チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

食べることの精神的意味

2016-05-19 07:48:43 | 選択

  多元的全体食のすすめ(五)     食べ物研究家 五十嵐玲二談

  5. 食べることの精神的意味

 食べることは、命をいただくことであり、人の世界と神の世界をつなぐことである。(マタギより)

 かって日本人は、自然を畏れ、敬いながら生きてきた。狩りの獲物にも、人間のための「食べ物」としてではなく、自然から「命をいただく」という姿勢を持って向かい、ありがたく供養してきた。マタギの狩りには脈々と受け継がれているのだ。

 狩りによって、獲物を得るには、狩猟する人が、その自然を大切にして、自然の恵みの永続性を確保する必要があります。その自然の恵みによって、自分たちの命が支えられていることを、彼らはよく知っているからである。

 このことは、人間以外の頂点捕食者、トラやタカやオオカミやラッコなどの頂点捕食者においても、その森の生態系が崩れるとき、彼らのヒナや子どもが獲物がとれずに、育てられず、頂点捕食者が一番最初に、絶滅することを彼らは経験的に知っている。

 そのために常に山の神を敬い、神様に五穀豊穣を祈り願ってきた。農耕の民といえども、気象条件や自然災害は、人間の力だけではいかんともしがたく、最善を尽くしたうえで、五穀豊穣や大漁と安全を、山の神、海の神に祈り願ってきた。

 農耕民族でも、遊牧民族に於いても、一頭の熊でも、一頭の羊でも、非常に貴重な蛋白源であり、ご馳走です。そのため手塩にかけて育てた羊を、お腹に小さな切れ込みを入れて、そこから手を入れて、心臓近くの大動脈を引きちぎて、屠畜します。

 この方法は、羊が苦しむことなく、血の一滴も無駄にするこてなく、血は、内臓の一部と香辛料で、胃または腸に詰めて、鍋で煮て食べます。もちろん内臓も、骨のまわりの小さな肉も無駄にすることは、ありません。

 羊の皮はなめされ、骨の部分以外はすべて、食べられます。すなわち羊の様々な部位の栄養分が、得られたことになります。

 この事は、一頭の羊、一頭の熊、一羽の鶏についても、人類の祖先はすべての部位を食べることによって、羊一頭の全体食の養分を得たきたと考えられます。もちろん一頭を何人もで分けて食べ、ごちそうとして食べる訳ですので、量的には多くはありません。 

 すなわち一頭の羊、一頭の熊、一羽の鶏を長い期間で見たとき、全体食をしたことになります。一頭の羊でも全体を食べることによって、栄養のバランスをとっていたと考えられます。


 第二の食べること精神的意味は、家族(ある時は集落)で、作物を育て、食材を確保し、それを調理し、家族で分けあって食べることです。鳥類や哺乳類の他の動物でも、子育ての一時期はつがいが、協力して子育てをおこないますが。

 しかし、作物を育て、食材を確保し、それらを火や道具を使って調理し、家族が一緒に分けあって、”いいただきます”と言って食べますが、これは人類の重要な特徴です。これらのために人類は言葉を獲得し、家族の絆を深め、文化を発展させてきたと考えられます。

 現代は、家庭で料理を工夫しながら、つくる機会が減少し、工場でつくられたり、海外から輸入されることが、多くなりましたが、家族の絆や文化は、大丈夫なのでしょうか。 (第5回)

 


食べるということ

2016-05-17 15:17:39 | 選択

  多元的全体食のすすめ(四)        食べ物研究家 五十嵐玲二談

 4. 食べるということ

 食べるということには、大きく次の二つのためです。一つ目は、私たちが筋肉を動かしたり、心臓、腸を働かせるためのエネルギーとしての食物です。

 二つ目は、成長と代謝のための食べ物です。成長期には、勿論、成長するための体のすべての部分を構成し、それらを働かせるための栄養が必要です。

 しかし、成人になって成長が止まった状態でも、身体を正常に維持してゆくには、つねに古い細胞を新しい細胞で、入れ替えてゆく必要があります。これが代謝です。この代謝の周期は、年齢にもよるとおもいますが、二~三年で体のすべてが入れ替わると言われています。

