いのりむし文庫

いのりむし斧舎 ⒸNakajima Hisae

2010年 後半

2013-12-14 | 2010年

【12月】
鈴木壽壽子『星のふるさと』復刊リクエス
 
 遅ればせながら、復刊ドットコムのリクエストで『星のふるさと』に投票する。

 鈴木壽壽子さんの地元のここでは、市立図書館はもちろん学校の図書室などでも所蔵されているものの、新たな読者を得るためには、やはり復刊されることが望まれる。
 次々と大きな話題に事欠かない天文だが、この小さな本の中に瞬く星に心惹かれる人もいらっしゃるはず。

12月の市立博物館

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 12月の四日市市立博物館は、サンデーの南ちゃん、マガジンの星飛雄馬とハヤブサである。

 ハヤブサの展示でにぎわう博物館のプラネタリウムに、冊子『鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ』の追加を届ける。新たな出会いがありますように。

若者の自立支援講座始まる
 
 15歳から39歳くらいまでの無業状態の若者と家族・関係者を対象に、情報やコミュニケーションスキル習得の場を提供する講座が始まった。
 
 また、支援活動と平行して実態調査もおこなわれる。主催は三重県(若者自立支援センター)で、受託しているのはNPO法人市民社会研究所である。若者向けと家族向けの講座がある。
 
 若者向けの第一回は、社会復帰自立支援活動に、アニマルヒーリングを採用している「大地の会」が進行した。状況把握と支援活動、どちらも遅いくらいだと感じる人も少なくないだろう。
 
 それにしても他に適切な表現が見つからない「若者自立支援」ということば、「自立」を支援しなければならない状態を生んだ原因はどこにあるのだろうか。

【11月】
ブックショップマイタウン(名古屋)
 『名古屋叢書続編』9~11巻(鸚鵡籠中記)を、インターネットの古書店スーパー源氏の検索で見つけたブックショップマイタウンから購入した。

 本と出合える書店、古書店、貸本屋、図書館は、子どもの頃からお楽しみの場所だった。自宅から歩いて5分の手軽な貸本屋はとっくに無くなり、代わって出かけるようになったのが図書館と古本屋。古書店めぐりは楽しみのひとつだったが、新しいタイプの古書店が盛衰を繰り返す中で、時間が止まったかのような店も、まだぽつり、ぽつりと残されている。
 私が暮らす町でも、古い商店街の一角に、最後に窓を開けて新しい風を入れたのは、いったいいつだったのだろうかと思うほど、年季の入った空気の閉じ込められた店がある。軋みそうな高い本棚、本と本にまとわりつく埃、冬場の暖房、何年もの間に訪れたであろう人々の持ち込んだ臭いが濃密な空間。おそらく店主の体力が続く限りは、この空気がこのまま濃縮されていくのだろう。
 
 さて、ブックショップマイタウンだが、名古屋を中心に東海地方の歴史や文化に関する本を扱うこの店は、次々と果敢に本を出し続けている出版社である。いやいや本だけでない、「名古屋弁てぬぐい」などという「印刷物」もある。近年は、古書に力を入れているそうだ。『鸚鵡籠中記』の全巻セットをしばらく探していて、行き当たったのがブックショップマイタウンであったというのも、なるほどと思える。本が大好きな店長は、「古本屋やろうよ」セミナーも開催している。

 購入古書の代金を「前払いしましょうか」とお伺いしたところ、「いやいや、本好きの人に悪い人はいないから、後払いでいいです」とのご返事。
 ほんとにね、そうですね、そう思いましょう。

混迷続く「障害(者)」表記という問題
 「障害」の表記について検討していた「障がい者制度改革推進会議」が、11月22日の会議で「障碍」などへの変更は当面行わないことを結論とする検討結果を提出した。

 報告では、関係者からのヒアリングと、一般意見募集の結果を検討した上で、「障害」の表記については様々な考え方があることを指摘、「現時点において新たに特定のものに決定することは困難」であり、「当面、現状の『障害』を用いる」としている。

