神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

人生と魂

2025年02月27日 07時26分35秒 | 宗教
 自分が生まれて来て、何をして、どこに行くのか
それは「人はなぜ生まれてきたのか」「人は何のために生きているのか」「死とは何か」の常套句
もっと細かく言えば「なぜ勉強しなくちゃいけないの」「なぜ法律があるの」「なぜ人は戦争をするのか(平和に生きようとしないのか)」「どうして男と女があるのか」なども人生の疑問

74年生きてきて、そんな疑問が若いころより、はっきりと見えてきた
「死」とは人間の体が機械と同じように年月を経てパーツが老化して壊れてしまうことだ
というより、人間のパーツは骨格と内臓と魂の三つでできている
骨格と内臓は見える、魂だけが見えない、そして骨格と内臓が壊れていくのも分かる
医者はそれを修繕したり、パーツを取り換えたりして長持ちさせる人々だ
魂は見えない、唯一厳しい修行を卒業した宗教家と呼ばれる人が、それに触れることができるとされている

魂とは何か? それは感情をつかさどり、内臓と骨格を動かせている見えない原動力、生そのものを支配している何か
魂には感情が含まれる、感情は脳の働きとされている、かといって脳の中に魂は見つかっていない
脳を働かせている(認識させている)のも魂の働き、魂は見えないが確かにあるのだ
我々が生きている認識された世界と、魂を結ぶのは唯一感情である
感情は脳の働きだから、脳は魂とつながっているともいえる
自分が魂に働きかけることができるのは、音楽、文学、見聞、瞑想など案外たくさんある
これらをうまく使えば、感情をコントロールできて生命力を伸ばすことさえ可能だ、但し逆作用に使えば寿命を縮めることにもなる

私的な考えだが、人の死は内臓の死でもあるが、内臓は侵されていなくても死ぬことはある
それは魂が体から抜け出して心肺が停止する場合だ、これを老衰死という
即ち、魂はあるのだ、そして魂は死なずに体から抜け出していく

生きているときでも魂が抜けだすことはあるようだ
だから「あの人は奥さんが亡くなって魂が抜けたようだ」なんていわれる
行者は魂を自由に世界中にあるいは宇宙に飛ばすことができるそうだ
瞑想だって、うまくやればそれに近いことはできそうだ
座禅はやったことがないが、瞑想の一種なんだろう

私のはるか遠い祖先には鎌倉建長寺に学び、一院を任された臨済宗の禅師がいた
臨済宗と言えば黄檗宗、曹洞宗と共に座禅を基本とする「禅」の宗教だ
世間では浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などの大衆宗教に対して、それ以外の奈良仏教や古仏教を禅宗と呼ぶことが多い
禅宗という宗教はないという、禅を行う宗教は黄檗宗、曹洞宗、臨済宗の三つだけなのだ

浄土宗、浄土真宗、日蓮宗は「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と仏様や宗教のもととなる経の名を繰り返し唱えれば極楽往生できると教えるのは、無学無産の哀れな大衆を救うという宗教
但し、日蓮宗の開祖、日蓮は他の宗教すべてを邪宗と批判している、「炎の人」と呼ばれる所以である
それに比べると、もっとも人間的で大衆とともに人であること、煩悩に苦しんだのが浄土真宗の親鸞である
我々、愚物は共に悩みもがいた親鸞に親近感を覚える
親鸞は人間的であるために、それを救ってやるべき僧侶でありながら、自ら煩悩に身を任せて戒律を破って妻帯し、子を成し、魚を食べた(魚を食べたは?)

座禅をしたところで誰もが人生を生死を悟るわけではない
今日を生きるためのヒントを得られたら上出来というものだ、ドロドロになってしまった心が、少しでも浄化されたらそれは瞑想の効能と言える
心を落ち着けて、現状分析できるなら、否 座禅は考えてはならないようだ
ただ心を無にすることに集中・・・それも違う集中しようと思うこと自体がすでに考えている
心を空っぽにする、魂を宇宙に遊ばせる らしい
だが1000人中1000人ができないだろう、「起きている」と「寝ている」の中間にたどり着ければずいぶん気持ちも休まるだろう

長々と考えながら書いたが、結局人生あれこれ、生死あれこれと行ってみても
平安な心持ちで毎日を生きていられたら幸福というものだ
要は短い人生を悔やまず楽しく生きれば良いということだ
何が起こるかわからない明日の心配をするより、今、この時間を有効に他の良く生きることを考えれば良い
昨日までの大失敗を毎日悔やんでも済んだことは元に戻らず、そんなことは忘れてしまえ、今日の今を楽しく生きろ、それだけを考えていればよいということだ
疲れたら瞑想すればよい、心を空っぽにすればよい
神仏の前に座って瞑想すれば、なお心が落ち着くだろう
ヒーリング曲を流しながらベッドに横たわっているだけでも十分心は休まるだろう

人生なんて神経質に考えたって、何も考えない人より劣る
70を過ぎたら何も考えずに楽しく生きるのが一番かもしれない。



EL CONDOR PASA - Simon & Garfunkel 1970 (lyrics) コンドルは飛んで行く【和訳】サイモンとガーファンクル



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1 コメント

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意味のないこと (りんご)
2025-02-27 10:56:55
私もずっと「人はなぜ生まれてきたのか」「何のために生きているのか」
というようなことを、いつも考えながら生きていた気がします。
でもある時「意味がないことがあっても良いじゃないか」という言葉に出会いました。

もちろん「意味」を考えたりすることで
苦しい時や辛い時期を乗り越えられることもありますけど、
意味もなく景色を見たり、人と話したり、だらだらすることも人生には必要なことだと。。

前にも書いたことがあるかもしれませんが
よっちん様の文章を読んでいて思い出したのは
中島みゆきさんの「命の別名」という歌でした。
♪命に付く名前を心と呼ぶ~
・・・と歌っています。
私には結構響いた歌詞でした。
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