 ここで、植物と動物について、見てみます。今から20億年前ころ、原始真核生物が光合成菌(葉緑体)を取り込んだものが、植物として進化し、酸素利用菌(ミトコンドリア)を取り込んだものが動物として進化ました。

 葉緑体は植物の体内で、独立した遺伝子を持ち、めしべから種子に伝えられ、おしべの花粉からの影響はありません。ミトコンドリアも独立した遺伝子を持ち、母親から卵子に伝えられ、父親からの精子の影響は受けません。

 葉緑体は、炭酸ガス(CO2)と水(H2O)と太陽光から、でんぷん(C6H10O5)nと酸素(O2)を生成します。このでんぷんをもとにして、植物は成長し、さらにそれらを食べた昆虫や魚や動物をも含めて、動物の食べ物になります。

 動物の体内では、これらの食べ物は、動物の腸から栄養分として吸収され、ミトコンドリアによって、ATP(アデノシン三リン酸、C10H16N5O13P3)を生成します。

 ATPは生体内に広く分布し、燐酸1分子が離れたり、結合したりすることで、エネルギーの放出・貯蔵、あるいは物質の代謝・合成の重要な役目を果たしています。

 すべての真核生物(動物、植物、菌類を含む)が、ATPを利用し、生命体のエネルギー通貨と呼ばれている。特に動物は、このATPを利用して、筋肉を動かし、運動機能を獲得しました。

 葉緑体もミトコンドリアも、高度な機能を担っているため、植物と葉緑体、動物とミトコンドリアは、共生の道を選びました。

 もう一つ人の食べ物にとって、重要な共生関係は、マメ科の植物です。マメ科の植物は、根粒菌に糖分を与え、根粒菌は、マメ科の植物に根から吸収できる亜硝酸を与えます。

 根粒菌は、空気中の窒素をマメ科植物からの糖分を燃料として、複雑な反応を経て、亜硝酸を生成します。マメ科植物は亜硝酸から、タンパク質の豊富な豆を実らせます。

 この根粒菌はなぜかマメ科植物にのみに、寄生し共生します。このため豆には、タンパク質が豊富であり、米や麦と豆をいっしょに食べると栄養のバランスが良くなります。

 このような生命体の高度な仕組みを維持するには、ミネラル、ビタミン、微量元素も重要な役割を果たします。このために、植物の種子や生長点には、これらの栄養素が豊富で、特に米や麦の胚の部分は大切です。 (第4回)

 


人類の雑食性の獲得と地理的拡散 

2016-05-16 08:14:36 | 選択

 多元的全体食のすすめ(三)           食べ物研究家 五十嵐玲二談

 3. 人類の雑食性の獲得と地理的拡散

 人類は、家族を単位として食べ物を獲得して、それらを分け合って、食べる動物である。特に家長である父親は、家族の安全を確保し、家族を飢えから守るという、使命を負わされている。

 ゴリラの家族(群れ)のリーダーである、シルバーバックも、家族の安全と食べ物が確保できるテレトリーを確保する使命をになっている。

 人類が二本足歩行を獲得し、火を手に入れ、言葉を手に入れ、石器を手に入れた時代に、乾季や冬など、季節的な変動飢餓と、数年に一度の飢餓が、襲ってきたであろうと考えられる。

 この飢餓に対して、大きく二つの戦略が考えられる。その一つは、食べ物があるところに、移動することである。事実、人類はアフリカから、ユーラシア大陸の拡散し、さらにベーリング海を渡り、北アメリカ、中南米を経て、南米大陸の南端まで拡散している。

 さらには、小船によって、南太平洋の島々にまで、拡散していった。これは、グレートジャーニーと呼ばれている。しかし、アフリカからユーラシアへ、ユーラシアから北米へと、冒険心で渡ったわけではない。

 常に、最も弱い家族(集団)が、飢えから逃れるために、押し出されるように、危険に耐えながらの決して、帰ることのない旅であったと考えられる。

 飢えに対するもう一つの戦略は、食べ物の種類を多様化することである。人類は飢えとの戦いで、他の動物の食べ物を観察し、それらを食べて試してみたと考えられる。ただし、草食動物が食べる草のセルロースは消化できないことを経験的に、知っていたと考えられる。

