チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「一万人の「無国籍日本人」がいる」

2019-02-22 09:48:20 | 独学

 184. 一万人の「無国籍日本人」がいる  (井戸まきえ著 文芸春秋 2019年2月号)

 国籍の問題は、移民の受け入れや、国際結婚の問題とも関連して、日本の未来ともかかわってきます。さらに法律が輻輳化して適用される時、私たちの味方であるべき法律によって、私たちが絡めとられる危険を孕んでいる。

 法律は自国だけの問題にとどまらず、他国の法律とも密接に関連します。さらには時代の変化にも対応する必要があります。

 本来、法律の問題を解きほぐし、法体系の全体像を見とおして、現代社会に適合した矛盾のないものにすべき、裁判官や国会議員、大学教授がその全体像とビジョンを持っているように感じられないのは、私だけでしょうか。

 では、読んでいきましょう。

 『 「無国籍の日本人」がいる。明治初期でも、第二次世界大戦後の混乱期の話でもない。平成が終わろうとしている二〇一九年、まさに「今」の話である。

 日本人の親のもとに生まれながらも、何らかの事情で出生届が出されず、もしくは「戸籍」が滅失し、戸籍を持たないまま生活している「無国籍者」は、司法統計から推定して現在、この日本に「少なくとも一万人」いると考えられている。

 現に、昨年十月、福岡県内で内縁の妻の死体を遺棄したとして男が逮捕された事件で、容疑者が長年連れ添った妻「ユモコ」は、実は「無国籍状態」だったことがわかり、年の瀬のニュースを賑わせたばかりだ。

 法治国家であるはずの日本に、生まれも氏名も公証されない「無国籍者」が普通に暮らしている。「そんなまさか」とにわかには信じられない読者もきっと多いことだろう。

 かく言う私自身がそうだった。二〇〇二年、自分の子どもが「無国籍児」になるまでは―—。「芦屋市役所ですが、イドマサエさんですか? あなた、離婚していますね? 」

 生後五日目の第四子を連れ、産院から自宅に戻り、子どもを寝かしつけたばかりだった。突然かかってきた一本の電話は、藪から棒に私の結婚歴を確認し、こう告げたのだ。

 「今朝あなたのご主人が提出した出生届は、父親欄が現在のご主人となっていますが、民法の規定により、離婚後三百日以内に生まれた子どもは前夫の子どもとなります。父親欄を前夫の氏名に書き直して、出生届を再提出してください」

 確かに私は前夫と離婚し、再婚したのちに第四子を出産していた。「……は? 離婚後三百日以内?」『民法第七七二条二項 離婚後三百日以内に生まれた子は婚姻中に懐胎したものと推定する』 「嫡出推定」と呼ばれる規定である。

 民法の条文にそんな「父を決めるルール」があるなど、当時の私には思いもよらなかった。

 「ちょっと待ってください。私は前の夫とは離婚が成立するずっと前から別居していました。調停に時間がかかったせいで離婚が遅くなっただけです。だいたい前の夫との離婚が成立し、再婚した後に私はこの子を妊娠したわけれすから、前の夫を父親にするなんておかしいでしょう」

 思わず私の語気は荒くなった。後で知ったことだが、この民法の「三百日規定」は、ずいぶん前から問題とされてきた。(後述するように現在、改正が検討されている)。

 そもそも女性の妊娠期間は、三百日より一か月も少ないからだ。一般に、一週間七日をひと月四週間で数えて十ヶ月(二百八十日)が妊娠期間の基準とされる。

 起点が最終月経日なのでさらに排卵が予想されるまでの二週間を引いて、実質的な妊娠期間は二百六十六日前後。しかも、しかも、あくまでこれは子どもが予定日の生れるケースだ。

 三週間ほど早産だった私の場合、妊娠から出産までの期間はさらに短い。離婚後、今の夫と再婚した後にできた子も、この民法の規定を適用したら「前夫との間の子」ということになる。

 もともとは扶養義務を負う父親を早く確定し、子どもの身分を安定させる趣旨で作られた規定だが、現在、父親が誰か、争いがある場合はDNA鑑定によって容易に確定できる。もはや時代遅れのルールなのだ。

 まして当事者間に何の争いもないのに、この規定を厳密に適用しようとするのは、「女性は離婚後しばらく新たな夫との子を妊娠してはいけない」と役所に言われているのと同じ。