 2010年9月に実施された意見募集には、637件の意見が寄せられ、その内訳は、「障害」を支持する意見が4割、「障碍」を支持する意見が4割、「障がい」「しょうがい」を支持する意見が1割、その他が1割であったという。

 この意見募集には、私も意見を送ったが、一つではない理由を400字でまとめなければならず苦労した。長いと読む方も大変なことは理解できるが、意見が拮抗し、情緒的な主張も見受けられるこの問題について、自分とは異なる意見を主張する人にも理解してもらえる程度に説明するには、400字というのは短い。しかし、意見集約をする人は、おそらく詳述しなくても論点は心得ていらっしゃるであろうと考え、理由を箇条書きにして提出した。

1.望ましい表記

障害 障害が(の)ある人

2.1の理由や意見など

①表記変更で解決できる問題ではない。

②「障害」とは何かについては、個人・医療・社会・文化など多角的な考察が必要。単なる個人の問題ではなく社会のあり方も問われている。

③置き換える場合、「障がい」「障害」又は「障碍」のどれを、どの場合に使用するか判断基準が不明確・困難で、混乱をもたらす。たとえば「交通」「移動」「健康」「通信」「肝機能」「脳機能」「身体」「知的」「認知」「記憶」「視覚」「摂食」「言語」「行動」「歩行」「嚥下」「呼吸」のうち「障害」ではなく「障がい」を使用すべきものはどれかを、どのような基準で判断するのか。

④表記の変更は問題解決に有効ではなく、混乱と多大な負担を生む。むしろ課題の本質的な解決に傾注すべき。

⑤大切なことは「障害」がある人の権利や尊厳をいかに考えるか。「障害者(手帳)」といった表現について新たな方向性を示すべき。権利への理解が、当事者はもちろん広く共有されることを望む。

 漢字を変更すれば解決できる問題ではないということを、「そんなことやっても、どーせ無駄」みたいな投げやりで主張しているのではないことくらいは、少なくとも理解して欲しい。というのも、マスコミの論調(投稿者ではなく、記者の書いた記事)でさえ、「どーせ無駄」などとあきらめないで、表現を変えることで意識を変えようというような主張が一部で見受けられるからである。
 今回出された結果を、「障害者」に対する無理解や、「やさしさ」の欠如、現状維持の硬直した思考などといった紋きりで非難せず、なぜこの表記問題がこんなにも膠着し出口が見えないのかを考えて欲しい。「障害」か「障碍」か「障がい」か問題に矮小化せず、合意形成できる方向を見出したいと思う。
 
 「障害」の表記は現状の「障害」が良い。「障害者」という表記は、もっと議論を尽くしてよい表現を考えましょうと、私は思うのである。

 つまり問題があるとしたら、それは「障害」ではなく、「障害者」の方である。「障害」を負った、あるいは、こうむった人を「障害者」と表現することは妥当だろうか。とりあえず「障害の(が)ある人」などと言い換えているが、「障害者」の代替としては、文字数が多く、話すにしても書くにしても使いにくい。

 被害(者)、被災、罹災、罹患、罹病、負債、負担、負傷、受傷、あるいは、被差別、被保険といった用例を考えると、「障害者」には違和感を感じる。
 「被障者」「罹障者」「負障者」ではなく「障害者」というのは、障害の人を意味する。
 つまり、ある人に降りかかった災害や病気という困難は、一時的なものと考えられるのに対して、ひとたび「障害」を負えば、そこから一生逃れることはできず、障害者という特別な人生を行くしかないという障害観に基づいているのだと思う。

 しかし、たとえば「まず、人間として」を掲げたピープル・ファースト運動が、障害者である前に、同じ人間であるという当たり前のことを訴えたように、「障害」という言葉をめぐる試行錯誤は、障害観・障害者観を大きく変えようとしてきた。
 だからこそ、「障害者」でも「障碍者」でも「障がい者」でもない新しい人間観を、どう表現すればよいのかを考えたいと思う。

