多元的全体食のすすめ(二) 食べ物研究家 五十嵐玲二談
2. 食べ物と栽培作物
人類にとって主要な食べ物は、麦と米であり、今日の麦や米となるには、長い人類の時間のなかで、改良されてきた栽培作物としての歴史がある。麦と米は保存性に優れ、単位重量当たりの栄養価が高く、文明の基礎をも築いてきた。
最初に、中尾佐助著の「栽培作物と農耕の起源」(1966年1月発行)から引用します。
『 「文化」というと、すぐに芸術、美術、文学や、学術といったものをアタマに思いうかべる人が多い。農作物や農業などは、”文化圏”の外の存在として認識される。
しかし文化という外国語のもとは、英語で「カルチャー」、ドイツ語で「クルツール」の訳語である。この語のもとの意味は、いうまでもなく「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。
これが日本語になると、もっぱら、”心を耕す”方面ばかり考えられて、はじめの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味の方が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草にひとしい。
文化の出発点が耕すことであるという認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の未開社会に接触し調査した結果、あるいは考古学的研究、あるいは書斎における思索などを総合した結果である。
人類の文化が、農耕段階にはいるとともに、急激に大発展をおこしてきたことは、まぎれもない事実である。その事実の重要性をよくよく認識すれば、”カルチャー”という言葉で、”文化”を代表させる態度は賢明といえよう。
人類はかって猿であった時代から、毎日食べつづけてきて、原子力を利用するようになった現代にまでやったきた。その間に経過した時間は数千年でなく、万年単位の長さである。
その膨大な年月の間、人間の活動、労働の主力は、つねに、毎日の食べるものの獲得におかれてきたことは疑う余地のない事実である。
近代文明が高度の文化の花を開かせた国においても、食料生産に全労働量の過半を必要とした時代は、ついこのあいだまでの状態であった、とはいえないか?
人類は、戦争のためよりも、宗教儀礼のためよりも、食べ物を生みだす農業のために、いちばん多くの汗を流してきた。現代とても、やはり農業のために流す汗が、全世界的に見れば、もっとも多いであろう。
過去数千年間、そして現在もいぜんとして、農業こそは人間の努力の中心的存在である。このように人類文化の根元であり、また文化の過半を占めるともいい得る農業の起源と発達をこれからながめてみよう。
農業を、文化としてとらえてみると、そこには驚くばかりの現象が満ちみちている。ちょうど宗教が生きている文化現象であるように、農業はもちろん生きている文化であって、死体ではない。
いや、農業はもちろん生きているどころでなく、人間がそれによって生存している文化である。消費する文化でなく、農業は生産する文化である。 』
『 一本のムギ、一茎のイネは、その有用性のゆえに現在にも価値がある。それはもっとも価値の高い文化財でもあるといえよう。そんな草がなぜ文化財であるのか、ちょっと不審に思う人もあるだろう。
つまり、われわれがふつうに見るムギやイネは、人間の手により作りだされたもので、野生時代のものとまったく異なった存在であることを知る必要がある。
そのもとをたずねることすら容易でなくなった現在の栽培作物は、われわれの祖先の手により、何千年間もかかって、改良発展させられてきた汗の結晶である。
人間の労働と期待にこたえて、ムギとイネは人間に食糧を供給しながら、自分自身をも発展させてきたものだった。
農耕文化の文化財といえば、農具や技術の何よりも、生きている栽培植物の品種や家畜の品種が重要といえよう。農業とは文化的にいえば、生きている文化財を祖先から受けつぎ、それを育て、子孫に手渡していく作業ともいえよう。
イネとムギの野生種と栽培種とを比較するには、まずそれらの野生種が地球の上に存在しているかどうかが最初の問題である。今世紀にはいり、世界各地の植物学者、農学者は、いろいろな栽培作物の野生の原種を発見しはじめた。
とくにソ連のバビロフの栽培植物探検隊は、ほとんど全世界に活動し、栽培植物起源の研究はそのコレクションのうえに一大進歩をとげることになった。
その結果、確定した栽培植物の野生原種として、イネ、二条オームギ、一粒コムギ、エンマーコムギなどがある。これらの重要な穀類の野生種と栽培されている品種とを並べて栽培して、比較してみると、いろいろなことに気づいてくる。
野生種のスタイルは一般に細くやせて、スマートな姿である。決して強壮に大型に生長するものでない。ブヨブヨと大がらに育つのと反対で、葉も茎も細く、硬い茎の先端に小さいバラバラと粒のつく穂を出す。
その姿は人間にたとえてみると、小型ながら、スラッと八頭身の美人である。それにくらべると日本の豊産性のイネの品種や、改良されたコムギ品種は、ズングリと育ち、太くて厚ぼったい穂がつく。
これは大がらな六等身型の不格好さを示している。イネやムギでは八頭身より六等身の方が実用的として、愛されているのである。
よく熟した八頭身美人の野生種の穂をつかみ取ろうとすると、アーラ不思議、穂に手を触れるとたちまちこわれ、穀粒はバラバラと地上に落下してしまう。
これは粒の脱落性といって、野生種の穀粒のもつ通有性である。野生種と栽培種がよく似ていて、区別がむずかしい時には、この脱落性のあるなしが野生型と栽培型の区別点にされている。
この性質は野生のものが、種子を自然散布するために適応した性質である。人類は野生の穀類を利用しはじめ、その品種改良の初期に、野生の脱落性から非脱落性に改良したものと想像されている。
人類は野生の脱落性の粒を採取して食用に供しはじめてから、非脱落性に改良された品種が栽培されるようになるまでには、何百年いや何千年もかかったであろう。 』
『 コメが人間の味覚上非常に好まれるという事実は、コムギと比較して検討すべき問題であろう。コメとコムギが入り乱れて主食とされている地域をみると、中国では北部ではコムギ、揚子江沿岸ではコメとなり、その中間に大きく中間地帯がある。
インドでは東部はコメ地帯、西部はコムギ地帯であって、たとえばニューデリーはコムギ畑にかこまれているが、カルカッタ周辺はぜんぶ水田である。その中間地帯では農民は容易にコメでもコムギでもえらんで食べることができる。
ところが、中国でもインドでも、民衆はつねにコメを食する方を望んでおり、米の価格の方が高価となり、貧乏人はやむを得ずコムギ食を強いられている。
中国とインドではたぶん二千年間にわたり、何億という人間がコメとムギをたべくらべての実験の結果がこのような評価差となったのだ。
その過程では、コメもムギもおどろくばかりバラエティに富んだ料理法が生まれたが、その総合判決はコメの方がうまいということになった。コメがコムギよりうまいということはコムギの中心地帯でもいまではわかっている。
イランやイラクのようなムギ作文明の発祥地でもこんにちでは灌漑できるところではコメをつくるのに熱心であり、米食は上流階級にのみ許されるものとなり、コメの価格はコムギに数倍している。
人間の歴史をみて、コメからムギに転換した民族は存在しないのに、コムギ食民族はどんどん米食をとりいれていく現状である。明日の人類の主穀は、コムギよりコメとなる傾向がみとめられると認識すべきである。 』 (第二回)