109. 英語で読む啄木 〔自己の幻想〕(前) (ロジャー・パルバース著 2015年4月)
著者のロジャー・パルバース(Roger Pulvers)は、1944年にニューヨークでユダヤ人の家庭に生まれる。UCLA、ハーバード大学院に学ぶ。ベトナム戦争への反発から、ワルシャワ大学、パリ大学へ留学後、1967年に初来日。京都産業大学、オーストラリア国立大学、東京工業大学で教鞭をとり、作家、劇作家、演出家。
著書に「英語で読む銀河鉄道の夜」、「英語で読む桜の森の満開の下」、「英語で読み解く賢治の世界」、「旅する帽子 小説ラフカディオ・ハーン」など多数。2008年、宮沢賢治賞、2013年野間文藝翻訳賞を受賞。
『 長い間、啄木の短歌を英訳することは気がすすみませんでした。うまくできそうになかったからです。翻訳は原文と同じような感動を与え、その感動の度合いが原文と同じくらい深い分だけ成功しているのです。
啄木の短歌にとても具体的なメッセージがこめられていることに気づくようになったのは比較的最近のことでした。彼の短歌が名作と言われるのは、それが完璧に彫られたダイヤモンドのように澄み切っているからですが、魅力はそれだけではありません。
多義的でいろんな意味がありますし、美しい暗示もあります。言外のニュアンスが豊かにこめられています。とらえがたい感情がただよっています。
この矛盾しているかのような二つの特徴(具体的であることと暗示的であること)を同時に表現できなければ、翻訳は失敗に終わってしまいます。
詩の翻訳の中でも、俳句と短歌を別の言語に訳すのは最大の困難をともないます。危険な割れ目、迷い道、恐ろしい絶壁におおわれた山に登るようなものです。
宮沢賢治の詩を翻訳するのに費やした四十五年間をとおして、私はそういう割れ目や裂け目に何度も出会いました。しかし、啄木の場合は、割れ目はさらに深く、迷い道はさらに多く、その絶壁は見上げるだけでも首を捻挫するほど高い。
微妙な意味にあふれたいろいろな意味が響き、あいまいで、はげしく抒情的、ありのままで切なく、簡潔……そうしたものすべてが具体的な詩のメッセージにつつまれています。
この詩を英語にして、読者に強い印象を残すにはどうすればいいのかわかりませんでした。しかしある日、登り方が閃いたのです。私はすべての短歌を簡潔で明晰な文にして、それにタイトルをつけることに決めました。
日本のもっとも偉大な近代詩人の二人である石川啄木と宮沢賢治はおよそ五十キロしか離れていない場所で生まれました。その年齢差はわずか十歳で、同じ中学校に通いました。
すべて偶然の一致かもしれません。二人とも若くして結核で死にました。啄木二十六歳、賢治三十七歳。 』 (まえがき(Perfce)より)
石川啄木は、明治19年(1886)2月に盛岡市渋民で生まれる。明治31年(1898)に12歳で、盛岡中学(現盛岡一高)に学んだ。三年先輩に金田一京助、10年後に宮沢賢治が入学する。
啄木の第一歌集は明治43年(1910)12月に「一握の砂」、第二歌集は明治45年(1912)6月に「悲しき玩具」を発行した。啄木は結核のため26歳の若さで、明治45年(1912)4月に亡くなっているため、啄木が「悲しき玩具」を見ることはありませんでした。
『 ON A LARK
I lifed my moter onto my back. たわむれに母を背負いて
She was so light I wept そのあまり軽さに泣きて
Stopped dead after three steps. 三歩あゆまず
題名の lark は、ヒバリと同じスペルですが、この場合は、”はしゃぐこと”の意味で、on a lark で「たわむれに」という意味です。 dead は、彼の母がこの世にあと長くいないことを示しているため、stop dead (急に止まる)を用いました。
SURPRISE
My daughter's face lit up 猫の耳を引っぱりてみて
When I yanked the cat's ear にゃと啼けば
And it yelped "Meow!" びっくりして喜ぶ子供の顔かな
「にゃと」、「びっくり」、meow、yank、yelp はすべて擬声語。題名は「びっくり」からとりました。
IN MY DARKENED ROOM
I turned off the oil lamp, alone 灯影なき室に我あり
As my father and my mother walked out of the wall 父と母
Each holding a cane. 壁のなかより杖つきて出ず
たまたまある人が体験した現実が、読者にはシュール(超現実的)のようにとらええられるのです。 cane は ”トウ製のの杖” の意味。
INTIMACY
When I compare myself unfavorably with my friends 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
I buy a bouquet for my wife 花を買い来て
To cherish her. 妻としたしむ
「したしむ」という言葉ひとつで、妻との間に何が起こるかを暗示しているからです。誰かを守りたいことから誰かを愛することに至るまで、いろんな意味あいを含む美しい英語の単語 cherish を選びました。啄木が家に戻った時、彼と節子が行うかもしれないことを、タイトルの Intimacy (深い関係、愛情行為)はさらに示唆しています。
LOVE
I want to try to love like a man やわらかに積もれる雪に
Burying his burning cheek 熱てる頬を埋むるごとき
In soft drifts of snow. 恋してみたし
一行目の「やわらかに積もれる雪に」の抒情的な効果を soft drifts of snow であらわそうとしました。
WEATHER
The rain brings out the worst 雨降れば
In every single member of my family わが家の人誰も誰も沈める顔す
Oh for one clear day! 雨晴れよかし
私がイギリス人の家内にこの翻訳を見せたとき、彼女は笑いながら言いました。「まったくイギリス人の家族みたいだわ!」と。どうやら、日本とイギリスで共通なのはたくさん降る雨だけではなさそうですね。 』
『 MEMORY
Dozing on my belly on a sand dune 砂山の砂に腹這い
Brings back every single distant pain 初恋の
Of first love. いたみを遠くおもい出ずる日
