相変わらず季節が混在している
今朝はまた蝉の声が聞こえてきた、今は静かでかすかに秋の虫が鳴いている
秋と言えばぶどうの季節で、昔はお盆のころには小粒のぶどう(デラウェアとは言わなかったはず)がマクワとともに仏前にあがった
今もデラがあるけれど、大粒の種なしの影に隠れている
10年くらい前までは巨峰でも、あるいは大きな桃でも信州の道の駅などで2000円とか3000円とかで箱買いができた
今は1房1000円、2000円の時代になった、これではむしゃむしゃと食べるわけにはいかない、今や高級果実だ
特にシャインマスカットが凄くて、考えてからでないと食べることが出来なくなった、巨峰もおなじだ
たしかに品種改良で大粒になり甘さも桁違いになっている、でも巨峰でも皮と果実の間の少し渋甘いところがうまい
大衆果実から食後に少しだけ食べる上品なデザートになってしまった、だから5年くらい前からほとんど口にしていない
そういえば毎夏50本くらいずつ仕入れていたトウモロコシも今年は2本たべただけだった
いったいどうしてしまったのだろうか? 食べたい気持はあるのに
なにかが自分の中で変わってきつつある
思うに終活が無意識の中で始まりだしたのだろう、長引くコロナがきっと後押しをしているのだ
いつまでも、あてにならない収束を待っていられない、もう古希を過ぎたのだ
今すぐにでも夢を実現させるべきだ、忙しさにかまけて出来なかったことを
何かを得るためには何かを犠牲にしなければできない
それができるかどうかで残された20年が決まる
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