コメント
「技は盗んで覚えろ」
(
セントロ
)
2008-09-26 01:20:40
本当にそうですね。
もっと貪欲につかんでいきたいと思います。
マインドマップも
(
イノッチ1000世
)
2008-09-28 07:36:06
マインドマップについても、たくさんのBLIの方から盗ませていただきました!(≧∇≦)ノ
Unknown
(
松本
)
2008-12-28 07:56:05
こんにちわ。いろいろなことから、向上心をもった態度で、技術を身に付けることは、大事なことなんですね。しかし、盗むというと、道徳的な後ろめたさを感じてしまい避けていました。そんなことをしなくても、なんとかなるという態度です。
これまで、技術の向上のために研究(事柄を極める態度で臨んでいる)をしてこなかったために、(傍観者的な態度をしてしまったために)解決し、さらに良い関係を築くことができたかもしれません。つまり、よい態度で備えていれば、得られたかもしれないものが、得られず落としていたということです。
セレンディピティー
(
イノッチ1000世
)
2008-12-28 09:29:43
今年1年間、私が意識してきたのが「セレンディピティー」ということでした。
猛烈に努力していると、自分に必要な情報が網に引っ掛かってくるという考え方です。
偶然のようで、偶然ではなく、自分が気づかなかっただけだったようです。
セレンディピティー
(
kawa
)
2008-12-28 20:20:25
横から失礼いたします。
セレンディピティー、もしかして茂木健一郎さんの言葉ですか?私も「プロフェッショナル」を見て、すごい言葉だと思いました。他から見ていると偶然にしか思えないことも、その人が明確な目的意識を持って努力を続けた結果、掴み取ることができるのだと、実感し始めています。
イノッチ先生のブログにぶつかったのも、そのひとつだと思っています。
相変わらず学生には「偶然でしょう」と言われ続けていますが、どうやら半信半疑ぐらいにはなってきていますので、来学期にダメ押しをしようとひそかに準備を進めています。
来年も、続けて読ませていただきたいと思います。
良い年をお迎えください。
南開大学 kawa
ウィキペディアからの引用
(
イノッチ1000世
)
2008-12-28 21:00:18
「セレンディピティ」については茂木先生の言葉ではなく、18世紀にできた言葉です。私が説明するよりも一般的な文章を紹介した方が分かりやすいので、「ウィキペディア」から完全引用します。どうぞ参考にしてください。
「serendipity」という言葉はホレス・ウォルポール(ゴシック小説の「オトラント城奇譚」の作者として知られる人物)が1754年に造語したものであり、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの三人の王子』という童話に因んだ造語である(セレンディップは現在のスリランカなので「スリランカの3人の王子」という意味の題名である)。ウォルポールがこの言葉を初めて用いたのは、友人に宛てた書簡において、自分がしたちょっとした発見について説明しているくだりにおいてであり、その書簡の原文も知られている。
『この私の発見はまさに私に言わせれば「セレンディピティ」です。このセレンディピティという言葉はとても表現力に満ちた言葉ですよ。この言葉を理解していただくには、へたに語の定義などするよりも、その物語を引用したほうがずっとよいでしょう。かつて私は『セレンディップの三人の王子』という童話を読んだことがあるのですが、そのお話において、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。例えば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが歩いていたことを発見します。何故分かったかというと、道の左側の草だけが食べられていたためなのです。さあ、これで「セレンディピティ」がどのようなものか理解していただけたでしょう?』
今年も宜しくお願いします
(
kawa
)
2009-01-04 12:16:27
イノッチ先生
いよいよ新年、新学期の始まりですね。
おっしゃるとおり、教育以外の分野の心ある人たちとのつながりは、これからの学校教育を全うなものにしていくためには必要なことかもしれません。スケジュールを見ると相当に忙しいようですが、お体にはくれぐれもご留意ください。
前回の投稿から少し時間がかかったのは、『セレンディップの3人の王子』の言わんとするところを考えていたからです。未だにぴんと来ないのですが、それこそこの問題を持ち続けることで、いつか「あ、そうだったんだ」と分かるときが来ると思います。
そのときの自分が今とどのぐらい変わっているのか、楽しみです。
それでは、今年も宜しくお願いいたします。
科学者の世界では一般的な言葉のようです
(
イノッチ1000世
)
2009-01-04 21:30:50
「セレンディピティ」は科学者の中では非常に一般的な言葉です。
外山滋比古先生の著書『思考の整理学』から引用しますね。
「戦後しばらくのころ、アメリカで対潜水艦兵器の開発に力を入れていた。それには、まず、潜水艦の機関音をとらえる優秀な音波探知機をつくる必要があった。
そういう探知機をつくろうとしていろいろ実験していると、潜水艦から出ているのではない音がきこえる。しかも、それが規則的な音響である。この音源はいったいなにか、ということになって、調べてみると、これが何と、イルカの交信であった。