【10月】
認知症 予防と治療
 10月最終日曜日のNHKスペシャルは「認知症を治せ」だった。

 番組では、認知症の治療と予防の最前線を取材している。待ちわびている人も多いであろう認知症の治療と予防の情報である。認知症の研究動向は、商業新聞でもしばしば記事が掲載されるほど、世界中で注目されている。

 長い間、認知症は治療方法がなく、なんとも仕方が無いとされてきた。
 診断・治療に打つ手がない中で、まずは起きている症状を理解し、できるだけ悪化させない接し方の工夫に注意が向けられるようになったのは、ごく最近のことだ。さらに、数年前からは病状の進行を遅らせるアルツハイマー病の薬アリセプトが使用されるようになってきた。
 そして、今、認知症の原因の解明、タイプ別診断、治療、さらには予防の可能性も出てきた。
 
 さて番組では、認知症のタイプ別に症状や治療方法を紹介している。
正常圧水頭症のように、治療が可能な認知症もあるという。正常圧水頭症は、脳脊髄液が通常より多く脳室に溜まることで脳を圧迫した結果、歩行・思考障害などがあらわれる。そのため脳脊髄液を抜く手術により、機能を回復させることができるのである。しかし、認知症の原因は専門医でなければ見つけられない。今、手術例は1200件程度だが、全国で31万人ほどの患者が診断されずに放置されているのではないかと推定されていた。

 認知症の中で最も多いのは、およそ半数を占めるアルツハイマー病だが、この他に、レビー小体型(幻視・運動障害)正常圧水頭症(歩行障害・尿失禁)前頭側頭葉変性症(同じ行動や動作を繰り返す・自己抑制がきかない)の特色が具体的に解説されていた。これまで徘徊、暴力、妄想など、何だか訳わからない問題行動として一緒くたになって語られていた認知症の症状を観察することで、原因の診断や治療に役立つというのだ。
 
 8年ほど前、まだ「痴呆症」と呼ばれていた頃、私が初めて「痴呆症」を取り上げて話し合ったとき、この病気について伝えられることが、悲しいほど何も見つからなかった。認知症になってしまったら、もう終わり。本人はもちろん家族もいかに悲惨なのかというを嘆くしかないかのようだったが、それでも、それまで恥ずかしいことと思われ、隠し続けてきたことを話し始める人が出てきたことで、事態の深刻さに気づく人が増えたはず。
 
 この頃は、そもそも相談できる医療機関さえ身近には無く、介護の現場も困惑・疲弊していた。
 やがて日本でも紹介されたクリスティーン・ボーデン『私は誰になっていくの? アルツハイマー病者から見た世界』(続編は『私は私になっていく 痴呆とダンス』)は、「痴呆症」と向き合う時に、何が欠けていたのかを考える大きなきっかけとなったと思う。日本でも、特に若年性の認知症患者が語り始めた。この病気をもっと知って欲しいと。
 
 ようやく地域の病院にも「ものわすれ外来」が開設されるようになり、やがて治療薬アリセプトが使われるようになった。認知症をとりまくこの5年の変化は大きい。そしておそらくこの先5年の変化は、もっと大きいだろう。

 しかし、NHKが伝えたのは、文字通り認知症治療の「最前線」の報告である。たとえば、人口30万人程度のこの町で、認知症の専門医として登録されている医師は一人である。実際、医療や介護の現場で「認知症」とおぼしき患者がどのように過ごしているかを見聞きすると、(個人差はあるが)関係者の認知症についての認識は必ずしも高いとは思えない。現場で苦闘されていらっしゃる方は疲弊している。成果が現場まで行き渡るには、それなりの時間を要するとはいえ、希望が具体的に語られるようになった今、待っている人びとに早く届くようにと思う。

殺すか、生かすか  経済動物の命と経済効率
 口蹄疫について、ずっと考えている。4月の発生以降被害が拡大し続けた宮崎で、7月27日、ようやく家畜の移動制限が解除され、8月27日には終息が宣言された。畜産農家も殺処分に関わった関係者も、食べるために生かす場所で多くの命を奪わなければならないのは、やり切れない気持ちだったろう。しかも人間より大きな牛の殺処分を、これほど大量に手作業ですすめなければならない事態は、想像するだけでも苦しくなる。

