても、何ページか読めば、彼らが何をしたかを理解でき、彼らがどのようにしたか理解でき、すぐさま私は何をすべきか、どのようにすべきかを理解することができます。私がすべきことは実はたいへん簡単で、自分のやり方で、自分の物語を語ることです。私のやり方というのは、私がよく知っている市場の講談師のやり方で、私の祖父母、村の老人たちに物語を語るやり方です。率直に言って、話をする時には、私は誰が聴衆になるか考えたことはありません。ひょっとすると、私の聴衆は私の母のような人かもしれず、ひょっとすると聴衆は私自身かもしれません。私自身の物語は、最初は私自身の体験です。たとえば《枯河》の中でこっぴどくぶたれる子供、《透明な赤いニンジン》の中で、最初から終わりまで一言も発しない子供がそうです。
私は確かに嘗てある失敗をして、父親にひどくぶたれました。私はまた橋梁工事の現場で、鍛冶屋の親方のためにふいごを吹いたこともあります。もちろん、個人の経験は、それがどんなに珍しくても、それをそのまま何も変えずに小説に書き記すことはできません。小説はフィクションでなければならず、想像がなければなりません。多くの友人は《透明なニンジン》が私の最も良い小説だと言ってくれ、私はそれに反論しませんが、同意もしません。けれども私は《透明なニンジン》は私の作品の中で最も象徴的で、最も意味深長なものであると思います。あの全身真っ黒で、超人的な苦しみを我慢する能力を持ち、超人的な感受性を持つ子供は、私の全作品の霊魂(精神)です。その後の小説で私はたくさんの人物を書きましたが、彼ほど私の精神に近い人物は一人もいません。また次のようにも言えます。一人の作家が描き出す何人かの人物には、必ず一人リーダーがいると。この寡黙な子供こそがリーダーで、彼は一言も発しませんが、力強く様々な人物を導き、高密県東北郷という舞台で、思う存分演技をしています。自分の物語はしょせん限りがあり、自分の物語を話し終わると、他の人の物語を話さないといけません。そして、私の肉親たちの物語、村人たちの物語、更に老人たちの口から聞いたことのある祖先の人たちの物語と、集合命令を聞いた兵隊たちのように、私の記憶の奥底から湧き出てきました。彼らは期待に眼を輝かせて私を見、私が彼らのことを書くのを待っています。私の祖父、祖母、父、母、兄、姉、叔母、叔父、妻、娘と、皆私の作品に出ましたし、またたくさんの高密県東北郷の同郷の人たちも、私の小説に登場しました。もちろん、私は彼らを文学的に加工し、彼ら自身より誇張して、文学作品中の人物にしています。
私の最新の小説《蛙》では、私の叔母のイメージが出てきます。私がノーベル賞を受賞したので、たくさんの記者が叔母の家を取材し、最初は叔母も我慢して記者の質問に答えていたのですが、間もなくその煩雑さに我慢できなくなり、町に住む叔母の息子の家に逃げ込んで、そこに隠れてしまいました。叔母は確かに私が書いた《蛙》のモデルですが、小説の中の叔母は、現実の叔母とは天と地の差があります。小説の中の叔母は横暴で勝手気ままに振舞い、まるで女盗賊のようですが、現実の叔母は優しく朗らかで、絵に描いたような良妻賢母です。現実の叔母は晩年、生活が幸せで満ち足りていますが、小説の中の叔母は、心に大きな苦しみを持ち、そのため不眠症を患い、黒い長衣を纏って、幽霊のように暗闇の中をふらふらと歩き回っています。私は叔母の寛容に感謝しています。私が小説の中で叔母をそんなふうに描いても怒らないのですから。私も叔母の聡明さに十分敬意を払い、叔母も小説の中の人物と現実の人物の複雑な関係を正確に理解してくれました。母が亡くなった時、私の悲しみは甚だしく、それを一冊の本にして母に奉げることにしました。それが《豊乳肥臀》です。前もって考えがありましたし、気持ちが充実していたので、わずか83日間で、50万字に及ぶ小説の初稿を書き上げました。
《豊乳肥臀》で、私はなんらはばかるところなく私の母の実際の体験に関した素材を使いましたが、本の中の母の感情の推移は、フィクションか、もしくは高密県東北郷の多くのお母さん方の体験から取材しました。この本の扉に、私は「天国の母の霊に捧ぐ」と書きましたが、この本は実際には世の中の全ての母親に奉げるもので、それは私のきちがいじみた野心で、つまり小さな「高密県東北郷」を中国、或いは世界の縮図のように描きたいと望んでいたかのようなのです。
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