 まるで国家が「女性は離婚後の一定期間、前夫の性的拘束下にある」と認めるようなものではないか。 』


 『 しかし、私がいくら憤り、「法が間違っている」と主張しても、役所が出生届を受理してくれなければ、子どもを私たち夫婦の戸籍に登録することはできない。抗議する私に、それは離婚のペナルティです」

 市役所の戸籍係は、淡々と言い放った。この言葉は十七年たった今でも忘れることができない。二十五歳で結婚、三十七歳で離婚。十二年間の結婚の生活のうち半分近く別居、調停と、婚姻解消のために格闘した日々だった。

 夫婦のうち三分の一が離婚に至る現在では、そう珍しいケースでもないだろう。そもそも「離婚のペナルティ」とは誰から誰に課せられるものなのか。なぜ、それを生後間もない赤ん坊が背負わなくてはならないのか。

 子どもの父親欄に嘘は書けない。出生届の訂正を拒んだ結果、私の子どもは「無戸籍」となった。

 我が子が無戸籍になるまで、私は「戸籍」について深く考えたことなど一度もなかった。戸籍はあって当たり前。当然、家族の「実態」に基づき、正確な事実が記載されていると信じて疑わなかった。

 だからこそ、役所が実態と異なる「虚偽」の記載を求めてきたこと、それを断ると、あっさり我が子が「無戸籍児」になってしまったことは、衝撃だった。

 戸籍がないと、この先どうなるのか。住民票がもらえない。健康保険証もない。健康診断や予防接種など行政サービスも受けられない。住民票がないと役所から「就学通知」が来ないので義務教育を受けることも難しい——。

 これらは生きる上で、致命的困難をもたらすはずだ。その後、紆余曲折の後、私と子供が「原告」となり、現夫を「被告」として、認知を求める裁判を起こし、その結果「子どもは、現夫の子として認める」と判決が出て、我が子は戸籍を得ることができた。

 当時、「推定される法的父親」と「事実上の父親」が異なる事案の調停・裁判は、毎年三千件前後あった。私は、夫と決意した。法律を変えよう、私たちがした経験を他の人にはさせたくない、と。

 ホームページを作り、朝昼晩、いつでの対応可能な二十四時間の電話相談を始めた。以来十六年後の現在まで、約千三百件の無国籍者からの相談を受けてきた。 』


 『 日本人でありながら無戸籍者となる要因は主に六つと言われている。 ① 「民法「七七二条」が壁となるケース(離婚後三百日問題) ② 親による「ネグレクト・虐待」が疑われるケース ③ 戸籍制度に反対で、出生届の提出を拒むケース ④ 認知症等での「身元不明人」ケース ⑤ 「戦争・災害」で戸籍が滅失したケース ⑥ 天皇・皇族

 二〇一四年八月の終わり近くに、近藤雅樹と名乗る男性から電話があった。「二十七歳です。無国籍なんです。母は亡くなっています」父親は、と訊くと、「わかりません、最初からいないので」と言う。

 近藤は、一四歳のとき、それまで実の母だと思っていた「オカン」から、こう言われたのだという。「うちはあんたの本当のオカンやない。あんたの本当のオカンは、あんたを産んで間もなく死んだんや」

 本当の母には戸籍がなく、託された「オカン」も、近藤を戸籍に登録することができなかった。近藤は義務教育を受けていない。

 近所の同年代の子どもたちがランドセルを背負って登校する姿を見ながら、この国には「学校で勉強するグループ」と「家で勉強するグループ」があって、自分は後者だと信じていたという。

 それでも二度、オカンは近藤を小学校に連れて行った一校目は大きい小学校で、沢山の人がいてビックリした覚えがある。一度にそんなに多くの小学生を見たことがなかったから、近藤の記憶は鮮明だった。

 「ダメやねんて。次行ってみよか」授業が終わって迎えにきたオカンから、そう言われた。何がダメなのかはわからなかったが、日をあけずにまた違う小学校に行き「小学校のまねごと」をした。

 しかし、近藤が小学校に通い続けることはできなかった。以来、オカンと近藤、二人きりの家庭生活をおくる。本屋で買ってきたドリルをやり、わからないところはみんなオカンが教えてくれた。

