チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「自分の魅力に気づく本」

2013-01-07 19:21:49 | 独学

32. 自分の魅力に気づく本 (滝沢悦子著 1990年発行)

 『 アルトマンに勤めていたが、パートナーはなかなか探せなく、「父親なら自分の娘の見合い相手の一人も連れてきてよ!」

 父親は早速知り合いの大学教授のところに連絡を入れてくれた。自分の教え子のところに、片っぱしから連絡してくださり、結局私の夫の弟のところまで電話がいった。

 義弟は不在だったが、電話口に出た母親が「次男では年齢がちょと下だと思いますよ。それより30歳の長男が残っているのですが、長男ではいかがでしょうか」

 結果として、私はその先生もまったく面識のない滝沢家の長男とお見合いをすることになった。』


 『 初デートは、帝国ホテルで待合わせをしたが、「ああ、今日は天気がいいですね。散歩に行きましょう」という彼の提案に従って、結局三時間くらい日比谷公園から皇居へと歩く羽目になった。

 その日私は10センチもあるハイヒールを履いていたからたまらない。そして「どこで食事をさせたくれるのかしら」との期待に反して彼が連れて行ってくれたのは、なんとチェーンレストラン。

 「別々の定食を取って、半分ずつ食べましょう」と言うではないか。「何か、かなり違う世界の人だなぁ」というのが私の正直な感想だった。

 けれどもその後喫茶店に入ったりして、半日くらい一緒に過ごした後の、別れ際の彼の感激ぶりは印象的だった。

 「わー、今日は実に楽しかったなぁ。女の人とこんなに話したのは久しぶりだな。本当に楽しかった。来週もまた会いましょう」と実に率直な申し入れ。

 私も断る理由もなかったので、「そうですね。よろしくお願いします」という具合に二人の交際は始まった。

 たぶん相手に注文をつけ始めればきりのないことだろう。が、私はむしろ誠実に付き合ってみようと思った。

 まあ、若い娘のようにあまり選んでいられないという事情もなきにしもあらずだが、彼の人となりを知るために、三ヵ月くらいは付き合うことを決めた。』


 『 私も初めて彼に会った時、正直言ってしまえば、「なんとなく垢抜けない人だなぁ」という感じが否めなかった。

 顔の作りが悪いとか、下品だとかいうのではないが、着るものにもあまり構わないようだし、自分の外見を磨くということをほとんどしたことがないように見受けられた。

 ネクタイも何だか時代遅れみたいなものだし、一緒に会う時は大きな紙袋を下げてくるなど、なんとなく「あーあ、ダサイ人」という感じすらした。

 実際、デートのたびに「この人は、一体どこが垢抜けないんだろうか?」と観察していたくらいだ。

 けれど私自身は、素材がよほどひどくないかぎり、磨けば多少は光るという自分自身の過去の体験があったから、「よし、彼のハードの部分は私が磨こう!」と思い切って発想を変えることにした。

 もちろん面と向って「あなたは格好が悪いからこうしなさい」という言い方をすれば角が立つ。でも「あなたに似合うと思ってこれを買ってきたの」と気の利いたものをすこしずつプレゼントしていけば、相手を不快にしないで自分のセンスで相手を磨くことだってできるはずだ。