それまでイルカの“ことば”についてはほとんど何もわかっていなかったのに、これがきっかけになって、一挙に注目をあつめる研究課題としておど出た。
もともとは、兵器の開発が目標だったはずである。それが思いもかけない偶然から、まったく別の新しい発見が導かれることになった。こういう例は、研究の上では、古くから、決してみずらしくない。
科学者の間では、こういう行きがけの駄賃のようにして生まれる発見、発明のことを、セレンディピティと呼んでいる。ことにアメリカでは、日常会話にもしばしば出るほどになっている。自然科学の世界はともかく、わが国の知識人の間でさえ、セレンディピティということばをきくことがすくないのは、一般に創造的思考への関心が充分でないことを物語っているかもしれない。」
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もっと貪欲につかんでいきたいと思います。
これまで、技術の向上のために研究(事柄を極める態度で臨んでいる)をしてこなかったために、(傍観者的な態度をしてしまったために)解決し、さらに良い関係を築くことができたかもしれません。つまり、よい態度で備えていれば、得られたかもしれないものが、得られず落としていたということです。
猛烈に努力していると、自分に必要な情報が網に引っ掛かってくるという考え方です。
偶然のようで、偶然ではなく、自分が気づかなかっただけだったようです。
セレンディピティー、もしかして茂木健一郎さんの言葉ですか?私も「プロフェッショナル」を見て、すごい言葉だと思いました。他から見ていると偶然にしか思えないことも、その人が明確な目的意識を持って努力を続けた結果、掴み取ることができるのだと、実感し始めています。
イノッチ先生のブログにぶつかったのも、そのひとつだと思っています。
相変わらず学生には「偶然でしょう」と言われ続けていますが、どうやら半信半疑ぐらいにはなってきていますので、来学期にダメ押しをしようとひそかに準備を進めています。
来年も、続けて読ませていただきたいと思います。
良い年をお迎えください。
南開大学 kawa
「serendipity」という言葉はホレス・ウォルポール(ゴシック小説の「オトラント城奇譚」の作者として知られる人物)が1754年に造語したものであり、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの三人の王子』という童話に因んだ造語である(セレンディップは現在のスリランカなので「スリランカの3人の王子」という意味の題名である)。ウォルポールがこの言葉を初めて用いたのは、友人に宛てた書簡において、自分がしたちょっとした発見について説明しているくだりにおいてであり、その書簡の原文も知られている。
『この私の発見はまさに私に言わせれば「セレンディピティ」です。このセレンディピティという言葉はとても表現力に満ちた言葉ですよ。この言葉を理解していただくには、へたに語の定義などするよりも、その物語を引用したほうがずっとよいでしょう。かつて私は『セレンディップの三人の王子』という童話を読んだことがあるのですが、そのお話において、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。例えば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが歩いていたことを発見します。何故分かったかというと、道の左側の草だけが食べられていたためなのです。さあ、これで「セレンディピティ」がどのようなものか理解していただけたでしょう?』
いよいよ新年、新学期の始まりですね。
おっしゃるとおり、教育以外の分野の心ある人たちとのつながりは、これからの学校教育を全うなものにしていくためには必要なことかもしれません。スケジュールを見ると相当に忙しいようですが、お体にはくれぐれもご留意ください。
前回の投稿から少し時間がかかったのは、『セレンディップの3人の王子』の言わんとするところを考えていたからです。未だにぴんと来ないのですが、それこそこの問題を持ち続けることで、いつか「あ、そうだったんだ」と分かるときが来ると思います。
そのときの自分が今とどのぐらい変わっているのか、楽しみです。
それでは、今年も宜しくお願いいたします。
外山滋比古先生の著書『思考の整理学』から引用しますね。
「戦後しばらくのころ、アメリカで対潜水艦兵器の開発に力を入れていた。それには、まず、潜水艦の機関音をとらえる優秀な音波探知機をつくる必要があった。
そういう探知機をつくろうとしていろいろ実験していると、潜水艦から出ているのではない音がきこえる。しかも、それが規則的な音響である。この音源はいったいなにか、ということになって、調べてみると、これが何と、イルカの交信であった。
それまでイルカの“ことば”についてはほとんど何もわかっていなかったのに、これがきっかけになって、一挙に注目をあつめる研究課題としておど出た。
もともとは、兵器の開発が目標だったはずである。それが思いもかけない偶然から、まったく別の新しい発見が導かれることになった。こういう例は、研究の上では、古くから、決してみずらしくない。
科学者の間では、こういう行きがけの駄賃のようにして生まれる発見、発明のことを、セレンディピティと呼んでいる。ことにアメリカでは、日常会話にもしばしば出るほどになっている。自然科学の世界はともかく、わが国の知識人の間でさえ、セレンディピティということばをきくことがすくないのは、一般に創造的思考への関心が充分でないことを物語っているかもしれない。」