 特に、イノシシや熊などの雑食性の動物の食べ物は、試してみたと考えられるほど、彼らが好んで食べるもののほとんどを、人類は、火や石器や道具を使って、食べ物としている。

 ここで、人類の食べ物の全体像を見てみよう。

 食べ物 ――― 植物界

        ┃― 動物界

        ┃― 菌界  麹、乳酸菌、酵母菌、納豆菌

        ┃― 天然塩、岩塩     に大きく分類される。

 天然塩や岩塩は、鉱物のようにみえるが、生物は海で誕生したため、海水から、水分を除いたものと考えられ、水を飲むことによって、海水の成分となります。

 

  植物界 ――― 穀物 (イネ科)  米、小麦、とうもろこし、大麦、サトウキビ、モロコシ

         ┃― 豆類  大豆、ヒヨコ豆、インゲン豆、エンドウ、落花生

         ┃― イモ類  ジャガイモ、サツマイモ、キャッサバ、サトイモ、長芋

         ┃― 野菜  果菜類、茎菜類、葉菜類、根菜類、

         ┃― 海藻  コブ、ワカメ、ノリ

         ┃― キノコ  エノキ、ぶなしめじ、しいたけ、マイタケ

         ┃― 果実  仁果類、核果類、穀果類、柑橘類、常緑性果樹、熱帯果樹、その他落葉性果樹


  動物界 ――― 牛、豚、羊、鶏、牛乳、卵

         ┃― 魚、甲殻類、軟体動物

         ┃― カキ、ホタテ、シジミ、アサリ、ホッキ

         ┃― 蜂蜜、蜂の子、イナゴ


 このように、人は、粟や黍から、マンモス、鯨まで食べ物としてきた。 (第3回)


食べ物と栽培作物

2016-05-14 08:39:12 | 選択

 多元的全体食のすすめ(二)           食べ物研究家 五十嵐玲二談

 2. 食べ物と栽培作物

 人類にとって主要な食べ物は、麦と米であり、今日の麦や米となるには、長い人類の時間のなかで、改良されてきた栽培作物としての歴史がある。麦と米は保存性に優れ、単位重量当たりの栄養価が高く、文明の基礎をも築いてきた。

 最初に、中尾佐助著の「栽培作物と農耕の起源」(1966年1月発行)から引用します。

 『 「文化」というと、すぐに芸術、美術、文学や、学術といったものをアタマに思いうかべる人が多い。農作物や農業などは、”文化圏”の外の存在として認識される。

 しかし文化という外国語のもとは、英語で「カルチャー」、ドイツ語で「クルツール」の訳語である。この語のもとの意味は、いうまでもなく「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。

 これが日本語になると、もっぱら、”心を耕す”方面ばかり考えられて、はじめの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味の方が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草にひとしい。

 文化の出発点が耕すことであるという認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の未開社会に接触し調査した結果、あるいは考古学的研究、あるいは書斎における思索などを総合した結果である。

 人類の文化が、農耕段階にはいるとともに、急激に大発展をおこしてきたことは、まぎれもない事実である。その事実の重要性をよくよく認識すれば、”カルチャー”という言葉で、”文化”を代表させる態度は賢明といえよう。

 人類はかって猿であった時代から、毎日食べつづけてきて、原子力を利用するようになった現代にまでやったきた。その間に経過した時間は数千年でなく、万年単位の長さである。

 その膨大な年月の間、人間の活動、労働の主力は、つねに、毎日の食べるものの獲得におかれてきたことは疑う余地のない事実である。

 近代文明が高度の文化の花を開かせた国においても、食料生産に全労働量の過半を必要とした時代は、ついこのあいだまでの状態であった、とはいえないか?

