仏教の根本教説に七仏通戒偈というのがあります。
七仏とは釈迦牟尼仏以前に存在したと信じられている仏です。
毘婆尸仏(びばしぶつ) 尸棄仏(しきぶつ) 毘舎浮仏(びしゃふぶつ) 拘留孫仏(くるそんぶつ) 拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ) 迦葉仏(かしょうぶつ)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
釈迦牟尼仏は実在の仏でしたが、過去仏は皆、万歳を超える仏で、まあ、想像上の仏です。
しかし、曹洞宗の朝課で歴代祖師尊名を読み上げるということをやります。その時には毘婆尸仏大和尚から始まり直近の遷化された師匠まで〇〇大和尚と読み上げていくのです。
その七仏に共通する教戒として七仏通戒偈というのがあります。
諸悪莫作(しょあくまくさ) 悪い事はしない。
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) 善い事をする。
自浄其意(じじょいうごい) 心は清らかに保て。
是諸仏教(ぜしょぶっきょう) これが諸仏の教えである。
シンプルで誰にでも分かる結構なお説である。
しかし、善と悪、これが簡単なようでそうではない。
そこで私の言葉となる。「善悪には都合という取っ手がついている」
人間にとって都合のよいことが善 都合の悪いことが悪である。
国家にとって都合のよいことが善、都合の悪いことが悪。
自分にとって都合のよいことが善、都合の割ることが悪。
つまり、〇〇にとっての都合によって決まる、都合とは状況次第ということ。善悪は簡単には決まらない。
前に紹介した和田重正先生はどう言っているか。「ヨイことをする」はよくない。「ヨイことはする」ないと、駄目だといっている。
「葦かびの萌えいずるごとく」p382を参照してください。
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