 雑誌『WILL(月刊ウイル)』の11月号に、東国原英夫宮崎県知事の投稿「『口蹄疫』とのわが百日戦争」が掲載された。宮崎での過酷な経験は、これから検証がすすめられるだろうが、論点のひとつが「殺処分」の是非だろう。東国原は、世界の動きは「殺処分」回避に向かっており、国の「殺処分」を絶対視する方針に疑問を投げかけている。

 致死率が高いとは言えない口蹄疫に対して、「殺処分」を基本とした根絶対策をとらざるを得なかったのは、貿易に加われないという経済的な理由であると農水省は説明している。口蹄疫自体の脅威だけが問題なのではなく、OIE(国際獣疫事務局)の基準に従って清浄国と認められことが優先されているのである。牛は産業動物、つまり商品であり、日本の経済が他国との貿易で成り立っている以上、「殺処分」は止むを得ないということだろう。結果的に多大きな犠牲を払うことになってしまった訳だが、それでも腑に落ちないのは、「清浄国」という条件を満たすためには「殺処分」しかなかったのかという疑問である。  

 今回、宮崎県では、あまりに大量の殺処分作業が時間的に追いつかないという理由で、感染を抑えるためのワクチン接種をおこなった。ワクチンを接種された家畜は、発病した家畜との区別ができなくなるため「清浄国」になるためには全て処分することが原則であると言われている。あくまで殺すことを前提としたワクチンの接種だったのである。

 しかし、これに対して、生かすことを前提としたワクチン「マーカーワクチン」の有効性を指摘する関係者もいる。東国原の投稿でも言及されているが、「殺処分」を最小限におさえるため、ワクチン接種と自然感染を区別できるように、蛋白遺伝子など追加して特別な印(マーカー)を付けたワクチンである。マーカーワクチンを使用すれば、本当に口蹄疫に感染した家畜だけを殺処分し、発病を免れた家畜を生かすことができるという。

 すでに2001年イギリスでの口蹄疫発生時に使用され、同時期に山内一也によって紹介されていたことを、日本獣医学会のサイトから知ることができる。

 山内によれば、現在使われているワクチンはマーカーワクチンであるといい、東国原によると、今年2010年に宮崎で使われたのは「ワーカーワクチンではない」という。

 いったい今回接種されたワクチンは何だったのか?
 もし、マーカーワクチンでなかったのであれば、なぜマーカーワクチンは選択されなかったのか。
 もし、マーカーワクチンであったのならば、なぜ抗体を検出して処分しなければならない家畜を選択するという作業をせず全頭処分したのか?

 この答えを、今後いつ起きるかどうかわからない(もちろん起きないことを願うが)次の口蹄疫の発生の前に知りたいと思う。

【9月】
龍涎香―大哺乳類展①
 国立科学博物館『大哺乳類展 海のなかまたち』に行く。目的は龍涎香体験。長い間同館に所蔵されていた「龍涎香」が、調査の結果良質な本物であることが判り、龍涎香(直径約30cm、およそ3kg)と、その一部を削って抽出した精油であるアンバーグリス・チンキも展示されている。今回の展覧会では、その匂いを体験できるとあって、この機会は逃したくない。
 
 香料の専門家によるとウッディとかマリン調といわれ、香水用などに合成されたものもあるけれど、この匂いを言葉で表すのはむずかしい。しっかり記憶に残しておこうと3回コーナーを訪れて匂いを嗅いでいたら、さすがに頭痛がしてきた。高級っぽい「お香」、高級っぽい扇子を優雅に開いた時などにありそうなちょっと化学薬品的な匂い‥ 
 