 人類は、戦争のためよりも、宗教儀礼のためよりも、食べ物を生みだす農業のために、いちばん多くの汗を流してきた。現代とても、やはり農業のために流す汗が、全世界的に見れば、もっとも多いであろう。

 過去数千年間、そして現在もいぜんとして、農業こそは人間の努力の中心的存在である。このように人類文化の根元であり、また文化の過半を占めるともいい得る農業の起源と発達をこれからながめてみよう。

 農業を、文化としてとらえてみると、そこには驚くばかりの現象が満ちみちている。ちょうど宗教が生きている文化現象であるように、農業はもちろん生きている文化であって、死体ではない。

 いや、農業はもちろん生きているどころでなく、人間がそれによって生存している文化である。消費する文化でなく、農業は生産する文化である。 』

 

 『 一本のムギ、一茎のイネは、その有用性のゆえに現在にも価値がある。それはもっとも価値の高い文化財でもあるといえよう。そんな草がなぜ文化財であるのか、ちょっと不審に思う人もあるだろう。

 つまり、われわれがふつうに見るムギやイネは、人間の手により作りだされたもので、野生時代のものとまったく異なった存在であることを知る必要がある。

 そのもとをたずねることすら容易でなくなった現在の栽培作物は、われわれの祖先の手により、何千年間もかかって、改良発展させられてきた汗の結晶である。

 人間の労働と期待にこたえて、ムギとイネは人間に食糧を供給しながら、自分自身をも発展させてきたものだった。

 農耕文化の文化財といえば、農具や技術の何よりも、生きている栽培植物の品種や家畜の品種が重要といえよう。農業とは文化的にいえば、生きている文化財を祖先から受けつぎ、それを育て、子孫に手渡していく作業ともいえよう。

 イネとムギの野生種と栽培種とを比較するには、まずそれらの野生種が地球の上に存在しているかどうかが最初の問題である。今世紀にはいり、世界各地の植物学者、農学者は、いろいろな栽培作物の野生の原種を発見しはじめた。

 とくにソ連のバビロフの栽培植物探検隊は、ほとんど全世界に活動し、栽培植物起源の研究はそのコレクションのうえに一大進歩をとげることになった。

 その結果、確定した栽培植物の野生原種として、イネ、二条オームギ、一粒コムギ、エンマーコムギなどがある。これらの重要な穀類の野生種と栽培されている品種とを並べて栽培して、比較してみると、いろいろなことに気づいてくる。

 野生種のスタイルは一般に細くやせて、スマートな姿である。決して強壮に大型に生長するものでない。ブヨブヨと大がらに育つのと反対で、葉も茎も細く、硬い茎の先端に小さいバラバラと粒のつく穂を出す。

 その姿は人間にたとえてみると、小型ながら、スラッと八頭身の美人である。それにくらべると日本の豊産性のイネの品種や、改良されたコムギ品種は、ズングリと育ち、太くて厚ぼったい穂がつく。

 これは大がらな六等身型の不格好さを示している。イネやムギでは八頭身より六等身の方が実用的として、愛されているのである。

 よく熟した八頭身美人の野生種の穂をつかみ取ろうとすると、アーラ不思議、穂に手を触れるとたちまちこわれ、穀粒はバラバラと地上に落下してしまう。

 これは粒の脱落性といって、野生種の穀粒のもつ通有性である。野生種と栽培種がよく似ていて、区別がむずかしい時には、この脱落性のあるなしが野生型と栽培型の区別点にされている。

 この性質は野生のものが、種子を自然散布するために適応した性質である。人類は野生の穀類を利用しはじめ、その品種改良の初期に、野生の脱落性から非脱落性に改良したものと想像されている。

 人類は野生の脱落性の粒を採取して食用に供しはじめてから、非脱落性に改良された品種が栽培されるようになるまでには、何百年いや何千年もかかったであろう。 』


 『 コメが人間の味覚上非常に好まれるという事実は、コムギと比較して検討すべき問題であろう。コメとコムギが入り乱れて主食とされている地域をみると、中国では北部ではコムギ、揚子江沿岸ではコメとなり、その中間に大きく中間地帯がある。

 インドでは東部はコメ地帯、西部はコムギ地帯であって、たとえばニューデリーはコムギ畑にかこまれているが、カルカッタ周辺はぜんぶ水田である。その中間地帯では農民は容易にコメでもコムギでもえらんで食べることができる。