 私の夫の場合は、自分でも内心素敵になりたいと思っていたフシがある。だから私のアドバイスを素直に聞き入れてくれた。

 これが「俺はこれでいいんだ!余計なお世話だ」みたいな頑なな人だったら、そうはいかない。

 したがって本当にパートナーとして見極めておくべきは、表面的なファッションセンスの善し悪しではなく、その下に覆われている人間性の問題の方ではないかと思う。』


 『 異なった歴史を持った二人がいきなりわかり合えない。 私たちが、新婚旅行から帰った次の日に起こった「福神漬け事件」である。

 当時はレパートリーがなかったので、単純にカレーライスでも作ることになった。そこで、二人でスーパーへ行き、いろいろ材料を買い揃えた。

 ところが最後に「そういえば、福神漬けも買わなきゃね」と言った時、伸びた手の先が違っていたのだ。

 我が家はずーっと酒悦の福神漬け。ところが彼の方は、かなり着色された真っ赤っかなものだった。そこで喧嘩が始まった。

 「うちはこれだ」「私のところはこっちだった」と言って、どちらも譲らない。結局両方買ってきた。

 そして食事の時に、お互いにそれぞれの福神漬けをとったついでに、少しずつ相手のものも食べてみることにした。

 私はその直前まで「このメーカーじゃなきゃ、とんでもないわ。そんなの着色料が使ってあって……」などと、さんざん相手の福神漬けをけなしていたのだ。

 ところが予想に反して、その真っ赤っかな福神漬けは実においしかったのだ。

 育ってきた環境が違う二人は、食べ物一つにしてもイメージが全然違うということを、新婚生活一日目に私たちは実感してしまった。

 自分のやり方だけに固執するのではなく、お互いに相手の馴染んできたものを知っていくことが大切だ、ということを知った。

 この時私の福神漬けの方がおいしかったら、「それ見たことか」という具合に、私の結婚生活ももう少し違ったものになっただろう。

 けれどそうならなかったからこそ、「ああ、やっぱり私には知らない世界がきっとまだたくさんあるんだな、知って良かったと思える世界が」と、謙虚に認めるようになれたのだ。

 それ以来、我が家の福神漬けは真っ赤っかになったことは言うまでもない。』


 『 オシャレは知性の窓口とも言われるくらいで、装いにはその人の人間性や良識が驚くほど表れてくる。

 これはオシャレというよりも「オシャレ心」と言った方がいいかもしれない。むしろ日常大切なのは、着飾るということよりもケアのほうである。

 肌や髪の手入れや、クリーニングの行き届いた洋服を着るという身だしなみがあくまでも基本で、これにプラスアルファの「オシャレ心」が加わると、自分をより美しく演出できるのである。

 だからファッション雑誌に登場するようなファッショナブルな洋服やヘアスタイルを、マニュアル通り真似るのでなく、その中に自分らしさを感じさせるような演出、すなわち「オシャレ心」を加えること。それがいい意味での自己アピールだと思う。』


 
 私(ブログの筆者)が考える「オシャレ心」「素敵な人」「魅力的な人」に自分がなったり、素敵な人と交際するには、どうすべきか。

 その方法として、「自力」と「他力」があるが、基本は「自力」であって、「他力」は、その付録のようなものである。

 その第一は、健康であり、体と心の健康である。体の健康のためには、食べること、胚芽米(玄米)、豆、醗酵食品を良く咀嚼して食べ、食物繊維と規則的な生活で排出、睡眠のリズムをつくる。

 さらに、ヨガやストレッチ、腹式呼吸法、ラジオ体操などの体操を自分なりにアレンジして、体を柔軟で、持久力のある、働き者で努力家の体力をくる。

 心の健康のためには、まず無条件に感謝の気持を持つ、そしてオープンマインド、包容力を常に心掛け、好奇心を広く持ち、森羅万象を観察し、小さな創意、工夫を実行する。

 その第二は、お金に関係なく(お金がないからできないは理由にならない、出来ることはあるはずである)、自分の部屋をより機能的に、整理整頓し、自分の顔やセンスをほんの少しでも輝かせ、向上する余地がどこにあるかを考え、工夫する。お金についても、今までより、ほんの少しでよいから、ていねいに使う。
 
 その第三は、自分の能力を高める。歴史上の多くの人々がどのように、能力を向上させたかを多くの本を読んで、自分にあったものを探し、試みる。

 自分のテーマを3つくらい持つ。私の父は、生涯に渡って、園芸作物を通じて、植物の種子をテーマにしていた。自分が輝くために自分のテーマを少しでよいから探求してみる。

 対人関係は、自分の鏡であると言われ、自分を磨くことなくして、対人関係は向上しない。(吉川英治の三国志にありました)

 自分の能力を向上させるもう一つのアプローチは、自分の手の指の能力を向上させること、と自分の目で観察し、自分の頭で考えるくせをつける。多くの人は、自分の手の指の能力のほんの一部しか開発してない。

 筆を手に持って、文章を少していねいに書く。絵筆を持って、もっと良く、花や自然を観察し、素直に表現する。

 自分の好きな曲をピアノやヴァオリンで、少し流れるように演奏する。包丁を上手に使って、美味しい料理をつくる。魚を箸で美しく身と骨を分けて食べ尽くす。

 自分の手で、国語辞典や漢和辞典、英和辞典をこまめに引いて、言葉と文字を大切にし、話し言葉と書き言葉をほんの少していねいに話し、そして、書く、言葉と文字に精通している人ほど、こまめに辞書を引き、話したり、書いたりしていることを忘れてはならない。

 ことばが伝達の文化であるのに対して、文字は伝達のための文明であり、文明世界の工夫である。(漢字 鈴木修次)

自力によって、自分を磨くことによって、様々な運気も向上するのではなかろうか。(第33回)