「遠く」という対象的な言葉がこの苦しい思い出を特徴ずけています。思い出の時間や場所は遠くにあるかもしれませんが、わたしたちの中では現実として生きているのです。この短歌には色気があります。彼は柔らかくてしなやかな砂の上にいます。この感覚は愛の思い出を呼び起こします。
ONE DAY
I waited for her hour upon hour 待てど待てど
Yer she never showed up. So I carried 来る筈の人の来ぬ日なりき
My little writing table to where it is now. 机の位置を此処に変えしは
わたしは作家なのでこの短歌が大好きです。やはり、作品を書く机は大事です。彼は彼女のことをあきらめたでしょうか。それとも彼女への手紙を「変わった位置から」書くだけのために机を動かしたのでしょうか。
A FRIEND
I opened myself up to him 打明けて語りて
And felt I had lost something 何か損をせしごとく思い
Before we parted 友とわかれぬ
BEFORE WE WERE MARRIED
My wife once longed わが妻のむかしの願い
To have a life in music. 音楽のことにかかりき
Now she sings no longer. 今はうたわず
節子はもう幸せではないようです。とくに啄木の時代の結婚生活は、女性から自分の時間を奪い去りました。起きているすべての時間は、夫、子供、身内の世話をするのに費やされます。
FOR SOME UNKNOWN REASON
All I did was wave my hat 高山のいただきに登り
At the top of tall mountain なにがなしに帽子をふりて
Before setting back down again. 下り来しかな
「なにがなし」の英訳はいくつかあります。なぜ帽子をふるだけのために山を登り歩きしたのか、啄木本人にもわかっていなかたでしょうから、for some unknown reason を使いました。
AT THE STATION
I slip into crowd ふるさとの訛なつかし
Just to hear the accent 停車場の人ごみの中に
Of my faraway home town. そを聴きにゆく
啄木のもっとも有名な短歌のひとつ。どれだけ故郷を恋しがっていたかわかります。擬声語の slip (そっと入る)は気づかれないように群集にとけこんだことを指しています。 』
『 IN THE RUINS OF KOZUKATA CASTLE
I dozed off in the weeds 不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
As the sky seized 空に吸われし
My fifteen-year-old heart. 十五の心
grass は西洋の読者に芝生を連想させるので、草は grass ではなく weeds (草、雑草)を用いました。 sucked into the sky のほうが「空に吸われし」の直訳になりますが、sky (空)を能動態動詞の seize (ぐいとつかむ)の主語にしました。するとダイナミックな感じが詩にあらわれます。 ruin (荒廃)で、dozed off (まどろむ)です。
AUTUMN WIND
The millet leaves flutter はたはたと黍(きび)の葉鳴れる
Rustling along the eaves of home ふるさとの軒端なつかし
Taking me back. 秋風吹けば
擬声語の「はたはた」を翻訳すると英語の二つの擬声語の flutter (はためく) と rusting (サラサラ音がする)になりなす。 leaves (葉っぱ) から l を取ると eaves (軒)になります。日本語の「懐かしさ」に一致する英語がないとよく言われます。もちろんそうではありません。これを英語にする幾つかの方法があります。ここでは taking me back というフレーズを選びました。過去の時間や場所にtakes you back、つまり運んでくれるものは、「懐かしさ」があるものです。
ASAKUSA
Nothing isolates me more 浅草の夜のにぎわいに
Then slipping in and out of まぎれ入り
Merry nighttime crowds まぎれ出で来しさびしき心
浅草は啄木の時代、今よりはるかに娯楽の中心地でした。宮沢賢治でさえ、そこに行って劇や映画を見るのが大好きでして。群衆の中で啄木が感じる孤立感は明らかです。
THE TRAIN
I hear a distant whistle. 遠くより
It lingers in the air before vanishing 笛ながながとひびかせて
Into woods. 汽車今とある森林に入る
「ながなが」はここで lingers (いつまでも残る)として表現しています。 linger の語源は long (長い)や lengthen (長くする)と同じです。 vanish :見えなくなる
SEEING OFF AT THE TRAIN STATION
My wife came with our daughter on her back. 子を負いて
I caught sight of her eyebrows 雪の吹き入る停車場に
Through a blanket of snow. われ見送りし妻の眉かな
この短歌は大好きです。雪が激しく降っているのに、節子は娘をおんぶして駅まで啄木を見送ります。 blanker (毛布)は愛しあう人たちをかぶせるものなので、blanket of snow (雪一面)というたとえを選びました。(訳者は角巻で母と子が包まれている情景を想定してると思います)
JAPANESE ROSE
Will you flower again this year, Japanese rose 潮かおる北の浜辺の
In the sand dunes of the northern beach 砂山のかの浜薔薇よ
Fragrant with the tide? 今年も咲けるや
浜薔薇(はまなす)は英語で Japanese rose と呼ばれています。潮とバラの香りがこの短歌では美しく混ざっています。まるでその香りがするようです。frabrant : よい香りの、tide : 潮の干満 』
ここで終る予定でしたが、紹介したい啄木の歌が、20首ほど残りましたので(後)とします。(第108回)
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