 そして十四歳のとき、本当の母の存在を告げられることになる。「自分はオカンの子ではない。しかも戸籍がない……」

 近藤は、十六歳から飲食店の下働きを始め、やがてオカンの家を出て、別の飲食店の社員寮に入る。あるとき道で最初に働いた店の店主に呼び止められ、「お前、大変やったなあ」と声をかけられた。

 「オカン、火事で死んだんやろう?」近藤の知らないうちに、義母は、火災に巻き込まれて死亡していた。かれが十九歳のときだった。

 自分を証明するもの全てを失った近藤は、故郷・大阪を離れ、上京し、八年間ひとりで生きてきた。行政からの援助はもちろん、保険証すらない状態だったが、現在までホステスとして働いてきたという。

 無戸籍者たちは、身分証明がなくても働ける水商売、パチンコ業界、風俗業界などに身を寄せやすい。「僕の話、本当かどうかわからないですよね。僕も実は自信がないんです。誰も証明する人がいないから」近藤は掠れた声で私に言った。』


 『 近藤雅樹から相談を受けた私は、まず一緒に家庭裁判所へ赴いた。一般に親の不明な無戸籍者が戸籍を得るには「就籍」という手続きをとる。

 たとえば「捨て子」のケースでは、自治体の長がその子に名前をつけ、職権で戸籍を作ったりするのだ。散々待たされた後に現れた家裁の担当者は、近藤にこう言った。

 「では、日本人であることを証明できる資料を提出してください」 父も母もわからない子が「日本人であること」をどうやって証明するのか。

 とりあえず申立書を書くが、その内容を証明してくれる近藤の養父母は、もうこの世にいないのだ。申立てをしてしばらくすると、裁判所から呼び出しが来た。

 調査官との面談の一回目は、申立書に書いていることの確認。二回目はもう少し突っ込んだやり取りが行われ、その後、近藤は全部の指の指紋を採られた。

 指紋採取が終わると、調査官は突然ワイシャツを脱ぎ始めた。「近藤さんの年代だとBCG、判子注射とも言うんですが、その跡が腕に残っていると思うんです。僕のを見せますから、近藤さんも見せてくれませんか?」

 日本で受けた予防接種の跡があれば生まれた年代がわかるのだ。もしくはどこか別の国の予防接種の跡が残っているかもしれない——。「自分は疑われている」こう思うだけで、近藤は後ろめたい気持ちになったという。

 動揺しつつも、ワイシャツを脱ぐ近藤。「……ない、ですね。どちらの腕にも。予防接種はしていないですね」ホッとした近藤は、その場に倒れそうになった。

 指紋を採られ、上半身を裸にして調べられるなんて、まるで犯罪者扱いだ。しかし、その屈辱に耐えなければ「日本人」にはなれない。

 結局、近藤の「就籍」の申立ては、却下された。審判書を見ると、最初に書かれているのは近藤の犯罪歴についてだ。「犯罪歴又は逮捕歴「不発見」」「なし」ではない。

 「不発見」という文字に役所の若干の悪意が滲む。以降、三ページにわたって、近藤の生育に関する記述が続く。最後の結論部分に驚くべき言葉があった。

 ① 「日本語を流暢に話し、語彙も豊富で、初対面の相手であってもコミュニュケーションに全く支障がない。また申立人は、陳述書や報告書を自らパソコンを使って作成しており、その内容は項目ごとに整理され、内容もわかりやすく、誤字脱字もほとんど見当たらない。

 以上の点からすると、申立人が小学校に2回登校したことがある以外に学校に通ったことがなく、勉強や一般教養について養母から教えてもらっただけであとは独学とする申立人の供述はおよそ信用しがたい」

 ② 「申立人が乳幼児の頃、申立人を保育園等に預けるのとなく、ひとりアパートに残して長時間働きに出ることはおよそ困難であり(育児放棄でもある)、そうした場合には、何らかのきっかけで周囲の知るところになり、児童相談所等による指導・介入を受けることが通常である。

 申立人は、2回だけではあるが小学校に登校しており、また転居もしてないというのであるから、その後も児童相談所等による指導・介入を受けることなく全く学校に行かないまま義務教育の期間を経過したというのは不自然である」

 裁判所はこう結論づけ、近藤の供述を「信じ難い」として、「就籍」を認めなかったのである。 』 (第183回)


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