 匂いの記憶をどの程度とどめておくことができるか自信ないなあと思いながら歩いていた帰り道、ああ、この匂いに似ていたと思い起こすこと2度。多分、行き違った女性のコロンなのでしょう。合成アンバーグリスもあるのだから当たり前だけど。さすがに東京は人が多い。東京では、一日数時間で2人出会ったアンバーグリス系。こんな風に強い香を振り撒く人が身近にいたら、かなり嫌だとも思う。
 
 その後、私の住む町の辺りでは、まだ出会っていない。

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シャチの食生活―大哺乳類展②
  国立科学博物館『大哺乳類展 海のなかまたち』で、とりわけ興味深かったのが、シャチの食の嗜好についてである。
 
 北海道羅臼の海岸に漂着したシャチの胃の未消化物から、このシャチはアザラシとイカを好んで食していたことが判明。生息地域には、魚類など他にも食べられる生物は多種類に上るため、シャチの食生活では各々の嗜好性の影響が強いと注目されている。ハクジラ亜目ゴンドウクジラ科のシャチが、同じく鯨類のクジラやイルカをはじめ、アザラシ、サメ、ペンギンなど多くの生物を捕食していることはよく知られている。
 
 同じ頃、名古屋港水族館のシャチ「ナミちゃん」公開訓練を伝える毎日新聞の特集で、水族館飼育のシャチの食生活を知る。和歌山県太地町立くじら博物館で長く飼育され人気ものであったナミは、今年6月に名古屋港水族館にやってきた。ナミの一日の食事は魚50キロとか。毎日新聞掲載の写真は、シャチのナミがバンドウイルカと仲良く並んで、餌をおねだりする表情をとらえている。
 
 それはとても愛らしく、何やら不思議なものを見た気持ちになった。

神社・小学校・駅 ― 猫の鳴く場所
 これ以上はダメってわかっているのに、ついまた連れてきてしまった子猫。
 今度は駅前百貨店の駐輪場で鳴いていた。いつからここで鳴いているのか、泥まみれ。一匹で野外生活ができるような月齢ではない。生後2ヶ月くらい。この人懐こさは、少し前まで誰かに大事に飼われていたはず。しかし、周囲をビルで囲まれたこの辺りに民家はない。隣の店の人の話では、駐輪場には猫がいつもたくさん居るとか。子猫も多いらしいが、野良猫が増殖できるような環境ではないから、時折誰かが子猫を持ち込むのだろうか。ここなら人通りも多いから、猫好きと遭遇するチャンスは少なくないはず。
 
 我が家の猫3匹。1匹目は友人宅で生まれた。2匹目は、生後数日目で神社に置かれた箱の中で鳴いていた。3匹目は、小学校の建物の陰で鳴いていた。そして、4匹目は駅前駐輪場。神社というのは古典的な猫の置き去り場だけれど、今では人がやってくる機会は少ない。小学校なら確かに人は多いだろう。そして駅前駐輪場。迷い込んだのか、置き去りにされたのか。
 
 安住の場所を見つけられなかった猫も多いのが現実だが、今は街中で「野良風」猫を見かけることが少なくなった。野良猫に限らず飼い猫の室外飼育も減少しているのだろう。交通事故、猫同士の喧嘩、繁殖、近所迷惑など室外飼育の問題は多く、我が家の3匹も完全室内飼育である。一定のルールを設けて共同で飼育する「地域猫」の取り組みもあるが、実施例は多くはなさそうだ。

 猫の室内飼育はこれからますます増えると考えられるが、一方でちょっと気になることがある。室内飼育で動物との濃厚で私的な接触が増えると、いつかは訪れるであろう「死」にどのように対処するのかという問題がある。動物の「死」がもたらすペットロスという感情、そして、高齢となった飼い主の病気や死である。かつては、半室内・半室外で、複数の人が飼育に関わることも少なくなかったが、室内飼育の猫にとっては飼い主の病気や死は生存に関わる。飼い主も高齢、特に一人暮らしの場合、家族同様の猫の行く末が心配だろう。高齢の一人暮らしであれば尚更、猫の存在は暮らしにリズムや潤いをもたらす。にもかかわらず。猫との暮らすことを諦める人は少なくない。
 我が家にやってきた4匹目の子猫、私はこの子をいつまで飼い続けることができるだろうか。

