商人の風体で藤吉郎は尾張岩倉城下に現れた
清州城下で藤吉郎はまず三蔵に会った、ほかの仲間にはあっていない
そして三蔵に小六様を岩倉まで連れ出すように頼んだ、小六の家来の多くが藤吉郎を知っているからだ、用心に越したことはない
翌日、小六がやってきた
「誰じゃ、儂に会いたいというのは」
「はい、大坂商人でございます、珍しい武器を持ってきましたのでぜひ殿様にご覧いただきたく」
「なんじゃ、見せて見ろ」
「これでございます」「なんじゃ、この長い筒は」
「鉄砲でございます」「鉄砲? 名前は聞いたことがあるがこれか」
「はい」「うむ、だがこんなものは役に立たん、やはり戦場は槍と刀がものをいう。わしには不要じゃ」
「さようでございますか、田舎侍は仕方ありませぬな」
「何を!無礼者! 命が惜しくないか!傘もとらずに無礼であろう、傘をとらぬか」
藤吉郎が傘をとると小六は驚いた、そしてじっと覗き込んだ
「よく似ておる」
「どなたにですか?」
「お前には関係ない、儂の死んでしまった舎弟に似ているから言ってしまっただけだ」
「その方は藤吉郎と言う名前では?」
「なに! なぜ知っておる」
「わしが藤吉郎だからでござるよ小六殿」
「なに!なに! 藤吉だと!」
「いかにも、小六様、久しゅうございます」
「何!生きておったと、明智様から死んだと聞いたが」
「明智様に殺されるところでございましたが、駿府の松下殿に助けてもらいました」
「何ということだ! 本当に藤吉郎なのか」
「そうでござるよ、幽霊ではありませぬ」
たちまち小六の顔が歪んで泣き出した、涙が止まらない
「藤吉、藤吉、本当に生きていたのか、本当に藤吉か」
藤吉郎も涙があふれてきた、もう止まらない
男が二人、肩を抱き合って泣いている、それを見ている三蔵まで泣き出した。
ようやく落ち着いた小六が「明智様に殺されるとはどういうことだ」
藤吉郎はいきさつを語った
「おのれ明智め、そのようなことをわしに嘘を言っていたのか、おぬしは夜盗に殺されたと、のうのうと嘘を言ったのか、もはや儂も美濃とは縁を切る」
「今日、こうして小六様に会ったのはお願いがあるからでございます」
「なんじゃ、なんでも言って見よ」
「この鉄砲を大名に売り込みたいのです、そして足軽仕官がしたいのです」
「なに、おぬしはようやく武士を目指す気持ちになったのだな」
「はい、どなたか知りませぬか」
「美濃には結構伝手があるが、明智がいるからには美濃はなるまいの」
「いかにも」
「ならば織田家か今川家だな、そうなると織田の方が知り合いは多い」
「しかし織田の若殿はうつけだと申すではありませぬか」
「いや、案外そうでもないぞ、夏にカヤヅで行われた守護代殿との戦では見事な采配で完勝したそうじゃ、やはり弾正忠殿の嫡男じゃ」
「ほほう」
「それにまだ若いから、これからは未知数じゃ、大器に化けるかもしれぬ、そうじゃ前田犬千代は信長殿のお気に入りの小姓じゃった、犬千代殿なら儂も知っている」
「わかりました、織田信長様に会えるように段取りをしていただきたい」
「わかった、しかし信長と言う男、なかなか気難しいという、下手をしたら首が飛ぶぞ」
「覚悟のうえでござる」
前田犬千代は若侍までのことで今は元服して前田利家と言う
小六とは犬千代のころから知っているので、小六は今でもそう呼ぶ
「犬千代の本家とわが蜂須賀村とは隣村であったから、犬千代の兄者と儂は少なからず因縁があって、犬千代とも知り合いなのよ
ずっと前から織田家に仕えて信長様の小姓として働いておる、先般の戦で初陣してのう勇ましかったそうじゃ」
その前田利家のとりなしで藤吉郎は信長に目通りできることになった、これがほかの大名であれば当然叶わぬことであったろう
しかし信長は藤吉郎と同じように何にでも好奇心を示す人間であった
「何やら珍しきものをご披露いたしたいとか」と利家が言うと、即座に「会おう」と言ってのけたそうだ。
藤吉郎は土の上に土下座して平伏している
「その方か、なんぞ南蛮渡来の珍しきものを持ってきたというのは」
「へー」
「申してみよ、それはなんだ」
「鉄砲にございまする」
「うむ、聞いたことはあるが」
「これでございます」
家来が受け取って、信長に渡した
「奇妙なものよのう、これで人を殺せるのか、どのように使う」
「っへ!」さすがの藤吉郎も信長の面前では緊張する、(これはいかん)と気づき声を励まして、大音声で言った
「申し上げます! まずは的が必要です、ご用意願います、そして、後ろに控えている吉兵衛が的を打ち抜いてごらんに入れます」
家来が的になりそうな板を持ってきた、すると信長も藤吉郎に負けぬ大声で
「たわけ!殺傷力を試すのだ、罪人に胴丸を付けて引き出して柱に括り付けろ」
嫌がって泣き騒ぐ罪人を柱に括り付けた
「吉兵衛は都の鉄砲足軽で何度も実戦で鉄砲を撃っております」
縛り付けられた柱から30間ほど離れたところで吉兵衛は鉄砲を構えた、火種が走り大音響とともに弾が飛び出して、たちまち罪人に命中した
誰もが大音響に驚いて耳を抑えた
悲鳴を上げて罪人は苦悶の表情になった、家来が罪人の縄をほどくと地べたにへたり込んだ
胴丸の上部に穴が開き血が流れている、ぐったりした罪人を天幕の裏に運んで行った家来が「今、絶命しました」と言った
「ふーむ、威力はあるようだが、これでは距離が短すぎる」
「腕を磨けば50間(約90m)でも絶命させることができます、100間でも打ち倒すことができます、それ以上になれば馬を狙えば敵は落馬するでしょう」
「卑怯な! 馬を狙うとは何事ぞ」
「その昔、源平壇ノ浦の戦では船いくさに不得手な源氏は、源義経公の考えで平氏の漕ぎ手を弓で狙い打ったとか、
船足が停まったところで弓を射かけて大勝利したと申します」
藤吉郎は得意の「平家物語」の一節を講釈した、すると信長は笑って言った
「たわけ! 織田家は平氏ぞ、平氏の負け戦をようものうのうと申したのう、打ち首じゃ!
と言いたいが『将を狙わば馬を射よ』と申す、そちの申す事一理あるゆえ許そう」
信長は女のような細く甲高いが、よく通る声で言った
それからゆっくりと藤吉郎の顔を舐めまわすように見ている
藤吉郎、この無言の静かな時間が恐ろしい、そう思いながらも藤吉郎も遠慮がちに信長を見ている、
信長の顔は白く美しいと思った、若く少年のようにも見える
罪人とは言え、さっきのように鉄砲の的にして、いともたやすく人間を殺してしまうことが信じられない
目は魅力的で吸い込まれそうな気がした。
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