 ところが、中国でもインドでも、民衆はつねにコメを食する方を望んでおり、米の価格の方が高価となり、貧乏人はやむを得ずコムギ食を強いられている。

 中国とインドではたぶん二千年間にわたり、何億という人間がコメとムギをたべくらべての実験の結果がこのような評価差となったのだ。

 その過程では、コメもムギもおどろくばかりバラエティに富んだ料理法が生まれたが、その総合判決はコメの方がうまいということになった。コメがコムギよりうまいということはコムギの中心地帯でもいまではわかっている。

 イランやイラクのようなムギ作文明の発祥地でもこんにちでは灌漑できるところではコメをつくるのに熱心であり、米食は上流階級にのみ許されるものとなり、コメの価格はコムギに数倍している。

 人間の歴史をみて、コメからムギに転換した民族は存在しないのに、コムギ食民族はどんどん米食をとりいれていく現状である。明日の人類の主穀は、コムギよりコメとなる傾向がみとめられると認識すべきである。 』 (第二回) 


多元的全体食の動機

2016-05-13 08:28:26 | 選択

 多元的全体食のすすめ(一)           食べ物研究家 五十嵐玲二談

 今回から15回くらいの予定で書いていきます。

 1. 多元的全体食の動機

 なぜ、多元的全体食なのかといいますと、私は全体食主義者(経験的に良いと信じている)ですが、単に全体食と言えば、玄米を食べる人(私は胚芽米主義者)のように、受け取られるのではないかと思われます。(第一の点)

 私が気づいた第二の点は、現代の私たちは、食べ物について非常に多くの選択肢を持っていながら、その選択肢を有効に使いきっておらず、むしろ流され迷っているように感じられます。

 第三の点は、私たちは人類の食べ物についての全体像をどのように捉えているのでしょうか。むしろ、日本人としての食べ物についての全体像を、見失ているのではなかろうか。昭和の三十年代くらいまで、日本人は食べ物の全体像を、持っていたと考えられます。

 第四の点は、体と心のための食べ物と病気を誘発する食べ物、美味しい食べ物と健康のもとになる食べ物についての基本的、経験的哲学(選択基準)をもって、日常を生活しているのだろうか。

 第五の点は、食事は家庭でつくられるものか、工場や企業体でつくられるべきものか。昭和の三十年くらいまでは、料理は基本的に母親がつくって、家族で食べる、身土不二(シンドフニ、地産地消)という大前提がありました。しかし、昭和の三十年以降、工場で食べ物が調理されることが多くなり、さらに世界中からさまざまな食べ物が運ばてきます。

 第六点は、未来を担う子どもたちが、食べ物について、健康について、病気の予防の食事、食べ物についての哲学をどのように学ぶべきか。昭和三十年くらいまでは、家庭で経験的に学んでいた。

 一つの例として、満州で獣医をしていた父のもとで、少年時代を過ごしたムツゴロウ少年(畑正憲)は、近所の馬を大変かわいがっていた、あるとき馬が怪我をして、働けなくなったので、と殺してその馬肉を食べることになった。ムツゴロウ少年は自分が可愛がった馬なので、食べないといった。しかし、獣医である父親は、食べなさいといいました。(私も食べなさいといいます)

 第七点は、食べ物についての雑多な情報、肥満や糖尿病、アルツファィマー、アトピーに関する雑多な情報をどのように体系づけて、理解するべきか。

 第八点は、健康な水や簡素な食べ物さえも、十分でない世界の子供たちの問題と私たちは、どのように向き合えばよいのだろうか。

 これから、15の元(糸口)で、食べ物についての全体像を整理していきたいと考えてます。(第一回)


 多元的全体食のすすめ  (目次)

 1. 多元的全体食の動機

 2. 食べ物と栽培作物

 3. 人類の雑食性の獲得と地理的拡散

 4. 食べるということ

 5. 食べることの精神的意味

 6. 魚と貝と海藻と全体食について

 7. 日本人としての食事の基本形とは

 8. 食べること、学ぶこと

 9. 好き嫌いと味覚の偏向

10. 人はどのように形成されるか

11. 植物分類による野菜、果物、穀物について

12. 調理器具と調味料について

13. 食物の危険性について

14. 理想の食べ物

15. 世界の子供たちが水と食べ物を得るために  以上