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フォアグラという食べ物
 ある夜、ちょっと注目していた個性派俳優さんがテレビ出演していたのでしばらく見ていると、お気に入りのお店紹介コーナーとなり、新鮮でお値打ち価格というフランス産のフォアグラのサラダが登場。
 おお、美食家が好むという「フォアグラ」とは鳥の脂肪肝ではないか。「グルメ」番組で、ゲストが薦めるフォアグラを非難することもできないのだろうが、出演者が、なべて絶賛する様子を見続ける気持ちにはなれずテレビを消した。
 
 食べ物の習慣や好みは様々で、およそ食べられると考えられるものであれば、何を食べようと、あるいは食べたくないと考えようと、個人(又はその社会)の選択を私は尊重している。が、「食べ物」として認めたくない数少ない不快な食べ物の筆頭が、フォアグラである。ガチョウや鴨に、無理やり餌を食べさせて太らせる飼育方法が「動物虐待」であるという批判が強く、欧米では一部、生産・販売が禁止されている。しかし一方で、伝統的な食文化として根強い人気があるらしく(要するに「美味しい」ってこと)、フランスなどでは生産が認められているため、日本でも食べることができるのだろう。
 
 私は食品を生産する行為を「動物虐待」という表現を用いて語りたくはないし、何であれ「食べるべきではない」と主張する気持ちはない。ただ、私にとって「フォアグラ」は食べ物ではない。食べたいと思わないし(実際食べたことはない)、フォアグラを使った料理がメニューに挙がっている店で食事をしたいとは思わない。
 
 私はそれを善悪ではなく、好悪として選択している。

【8月】
雲の端に輝く光の帯、
この雲にはどんな名前があるのだろうかと、思いながら眺めていた。
 8月26日 17:58
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書くこと
暑さの続くこの2ヶ月ほど、文章らしいものをほとんど書いていないことに気づく。7月8月と続いた猛暑に、すっかりバテていたのだが、それでも本はいつもと変わらず読み、展覧会や映画会など、注目の企画にも出かけた。にもかかわらず、書けなかったのはなぜか。

 そこで気づいたのは、この暑さでほとんど歩くことがなかったこと。昼間はもちろん、日が落ちてからも暑い毎日で、できるだけ出かけることは減らし、移動は最短で済ませるようにしていた。季節がよければ30分以上歩く道も、急いで目的地をめざした。慣れた道を30分以上歩くと、いろいろなことを考える。とりとめのない思いも、それなりにまとまってくる。それを何度か繰り返して、書きたいことの骨格が出来上がっていった。そして、部屋の中で書くために考え始めると、今度は無意識のうちにあられや豆などの固いものが食べたくなる。ボリボリ、バリバリしたくなる。とにかく歯ごたえのある食べ物は必需品なのである。
 
 考えることや書くことを刺激する身体習慣‥ そんなことを思い始めたころ、ニコラス・G・カーの『ネット・バカ ―インターネットがわたしたちの脳にしていること―』を読み、改めて自分のPC生活を思う。
 
 パソコンを使い始めた当初、しょせん道具であるはずの「機械」に、どうしてこうも悩まされるのか苛立った。この忌々しい奴を、いかにして手なずけようかと思ったものである(笑)ネット依存などもっての外だったのだが、次々と高機能化する電子環境の刺激に加えて「電子書籍」も喧しい昨今。どう贔屓目に見ても、電子書籍の利便性の前に、「本」の未来を明るく語ることは難しいと思われた。

