今日は、夕食を外食することにして、近所の道を100mほど行ったところで、市の防災無線のチャイムが鳴り出した。
私の住む守口市では5:30に以前は「夕焼け小焼け」の曲が流され長らくこの曲が使われていたが、4年前から「守口市歌」に変わった。知らない曲だったが古関裕而が1951年に作曲したちゃんとしたものだった。
「夕焼け小焼け」の時は、子どもに帰宅を促すために流されているものだろうと思っていたが後に知ったところでは防災無線のテストだったそうで、各市町村で違った時刻に流されていることを知った。
さて、タイトルのおもろい犬だが、そのチャイムの音に合わせて吠え出すのである。家の中で飼われているのでどんな犬かなと思っていたが、今日は窓と鉄格子の狭い場所に身を乗り出していた。ちょっと小柄な柴犬かその雑種のようである。
私が子どものころ、向かいの家の犬、ちょっと大きめの雑種だったが、この犬は松下電器の工場の終業時なんかに鳴らされるとそれに合わせて吠えるのである。
70年以上経って2匹目を見つけたので、記事にしてみた。
下の記事は2015年2月に書いた「夕焼け小焼け」にまつわる記事である。曲が変わるまではそんな気で聞いていたものである。
以下、旧記事の転記。
1 夕やけ小やけで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
お手々つないで みなかえろ
からすといっしょに かえりましょ
2 子供がかえった あとからは
まあるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星
いつぞや、近所のお寺さん連合の主催する講演会で宗教学者の山折哲雄氏の話を聞いたことがある。ほとんどは忘却の彼方だが、一つだけ覚えていることがある。
山折氏が韓国の学者に今日子どもたちの情操教育が疎かになっていることを嘆いた時、その韓国の学者はそんなことはない。日本では昔ほどではないが今もちゃんと立派に情操教育がされているという。それが羨ましいというのだ。
「夕焼け小焼け」の素晴らしいというのである。お寺の鐘がなり、つまり佛様のちゃんとおられ、そろそろ帰ろうねと促してくださる。そして帰るべき家がちゃんとあって夕飯の支度ができている。友達と仲良く帰る、からすや小鳥も一緒、共に生きていて別け隔てがない。
月も星にも空にもちゃんと見守られている。なんという素晴らしい世界に生きているのだ。それが日常だというのです。
その話を聞いて山折氏はなるほどと同感の意を表明したそうである。
まあ、阿弥陀経に描写されたきんきらした極楽浄土なんかが素晴らしいものと思いがちだが、あればお経の作者が想像で作り上げた作りものに過ぎず、こういう世界こそ本当の浄土というべきであろう。
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