行雲流水。昔から好きな言葉である。
空をゆく雲と流れる水。物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動する、という意味である。
東福寺の一斉坐禅
先日、読んだ本で「心を癒す禅の教え」(著者:嶺興嶽/みねこうがく)の第一章の一行目に、
「禅宗では、「僧堂」と呼ばれる修行道場で修行中の者を「雲水」と呼びます」 と記されている。
ゆく雲のごとく、流れる水のごとく、修行僧が師匠を求め全国を行脚したことに由来する言葉、という続きになっていた。
さて、この今の社会で、独りで生きていけるわけがない。
人を頼り、人に助けられ、生かされていることに気づき、感謝が生まれてくる。
そして、人のために、社会のために何かをしながら生きていく。
それが、行雲流水の中で日々繰り返され成長していくのだろう。
2015年3月の「心と体のなごみブログ」に掲載した記事を加筆し転載
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