先日、「白隠と仙厓展」を鑑賞したとき、白隠と仙厓のユーモラスで軽妙、かつ大胆な書画に改めて驚かされた。画自体はもちろんだが、禅の意味を画と賛で重層的に表現する禅画に。画には公案(禅問答)が示されていて、どこかにヒントが隠されているものの答えは見えない。それは、見た人に考えさせ、みずからの答えを導き出させるためのものある。
白隠の禅画に表されているのは、人としての本質を問うものばかりで、探れば探るほど奥深い。浅見識ではあるが、白隠慧鶴の禅僧としての神髄の一旦を楽しむことができた。
白隠の禅画に表されているのは、人としての本質を問うものばかりで、探れば探るほど奥深い。浅見識ではあるが、白隠慧鶴の禅僧としての神髄の一旦を楽しむことができた。
その禅問答を一画で紹介すると、江戸時代に画かれた「隻手布袋図」(写真)を観て、「両手を叩けば音がするが、隻手(せきしゅ/片手)ではどんな音がするか聞いて来い」という、白隠が考えた代表的な公案に基づく画。その心は、常識や当然にこだわり、それが正しいと凝り固まっていてはいけないという、まさに禅問答の典型のようなものである。
禅問答集を参照しながら、上記の禅問答を少し紐解くと、我々は「物」をみるのは「眼」で、「音」を聞くのは「耳」でと思い込んでいる。この思い込みが「妄想」だという。この常識や分別を外せば、片手でも音は聞こえるという。
般若心経にあるように、不生不滅。不垢不浄。不増不滅。無限耳鼻舌身意。の意味のとおり一切の対立観念の無い完全無分別の世界、ということになる。
写真は、ネット問答集より転載
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