 「しかし‥」と思うのである。

 「ワープロ」が普及し始めた頃、少なくない人びとはワープロ専用機を清書機と考えた。つまり和文タイプライターの代替と受け止めたのだろう。実際、ワープロの普及で、和文タイプライターは急速に姿を消した。けれども、今から思うと機能が限られていたとはいえ (保存できる文章量が小さい、ドット数が小さく字が美しくない)、 ワープロ専用機のわたしにとっての大きな利点は、文章を作りやすいことにあった。ワープロとは、文章を作る(書く)道具なのである。特に字数の指定された文章を仕上げるのには感動的なほど便利だった。枡を埋めながら文章をあっちこっちへと動かして、ぐちゃぐちゃになった原稿用紙から「解放された」と思ったものである。その上、ネット検索まで追加されたら、これ以上いったい何を望むことがあるだろうかとさえ思えた。

 今や作文の主要な道具は筆記用具ではなくパソコンだけど、文章の構成を考えるときは手書きのメモをつくることも多い。仕上がりを画面で確認してOKの文章もあれば、じっくり推敲したい時は、紙に印刷したものを読みながら手を入れていく。
 ネット検索は便利で手放せないが、その一方で、利用の按配に戸惑ってもいる。

 ニコラス・G・カーの『ネット・バカ』は、もはや手放すことのできなくなった(と多くの人が思っている)ネットや電子書籍などの知的テクノロジーがわたしたちの脳や社会にもたらすもの、たとえばウェブ閲覧が脳にもたらすジャグリング状態や、記憶をコンピューターに預ける「アウトソーシング」の陥穽などを、仔細に論じている。「われわれは道具を作る。そしてそののち、道具がわれわれを作る」ということに思い至れば、得ることができることと、失うものの両方に、少しは静かに向き合うことができるだろうか。 

かぶせ茶
東はコンビナートが広がるこの町で、西の鈴鹿山麓では、お茶の生産がさかん。なかでも「かぶせ茶」は、とても美味しい。太陽の光を遮って新芽を育てるかぶせ茶は、緑が美しい。特に暑かったこの夏、水を注いで数時間でいただく冷茶は、殊の外おいしい。
 
 そんな普通にありふれたことを、わざわざ記したくなったのは、キリンのペットボトル飲料「生茶」に香料が追加されたことを知ったから。ペットボトルのお茶は滅多に飲まないが、外出時、弁当と共に購入した「生茶」を一口飲んで驚いた。ボトルのデザインは似たようなものなのに、以前飲んだ時の記憶とは全く異なる味。表示を見ると「香料」が追加されていた。新製法でより美味しくなったと謳う緑茶風飲料に、いつの間にか追加されていた「香料」
 
 缶紅茶では老舗のキリンが、紅茶に香料を加えるようになったのはもっと古いから、緑茶に香料も抵抗感が少なかったのだろうか。確かに紅茶にはフレーバーティも多い。が、「小岩井 無添加野菜32種」の野菜ジュースというこだわりの商品もあるキリンさん、香料を加えた緑茶風飲料は悲しい。

 このような飲み物が増えないことを望む。 

【7月】
十六ささげ
7月は、十六ささげが美味しく、しかも安い。瑞々しい十六ささげは、さっと茹でて生姜醤油でいただく夏の定番。季節の到来早々、山積みされた愛知産の十六ささげは安く、かために茹でてそのままでも充分美味しいほど、甘く、歯ざわりよくやわらかい。暑さに強いらしいので天候の影響か、品種改良か、産地の選択がよかったのか、どういう按配か判らないが、今年は殊のほか美味しく、毎日いただいている。 

梅雨明け
梅雨明けの日曜日、台所の横で、昼前から何やらガリガリと不思議な音が響く。町内清掃の川浚えは、梅雨前に済ませたはず?まぶしい空の下で、隣町の水路の掃除をしていた若い人は、建設会社のトラックに乗っていた。お隣の町に頼まれたのだろうか。
 かつて(戦後しばらく)この辺りが農村であった頃、仕事、季節の行事や余暇、防災と、町の人びとの繋がりは深かった。しかし、田畑は宅地となり人口は急増したものの、今では参加者の高齢化がすすむ。モノをつくって売るばかりではないサービスの提供は、どんなビジネスモデルとなるのだろうか。 

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【6月】

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おそらく、どこでも同じであろうが、私の暮らすまちでも、5月末から6月の季節になると、蛍が話題となる。川の周囲でゲンジボタルが乱舞するさまを見ることができるのは、市内でも元から自然が残っていた場所だが、公害のまちを払拭するためのイメージキャラクターとして、イメージ作戦に動員されてきた。ところが最近の注目は、「工場萌え」。眠らないコンビナートの夜景が産業観光となっている。妖しく飛ぶ蛍と、コンビナートの目もくらむばかりの夜景。どちらも光り物ではあるけれど‥

6月12日名古屋。夕方、景雲橋を出て東に向かう。外堀通りを東へ。通りの南には古い街並み、頭上には高速都心環状線。私は北側を行く。放置されたかのような深い緑の横を歩きながら、いっそこのままにしておいて欲しいなどと思いながら、大津橋に出る。と、「ホタル観察コーナー」の看板。
 ここでも出るんだ、蛍が。こちらの蛍は、森に生息するというヒメボタル。生息環境を守るため、頭上の高速道路の照明は、埋め込み式で人工光が漏れないようになっているらしい。現地の観察情報によると、5月20日頃より数百匹のヒメホタルが確認され、ピークには一晩で1000匹、6月12日は観察期の終盤となり6匹とのこと。
 市政資料館南を通り、片端へ。ボンボンを横目で見ながら南下。雲竜ビルの前を通って車道を南下、飯田街道へ出る。およそ1時間。

 飯田街道沿いの店で、犬塚康博 すぎの暢 ライブ“腐草為蛍(ふそうほたるとなる)”
 七十二候の蛍(腐草為蛍)は、いのりむし(螳螂生)に比べて、なんてドラマチック。犬塚は、「志段味(天気予報はあしたの晴れをふるさとに告げる)」「月桂樹の家」などの新曲も披露。そして「秋雨」。かなえられないでいる多くのことを考えながら、こういう曲を自分でも歌ってみたいと思う。


ピーター・スピアーの絵本『雨』は楽しい。
 いつだったか思い出せないほど若かった頃、雨が苦になるなんて考えもしなかった。雨が降った日の集まりで、司会者に「お足元の、お悪い中を」などと言われても解せなかった。

 それがいつの間にか、雨の日の外出が億劫となっていた。降り始めの匂いや音に敏感になったのも、雨に対する警戒心からだった気がする。洗濯物を取り込んで、窓閉めて‥と。実際雨の日はストレスも多い。湿気、雷、大雨‥ そして雨歩きの難問は車。疾走する車の水しぶきは、狭い歩道を歩く気持ちを萎えさせる。こんな風に日々の小さなささくれが、澱となっていく。

 一日一日を大切に過ごしたいなどと思うような年頃となり、今年の初めに自分に言い聞かせたのは、「適度な空腹と仲良しになる」「無駄に笑う」であったが、梅雨入りを前に、もうひとつ追加したのは「雨と仲良しになる」 昨年は、風と仲良しになりたいと思ったが果たせなかった。雨も風も、適度に楽しめますように。
【5月】
空空‥
毎日通る道に、そこが見えてくると、気持ちがキュッとなる場所がある。
 建物がひしめく街の一画、昔はめずらしくもなかったであろう空が広がっている。

 ある朝、何やら足場が組まれていたかと思うと、夕方には白く大きな壁が出来上がっていた。
 特別ではない日常の場所で、目の高さで遠くまで見通せるここが好きだったのだけれど、視界の隅に現れた白い壁。早晩、この見通しの悪さにも慣れていくのだろう。

          空空‥

     空が大きな道に出ると あなたのことを思い出す
     あの青の向こうに 見たかったもの
     私たちが見ている先は 今も同じだろうか
     それだけでいいと 言いきかせている

     空に近づく丘に着いたら 荷物はみんな置いていく
     何もないことが 心地よい場所で
     見えるもの聞こえるもの 触れるものを感じて
     大切なこと そっと確かめる

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